2017年09月08日
9/8(金) ≪ 新幹線の車窓から戦国ツアー ≫
今週、2度目の東京へ。
- 京都 - 鴨川 と 比叡山

新幹線に乗る楽しみのひとつは、やっぱり車窓からの素敵な眺めですが、よくよく景色を眺めていると、いろいろな歴史的な史跡が見えてくるんです ( 笑 )
- 滋賀 - 安土城跡 ( 中央、奥の薄い緑の山 )

かつて近江国とよばれた滋賀県を通過する際には、戦国時代ゆかりの史跡が次々と! 織田信長が拠点とした安土城跡に、石田三成が居城とした佐和山城跡など、戦国ファンにはたまらない史跡が次々と見えてきます ( 笑 )
- 滋賀 - 佐和山城跡 ( 左奥の山頂あたり )

羽柴秀吉( 豊臣秀吉 )が居城とした長浜城は、この正面奥の方角のはず!( 笑 )
- 滋賀 - 長浜城跡 ( 正面奥の方角 )

天下分け目の戦いが繰り広げられた、関ヶ原です!
- 岐阜 - 関ヶ原の合戦地

わっ! 超高速で走る新幹線からのスマホでの撮影、最後の最後にシャッターのタイミングが遅れてしまい、ミスしてしまいました~ ( 汗笑 )
- 愛知 - 清洲城

歴史好きは、ぜひ、新幹線の車窓で眺める戦国ツアー、楽しんでみてください ( 笑 )
- 京都 - 鴨川 と 比叡山
新幹線に乗る楽しみのひとつは、やっぱり車窓からの素敵な眺めですが、よくよく景色を眺めていると、いろいろな歴史的な史跡が見えてくるんです ( 笑 )
- 滋賀 - 安土城跡 ( 中央、奥の薄い緑の山 )
かつて近江国とよばれた滋賀県を通過する際には、戦国時代ゆかりの史跡が次々と! 織田信長が拠点とした安土城跡に、石田三成が居城とした佐和山城跡など、戦国ファンにはたまらない史跡が次々と見えてきます ( 笑 )
- 滋賀 - 佐和山城跡 ( 左奥の山頂あたり )
羽柴秀吉( 豊臣秀吉 )が居城とした長浜城は、この正面奥の方角のはず!( 笑 )
- 滋賀 - 長浜城跡 ( 正面奥の方角 )
天下分け目の戦いが繰り広げられた、関ヶ原です!
- 岐阜 - 関ヶ原の合戦地
わっ! 超高速で走る新幹線からのスマホでの撮影、最後の最後にシャッターのタイミングが遅れてしまい、ミスしてしまいました~ ( 汗笑 )
- 愛知 - 清洲城
歴史好きは、ぜひ、新幹線の車窓で眺める戦国ツアー、楽しんでみてください ( 笑 )
2017年05月20日
5/20(土) ≪ 天皇陵めぐり シリーズ第4弾 ≫
本日は、京都さんぽの人気シリーズ ≪ 天皇陵めぐり ≫ 第4弾が開催されまして、最高気温32℃に迫る炎天下の下、東山の泉涌寺&東福寺の界隈をめぐり、歴代124天皇の中から17天皇の陵墓を参拝してきました。

本日一番の熱弁を振るった、幕末の孝明天皇陵です ( 笑 )
のちのつきのわのひがしのみささぎ
◆ 後月輪東山陵 ( 第121代・孝明天皇陵 )

天皇家の菩提寺として格式高い歴史を受け継ぐ泉涌寺には、鎌倉時代の第86代・後堀河天皇、第87代・四条天皇をはじめ、江戸時代の第108代・後水尾天皇から第121代・孝明天皇まですべての天皇陵があるため、一気に16天皇陵を参拝しました。
そして、東福寺の南東に陵墓がある、第85代・仲恭天皇陵も参拝しました。
くじょうのみささぎ
◆ 九條陵 ( 第85代・仲恭天皇陵 )

