2017年06月17日

≪ 季節の花、満開! ≫ in 勧修寺

山科の勧修寺 ( かじゅうじ ) では、氷室の池を中心として、花菖蒲、睡蓮、紫陽花、沙羅などの美しい季節の花が咲き誇っています。

勧修寺 ・ 氷室の池


花菖蒲


睡蓮


紫陽花


紫陽花


沙羅 ( 夏椿 )


現在のところ空梅雨ですが、梅雨の季節を彩る花は美しく咲いています!


  

Posted by 若村 亮  at 23:23Comments(0)山科・醍醐季節の花・紅葉

2017年04月12日

山科疏水 ≪ 桜並木 & 菜の花 ≫ 

山科に流れる疏水に沿う、満開の桜並木と、黄色の菜の花が最高です!


  

Posted by 若村 亮  at 23:34Comments(0)山科・醍醐季節の花・紅葉

2017年04月12日

≪ 毘沙門堂、春爛漫! ≫

京都は今、まさに桜満開の季節を迎えています! ( 笑 )

山科 ・ 毘沙門堂


境内中央に咲く枝垂れ桜も、まさに満開でした!





ソメイヨシノはちょうど、今が満開ですね~ ( 笑 )





■ 毘沙門堂
公式HP http://bishamon.or.jp/
  

Posted by 若村 亮  at 23:29Comments(0)山科・醍醐季節の花・紅葉

2009年04月06日

醍醐の花見


撮影 : らくたろう ( 写真集は こちら へ♪ )


 『 醍醐の花見 』

  天下統一を成し遂げた 豊臣秀吉 は、最晩年の慶長3 ( 1598 ) 年、盛大で豪華絢爛な 花見遊宴醍醐寺 ( だいごじ ) で催しました。

  花見を催すにあたって秀吉自身が醍醐寺の下見を行い、五重塔や仁王門を修復し、近畿一円から集めた名桜を植え、花見茶屋を建てたりと、この花見にかける熱意は並々ならぬものがありました。

  花見の当日、醍醐寺の境内は 雲霞の如く桜が咲き誇り、半年後に世を去る秀吉にとってはこれが 人生最後の花見 となりました。

『 太閤花見行列 』  醍醐寺
  4月12日 ( 日 )
  醍醐の花見を催した太閤秀吉の行列が再現され、
  三宝院の唐門を出て醍醐寺の境内を練り歩く


 らくたび写真集 : さくらみやび  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(2)山科・醍醐

2009年01月15日

法界寺

 『 法界寺 』

  永承6 ( 1051 ) 年、藤原北家にあたる 日野家の菩提寺 として 日野資業 ( すけなり ) が薬師如来を祀る薬師堂を建立したことに始まります。

  本尊の 薬師如来 には 最澄作 と伝えられる薬師小仏が胎内仏として納められていることから、安産 ・ 授乳 ・ 子授等のご利益があり、乳薬師 とも呼ばれています。

  国宝の阿弥陀堂内には像高2.8メートルの 阿弥陀如来坐像 が祀られ、平安後期を代表する大仏師の 定朝 ( じょうちょう ) の流れを汲む定朝様の慈悲に満ちた像です。  

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2008年11月21日

毘沙門堂

 『 毘沙門堂 』

  JR山科駅から北へ20分ほど歩くと、大宝3 ( 703 ) 年に 行基 ( ぎょうき ) が創建したと伝えられる古刹 『 毘沙門堂 』 ( びしゃもんどう ) があり、秋になると境内一面が 紅葉 で彩られます。

  元は下鴨神社の西あたりの出雲路で創建されたと伝えられ、戦火による焼失など苦難の歴史を歩みましたが、江戸初期に現在地に移って再興され、以来、法親王 ( ほうしんのう : 出家した皇室の皇子 ) が代々住持する格式高い門跡寺院となりました。

地図 : 毘沙門堂  

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2008年04月28日

勧修寺

 『 勧修寺 』

  醍醐天皇 が母の菩提を弔うために建立した 『 勧修寺 』 ( かじゅうじ ) は、皇室や藤原氏の厚い帰依を受け、代々法親王が住持してきた格式ある門跡寺院です。

  氷室の池 ( ひむろのいけ ) を中心とする池泉庭園は、平安時代の貴族庭園の趣きを今に伝える貴重な庭園で、“ 典雅の極致 ” ( てんがのきょくち ) と称えられています。

