2012年06月27日

神田明神

神田明神 『 神田明神 』

  平安中期の武将・平将門 ( たいらのまさかど ) は、関東で内乱 ( 平将門の乱 ) を起こして一時関東を支配下に置いて新皇を称しましたが、平貞盛や藤原秀郷らに討たれて命を落としました。

  平将門の首京都 に送られて 晒し首 となりましたが、関東を目指して空高く飛び去ったとも伝えられ、東京・大手町には飛んで行った平将門の首が落ちた場所を 首塚 として永く供養しています。

  また、京都・四条西洞院近くに京都・神田明神 が祀られ、ここに 平将門の首が晒された と伝えられています。

地図 : 京都・神田明神


同じカテゴリー(歴史コラム)の記事画像
9/8(金) ≪ 新幹線の車窓から戦国ツアー ≫
5/20(土) ≪ 天皇陵めぐり シリーズ第4弾 ≫
10/25(火) ≪ 料亭・高台寺土井 / 幕末ツアー ≫
10/22 ≪ 時代祭 - 有料観覧席 - ≫ in おき・らくたび
相応和尚
延暦寺・浄土院
同じカテゴリー(歴史コラム)の記事
 9/8(金) ≪ 新幹線の車窓から戦国ツアー ≫ (2017-09-08 20:28)
 5/20(土) ≪ 天皇陵めぐり シリーズ第4弾 ≫ (2017-05-20 23:27)
 10/25(火) ≪ 料亭・高台寺土井 / 幕末ツアー ≫ (2016-10-28 09:56)
 10/22 ≪ 時代祭 - 有料観覧席 - ≫ in おき・らくたび (2015-10-26 17:48)
 相応和尚 (2013-02-21 12:00)
 延暦寺・浄土院 (2012-08-06 12:00)

Posted by 若村 亮  at 12:00 │Comments(0)歴史コラム

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。