2010年12月17日

角倉了以別邸跡

 『 角倉了以別邸跡 』

  安土桃山から江戸初期にかけて活躍した豪商 『 角倉了以 』 ( すみのくらりょうい ) は、文禄元 ( 1592 ) 年に豊臣秀吉の許可を得て安南国 ( 現在のベトナム ) に貿易船を派遣するなど、貿易商 として大いに活躍しました。

  国内の 諸河川の開発整備 にも積極的に従事し、慶長11 ( 1606 ) 年には 大堰川 ( 保津川 ) や 富士川 ( 静岡県 ) を開削して疎通させ、また慶長16 ( 1611 ) 年には京都と伏見を結ぶ運河として 高瀬川 を開削し、二条より鴨川の水を引き込んで水運を確立しました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2010年12月17日

兎と猪の顔合わせ

今日は金曜日。 KBS京都ラジオ ≪ ほっかほかラジオ ≫ に出演して、
その帰りに護王神社に立ち寄ってきました。



もうすでに来年の干支 【 卯 】 の大きな絵馬が飾られていました♪



イノシシ神社として親しまれている護王神社には、狛イノシシがあり
ますが、これ、兎と猪の顔合わせという感じになっていますね ( 笑 )



今年も残すところ、あと15日。
いよいよ年の瀬が迫ってきました。
  

Posted by 若村 亮  at 09:33Comments(0)らくたび日記

2010年12月16日

わら天神

 『 わら天神 』

  敷地神社 ( しきちじんじゃ ) の祭神 「 木花開耶姫命 」 ( このはなさくやひめのみこと ) は、古くから北山の神として祀られ、安産祈願の神 として信仰を集めてきました。

  応永4 ( 1397 ) 年に 足利義満金閣寺 を造営した際、その 鎮守社 として現在地に遷座しました。

  安産祈願で授与される 「 わら 」 の護符 は、その 「 わら 」 に節 ( ふし ) があれば男の子、節がなければ女の子が生まれるとされていることから、敷地神社は通称 『 わら天神 』 と呼ばれています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2010年12月15日

新潟市立 ≪ 白根第一中学校 ≫

今日の学校講演は、来年4月に京都へ修学旅行を計画している新潟市立白根第一中学校さんでした。

雪が降る寒い日でしたが、雪をとかすような熱い京都の魅力が生徒の皆さんに伝わっていれば・・・と思っています!

学校のホームページでも、講演の模様が12月15日の近況として掲載されています ( こちら )  

Posted by 若村 亮  at 22:12Comments(0)らくたび日記

2010年12月15日

伊丹空港

大阪・伊丹空港まで戻ってきました~!

新潟は帰る頃には本格的な雪になっていました。 今シーズン初のまとまった雪ということで、これから数日間の厳しい冷え込みでさらに積もりそうな感じでした。

それにしても、新潟から大阪に戻ってくると、気温がまったく違いますね ( 笑 )  

Posted by 若村 亮  at 16:57Comments(0)携帯から京都

2010年12月15日

月輪陵

 『 月輪陵 』

  泉涌寺 ( せんにゅうじ ) は 皇室の菩提寺 として格式高い歴史を受け継ぎ、「 御寺 」 ( みてら ) と呼ばれています。

  泉涌寺境内の東には 『 月輪陵 』 ( つきのわりょう ) と呼ばれる 天皇の陵墓灰塚 などがあり、鎌倉時代の第87代・四条天皇 をはじめ、江戸時代の第108代・後水尾天皇 から第120代・仁孝天皇 までの25陵・5灰塚・9墓が営まれています。

  また月輪陵の背後の山腹には、南に第121代・孝明天皇後月輪東山陵、北に 英照皇太后後月輪東北陵 が築かれています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(2)歴史コラム

2010年12月15日

新潟空港に到着!