ちなみに、歴代天皇の陵墓は長い歴史の中で荒れ果てて場所がわからなくなったものも多く、明治時代になって古文書などから埋葬された場所を推定して造営された陵墓もあります。 その際に参考として宮内庁が管理する 「 陵墓参考地 」 という場所が設けられ、仲恭天皇の陵墓参考地とされる場所が東福寺の西側にあり、現在は宮内庁の管理となっています。
東山本町陵墓参考地

第85代・仲恭天皇とは、承久の乱の勃発する激動の時代にわずか4歳で天皇に践祚 ( せんそ : 天皇の位を受け継ぐ ) したが、承久の乱に勝利した鎌倉幕府によってわずか77日で廃位させられた歴代天皇の中で最短の在位期間となる悲劇の天皇で、即位式を執り行うこともできず、「 廃帝 」 「 半帝 」 「 九条廃帝 」 などと呼ばれ、その陵墓もさまざまが伝えられ、この東山本町陵墓参考地にはかつて 「 廃帝社 」 と呼ばれる墳丘があったことから、仲恭天皇陵とも推定されています。
さて、天皇陵めぐりシリーズは、次回 6/16(金) で第5弾となり、第6弾は 7/5(水) 大原へ、第7弾は 8/5(土) 嵐電沿線の陵墓へと、まだまだ続きます、こうご期待ください! ( 笑 )
本日一番の熱弁を振るった、幕末の孝明天皇陵です ( 笑 )
のちのつきのわのひがしのみささぎ
◆ 後月輪東山陵 ( 第121代・孝明天皇陵 )
天皇家の菩提寺として格式高い歴史を受け継ぐ泉涌寺には、鎌倉時代の第86代・後堀河天皇、第87代・四条天皇をはじめ、江戸時代の第108代・後水尾天皇から第121代・孝明天皇まですべての天皇陵があるため、一気に16天皇陵を参拝しました。
そして、東福寺の南東に陵墓がある、第85代・仲恭天皇陵も参拝しました。
くじょうのみささぎ
◆ 九條陵 ( 第85代・仲恭天皇陵 )
ちなみに、歴代天皇の陵墓は長い歴史の中で荒れ果てて場所がわからなくなったものも多く、明治時代になって古文書などから埋葬された場所を推定して造営された陵墓もあります。 その際に参考として宮内庁が管理する 「 陵墓参考地 」 という場所が設けられ、仲恭天皇の陵墓参考地とされる場所が東福寺の西側にあり、現在は宮内庁の管理となっています。
東山本町陵墓参考地
第85代・仲恭天皇とは、承久の乱の勃発する激動の時代にわずか4歳で天皇に践祚 ( せんそ : 天皇の位を受け継ぐ ) したが、承久の乱に勝利した鎌倉幕府によってわずか77日で廃位させられた歴代天皇の中で最短の在位期間となる悲劇の天皇で、即位式を執り行うこともできず、「 廃帝 」 「 半帝 」 「 九条廃帝 」 などと呼ばれ、その陵墓もさまざまが伝えられ、この東山本町陵墓参考地にはかつて 「 廃帝社 」 と呼ばれる墳丘があったことから、仲恭天皇陵とも推定されています。
さて、天皇陵めぐりシリーズは、次回 6/16(金) で第5弾となり、第6弾は 7/5(水) 大原へ、第7弾は 8/5(土) 嵐電沿線の陵墓へと、まだまだ続きます、こうご期待ください! ( 笑 )
2016年10月28日
10/25(火) ≪ 料亭・高台寺土井 / 幕末ツアー ≫
月に一度の KBS京都ラジオ 「 ほっかほかラジオ 」 リスナーの皆さんと四季の京都を巡り、美味しい昼食をいただく 散策企画 「 おき・らくたび 」 が開催されまして、坂本龍馬が眠る京都霊山護国神社など東山エリアの 幕末ゆかりの史跡 を巡り、格式高い 料亭・高台寺土井 で美味しい料理をいただいてきました♪
高台寺・月真院
幕末史 : 御陵衛士屯所跡 ( 新選組を脱退した伊東甲子太郎が率いた )

歴史ある料亭・高台寺土井に到着しました。 さすが本館の入口は格式を感じさせてくれる門構えです! 今回、私たちは別館でのお食事です~。
■ 高台寺土井 : 公式HP http://www.doy.co.jp/

大きな広間です!


