2012年02月29日

閏日

「 閏 」 ( うるう ) という漢字の成り立ちは “ 王が門の中に居る ” ことに由来し、古く中国では 不規則 となる 閏日閏月 には、不吉を避けるために王が門の中に閉じこもって政務を執らなかった と伝えられています。



今日は4年の1度の珍しい 閏日 ( うるうび ) です。 早朝から降り続いた雨も昼前には止んで、時折、日射しが出てきました ( 笑 )
  

Posted by 若村 亮  at 13:16Comments(0)らくたび日記

2012年02月29日

菩薩

 『 菩薩 』

  『 菩薩 』 ( ぼさつ ) とは、如来 ( にょらい : 悟りを開いて仏教上の最高の状態にある存在 ) になろうと発心 ( ほっしん : 最高の悟りに達しようと決心すること ) して修業に励む人であり、弥勒菩薩観世音菩薩地蔵菩薩 などは 如来に次ぐ高位の仏 として古くから信仰されてきました。

  弥勒 ( みろく ) 菩薩 は、釈迦の死から 56億7千万年後 に如来となって人びとを救済するとされ、それまでの間は 地蔵菩薩 が六道で苦しむ人びとを救済するとされています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2012年02月28日

福井藩邸跡

 『 福井藩邸跡 』

  堀川通二条下ル東側一帯には、江戸後期に 福井藩藩邸 が建てられていました。

  藩邸 とは各藩が 京都に設けた出先機関連絡事務所 ) で、居留守役 が藩邸に詰めて様々な事務連絡に務めていました。

  幕末福井藩主松平春嶽 ( まつだいらしゅんがく ) は、幕府政治の改革公武合体運動 を強く推し進めた人物として知られ、坂本龍馬 も京都の福井藩邸を訪ねて藩主・松平春嶽や藩士らと面談しています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2012年02月28日

冷え込む朝の京都

先週の金曜日が暖かかっただけに、この寒さは身に染みます ( 笑 )



しかし、この寒さも和らいで、明後日 3月1日くらいから春の訪れを感じるような、気温が少しずつ春に向けて上がってくるそうです。 これで梅の花も一気にほころぶでしょう ( 笑 )

さて、いよいよ今週末、らくたび会員の皆さまへ ≪ らくたび通信・春号 ≫ がお届けできそうです。 春 ( 4月~6月 )は一年で一番、美しい花が咲き誇る季節になりますので、現地を歩く 京都さんぽ も素敵な企画をたくさん用意しています♪ ぜひご期待ください!

4月~6月 ≪ 京都さんぽ ≫ の概要・速報は こちら
  

Posted by 若村 亮  at 10:03Comments(0)らくたび日記

2012年02月27日

伏見城

 『 伏見城 』

  天正20 ( 1592 ) 年、豊臣秀吉 が自らの居城として 『 伏見城 』 を築城しましたが、慶長元 ( 1596 ) 年の 慶長伏見大地震 によって 倒壊 しました。

  翌年には再建されましたが、秀吉の死後は 徳川家康の預かり となり、関ヶ原の合戦に際して西軍の攻撃を受けて焼失しました。

  後に再建されて再び江戸幕府の支配下に置かれましたが、寛永2 ( 1625 ) 年には城としての重要性が薄れたことから 廃城 となり、建物は二条城や大徳寺などに移築されました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(2)京都コラム

2012年02月27日

梅一輪の香り ≪ 北野天満宮 ≫

一昨日 2/25(土)、華やかに 梅花祭 が催された 北野天満宮。 境内には約1500本という梅が咲き誇り、今年は開花が少し遅れてはいますが、3分咲きとなって見頃を迎えています♪



平安時代の貴族・菅原道真 公は九州・太宰府へ左遷された悲劇の人物でもあり、こよなく愛していた邸宅の梅との別れを偲んで “ 東風吹かば匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘るな ” と詠み、九州へ旅立って行ったといわれています。 菅原道真公を御祭神として祀る北野天満宮では、中門に道真公の歌が詠まれていました。



「 梅一輪 」 という言葉がありますように、梅の花は満開が見頃ではなく、冬の寒さに耐えて春を告げるように咲いた一輪の咲き始めに心を寄せることが良いとされています。 まさに北野天満宮の梅は 「 梅一輪 」 の素敵な咲き始めです ( 笑 )



様々な種類の梅がありますので、こちらの紅梅はすでに満開でした!





天満宮といえば、神使は 「 丑 」。



どっしりと座り込んでお花見ですね ( 笑 )



鳥居をくぐって一歩境内へ入ると梅の香りが漂ってくる北野天満宮、ぜひ 「 梅一輪 」 に春の訪れを感じながら歩いてみてください♪
  

Posted by 若村 亮  at 11:43Comments(0)季節の花・紅葉

2012年02月27日

京料理・てんぷら 天喜

暖かな金曜日から一転して、週末はグッと冷え込んで雪もちらほらと舞う寒さになりました。 昨日は毎月恒例 ≪ 京都の隠れた社寺と四季の味めぐり ≫ 現地散策講座 があり、西陣で愛されてきた 京料理・てんぷら ≪ 天喜 ≫ ( てんき ) で昼食をいただいた後、土曜日に梅花祭が催された 北野天満宮 へ行ってきました。

京料理・てんぷら ≪ 天喜 ≫


ひな祭りまでもう少し、ひな祭りにちなんだ器や料理で食事がスタートです♪

先付・八寸


早春の梅花で彩られた、とっても素敵な器です。



お椀も梅が咲いています ( 笑 )

椀物


お椀のふたを開けると素敵なお吸い物の香りが♪ 絶品でした!



お造り


いよいよ、てんぷらです!

てんぷら


さすがカラッと揚げた熱々のてんぷら、美味しいですね ( 笑 )



次は鮭の切り身を揚げたもので、外はカリッ、中はホクホクの食感です♪

揚げ物


大きな貝柱とカニが入った酢の物です。

酢の物


てんぷら以外の料理も美味しくて、とくに茶碗蒸しが気に入りました。 トロッとした餡がかかり、プリンのような柔らかい茶碗蒸しと合ってとっても美味しい一品でした!

茶碗蒸し


ご飯・香の物


最後はフルーツ♪ イチゴに、甘い蜜たっぷりのリンゴに、グレープフルーツのゼリーと、大満足のデザートでした ( 笑 )

デザート


皆さんからも 「 これは復習がてらもう一度、来ないといけませんね♪ 」 という大満足のお声があり、その通りの素敵なお料理の数々でした!

■ 京料理・てんぷら 天喜 : 公式HPは こちら
  

Posted by 若村 亮  at 11:04Comments(2)京料理

2012年02月26日

明王

 『 明王 』

  真言宗の本尊仏である 大日如来 ( だいにちにょらい ) は “ 宇宙そのもの ” であるとされ、密教の曼荼羅図 ( まんだらず ) には、大日如来を中心とする仏の世界が描かれています。

  優しい慈悲に満ちた仏様の中において、髪を逆立て、目を見開き、牙を剥き出した怒りの形相をした 『 明王 』 ( みょうおう ) は、人びとに強い印象を与えます。

  人間の内側にある弱い心や怠ける心に対し、明王は強い怒りでそれを断じ、人を正しい真理へと導きます。 明王の怒り とは、優しい慈悲に満ち溢れた怒り なのです。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2012年02月26日

大東京の夕暮れと輝く夜景

先日は埼玉へ講演に。 年間200近い講演を行っていると常に全力でエネルギーを放出しているような感じで、好きなことをしているので 「 疲れた・・・。。 」 という感覚はまったくないんですが、それでもたまにエネルギーを充電する時も必要な感じです ( 笑 )

無限のエネルギーに満ちているかのような大都市・東京。 時折、講演で東京に行った時にホテルでゆっくりした時間を過ごして、全力でエネルギーを充電するのもいいですね。

次第に傾く太陽、美しい東京の夕暮れに心身はフル充電に♪ ( 笑 )





真下に日本銀行本店が。 言わずと知れた日本の中央銀行で、中央の建物が明治29年建築の本館、設計は日本近代西洋建築の先駆者・辰野金吾 ( たつのきんご ) です。 この本館、上から見ると建物が 「 円 」 の形になっていて、偶然だそうですが、さすが日本銀行の本店本館ですね ( 笑 )



地平線と雲の間から夕陽が、一日最後の勇姿を!