新潟は雪が降り始め、気温は3℃です! ( 寒 )  

Posted by 若村 亮  at 08:44Comments(0)携帯から京都

2010年12月15日

5時34分

まだ太陽が昇るには早過ぎる時間ですね ( 笑 )

今日は午前中に新潟で講演があるため、大阪・伊丹空港から新潟へ向かう始発の飛行機 ( 7時30分発 ) で向かいます!

京都から伊丹空港まで1時間以上かかりますが、さっそく行ってきま~す ( 眠い・・・ 笑 )  

Posted by 若村 亮  at 05:53Comments(0)携帯から京都

2010年12月14日

赤穂浪士の討ち入り

 『 赤穂浪士の討ち入り 』

  元禄13 ( 1701 ) 年、幕臣・高家筆頭・吉良上野介 ( きらこうずけのすけ ) は、勅使接待役・赤穂藩主・浅野内匠頭 ( あさのたくみのかみ ) を辱しめ、江戸城中で浅野内匠頭が吉良上野介を切りつけ、即日、浅野内匠頭は切腹・除封の処分となりました。

  その後、元禄15 ( 1703 ) 年 12月14日、赤穂藩浅野家の家老・大石内蔵助 ( おおいしくらのすけ ) が 赤穂浪士四十六人 を率いて、吉良上野介の邸宅に討ち入りし、見事に 主君の仇 を討ちました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2010年12月13日

日本に現存する唯一の揚屋建築 ≪ 角屋 ≫

東京から帰ってきて、昨日は建築史を学ぶ京都さんぽへ行って
きました。 散策の途中で伊東甲子太郎の暗殺地として石碑
が建つ本光寺 ( 七条油小路下ル ) 前で説明していると、
近くでお寺を管理されている方が出てきてくださって、お寺の門を
開けて中へ入れてくださるなど嬉しい出来事もあり、楽しい散策
をしてきました。

その後、西本願寺で国宝・唐門や重文・御影堂などを拝観して、
さらに島原へと歩みを進めて、島原大門から輪違屋の外観を見学
した後、いよいよ日本に現存する唯一の揚屋建築として貴重な
建築を伝える ≪ 角屋 ≫ ( 角屋もてなしの文化美術館 ) を
見学しました。





説明される方の名調子もあって、角屋の歴史と伝統を楽しく学ぶ
ことができました。

さて、次回の京都さんぽが今年最後となりますが、以前より京都を
フィールドに探検するような企画をしたいと思っていましたが、予想
以上に準備に時間がかかり、今回は断念して次回以降の企画と
することにしました。

よって、12月19日(日)京都さんぽは、お正月に欠かせない縁起物
を求めて、伝統の町・西陣を散策する予定です。

 ※ 京都さんぽ 12/19(日) 詳細は こちら

北野天満宮の大福梅や、五辻の結び昆布など、お正月へ向けて
たっぷりとお買い物をしたいと思います ( 笑 )

お詫びも込めて、参加費はちょっとお安くなっていますので、ぜひ
ご参加ください、お待ちしています♪

ちなみに、12/19(日)の夕方には忘年会も予定していますので、
京都の名物豆腐を湯豆腐として食べ比べるという企画にしています
ので、ぜひご期待ください。こちらもご参加をお待ちしています。

 ※ 忘年会 12/19(日) 詳細は こちら
  

Posted by 若村 亮  at 12:17Comments(0)らくたび日記

2010年12月13日

事始め

 『 事始め 』

  江戸時代、京都や大坂では 12月13日『 事始め 』 ( ことはじめ ) とし、1年の煤払い をして 正月を迎える準備 を始めました。

  京都の事始めは師走の風物詩。 花街 祇園 では、芸舞妓さんが京舞井上流家元 井上八千代 さん宅にて、1年の感謝と今後の挨拶をする習わしで、家元からご祝儀に 舞扇 を戴き、益々の精進を誓います。

  12月13日の事始めを過ぎると、京都の挨拶は 『 おことうさんどすー 』 ( 正月準備で忙しいですね、の意味 ) となり、正月を迎える準備で慌しい日々を迎えます。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)季節コラム

2010年12月13日

東京で忘年会

東京で、出版社の方々と恒例の忘年会があり、渋谷からひと駅の
池尻大橋で降りて ≪ 庶民の地酒屋 つくしのこ ≫ へ♪



さすが、ありとあらゆる日本酒が勢揃いの素敵なお店です ( 笑 )



壁の上まで棚にはずらりと日本酒が!