  また書院前庭には、天下の副将軍 水戸光圀 ( みとみつくに : 水戸黄門 ) 寄進の 勧修寺型灯籠 が置かれ、樹齢750年の名木 ハイビャクシン が周囲を覆っています。

  門跡寺院としての清麗と威厳を放つ屈指の名刹 ・ 勧修寺には、平安の昔から千年変わらぬ時間が流れています。  

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2008年03月19日

御陵

 『 御陵 』

  京都市街から東山を越えると 山科 ( やましな ) です。

  天智天皇近江京 ( 現在の滋賀県大津市 ) へ遷都すると、山科は奈良と近江を結ぶ 奈良街道 が通り、藤原鎌足 ( 中臣鎌足 ) が 山階寺 ( やましなでら ) を建立して大いに栄えました。

  一説に天智天皇は山科へ遠出したまま帰らぬ人となり、後日見つかった ( くつ ) の落ちていた場所を陵墓にしたと伝えられています。 現在も天智天皇は 『 御陵 』 ( みささぎ : 地名 ) の陵墓で静かに眠っています。  

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2008年01月17日

法界寺

 『 法界寺 』

  永承6 ( 1051 ) 年、藤原北家にあたる 日野家の菩提寺 として 日野資業 ( すけなり ) が薬師如来を祀る薬師堂を建立したことに始まります。

  本尊の 薬師如来 には 最澄作 と伝えられる薬師小仏が胎内仏として納められていることから、安産 ・ 授乳 ・ 子授等のご利益があり、乳薬師 とも呼ばれています。

  国宝の阿弥陀堂内には像高2.8メートルの 阿弥陀如来坐像 が祀られ、平安後期を代表する大仏師の 定朝 ( じょうちょう ) の流れを汲む定朝様の慈悲に満ちた像です。  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)山科・醍醐

2007年11月25日

毘沙門堂

 『 毘沙門堂 』

  山科の北に位置する 『 毘沙門堂 』 ( びしゃもんどう ) は、毘沙門天 を本尊とする天台宗の寺院です。

  奈良時代、第42代 文武天皇 の勅願によって 行基 ( ぎょうき : 奈良時代の僧で、社会事業や東大寺造営に尽力 ) が洛北の出雲路あたりに開いたのが始まりとされています。

  その後は兵火による焼失などで苦難の歴史を歩みましたが、江戸初期の寛文5 ( 1665 ) 年、天海僧正 によって現在地に再興され、門跡寺院となりました。

  毘沙門堂は今、真っ赤な紅葉 に包まれています。

地図 : 毘沙門堂  

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2007年05月04日

上醍醐寺

 『 上醍醐寺 』

  醍醐寺 ( だいごじ ) は、醍醐山 ( 標高 約450m ) の山上と山麓に広がる大寺院です。

  醍醐山上の寺院を 上醍醐寺 といい、それに対して金堂や五重塔がある山麓を 下醍醐寺 ということもあります。

  下醍醐の女人堂から山上までは約3.5kmの坂が続き、山上の諸堂を巡拝して往復すると約3時間の参拝コースとなります。

  上醍醐寺の入口には国宝の 清滝宮拝殿 が建ち、その脇には醍醐寺創建にまつわる霊泉 ・ 醍醐水 が湧き、背後の 准胝堂 ( じゅんていどう ) は 西国霊場第11番札所 として厚い信仰を集めています。

地図 : 醍醐寺  

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2007年04月28日

勧修寺

 『 勧修寺 』

  今から1100年前、醍醐天皇 が母の菩提を弔うために建立した 『 勧修寺 』 ( かじゅうじ ) は、皇室や藤原氏の厚い帰依を受け、代々法親王が住持してきた格式ある門跡寺院です。

  氷室の池 ( ひむろのいけ ) を中心とする池泉庭園は、平安時代の貴族庭園の趣きを今に伝える貴重な庭園で、“ 典雅の極致 ” ( てんがのきょくち ) と称えられています。