椀物、美味しかったです~ ( 笑 )


季節の味覚がギッシリです!

ご飯ですが、香の物が豪華です ( 笑 )

最後にデザート。 フルーツ盛りだくさんです~。

部屋の窓からは、美しい八坂の塔を見ることができました。

さて、高台寺土井で京料理をいただいた後、龍馬坂を上り、京都霊山護国神社で坂本龍馬、高杉晋作、木戸孝允 ( 桂小五郎 ) などの墓を参拝して、無事に終了しました。
当日のツアー模様は、来月第2月曜日 ( 11/14 ) のラジオ生放送でお伝えしますので、ぜひラジオも聴いてください~ ( 笑 )
高台寺・月真院
幕末史 : 御陵衛士屯所跡 ( 新選組を脱退した伊東甲子太郎が率いた )
歴史ある料亭・高台寺土井に到着しました。 さすが本館の入口は格式を感じさせてくれる門構えです! 今回、私たちは別館でのお食事です~。
■ 高台寺土井 : 公式HP http://www.doy.co.jp/
大きな広間です!
椀物、美味しかったです~ ( 笑 )
季節の味覚がギッシリです!
ご飯ですが、香の物が豪華です ( 笑 )
最後にデザート。 フルーツ盛りだくさんです~。
部屋の窓からは、美しい八坂の塔を見ることができました。
さて、高台寺土井で京料理をいただいた後、龍馬坂を上り、京都霊山護国神社で坂本龍馬、高杉晋作、木戸孝允 ( 桂小五郎 ) などの墓を参拝して、無事に終了しました。
当日のツアー模様は、来月第2月曜日 ( 11/14 ) のラジオ生放送でお伝えしますので、ぜひラジオも聴いてください~ ( 笑 )
2015年10月26日
10/22 ≪ 時代祭 - 有料観覧席 - ≫ in おき・らくたび
先週・木曜日は 時代祭 が執り行われ、KBS京都ラジオ 「 ほっかほかラジオ 」 のリスナーの皆さんと 京都を散策する企画 「 おき・らくたび 」 として、時代祭 を 観覧 してきました!
時代祭

今年の話題のひとつは、江戸時代婦人列 で登場する 京都 の 豪商・中村内蔵助 の 妻 の 衣装 が 新調 されたこと。 黒い着物の下に着る 黄色 の 中着 が 新調 されましたので、パッと見た目ではわかりにくいですが・・・ ( 笑 )
豪商・中村内蔵助の妻

豊公参朝列 / 牛車

室町幕府執政列 / 足利将軍

神幸列 / 鳳輦 ( 桓武天皇を祀る )

約2000人の行列が都大路を練り歩き、まさに 歴史絵巻 のようでした!
時代祭
今年の話題のひとつは、江戸時代婦人列 で登場する 京都 の 豪商・中村内蔵助 の 妻 の 衣装 が 新調 されたこと。 黒い着物の下に着る 黄色 の 中着 が 新調 されましたので、パッと見た目ではわかりにくいですが・・・ ( 笑 )
豪商・中村内蔵助の妻
豊公参朝列 / 牛車
室町幕府執政列 / 足利将軍
神幸列 / 鳳輦 ( 桓武天皇を祀る )
約2000人の行列が都大路を練り歩き、まさに 歴史絵巻 のようでした!
2013年02月21日
相応和尚