わっ! お酒の神様といえば、京都の松尾大社ということで、お店
にはしっかりと松尾の神様がお祀りされていました。



毎年、お正月は京都の松尾大社へ初詣をされているそうです。
  

Posted by 若村 亮  at 11:59Comments(0)らくたび日記

2010年12月13日

夕暮れ

NHK学園・市川オープンスクールの講座中、休憩時間に外を眺めると
ちょうど夕陽が沈むところでした。



左に沈む夕陽と、右に東京スカイツリー。

幻想的な、素敵な夕景が見えました♪



あっという間に太陽が半分隠れて・・・



すっかり沈んでしまいました。



この間、わずか3分でした ( 笑 )  

Posted by 若村 亮  at 11:47Comments(0)らくたび日記

2010年12月13日

超高層45階! ≪ NHK学園・市川オープンスクール ≫

先日 12/9(木)、東京と千葉の県境に近い市川市へお伺いして、
NHK学園・市川オープンスクールで講演をしてきました!

東京駅から30分以内と、とっても便利な場所にあり、新幹線で
東京駅に着いて、そのまま在来線・市川駅で下車しました。



なんと、スクールは駅前の超高層ビル45階にあり、そこからの眺望は
絶景! 下界に映るビルの影からもビルの高さがわかります ( 笑 )





そう、東京方面へカメラを向ければ、そこには建設中のスカイツリーが!



高さ500mを突破したとのことで、さすがに遠くから眺めても存在感は
抜群ですね。完成が楽しみです。



NHK学園・市川オープンスクールでは、次回 2011年3月10日(木) に
春の京都・とっておき情報をお伝えする講座を行う予定です。
ぜひ、ご興味のある方はご参加ください、お待ちしています!

NHK学園・市川オープンスクール : 公式HPは こちら

 ※ページ下に、次回の講座情報と、スクーリング ( 京都・現地ツアー )
   の情報がありますので、ぜひご覧ください。
  

Posted by 若村 亮  at 11:38Comments(0)らくたび日記

2010年12月12日

閻魔

 『 閻魔 』

  怒りの形相をあらわす 『 閻魔 』 ( えんま ) は、亡者の罪に判決を下す地獄の王とされ、閻魔大王閻魔法王 とも呼ばれています。

  もとは インドの神話に登場する神 とされ、中国 へ伝来すると 道教の冥界思想 と結び付き、人の寿命や福禄をつかさどる 泰山府君の神習合 ( しゅうごう : 異なる二つ以上の教義などを折衷すること ) しました。

  そして 日本 においては、閻魔の本地 ( ほんじ : 本来の姿 ) が 地蔵菩薩 と考えられるようになりました ( 諸説あり )。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)仏教コラム

2010年12月11日

京都所司代

 『 京都所司代 』

  二条城の北側に広大な屋敷を構えた 『 京都所司代 』 ( きょうとしょしだい ) は、朝廷や公家の監視京都諸役人の統率京都・伏見・奈良の町奉行の管理、さらには 近畿全域の訴訟の裁決西国大名の動静監視 など、江戸幕府の役職のひとつとして京都に駐在し、老中に次ぐ最重要役職として強大な権限を持っていました。

  幕末の文久2 ( 1862 ) 年に 京都守護職 が設けられると、京都所司代はその管轄下となり、王政復古によって廃止されました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2010年12月10日

