2011年12月15日

北野天満宮 ・ 大福梅の授与へ

一昨日、昨日と、二日続けて北野天満宮の参拝へ。 事始め ( 12月13日 ) より、元旦に服する大福茶に入れる縁起物 『 大福梅 』 の授与が北野天満宮・社務所で始まり、多くの参拝者が正月に欠かせない縁起物として大福梅を求めて訪れていました。

さて、北野天満宮の中門には、新年の干支 「 辰 」 の絵が高々と掲げられていました! 聞いたところによると、京都で一番早く、新年の干支の絵を掲げたのだとか。



三光門 ( 重要文化財 )


夕方とあって、参拝者も少なく、ゆっくり参拝を。

本殿 ( 国宝 )


北野天満宮は梅の名所とされ、その境内で採集された梅をカラカラに干した後に調製して授与する 『 大福梅 』。 梅は “ 産め ” に通じる子孫繁栄の縁起物とされ、元旦、梅と昆布を入れた大福茶を服する習わしです♪



無事に大福梅をゲットした後は、境内の丑をさわってご利益を。



年が明けると受験シーズン本番となり、学問の神様として崇められる北野天満宮には、多くの受験生が祈願に訪れますね。 最後の最後はやはり、神頼み!です ( 笑 )

ぜひ皆さんも、大福梅を求めて北野天満宮へ♪
  

Posted by 若村 亮  at 19:48Comments(0)年中行事

2011年12月15日

赤穂浪士の討ち入り

 『 赤穂浪士の討ち入り 』

  元禄13 ( 1701 ) 年、幕臣・高家筆頭・吉良上野介 ( きらこうずけのすけ ) は、勅使接待役・赤穂藩主・浅野内匠頭 ( あさのたくみのかみ ) を辱しめ、江戸城中で浅野内匠頭が吉良上野介を切りつけ、即日、浅野内匠頭は切腹・除封の処分となりました。

  その後、元禄15 ( 1703 ) 年 12月14日、赤穂藩浅野家の家老・大石内蔵助 ( おおいしくらのすけ ) が 赤穂浪士四十六人 を率いて、吉良上野介の邸宅に討ち入りし、見事に 主君の仇 を討ちました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム