2011年11月18日

蓮華寺

 『 蓮華寺 』

  上高野『 蓮華寺 』 ( れんげじ ) は、古くは 延暦寺の一坊 として創建された古刹と伝えられ、その後、寛文2 ( 1662 ) 年、加賀前田藩・今枝近義 ( いまえだちかよし ) が 父の菩提を弔う ために再興したとされ、一説には七条塩小路の浄土系 ( 時宗 ) の寺院を移して当地に再興したとも伝えられています。

  再興にあたって 絵師・狩野探幽儒学者・木下順庵禅僧・隠元禅師 など当時の著名人が協力し、高野川の水が満ちる池に鶴亀ニ島を配した庭は 石川丈山 作と伝えられ、秋には紅葉が彩りを添える名庭です。

地図 : 蓮華寺
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)八瀬・大原

2011年11月18日

12/11(日) 歩くまち・京都 シンポジウム

  2011年12月11日(日)13:00~17:00
  歩くまち・京都 シンポジウム

   14:15~ 基調講演
     『 京都を歩く、暮らしを楽しむ 』
       株式会社らくたび 代表取締役 若村亮


   ■ 歩くまち・京都 : 公式HPは こちら
   ■ シンポジウムのお申し込みは こちら

シンポジウムの中で基調講演をさせていただくことになりましたので、ぜひご興味のある方は参加のお申し込みをよろしくお願いします~♪ ( 笑 )

 ↓↓↓ 下記のチラシ、クリックして拡大してご覧ください。

  

Posted by 若村 亮  at 11:00Comments(2)らくたび最新情報

2011年11月17日

瑠璃光院

 『 瑠璃光院 』

  叡電・八瀬比叡山口駅から徒歩5分、高野川沿いに佇む 『 瑠璃光院 』 ( るりこういん ) は、かつて 本願寺の歴代門跡 もしばしば訪れたと記録される風雅な庵で、明治の元勲・三条実美 ( さねとみ ) は 「 喜鶴亭 」 と命名して直筆の額を授けています。

  その後、大正末期から昭和初期にかけて広大な敷地に数寄屋造の建物を造営し、比叡山麓の自然を借景とした名庭を造園しました。 緑あふれる苔の庭に、赤や黄、そしてピンク色に輝く紅葉が彩り、深まる秋に一層美しさを増す名庭です。

地図 : 瑠璃光院
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)八瀬・大原

2011年11月17日

11/23(水祝) 京都さんぽ ≪ 紅葉の高雄から清滝へ ≫

11/23(水・祝) 京都さんぽ
『 紅葉の高雄から清滝の渓谷へ 』



まもなく締め切りとなりますが、あと数名OKです。 明日 11/18(金)までお申し込みを受け付けしますので、ぜひご興味のある方はご参加ください♪

詳細&お申し込みは、らくたびHPこちら )へ♪
  

Posted by 若村 亮  at 09:48Comments(0)京都ツアー 情報

2011年11月17日

紅葉情報 第3弾 ≪ 大原・三千院 ≫ 11/16(水)

今朝は取材のために6時に起きて、7時の地下鉄に乗り、国際会館から大原へ向かう7時半の京都バスに乗り込み、あっという間の20分ちょっとで 大原 に到着しました!

こちらは朝8時少し前の大原の里。 朝陽がようやく山並みを照らし始めて、暖められた朝露が湯気となって空に立ち上る幻想的な雰囲気に包まれていました。 しかし、さすがに山間部に位置する大原の里です、冷え込みもかなりのものでした ( 笑 )





バス停から約15分ほど坂道を上がると、いよいよ 三千院 の門前です。 紅葉は3~5分程度でしょうか、見頃のピークはもうちょっと先のような感じです ( 笑 )



三千院を過ぎて勝林院や宝泉院の方へと向かうと、律川のあたりはきれいな紅葉が彩っていました♪



三千院の開門は朝8時半。 まだ開門していません ( 笑 )



そして、開門と同時に境内へ! 宸殿から眺める往生極楽院と庭園の風景は、まさに極楽浄土のような美しさですね。



夏の天候や寒暖の差が大きく色合いに左右するんでしょうね、少し茶色がかった紅葉が多かったような印象でした。 しかし、まだ全体的には半分程度の紅葉なので、これからの冷え込みでグッと色合いも良くなり、素敵な紅葉風景を眺めることができると思いますよ♪



ようやく、三千院の境内にも朝陽が射し込んできました。



国宝・阿弥陀三尊像 を祀る 往生極楽院 のみが、天台声明の根本道場 として隆盛した大原で平安時代から受け継がれる貴重な歴史を今に伝えています。





いよいよ今週末や来週末が紅葉を見るために訪れる観光客がピークになると思います。 大原や高雄などの山間部はできるだけ開門と同時に入る意気込みでお出掛けになれば、往復のバスは空いていますし、境内には昨夜から降り積もった紅葉が広がったり、清々しい朝の空気で心身が清められるなど、素敵な早朝の紅葉さんぽを楽しむことができますよ!