太子道

 『 太子道 』

  推古天皇11 ( 603 ) 年、聖徳太子 が諸臣の前で 「 ここに尊い仏像があるが、誰かこの仏像を拝みたてまつる者はいるか? 」 と尋ねたところ、秦河勝 ( はたのかわかつ ) が仏像を賜りました。

  秦河勝は太秦に定住していた渡来系の氏族 秦氏 の長であり、聖徳太子から賜った仏像を祀る 広隆寺 ( こうりゅうじ ) を太秦に建立し、秦氏の氏寺としました ( 諸説あり )。

  後世になって、広隆寺は聖徳太子ゆかりの寺院として多くの参拝者を集め、その参拝道は 『 太子道 』 として今も残っています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2010年12月09日

御香宮神社

 『 御香宮神社 』

  伏見に鎮座する 『 御香宮神社 』 ( ごこうのみやじんじゃ ) は、平安時代、境内から 病気に効く香水 が湧き出たことから、第56代・清和天皇 より 「 御香宮 」 ( ごこうのみや ) の名を賜りました。

  その後、豊臣秀吉伏見城 を築くと、その守り神として崇められ、境内には今も安土桃山時代の荘厳華麗な特色を伝える表門や本殿が建ち並んでいます。

  幕末、この辺り一帯で勃発した 鳥羽伏見の戦い では、御香宮神社が 薩摩軍の屯所 となった歴史も有しています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2010年12月09日

富士山

雪化粧した富士山が爽やかな青空にそびえています。

今日から3日間の東京滞在で、7講演を頑張ってきます!

  

Posted by 若村 亮  at 11:00Comments(0)携帯から京都

2010年12月08日

大原・三千院

すっかり紅葉は終わっていますが、国宝・阿弥陀三尊像を参拝するために、大原・三千院に来ました。日曜日と同じバスツアーの第2陣です。

これでしばらくは大原に来る機会はなくなるかなぁ。次回は来年6月の紫陽花の季節か、1年後の紅葉シーズンになりそうですね(笑)


  

Posted by 若村 亮  at 15:53Comments(0)携帯から京都

2010年12月08日

寺田屋

 『 寺田屋 』

  江戸時代、伏見 の町は京都と大坂を結ぶ宇治川・淀川を往来する 船運の港町 として発展し、支流に設けられた船溜まりの港に面して 船宿 が軒を並べていました。

  『 寺田屋 』 は江戸初期から続く伏見の船宿で、薩摩藩御用達 として賑わっていました。

  幕末、寺田屋を舞台として、薩摩藩士が乱闘を繰り広げた 寺田屋事件 と、坂本龍馬 が奉行所の幕吏に 襲撃 されて負傷した事件と、歴史上、ふたつの大きな事件が起こりました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2010年12月07日

南座・まねき看板

師走の風物詩・顔見世興行が開催されている南座です。

市川海老蔵さんのまねき看板は、数日前に撤去されたそうですが、舞台はますます盛り上がっています!

今日からグッと冷え込んで冬の寒さが次第に訪れるようで、いよいよ師走本番ですね。  

Posted by 若村 亮  at 18:32Comments(0)らくたび日記

2010年12月07日

針供養

 『 針供養 』

  12月8日 ( 明日 ) は 「 事納め 」 ( ことおさめ ) の日。 昔から12月8日に農作業をすべてを終えて祝ったことから、この日が1年の事納めとなり、様々な行事が行われるようになりました。

  京都の虚空蔵さんで知られる 法輪寺 ( ほうりんじ ) では 『 針供養 』 という、この1年間に一生懸命働いてくれた針をコンニャクに刺して休んでもらう行事が行なわれます。

  また、本尊の 虚空蔵菩薩 ( こくうぞうぼさつ ) は 技芸上達の守護仏 でもあり、参拝すると 針仕事の技芸上達の御利益 があり、境内は多くの人びとで賑わいます。