あっという間に輝く夜景に!





ビルの向こうには東京タワーも見えています♪



さて、フル充電完了の一日になりました! 明日は京都、梅花祭が催されたばかりの北野天満宮へ行く予定をしていますが、またいつものように熱いガイドができそうです ( 笑 )
  

Posted by 若村 亮  at 03:02Comments(0)東京日記

2012年02月25日

四条通

 『 四条通 』

  東の端に 八坂神社、西の端に 松尾大社 が鎮座する 『 四条通 』 は、今も昔も賑わう京のメインストリートです。

  古くから四条室町は 「 鉾の辻 」 と呼ばれ、ここを中心に祗園祭の山鉾が並び、町衆の夏祭が行われてきました。

  その町衆の楽しみと言えば、四条河原で興行された芸能の数々。 なかでも 出雲阿国 が演じた 「 かぶき踊り 」 は町衆の間で大人気となって賑わい、芝居小屋が所狭しと建ち並びました。 現在は 南座 が京都唯一の歌舞伎劇場として残るのみとなりました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2012年02月24日

法性寺

 『 法性寺 』

  平安前期の第61代・朱雀天皇 の御世に摂政・関白と歴任した 藤原忠平 ( ふじわらのただひら ) は、延長3 ( 925 ) 年に 藤原氏の氏寺 として 『 法性寺 』 ( ほっしょうじ ) を建立し、藤原氏の隆盛とともに伽藍が整えられ、壮大な堂塔が並ぶ一大寺院となりました。

  しかし、鎌倉時代になって藤原氏の流れを汲む 九条道家 が、法性寺の境内に 東福寺 を創建したことから次第に法性寺は衰微し、現在は浄土宗の小さな寺院になっています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2012年02月23日

臥竜の老梅

 『 臥竜の老梅 』

  今から1100年前、醍醐天皇が母の菩提を弔うために建立した 勧修寺 ( かじゅうじ ) は、皇室や藤原氏の帰依を受け、代々法親王が住持してきた格式ある門跡寺院です。

  勧修寺には樹齢が300年を超える 梅の古木 があります。 300年前の初代の木の根から子と孫の木が生えた珍しい姿をしており、孫の木が今、つぼみをほころばしています ( 初代と二代目は枯れ木として根元に横たわる )。

  梅の古木が、まるで竜が絡み付いているようにも見えることから 『 臥竜の老梅 』 ( がりゅうのろうばい ) と呼ばれています。

※写真はイメージ
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2012年02月22日

小町通

 『 小町通 』

  数々の伝説を秘めた一条戻橋から東へ歩くと、一条通から北へ延びる細い道があり、その交差点の北西角に 『 小町通 』 と書かれた小さな石碑が立っています。

  平安時代、小野小町 ( おののこまち ) の名声を妬む 大伴黒主 ( おおとものくろぬし ) は、前夜に小町邸で歌を盗み聞いて 万葉集草紙 ( そうし:綴じてある本 ) に書き加えて、翌日の歌合せで小町の歌が万葉集の 盗作 だと 批判 しましたが、小町が草紙を 井戸の水で洗う と、加筆された筆書きの文字が消えて 身の潔白が証明された という物語が伝えられています。

  石碑の辺りが謡曲 「 草紙洗小町 」 の舞台とされる小野邸の井戸があった場所とされ、細い道は 小町通 と呼ばれ、石碑の側面には 小野小町雙紙洗水遺跡 と刻まれています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2012年02月21日

相応和尚

 『 相応和尚 』

  平安前期の 天台僧 『 相応和尚 』 ( そうおうかしょう ) は、天長8 ( 831 ) 年に近江国で生まれ、15歳で 比叡山延暦寺 に入って 円仁弟子 として 天台密教 を修し、悪霊の調伏 ( ちょうぶく : 怨敵や魔物を打破して降伏されること ) や 清和天皇の歯痛を治す など数々の霊験を示しました。