ぜひ皆さんも、国際会館を朝7時半や8時に出発する大原行きのバスに乗って、早朝の大原へどうぞ♪
  

Posted by 若村 亮  at 01:46Comments(2)季節の花・紅葉

2011年11月16日

真如堂 ≪ 十日十夜別時念仏会 ≫ 11/15(火)

室町時代の永享年間 ( 1429年~1441年頃 )、平貞国 ( たいらのさだくに ) が 十日十夜 にわたって 念仏を唱えた と伝えられ、これが 『 お十夜 』 ( おじゅうや ) の始まりとされています。



真如堂 では11月5日から15日にかけて念仏会が執り行われ、15日が結願ということで午後に大きな法要があり、午後2時が近づくと次第に真如堂の境内は人びとの熱気に包まれてきました!







堂内の撮影はできませんが、念仏と鉦の音が響き渡る荘厳な法要で、多くの参拝者が法要の様子を堂内で静かに見守っていました。

さて、お十夜とも呼ばれる法要に欠かせないのが お十夜粥。 お十夜粥が訛( なま )って おじや という言葉になったとも伝えられ、お十夜粥を食べれば 中風除け のご利益があるとされています♪ こちらは持ち帰り用で、娘のためにひとついただいて帰りました ( 笑 )



もちろん、境内でもお十夜粥をいただきました♪ 中風除けのご利益も嬉しいですが、ちょっと寒い境内でいただくお十夜粥、やっぱり美味しかったです!



※参考資料
  お十夜 とは・・・ こちら
  お十夜粥 とは・・・ こちら
  

Posted by 若村 亮  at 18:32Comments(0)年中行事

2011年11月16日

紅葉情報 第2弾 ≪ 栄摂院 ≫ 11/15(火)

金戒光明寺 から 真如堂 へ向かう西側には塔頭がずらりと並ぶ風情ある道が続き、その中に 栄摂院 ( えいしょういん ) と呼ばれる寺院があり、最近、紅葉の隠れた名所 として紹介されることが多くなってきました。 石畳の参道の奥に庭園があり、素敵な紅葉を見ることができます♪

金戒光明寺塔頭 ・ 栄摂院






栄摂院の紅葉も3分くらいでしょうか、もっともっと赤くなると、さらに素敵な庭園風景になります♪
  

Posted by 若村 亮  at 18:15Comments(0)季節の花・紅葉

2011年11月16日

紅葉情報 第1弾 ≪ 金戒光明寺 ≫ 11/15(火)

深まる秋・・・ と言いたいところですが紅葉は全体的に遅れ気味で、大原や高雄で半分くらい、その他はまだまだ3分程度というところです。 金戒光明寺は木々の先端あたりが赤くなっていますが、全体としてはまた緑の葉がほとんどで、庭園も同じような感じでした。

金戒光明寺 ・ 石畳の参道


NHK大河ドラマも大詰めを迎えようとしていますが、お江さんの供養塔 には秋になってさらに多くの観光客がお参りに来られています。



お江さんの供養塔の近く、最近有名になってきた アフロの阿弥陀如来さん ( 正式名称 : 五劫思惟阿弥陀如来 ) も秋空の下、ちょっと暖かな陽射しを感じながら座していました ( 笑 )



いよいよ紅葉シーズンに突入する京都、山間部から色付き始めていますので、できる限り紅葉情報をリアルタイムで ( 笑 ) お届けします!