  また書院前庭には、天下の副将軍 水戸光圀 ( みとみつくに : 水戸黄門 ) 寄進の 勧修寺型灯籠 が置かれ、樹齢750年の名木 ハイビャクシン が周囲を覆っています。

  門跡寺院としての清麗と威厳を放つ屈指の名刹 ・ 勧修寺には、平安の昔から千年変わらぬ時間が流れています。

地図 : 勧修寺  

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2007年04月06日

醍醐の花見

 『 醍醐の花見 』

  天下統一を成し遂げた 豊臣秀吉 が、最晩年の慶長3 ( 1598 ) 年に 醍醐寺 ( だいごじ ) で催した 『 醍醐の花見 』 は、歴史上比類のない盛大で豪華絢爛な花見遊宴でした。

  花見を催すにあたって、秀吉自身が8回も醍醐寺の下見を行い、五重塔や仁王門の修復を指示し、道の両脇に近畿一円から集めた700本の名桜を植え、花見茶屋を建てたりと、この花見にかける熱意は並々ならぬものがありました。

  そして当日、醍醐寺境内は雲霞の如く桜が咲き誇り、半年後に世を去る秀吉にとっては これが 人生最後の花見 となりました。


『 太閤花見行列 』  醍醐寺
   4月8日 ( 日 )
   太閤秀吉観桜の様子を再現した行列が
   三宝院唐門を出て境内を練り歩きます  

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2007年02月25日

臥竜の老梅

 『 臥竜の老梅 』

  今から1100年前、醍醐天皇が母の菩提を弔うために建立した 勧修寺 ( かじゅうじ ) は、皇室や藤原氏の帰依を受け、代々法親王が住持してきた格式ある門跡寺院です。

  勧修寺には樹齢が300年を超える 梅の古木 があります。 300年前の初代の木の根から子と孫の木が生えた珍しい姿をしており、孫の木が今、つぼみをほころばしています ( 初代と二代目は枯れ木として根元に横たわる )。

  梅の古木が、まるで竜が絡み付いているようにも見えることから 『 臥竜の老梅 』 ( がりゅうのろうばい ) と呼ばれています。

地図 : 勧修寺  ※写真はイメージ  

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2007年02月22日

五大力尊仁王会

 『 五大力尊仁王会 』

  醍醐寺 ( だいごじ ) の 五大堂 には不動明王を始めとする 五大明王 が安置され、“ 五大力さん ” ( ごだいりきさん ) と呼ばれ親しまれています。

  醍醐寺では明日 ( 23日 )、千年続く伝統の例祭 『 五大力尊仁王会 』 ( ごだいりきそんにんのうえ ) が行なわれ、「 餅上げ力競べ大会 」 では力自慢の人びとが紅白の大鏡餅 ( 力餅 : 男性 150kg、女性 90kg ) を持ち上げ、まさに明王そっくりの怒りの形相で持ち上げ続ける時間を競います。

  五大力さんに 「 力 」 を奉納して 無病息災の御利益 を賜る、健康への願いが込められた勇壮な恒例行事です。

『 五大力尊仁王会 』  醍醐寺
   2月23日 12時~
   餅上げ力競べ大会  

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2007年01月13日

寒中の伝統行事

 『 寒中の伝統行事 』

  日野の 法界寺 で行なわれる 寒中の伝統行事 『 裸踊り 』 ( 1月14日 ) は、下帯のみの裸の男達が冷たい井戸水をかぶって身を清め、“ 頂礼、頂礼! ” と叫びながら体を激しくぶつけ踊るという、京都では数少ない勇壮で熱気溢れる行事です。

  『 頂礼 』 ( ちょうらい : 仏教用語 ) とは、仏様に対する最高の敬意を表す礼法 とされています。

  まず両膝を地につけ、続いて両肘 ( ひじ )、頭と地につけ、最後に手と頭で相手の足を頂くように礼拝します。 正しくは 「 頂戴礼拝 」 と言い、別に 「 五体投地 」 とも言います。

『 裸踊り 』  法界寺
   1月14日 19時~  

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