2011年12月17日

≪ 萬福寺 & 普茶料理 ≫ in 京都・黄檗

午前中は雪の予報も出ていた京都ですが、天気は急速に回復して青空となり、暖かな陽射しが照って思ったより寒さが和らいだ一日となりました。

今日は現地散策講座で、日本三禅宗のひとつ・黄檗宗 ( おうばくしゅう ) 総本山の 萬福寺 ( まんぷくじ ) の拝観と、黄檗宗とともに日本に伝来した中国風精進料理・普茶料理 ( ふちゃりょうり ) をいただいてきました!

萬福寺・法堂


萬福寺の門前にある白雲庵で普茶料理をいただきましたが、最後のご飯がカラフルなお粥で驚きました! 混ぜて美味しくいただきました♪ ( 笑 )

普茶料理・普茶粥


萬福寺と普茶料理は、来年2月の京都さんぽでも企画をしていますので、ぜひ皆さん、まもなく募集を開始しますので、ご参加をお待ちしています!
  

Posted by 若村 亮  at 23:38Comments(0)らくたび日記

2011年12月17日

角倉了以

 『 角倉了以 』

  安土桃山から江戸初期にかけて活躍した豪商 『 角倉了以 』 ( すみのくらりょうい ) は、文禄元 ( 1592 ) 年に豊臣秀吉の許可を得て安南国 ( 現在のベトナム ) に貿易船を派遣するなど、貿易商 として大いに活躍しました。

  国内の 諸河川の開発整備 にも積極的に従事し、慶長11 ( 1606 ) 年には 大堰川 ( 保津川 ) や 富士川 ( 静岡県 ) を開削して疎通させ、また慶長16 ( 1611 ) 年には京都と伏見を結ぶ運河として 高瀬川 を開削し、二条より鴨川の水を引き込んで水運を確立しました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)人物コラム

2011年12月16日

≪ 武田信玄ゆかりの地へ ≫ in 山梨県甲府市

朝早くの新幹線に乗って、いざ、戦国武将・武田信玄ゆかりの甲府へ!
甲府駅前に威厳ある武田信玄の銅像が立っています♪



今日は金曜日ということで、朝のラジオは移動中の名古屋駅ホームから携帯電話で生出演を~ ( 爆笑 ) 電車の音やホームの案内音が音声に入らないか心配していましたが、どうやら問題なくクリアに放送できたようですほっとひと安心でした。

無事に講演も終わり、今は帰りの特急しなの号で、名古屋駅で新幹線に乗り換えて、京都着は20時くらいです。 来週月曜日は新潟県長岡市で講演がありますので、再び長旅が待っていますが、年内はこれで講演が終わり、あとは年末年始となりそうです♪
  

Posted by 若村 亮  at 18:10Comments(2)らくたび日記

2011年12月16日

わら天神

 『 わら天神 』

  敷地神社 ( しきちじんじゃ ) の祭神 「 木花開耶姫命 」 ( このはなさくやひめのみこと ) は、古くから北山の神として祀られ、安産祈願の神 として信仰を集めてきました。

  応永4 ( 1397 ) 年に 足利義満金閣寺 を造営した際、その 鎮守社 として現在地に遷座しました。

  安産祈願で授与される 「 わら 」 の護符 は、その 「 わら 」 に節 ( ふし ) があれば男の子、節がなければ女の子が生まれるとされていることから、敷地神社は通称 『 わら天神 』 と呼ばれています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年12月15日

北野天満宮 ・ 大福梅の授与へ

一昨日、昨日と、二日続けて北野天満宮の参拝へ。 事始め ( 12月13日 ) より、元旦に服する大福茶に入れる縁起物 『 大福梅 』 の授与が北野天満宮・社務所で始まり、多くの参拝者が正月に欠かせない縁起物として大福梅を求めて訪れていました。

さて、北野天満宮の中門には、新年の干支 「 辰 」 の絵が高々と掲げられていました! 聞いたところによると、京都で一番早く、新年の干支の絵を掲げたのだとか。



三光門 ( 重要文化財 )


夕方とあって、参拝者も少なく、ゆっくり参拝を。

本殿 ( 国宝 )


北野天満宮は梅の名所とされ、その境内で採集された梅をカラカラに干した後に調製して授与する 『 大福梅 』。 梅は “ 産め ” に通じる子孫繁栄の縁起物とされ、元旦、梅と昆布を入れた大福茶を服する習わしです♪