平安前期の 天台僧 『 相応和尚 』 ( そうおうかしょう ) は、天長8 ( 831 ) 年に近江国で生まれ、15歳で 比叡山延暦寺 に入って 円仁 の 弟子 として 天台密教 を修し、悪霊の調伏 ( ちょうぶく : 怨敵や魔物を打破して降伏されること ) や 清和天皇の歯痛を治す など数々の霊験を示しました。
その後、貞観7 ( 865 ) 年、比叡山の南端に 不動明王 を本尊に祀る 無動寺 ( むどうじ ) を建立し、その辺り一帯の 無動寺谷 ( むどうじだに ) を中心に比叡山中を歩き巡って悟りを目指す 回峰行 ( かいほうぎょう ) を創始しました。
国師号 の始まりとなる 最澄 ( さいちょう ) の 伝教大師 ( でんぎょうだいし ) と 円仁 ( えんにん ) の 慈覚大師 ( じかくだいし ) は、相応和尚が朝廷に上奏 ( じょうそう : 申請すること ) して賜ったことに始まります。
2012年08月06日
延暦寺・浄土院

延暦寺 の 東塔 から 西塔 へと歩いていくと、延暦寺を創建した 天台宗祖・最澄 の 御廟 である 『 浄土院 』 ( じょうどいん ) と呼ばれる建物が、山深い比叡山内に佇んでいます。
弘仁13 ( 822 ) 年、最澄は56歳で没し、仁寿4 ( 854 ) 年、最澄の遺骸を弟子の僧・円仁 ( 慈覚大師 ) が移して安置し、現在の比叡山内の浄土院へと歴史が受け継がれてきました。
浄土院では現在、十二年籠山 と呼ばれる厳しい修行に励む僧が毎日、最澄に仕えるごとく奉仕しています。
地図 : 比叡山・浄土院
2012年07月08日
文月

陰暦七月 の 異名 を 『 文月 』 ( ふみづき ) といいます。
文月の語源は、7月7日 の 七夕 ( たなばた ) において短冊に歌や字を書いて献じたり、書物を夜風にさらす風習があったことに由来すると言われています。
また、稲の穂が膨らむ月 であることから ほふみづき ( 穂含み月 ) や ふくみづき ( 含み月 ) が転じて、ふみづき ( 文月 ) になったとも言われています。
現在の新暦では7月は夏ですが、文月 といえば 秋をあらわす季語 になります。
2012年07月07日
七夕
2012年06月30日
初物
2012年06月29日
白山神社・歯痛平癒
2012年06月28日
白山神社

平安末期、加賀国 ( 石川県 ) に祀られた 白山神社 から、平家の武将による乱暴狼藉に怒った僧らが 神輿 三基 を担いで京都の内裏 ( 御所 ) まで押し寄せましたが、公家は取り合わず、武士によって追い払われました。
白山神社からの一行は京都から逃げる際に、神輿 一基 が動かなくなったことから京都に置き去りにして立ち去ったといい、残された神輿を祀って京都の 『 白山神社 』 ( はくさんじんじゃ ) が創建されたと伝えられています。
地図 : 白山神社
2012年06月27日
神田明神

平安中期の武将・平将門 ( たいらのまさかど ) は、関東で内乱 ( 平将門の乱 ) を起こして一時関東を支配下に置いて新皇を称しましたが、平貞盛や藤原秀郷らに討たれて命を落としました。
平将門の首 は 京都 に送られて 晒し首 となりましたが、関東を目指して空高く飛び去ったとも伝えられ、東京・大手町には飛んで行った平将門の首が落ちた場所を 首塚 として永く供養しています。
また、京都・四条西洞院近くに京都・神田明神 が祀られ、ここに 平将門の首が晒された と伝えられています。
地図 : 京都・神田明神
2012年06月24日
別当大師
2012年06月20日
徳川吉宗
2012年06月19日
南蛮寺

天文18 ( 1549 ) 年に日本へ伝来した キリスト教 は、織田信長が南蛮文化に理解を示したこともあり、その勢力を急速に拡大しました。
日本各地に建てられた教会堂は 『 南蛮寺 』 ( なんばんじ ) と呼ばれ、京都には三階建ての壮麗壮大な南蛮寺が建立されました。
しかし、急激な勢力拡大のなかで宣教師による信仰の強制、社寺の破壊、僧侶への迫害などが問題となり、天正15 ( 1587 ) 年 6月19日、ついに 豊臣秀吉 は キリシタン禁令 を発布することになりました。
2012年06月15日
巴の文様
2012年06月05日
池田屋事件
2012年06月03日
黒船来航