『 針供養 』  法輪寺
   12月8日
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2010年12月06日

大根焚き

 『 大根焚き 』

  京都の師走の風物詩 『 大根焚き 』 ( だいこだき ) の季節が到来しました。

  西陣の 千本釈迦堂 では、釈迦が悟りを開いたの日 ( 12 / 8 ) を祝う 成道会 ( じょうどうえ ) 法要 が行われ、境内では焚いた大根が参詣者に振る舞われます。

  鳴滝の 了徳寺 では、親鸞聖人 が鳴滝を訪ねた時に里人が塩味の大根を焚いて聖人に捧げたことから始まると伝えられています。

  大根焚きの大根を食べると 中風の厄除け ( ちゅうぶ : 風 ( かぜ ) に中 ( あた ) るの意から風邪を引くこと ) になるといわれています。

『 成道会法要と大根焚き 』  千本釈迦堂
   12月7-8日 料金 1000円

『 鳴滝の大根焚き 』  了徳寺
   12月9-10日  料金 800円
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(2)歴史コラム

2010年12月05日

永観堂の紅葉

紅葉の名所として賑わった永観堂も、12月に入っていくぶんか
落ち着きを取り戻してきています。



今日は仏像ツアーということで、メインは 見返り阿弥陀像 でしたが、
それでも紅葉を楽しみにして来られた方も多く、散り紅葉も多かった
ですが、まだ美しい紅葉を見ることができました。



さぁ、これが今年の紅葉の見納めになるかなぁ ( 笑 )
  

Posted by 若村 亮  at 18:36Comments(0)らくたび日記

2010年12月05日

大原・三千院

今日は仏像ツアーに講師として同行して、大原・三千院と
東山・永観堂へと行ってきました。

雲ひとつない快晴の下、紅葉はすっかり終わりを告げている
大原ではありましたが、往生極楽院の国宝・阿弥陀三尊像
をしっかりと拝んできました。



木漏れ日が生み出す苔の陰影がとっても素敵でした♪


  

Posted by 若村 亮  at 18:31Comments(0)らくたび日記

2010年12月05日

神使

 『 神使 』

  神様の使者 ( 使い ) として、神様の意思を示す と考えられている 特定の動物 のことを 『 神使 』 ( しんし ) といい、稲荷神の狐八幡神の鳩 などが知られています。

  日本書紀などの古い神話の中にも、特定の動物が神様の意思を伝える話しがみられ、神使が伝えた神様の意思で吉凶を判じたという記述も残されています。

  後世になり、神話や神社の縁起に登場する特定の動物が神使として固定化され、神社内で飼育されたり、石像に刻まれて鎮座するようになりました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2010年12月04日

将門塚

東京・大手町の高層ビル街に囲まれた一角に、木々が茂る
ところがありますが・・・



ここは、将門塚



平安中期の武将・平将門は、乱後に討たれて首は京の都で
晒されましたが、3日後に関東へ飛んでいったといい、首が
落ちた所が首塚となって供養されているそうです。



そうそう、京の都で晒された場所は、四条京町家からすぐ
南、膏薬図子に神田明神として祀られています。



将門の首塚とされる場所は、いくつかあるそうですね。
  

Posted by 若村 亮  at 23:19Comments(2)らくたび日記

2010年12月04日

京都検定・東京講座

京都検定の本試験があと1週間と迫り、検定講座の会場の熱気も最高潮!という感じでした。

さぁ、無事に講座も終わり、すぐに京都へ飛んで帰ります~ ( 笑 )  

Posted by 若村 亮  at 17:10Comments(0)らくたび日記

2010年12月04日

快晴の東京

今日は京都検定・東京講座があり、またまた日帰りですが東京に来ています。

東京は昨日、ものすごい雨が降ったようですが、今日は一転、快晴ですね~。
  

Posted by 若村 亮  at 13:04Comments(0)携帯から京都