無事に大福梅をゲットした後は、境内の丑をさわってご利益を。



年が明けると受験シーズン本番となり、学問の神様として崇められる北野天満宮には、多くの受験生が祈願に訪れますね。 最後の最後はやはり、神頼み!です ( 笑 )

ぜひ皆さんも、大福梅を求めて北野天満宮へ♪
  

Posted by 若村 亮  at 19:48Comments(0)年中行事

2011年12月15日

赤穂浪士の討ち入り

 『 赤穂浪士の討ち入り 』

  元禄13 ( 1701 ) 年、幕臣・高家筆頭・吉良上野介 ( きらこうずけのすけ ) は、勅使接待役・赤穂藩主・浅野内匠頭 ( あさのたくみのかみ ) を辱しめ、江戸城中で浅野内匠頭が吉良上野介を切りつけ、即日、浅野内匠頭は切腹・除封の処分となりました。

  その後、元禄15 ( 1703 ) 年 12月14日、赤穂藩浅野家の家老・大石内蔵助 ( おおいしくらのすけ ) が 赤穂浪士四十六人 を率いて、吉良上野介の邸宅に討ち入りし、見事に 主君の仇 を討ちました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年12月14日

北野天満宮・大福梅

 北野天満宮 『 大福梅 』

  学問の神様 として信仰の厚い 北野天満宮 では、事始め ( 12月13日 ) より 『 大福梅 』 ( おおふくうめ ) の 授与 が社務所にて始まりました。

  大福梅正月の縁起物 とされ、新年元旦に 招福息災 の祈りを込めて白湯にいれて戴く 大福茶 ( おおふくちゃ ) に欠かせないものとして尊ばれています。

  北野天満宮の境内で採集された梅を真夏の炎天下で土用干しをして、カラカラに干し上がった梅の実を裏白とともに奉書に包んで授与されています。

『 大福梅の授与 』 北野天満宮
 12/13(火)~
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)西陣・北野

2011年12月13日

事始め

 『 事始め 』

  江戸時代、京都や大坂では 12月13日『 事始め 』 ( ことはじめ ) とし、1年の煤払い をして 正月を迎える準備 を始めました。

  京都の事始めは師走の風物詩。 花街 祇園 では、芸舞妓さんが京舞井上流家元 井上八千代 さん宅にて、1年の感謝と今後の挨拶をする習わしで、家元からご祝儀に 舞扇 を戴き、益々の精進を誓います。

  12月13日の事始めを過ぎると、京都の挨拶は 『 おことうさんどすー 』 ( 正月準備で忙しいですね、の意味 ) となり、正月を迎える準備で慌しい日々を迎えます。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年12月13日

京都・師走の賑わい ≪ 錦天満宮 & 錦市場 ≫

錦天満宮学問の神様 として親しまれ、また 京の台所・錦市場 が並ぶ錦小路通の東端に建つことから 商売繁盛の神様 としても崇められています。



そうそう、錦天満宮の 鳥居 といえば、両側のビルに・・・



鳥居がビルの壁に突っ込んでいて、ビル2階のテナントの内側の壁から鳥居が飛び出しているんです ( 笑 )



さて、錦天満宮を参拝した後は、京の台所 として賑わう 錦市場 へ♪



年末になると正月に欠かせない食材を買い求める人びとで大賑わいとなる錦市場、これからますます商売繁盛ですね♪
  

Posted by 若村 亮  at 01:15Comments(0)らくたび日記

2011年12月12日

市松模様

 『 市松模様 』

  『 市松模様 』 ( いちまつもよう ) とは、格子模様の一種で色の異なる二種類の正方形 ( または長方形 ) を交互に配した模様です。

  江戸中期に活躍した歌舞伎役者 ・ 佐野川市松 ( さのかわいちまつ ) が舞台上で白と紺の正方形を交互に配した模様の袴 ( はかま ) を履いていたことから人気となり、着物の柄として流行しました。

  市松模様は古くは 石畳模様 と呼ばれていましたが、江戸時代に流行して以来、市松模様市松格子 などと呼ばれるようになりました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年12月11日

『 歩くまち・京都 』 シンポジウム in 岡崎みやこめっせ

紅葉の秋シーズンが終わり、ほっとひと息つく間もなく、木曜日は山梨県北杜市で講演、翌金曜日-土曜日は東京で講演、帰ってきた日曜日は京都で京都市主催 『 歩くまち・京都 』 シンポジウム が開催されて、“ 京都を歩く、暮らしを楽しむ ” と題して 基調講演 をさせていただきました。