嘉永6 ( 1853 ) 年 6月3日、アメリカ から ペリー 率いる 四隻の黒船 ( 蒸気船 ) が相模国浦賀沖 ( 神奈川県 ) に来航し、江戸幕府に米大統領国書を渡して 開国 を迫りました。 このペリー来航によって日本は 幕末 と呼ばれる動乱の時代へ突入しました。
太平の眠りをさます上喜撰
たった四はいで夜も寝れず
高級茶の 上喜撰 ( じょうきせん ) をたった四杯飲んだだけで・・・、つまり 蒸気船 ( 黒船 ) がたった四隻来航しただけで、日本は夜も眠れない大混乱に・・・、という当時の様子を風刺した狂歌です。
武力を背景としたアメリカの圧力的な外交に屈するように幕府は 日米和親条約 を締結し、長い鎖国体制が崩れました。 また、幕府内でも 将軍継嗣問題 から対立が生じ、幕政は転換期を迎えました。
2012年06月02日
本能寺
2012年06月01日
更衣
季節に応じて衣服や調度をかえることを 「 衣替え 」 といい、現在では一般的に 6月1日 になると 夏の服装 に、10月1日 になると 冬の服装 に衣替えをしています。
「 衣替え 」 は、古くは 『 更衣 』 ( こうい ) といい、平安時代 には 4月1日 と 10月1日 にそれぞれ夏装束・冬装束に改めていました。
また、天皇の着替えに従事した女官の職名 も 「 更衣 」 といい、後に天皇の寝所に奉仕する女官で 「 女御 」 ( にょうご ) に次ぐ女官を 「 更衣 」 と呼ぶようになりました。
2012年05月31日
四苦八苦
2012年05月30日
蚕の社
2012年05月29日
桂離宮
2012年05月24日
道元禅師

鎌倉初期、『 道元禅師 』 ( どうげんぜんじ ) は中国へ渡って修行を重ね、後に 日本曹洞宗 の 開祖 となりました。
真の仏道 を求めて修行を重ねた道元禅師は何ひとつ持たず、ただ “ 只管打坐 ” ( しかんたざ : ただひたすらに坐るの意 ) という 坐禅の教え のみを身につけて帰国しました。
師匠の 「 深山幽谷に住み、真の弟子を育てよ 」 という言葉に基づき、道元禅師は 寛元2 ( 1244 ) 年、永平寺 ( 曹洞宗総本山 : 福井県 ) を開いて多くの弟子を育て、今日に続く曹洞宗の礎を築きました。
2012年05月22日
衣服
2012年05月21日
うどん

『 うどん 』 は江戸時代の中頃に食文化として広がったと言われていますが、弘法大師空海 の出身地であり、お遍路さんで知られる香川県では、空海が唐より密教とともに日本に伝えたと語られ、現在も 讃岐うどん として親しまれています。
当時、唐から伝えられたのは小麦粉の生地に餡などを包んだ 「 こんとん 」 と呼ばれる唐菓子とされ、それを温めて食べた 「 うんとん 」 が 「 うどん 」 に通じる食べ物と考えられています。
2012年05月20日
油を売る

仕事の途中で怠けて無駄話をして時間を浪費する ことを 『 油を売る 』 といいますが、これは江戸時代の頃から使われるようになった言葉のようです。
昔、油売りの商人 が客のところへ油を届けた際、枡 ( ます : 容器 ) で油を量ってから客の枡へと油を注ぎましたが、外にこぼさないようにゆっくりと時間をかけて注ぎ、さらに昔の油はとろりと 粘性が高い ことから油がスーッと糸を引いてなかなか切れないことから、すべての油を注ぎ終えるまで客と 世間話 をしながら待っていたといいます。
そのような、ゆっくりと世間話をしながら仕事をしていた油売りの様子 から 『 油を売る 』 という言葉が生まれたといわれています。 ( 諸説あり )