※参考資料
  五劫思惟阿弥陀如来 とは・・・ こちら
  仏教用語 「 劫 」 とは・・・ こちら
  

Posted by 若村 亮  at 18:06Comments(0)季節の花・紅葉

2011年11月16日

11/13(日) 大徳寺・総見院 ≪ 戦国ウォーキング ≫

KBS京都ラジオ番組 『 桂塩鯛のサークルタウン 』 ( 毎週土曜日8:30~11:55 生放送 / 公式サイトは こちら ) と、コンドロイチン のCMでおなじみの ゼリヤ新薬 ( 公式サイトは こちら ) が開催するウォーキングイベントが日曜日に開催されました。 昨秋の龍馬ウォーク、今春の戦国ウォークに続く第3弾の開催で、今回もテーマも “ 戦国 ” で巡ってきました。

らくたびガイド 4名 で 100名近いリスナーさんをご案内しながら洛北を巡り、メインは 織田信長の菩提寺 である 大徳寺・総見院 の特別拝観へ。



な、な、なんと、今回もゼリア新薬の大阪営業所長さんは変装して参加、なんと織田信長に! 道行く人はビックリするやら、泣き出す子どももいるやらで、楽しい楽しい珍道中になりました~♪



最後は新装された上七軒歌舞練場を貸し切ってトークショー & おたのしみ抽選会を行いまして、無事に楽しいイベントは終了しました。



ぜひまた、来春くらいに次の散策ができれば、と願っています!
  

Posted by 若村 亮  at 17:50Comments(2)らくたび日記

2011年11月16日

11/9(水) 着物で東山散策 ≪ おきものたび ≫

秋の紅葉シーズンに入ってバタバタとしている間に、あっという間に時間が過ぎていっていて、先週くらいからブログアップが滞ってしまいました ( 笑 )

さて、先週に開催しました 着物で京都を巡る という企画で、毎週金曜日に出演している 『 ほっかほかラジオ 』 のリスナーさんと着物で 八坂神社 から 高台寺 へと散策し、料亭・中村楼 で美味しい京料理をいただきました。



パーソナリティーの中村薫さんと一緒に記念撮影を~ ( 笑 )



散策が終わった後は、やっぱり甘味へ♪
八坂の塔の近く、文の助茶屋でおぜんざいをいただきました!



今回、始めて着物で巡る企画を実施しましたが好評で、ぜひまた季節の良い春くらいに企画をしてみたいと思います。 なかなか着る機会のない着物ですが、とっても素敵な新鮮な気持ちで東山を巡ることができました!
  

Posted by 若村 亮  at 17:28Comments(0)らくたび日記

2011年11月16日

紅葉の永観堂

 『 紅葉の永観堂 』

  『 永観堂 』 は、平安時代の昔から 東山随一の紅葉の名所 として広く知られ、その紅葉の美しさは古今集にも詠まれています。

  広い境内には諸堂が建ち並び、最も奥に位置する本堂には 本尊 阿弥陀如来像 が安置され、左後ろを振り返っている珍しいお姿であるため 「 見返り阿弥陀 」 ( みかえりあみだ ) と呼ばれています。

  平安時代の僧 永観 が修行で山中を行脚していた時、ふっと目前に阿弥陀如来が現れて振り返り、「 永観遅し! 」 と言った時のお姿と伝えられています。

『 永観堂 夜間ライトアップ拝観 』
  11/5(土)~11/30(水) 各日 17:30~20:30
  拝観料 600円
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年11月15日

坂本龍馬の暗殺

 『 坂本龍馬の暗殺 』

  慶応4 ( 1867 ) 年 11月15日夜半、土佐藩御用達の商家・近江屋 を何者かが襲撃し、潜んでいた幕末の風雲児 『 坂本龍馬 』 ( さかもとりょうま )は頭蓋へ一太刀をあびて致命傷を負い、そのまま絶命して天へと還って逝きました。

  薩摩と長州の間で 薩長同盟 を結実させ、約260年続いた徳川家による 幕藩体制を崩した立役者 は、明治という新しい扉を押し開いた瞬間、この世を去りました。

  現在、近江屋は四条河原町上ルに小さな石碑を残すのみとなっています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年11月15日

12/18(日) ≪ おにぎり忘年会 ≫ 開催概要発表♪



12/18(日) らくたび会員限定
四条京町家 ・ おくどさんで炊く
  ほっかほか 「 おむすび 」 忘年会♪

築百年を越える四条京町家に残るお台所 「 おくどさん 」 のお釜でごはんを炊きます! かつての町家の暮らしぶりを実際に体験する絶好の機会になり、ほっかほかごはんのおともには、炭火で焼く生麩田楽やお漬物の盛り合わせなど、京都らしいおかずをご用意します、もちろんお酒もあります♪