開始前・準備風景


さぁ、いよいよ午後1時からシンポジウムが始まりましたが、本イベントはいつも毎週金曜日に出演させていただいています 朝の人気番組 KBS京都ラジオ ≪ 笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ ≫ とタイアップしたイベントで、パーソナリティーを務める 笑福亭晃瓶 さんと 中村薫 さんのオープニングトークから始まりました ( 笑 )



その後、歩くまちトーク と題して、晃瓶さんと薫さんが司会をしながら、京都市長をはじめ、京都大学や立命館大学の教授を交えて、京都市が推進する 『 歩くまち・京都 』 の意義などが多くの聴講の皆さんに伝えられました!



その後、基調講演として 『 京都を歩く、暮らしを楽しむ 』 と題して講演をさせていただきまして、平安京の跡地を歩いて歴史散策するなど、歩いて巡る京都の歴史 を主題に楽しく講演させていただきました。  講演で壇上にいましたので、その様子を撮影した写真がないのが残念~ ( 笑 )



最後は素敵な景品が当たる大抽選会が行われ、計200名近い人が当選され、『 歩くまち・京都 』 シンポジウムが無事に終わりました。 また機会がありましたら、もっともっと歩く楽しさをお伝えしたいと思います!
  

Posted by 若村 亮  at 23:50Comments(0)らくたび日記

2011年12月11日

12/13 京都リビング現地散策講座 ≪ 大福梅を求めて ≫




京都リビング・現地散策講座 で、正月に欠かせない 大福梅 を求めて、梅の名所・北野天満宮12/13(火) より授与が始まりますので、西陣の歴史を巡りながら大福梅を求めて北野天満宮へと行きます~!

ぜひ興味がある方は、ご参加ください♪

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◆ タイトル
   大福梅を求めて北野天満宮と西陣の歴史さんぽ
◆ 講師
   若村 亮 ( 京都の旅 (株) らくたび代表取締役 )
◆ 講座日程
   12月13日(火) 13:30 ~ 16:00頃
◆ 集合場所
   地下鉄・烏丸線 今出川駅

◆ 詳細・お申込みは・・・
   お電話でのお問い合わせ&お申込みは・・・
      電話 / 京都リビング新聞社 075-256-8418
      平日 10:00~18:00

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お知らせがギリギリになってしまいまいたが、ご興味のある方は、気軽に詳細のお問い合わせと、ご参加をお待ちしています!  らくたび・若村
  

Posted by 若村 亮  at 23:00Comments(0)京都

2011年12月11日

京都所司代

 『 京都所司代 』

  二条城の北側に広大な屋敷を構えた 『 京都所司代 』 ( きょうとしょしだい ) は、朝廷や公家の監視京都諸役人の統率京都・伏見・奈良の町奉行の管理、さらには 近畿全域の訴訟の裁決西国大名の動静監視 など、江戸幕府の役職のひとつとして京都に駐在し、老中に次ぐ最重要役職として強大な権限を持っていました。

  幕末の文久2 ( 1862 ) 年に 京都守護職 が設けられると、京都所司代はその管轄下となり、王政復古によって廃止されました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年12月10日

太子道

 『 太子道 』

  推古天皇11 ( 603 ) 年、聖徳太子 が諸臣の前で 「 ここに尊い仏像があるが、誰かこの仏像を拝みたてまつる者はいるか? 」 と尋ねたところ、秦河勝 ( はたのかわかつ ) が仏像を賜りました。

  秦河勝は太秦に定住していた渡来系の氏族 秦氏 の長であり、聖徳太子から賜った仏像を祀る 広隆寺 ( こうりゅうじ ) を太秦に建立し、秦氏の氏寺としました ( 諸説あり )。

  後世になって、広隆寺は聖徳太子ゆかりの寺院として多くの参拝者を集め、その参拝道は 『 太子道 』 として今も残っています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)太秦周辺

2011年12月09日

了徳寺・大根焚き

 『 了徳寺・大根焚き 』

  鳴滝了徳寺 ( りょうとくじ ) の寺伝によると、建長4 ( 1252 ) 年、親鸞聖人 が当地に立ち寄ったところ、村人が 大根 を焚いてもてなし、親鸞聖人はお礼に薄の穂を筆にして “ 帰命尽十方無碍光如来 ” と書いて村人に与えたと伝えられています。

  これを 薄の名号 ( すすきのみょうごう )といい、このような故事から大永4 ( 1524 ) 年に親鸞聖人ゆかりの当地に 了徳寺 が創建され、毎年12月には参詣者に大根を振る舞う 大根焚き が行われ、通称・大根焚寺 として親しまれています。

『 大根焚き 』 了徳寺
 12月9日・10日
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)花園周辺

2011年12月08日

法輪寺・針供養

 『 法輪寺・針供養 』

  12月8日は 事納め ( ことおさめ ) といい、昔から12月8日に農作業をすべてを終えて祝ったことから、この日が1年の事納めとなり、様々な行事が行われるようになりました。

  京都の虚空蔵さんで知られる 法輪寺 ( ほうりんじ ) では 『 針供養 』 ( はりくよう ) と呼ばれる、この1年間に一生懸命働いてくれた針をコンニャクに刺して休んでもらう行事が行なわれます。

  また、本尊・虚空蔵菩薩 ( こくうぞうぼさつ ) は 技芸上達の守護仏 でもあり、参拝すると 針仕事の技芸上達の御利益 があり、境内は多くの人びとで賑わいます。

『 針供養 』  法輪寺
   12月8日
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年12月07日

千本釈迦堂・大根焚き

 『 千本釈迦堂・大根焚き 』

  京都の 師走の風物詩 『 大根焚き 』 ( だいこだき ) の季節が到来し、西陣の 千本釈迦堂 では釈迦が悟りを開いたの日 ( 12/8 ) を祝う 成道会法要 が行われ、境内では焚いた大根が参詣者にふるまわれます。

  京都では大根焚きの大根を食べると 中風の厄除け ( 脳卒中・風邪除け ) になるといわれています。

  千本釈迦堂 は正式寺名を 大報恩寺 といい、本尊釈迦如来像 を祀る千本通の寺院として古くから親しまれていることから 「 千本釈迦堂 」 と通称されています。 大根焚きの期間中、秘仏の本尊・釈迦如来像が御開帳となります。

『 成道会法要と大根焚き 』 千本釈迦堂 ( 大報恩寺 )
 12月7日、8日
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)西陣・北野

2011年12月06日

成道

 『 成道 』

  厳しい修行で悟りを得られなかった 釈迦 は苦行を捨て、最後は 菩提樹 の下に座して 「 これで悟りを得られなければ生きてこの座をたたない 」 と固い決意で 瞑想 に入り、ついに 12月8日 未明、迷いを脱して真理を会得する 悟りの境地 に到達しました。

  悟りを開いた釈迦は人びとに正しい生き方や苦しみから逃れる方法を説法し、その教えが 仏教 となりました。

  悟りを開いて仏道を完成する ことを 『 成道 』 ( じょうどう ) といい、毎年12月8日、寺院では成道を祝う法要・成道会 ( じょうどうえ )が執り行われています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)仏教コラム

2011年12月05日

臘月

 『 臘月 』

  12月の異名師走 ( しわす ) の他に 『 臘月 』 ( ろうげつ : 年の暮れ という意味 ) があります。

  現代では聞き慣れない言葉ですが、例えば12月に降る雪を 臘雪 ( ろうせつ )、大晦日の事を 臘日 ( ろうじつ ) といいます。

  仏教の世界では、仏教の祖である お釈迦さま が悟りを開いた 12月8日 のことを 臘八 ( ろうはち : 臘月八日 ) といい、禅寺において12月1日から8日にかけて 臘八会 ( ろうはちえ ) という法要が営まれ、8日間休まず座禅する修行・ 臘八接心 ( ろうはち / ろうはつ - せっしん ) が行なわれます。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2011年12月05日

季節は秋から冬へ ≪ 師走の風物詩 / 南座 顔見世興行 ≫

ようやく今週末で紅葉の観光シーズンが終わろうとしていますが、まだ美しい紅葉を見ることができるところも多くあります。

しかし、さすがに12月の第2週目となると季節は 「 秋 」 から 「 冬 」 へと移り変わり、今週、千本釈迦堂 では 大根焚き が、法輪寺 では 針供養、師走の風物詩 と称される年中行事が執り行われます ( 笑 )

そして、こちらも師走の風物詩、南座 ではすでに 顔見世興行 が始まり、多くの歌舞伎ファンが南座に詰めかけています!