  その後、貞観7 ( 865 ) 年、比叡山の南端に 不動明王 を本尊に祀る 無動寺 ( むどうじ ) を建立し、その辺り一帯の 無動寺谷 ( むどうじだに ) を中心に比叡山中を歩き巡って悟りを目指す 回峰行 ( かいほうぎょう ) を創始しました。

  国師号 の始まりとなる 最澄 ( さいちょう ) の 伝教大師 ( でんぎょうだいし ) と 円仁 ( えんにん ) の 慈覚大師 ( じかくだいし ) は、相応和尚が朝廷に上奏 ( じょうそう : 申請すること ) して賜ったことに始まります。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)人物コラム

2012年02月20日

杉玉

 『 杉玉 』

  日本酒の造り酒屋の軒先に吊るされる 『 杉玉 』 ( すぎたま ) は、スギの葉 ( 穂先 ) を集めてボール状にした物で、酒林 ( さかばやし ) とも呼ばれています。

  青々とした杉玉が吊るされると 新酒 が出来たという目印となり、時間とともに色褪 ( あ ) せて茶色になり、酒の 熟成度 を人びとに知らせてくれます。

  杉を飾って酒の神の御加護を願う風習に由来し、また造り酒屋では杉の新芽 ( 防腐作用の成分を含有 ) を集めて、酒が腐りかけると杉の新芽を酒に浸けていました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2012年02月19日

四親王家

 『 四親王家 』

  江戸時代、皇室において 親王 ( しんのう : 皇族男子の身位のひとつ ) の位を代々保持し続けた 四つの宮家『 四親王家 』 ( ししんのうけ ) といい、伏見宮 ( ふしみのみや )・ 桂宮 ( かつらのみや )・ 有栖川宮 ( ありすがわのみや )・ 閑院宮 ( かんいんのみや ) という四つの宮家になります。

  元は 皇位継承資格者確保 するという目的から 世襲制 で親王家を継承していましたが、明治維新後に世襲親王家の制度は廃止されました。

※現在の桂宮家と旧桂宮家は無関係
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)言葉コラム

2012年02月18日

裳階

 『 裳階 』

  妙心寺の法堂など、外観 を一見すると屋根の枚数から 二重 ( 二階建て ) に見える建物があります。

  しかし、下層の屋根『 裳階 』 ( もこし ) という 飾りの屋根 で、建物としては 一重 ( 一階建て ) となり、正しくは 「 一重裳階付き 」 という表記になります。

  ( も ) は古代に女性が腰から下にまとった衣服を意味することから、飾りの階 ( 屋根 ) を 「 裳階 」 と呼ぶようになり、当初は建物の保護を目的として設けられ、次第に建物の装飾・意匠を目的とするようになりました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2012年02月18日

京都盆地は銀世界へ

昨夜のうちに雪が降り積もり、今朝の京都は銀世界となっています♪



雪を降らせた雲は去ったようで、すっかり爽やかな青空になっています。



眩しい太陽が照っているので、雪はすぐに溶けてしまいそうですね ( 笑 )



遠くの山々ではまだ雪が降っているようで、山並みが見えないところも。。



せっかくの雪景色、雪の庭や雪の路地を歩いてみたいところですが、今日は大阪で講演があるために京都を離れてしまいます ( 涙笑 ) ぜひ皆さん、時間のある方は雪の金閣寺や龍安寺に行ってみてください♪
  

Posted by 若村 亮  at 08:33Comments(0)らくたび日記

2012年02月17日

冬の京都もよろしおすなぁ~♪

京都は時折、粉雪が舞う寒い一日になっていますが、今日は高校生の修学旅行の案内で 二条城・北野天満宮・龍安寺・嵐山 と巡ってきました。

修学旅行の現地案内はいつ以来でしょうか ( 笑 )、新潟の高校とあって、京都の寒さに負けない元気な高校生でした!