歌舞伎役者の名前が書かれた 「 まねき 」 看板 がずらりと並んでいます。



坂田藤十郎 さん、片岡仁左衛門 さんをはじめ……



尾上菊五郎 さんなど、東西の歌舞伎役者がずらりと勢揃いする豪華な顔ぶれで、連日、華やかな舞台が南座で繰り広げられています。



これらは、まねき看板が掲げられた先月末に撮影した写真ですが、どうも紅葉の写真と一緒に並べると季節感がおかしくなりそうで、紅葉シーズンがひと段落する今日まで熟成させておきました ( 笑 )

さぁ、いよいよ師走、今年最後の一ヶ月が始まりました!
  

Posted by 若村 亮  at 02:22Comments(0)年中行事

2011年12月04日

下鴨神社

 『 下鴨神社 』

  森厳とした 糺の森 に包まれて鎮座する 『 下鴨神社 』 ( しもがもじんじゃ ) は、平安時代以前に創建された京都最古の神社のひとつで、京都盆地の北部に定住した 古代豪族賀茂氏 が祖先にあたる神様を祀る神社として創建しました。

  平安京遷都後は、国家安泰万民安寧 を願う 国家鎮守の神社 として崇められ、一定期間で社殿を新築して神様を旧殿から新殿へと遷す 式年遷宮の制 などが定められ、賀茂祭葵祭 ) は 国家の祭祀 として執り行われました。

下鴨神社の糺の森は、晩秋まで紅葉が楽しめる森として知られています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)御所・糺ノ森

2011年12月03日

平等院

 『 平等院 』

  平安後期、悟りが開けない末法の時代が到来するという 末法思想 が広まり、貴族社会 を中心に極楽往生を願う 浄土信仰 が流行しました。

  そのような時代背景の中、永承7 ( 1052 ) 年、関白・藤原道長別荘・宇治殿 を息子・藤原頼通寺院 に改めて、現世に極楽浄土を現した 『 平等院 』 が創建されました。

  翌年の永承8 ( 1053 ) 年には 阿弥陀堂鳳凰堂 ) が造営されて 定朝作・阿弥陀如来坐像 ( 国宝 ) が安置されました。 阿字池 ( あじいけ ) に優美な姿を映す光景は、まさに 極楽浄土の趣 です。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)宇治

2011年12月02日

真田幸村ゆかりの長野県上田市へ

一昨日は新潟へ行ってきましたが、今日は 長野県上田市 へ。



上田といえば、戦国武将・真田家 ゆかりの 上田城 ですね!
上田駅前に立派な 真田幸村 の銅像が建っていました ( 笑 )

講演が終わって京都へ戻っていますが、長野から名古屋へ向かう 特急・しなの に乗車しています。 名古屋まで3時間、なかなかの距離がありますね ( 笑 ) 京都着21時の予定、もうしばらく列車の旅を楽しみます!
  

Posted by 若村 亮  at 19:24Comments(2)らくたび日記

2011年12月02日

渉成園

 『 渉成園 』

  慶長7 ( 1602 ) 年、徳川家康 から土地が寄進されて 東本願寺 が成立し、寛永18 ( 1641 ) 年、江戸幕府 3代将軍 徳川家光 から東本願寺の東側の土地がさらに寄進され、東本願寺の別邸 として 『 渉成園 』 ( しょうせいえん ) が造営されました。

  渉成園には印月池を中心とする 池泉回遊式庭園 が広がり、承応2 ( 1653 ) 年、当世随一の文化人 石川丈山 によって作庭されたと伝えられています。

 晩秋に美しい紅葉の風景が広がる渉成園ですが、頼山陽は 『 渉成園記 』 の中で園内の十三景を紹介し、その風雅な趣きを讃えています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年12月01日

東福寺

 『 東福寺 』

  鎌倉時代、九条家 ( 公家のひとつ ) の 菩提寺 として創建された 『 東福寺 』 ( とうふくじ ) は、奈良の 東大寺 の規模と、興福寺 の教学にあやかって 「 東 」「 福 」 の一文字づつに由来して 『 東福寺 』 と名付けられました。

  禅宗が最も隆盛を誇った室町時代から江戸時代にかけて、東福寺には千人を超える修行僧達が日夜、厳しい修行に励んでいたと伝えられています。

  東福寺境内には 洗玉澗 ( せんぎょくかん ) と呼ばれる小渓谷があり、その渓谷に架かる 通天橋 からは深紅の紅葉を楽しむことができます。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)東福寺付近