龍安寺・石庭


高校生にとって学業は第一、学問の神様・北野天満宮 を参拝してしっかり祈願してきました ( 笑 ) 梅を愛した 菅原道真 を偲んで北野天満宮には が咲き誇りますが、今年は少し開花が遅れているようで、まだ1分咲きという感じでした。

北野天満宮・梅


そして、平安時代から天皇や貴族に愛されてきた 天下の名勝・嵐山 へ。



今年の NHK大河ドラマ 『 平清盛 』 に登場するでしょうか、高倉天皇 が愛した女性・小督 ( こごう ) ゆかりの “ 琴きき橋 ” と刻まれた石碑が、渡月橋の北詰にそっと佇んでいます。

小督ゆかり “ 琴きき橋 ” 石碑


午後は嵐山で自由散策になるということで、ここで案内は終了して、嵐電に揺られながら市内まで戻って、先ほどオフィスへ戻ってきました♪
  

Posted by 若村 亮  at 16:10Comments(0)らくたび日記

2012年02月17日

二十四孝

 『 二十四孝 』

  儒教の教え を重んじた中国の歴代王朝では、治世の上で “ 親孝行 ” が特に重要と位置づけ、古く親孝行であった人物を二十四人取り上げた物を 『 二十四孝 』 ( にじゅうしこう ) として、後世の模範として長く語り継いできました。

  御香宮神社表門 は、元和8 ( 1622 ) 年、徳川頼房の寄進によって建立された 旧伏見城大手門 とされ、豪華な彫刻の装飾の中に 「 二十四孝 」 を題材とする見事な透かし彫りが設けられています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2012年02月16日

歌の中山

 『 歌の中山 』

  清水寺 から 清閑寺 へと山麓に続く杉並木の山路は、その山路からの美しい景色を多くの歌人が眺めて歌に詠んだことから 『 歌の中山 』 ( うたのなかやま ) と呼ばれるようになりました。

  昔、清閑寺の僧・真燕 ( しんえん ) が山門に佇んでいた時に 美しい女 へ 「 清水への道は何れでしょうか? 」 と問いかけたところ、< 見るにだに 迷う心のはかなくて 誠の道を いかで知るべき > と戒めの歌を返されたと伝えられています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2012年02月15日

駅弁リポート♪ ≪ 特選・名古屋 ≫

スッキリとしない天気が続いていますが、今日は日帰りで長野県茅野市へ講演のために行ってきまして、先ほど京都に帰ってきました!

名古屋駅から長野へ向かう 「 特急しなの 」 は、木曽福島など深い山中を右へ左へと曲がり抜けて線路は長野まで続いています。



名古屋駅で買った駅弁は、名古屋限定 ≪ 特選・名古屋 ≫。 名古屋の名物が詰め合わせになっているお得感たっぷり♪ の駅弁です ( 笑 )



名古屋といえば 「 みそかつ 」 と 「 天むす 」 ということで、名古屋の味たっぷりの駅弁をいただきながら、特急は長野へ向けて走っていきました。



深い山中はもっと雪が積もっているのかな、と思っていましたが、それほどでもなく、特に電車が遅れることもなく順調な旅でした ( 笑 )



これでしばらく長野へ行く機会はないかもしれませんが、また来年の今頃にお伺いすることになるかな~ と思いながら、長野から京都へと戻りました。
  

Posted by 若村 亮  at 20:52Comments(0)らくたび日記

2012年02月15日

建仁寺

 『 建仁寺 』

  建仁2 ( 1202 ) 年、日本臨済宗の開祖である 栄西禅師 が京都で初となる禅寺を創建し、時の元号から 『 建仁寺 』 ( けんにんじ ) と名付けられました。

  建仁寺の方丈は、慶長4 ( 1599 ) 年に安芸 ( 現在の広島県 ) の安国寺から移建したもので、その前庭には白砂の中に苔と石を配した 大雄苑 ( だいおうえん ) と称される禅庭が広がっています。

  また、本坊裏の 潮音庭 ( ちょうおんてい ) は中央に三尊石を組み、その東に座禅石を配した四方正面の禅庭です。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2012年02月14日

観音寺

 『 観音寺 』

  南山城の 『 観音寺 』 は、今から約1300年前、義淵 ( ぎえん ) 僧正が天武天皇の願いを受けて創建し、のち 良弁 ( ろうべん ) 僧正が堂塔を整備して 普賢寺 とし、壮大な伽藍を持つ大寺院となりました。

  大御堂に祀られている 本尊十一面観音菩薩像 は、天平16 ( 744 ) 年に普賢寺の本尊として祀られ、天下泰平と国民豊楽の願いが込められていると伝えられています。

  天平時代に作られた貴重な仏像であり、全国で七体しかない 国宝 指定の十一面観音菩薩像のひとつです。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2012年02月13日

台密と東密

 『 台密と東密 』

  比叡山の天台宗総本山 延暦寺 ( えんりゃくじ ) は、延暦7 ( 788 ) 年、僧・最澄 ( さいちょう ) が薬師堂 ( 現在の根本中堂の場所に建立 ) を建立したことに始まり、のちに天台法華をはじめ、密教、禅、念仏など様々な教えを伝える 総合仏教寺院 として多くの僧が厳しい修行に励みました。

  また 密教 において、『 東密 』 ( とうみつ : 真言宗の密教 / 東寺密教の略 ) に対して 『 台密 』 ( たいみつ : 天台宗の密教の略 ) と呼ばれ、平安貴族から絶大な支持を得て重んじられました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2012年02月12日

渉成園・雪の灯籠

 『 渉成園・雪の灯籠 』

  慶長7 ( 1602 ) 年、徳川家康 から土地が寄進されて 東本願寺 が成立し、寛永18 ( 1641 ) 年、江戸幕府3代将軍・徳川家光 から東本願寺の東側の土地がさらに寄進され、東本願寺の 別邸 として 『 渉成園 』 ( しょうせいえん ) が造営されました。

  印月池を中心とした広大な園内には灯籠がいくつも据えられ、その中には あたかも雪が灯籠の笠に降り積もった ように刻まれた 石灯籠 なども見られ、渉成園の雅な庭園に趣きを添えています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2012年02月11日

伏見酒

 『 伏見酒 』

  伏見 ( ふしみ ) という地名は “ 伏水 ” ( ふせみず : 地を伏せて流れる水、つまり地下水のこと ) に由来しているともいわれ、御香宮神社 ( ごこうのみやじんじゃ ) の境内に涌く 「 御香水 」 ( ごこうすい ) をはじめ、多くの名水が涌く土地として古くから知られています。

  また、伏見は豊富で良質な涌き水を使った 酒造り が盛んなところとしても知られ、神戸の ( なだ ) で造られる辛口の酒を 男酒 ( おとこざけ ) と呼ぶのに対し、ほんのり 甘口の伏見酒女酒 ( おんなざけ ) と呼ばれて愛されています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(2)文化コラム

2012年02月10日

東京・新宿の夜景

新宿副都心の夜景、都庁にはまだまだ明かりが付いています。



東京講演もいよいよ明日でラスト! 明日に備えてゆっくり休んで・・・ といきたいところですが、夜景を横目にひたすら原稿の執筆です。 素敵な夜景でテンションアップ、そのテンションでちょっとでも原稿を進めばいいなぁ と思いながら、このブログを書いてしまい、早くも脱線気味に・・・ ( 汗笑 )

明日の東京講演も全力で頑張って、夜には京都へ帰ります!
  

Posted by 若村 亮  at 23:58Comments(0)東京日記

2012年02月10日

城南宮

 『 城南宮 』

  東寺から南へ、鴨川を越えた辺りを 鳥羽 ( とば ) といいます。

  幕末に 鳥羽伏見の戦い が勃発した場所として歴史に名を刻みますが、平安時代には鴨川の清流と東山の連山を望む景勝地として 白河上皇鳥羽離宮 が造営され、華やかな宮廷文化が営まれました。

  白河上皇はしばしば 熊野詣 を行い、京から旅立つ前に、離宮に七日程籠って身を清め、旅の安全を祈願してから熊野へと旅立ちました。

  その後、鳥羽離宮の神社は 『 城南宮 』 ( じょうなんぐう ) となり、現在も 旅行交通安全の神様 として厚く信仰されています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2012年02月09日

夕陽に照る富士山

今日は午前中に名古屋・中日文化センターで講演を行った後、東京へ向かっています。 ちょうど先ほど新幹線から美しい夕焼けに照らされた富士山が見えて、もう感動のひとこと! 富士川の水面には逆さ富士も映り込んでいました♪



元気100倍を得て、夜の東京講演も全力で頑張ります♪
  

Posted by 若村 亮  at 17:16Comments(4)らくたび日記