詳細・お申し込みは、らくたびHP ( こちら ) へ

ワイワイ語り合いながら、今年を振り返りましょう!
らくたび会員の皆様のご参加をお待ちしています♪ 若村
  

Posted by 若村 亮  at 01:00Comments(0)らくたび最新情報

2011年11月14日

天龍寺

 『 天龍寺 』

  足利尊氏後醍醐天皇 の対立により、朝廷は 北朝 ( 京都 ) と 南朝 ( 吉野 ) の二つに分かれ、南北朝時代 となりました。

  その後、暦応元 ( 1338 ) 年に足利尊氏が 征夷大将軍 となって名実ともに 室町幕府 を開きましたが、その翌年、後醍醐天皇は吉野で崩御 ( ほうぎょ : 死去 ) しました。

  その際、武士から厚い崇敬を集めた禅僧 夢窓疎石 は、尊氏に対して 「 怨親平等 」 の教えを説き、後醍醐天皇の菩提を弔う寺院の建立を強く勧めたと伝えられ、壮大な 『 天龍寺 』 が創建されました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(2)京都コラム

2011年11月13日

南北朝時代

 『 南北朝時代 』

  足利尊氏 は初めは 「 高氏 」 と名乗って鎌倉幕府に仕えましたが、後醍醐天皇 の意を受けて 倒幕 を果たし、勲功第一として天皇の名 ( 尊治 ) から一字を賜わって 「 尊氏 」 と改名しました。

  しかし、尊氏は後醍醐天皇の始めた 天皇親政 ( しんせい : 天皇みずからが行う政治 ) による復古的な政治 「 建武の新政 」 に反発して反旗をひるがえし、また後醍醐天皇も 尊氏追討の命 を出して対立し、朝廷が 北朝 ( 京都 ) と 南朝 ( 奈良 ・ 吉野 ) の二つに分かれた 『 南北朝時代 』 へ突入しました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年11月12日

お十夜粥

 『 お十夜粥 』

  念仏の修行をすることによって極楽浄土に往生することを願う法要 「 お十夜 」 ( おじゅうや ) では、秋に収穫したばかりの新米などの穀物を阿弥陀様にお供えして、その供えられた穀物で 『 お十夜粥 』 ( おじゅうやがゆ ) と呼ばれる お粥 を作っていただく習わしがあります。

  この 「 お十夜粥 」 が訛 ( なま ) って 「 おじや 」 という言葉になったとも伝えられ、お十夜粥を食べれば 中風除け のご利益があるとされています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年11月11日

お十夜

 『 お十夜 』

  室町時代の永享年間 ( 1429年~1441年頃 )、平貞国 ( たいらのさだくに ) が 十日十夜 にわたって 念仏を唱えた と伝えられ、これが 『 お十夜 』 ( おじゅうや ) の始まりとされています。

  阿弥陀仏人びとを救う ことを説く 浄土教根本経典 である 「 無量寿経 」 ( むりょうじゅきょう ) によると、≪ 現世で十日十夜にわたって善い事をすれば、浄土で千年にわたって善い事をしたことに勝る ≫ と考えられています。

『 十日十夜別時念仏会 』 真如堂
   11月5日~15日
   十日十夜の間念仏を唱えて極楽往生を願う行事。
   15日には本尊・阿弥陀仏( 秘仏 )の御開帳や、
   小豆粥の接待( 有料 )もある。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年11月10日

大原

 『 大原 』

  三千院寂光院 など 紅葉の名所 が点在する 『 大原 』 ( おおはら ) は、日本海側から京都へ上る主要街道上の入り口として古くから栄え、比叡山から連なる山々が周りを囲む自然豊かな山間の里です。

  平安初期、延暦寺の僧 ・ 円仁 ( えんにん ) は静寂なこの地を 浄土信仰の聖地 と定め、声明 ( しょうみょう : 僧が唱える仏教声楽 ) の道場として 「 魚山大原寺 」 ( ぎょざんたいげんじ ) を創建しました。

  『 大原 』 という地名は、魚山大原寺に由来すると伝えられています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)八瀬・大原

2011年11月09日

神護寺

  『 神護寺 』

  紅葉の名所・高雄 の古刹 『 神護寺 』 ( じんごじ ) は、天応元 ( 781 ) 年に創建された 高雄山寺 と、和気清麻呂 ( わけのきよまろ : 平安初期の貴族 ) が河内国 ( 現・大阪府南東部 ) に建立した 神願寺 ( じんがんじ ) が天長元 ( 824 ) 年に当地へ移されて合併し、神護国祚真言寺 ( じんごこくそしんごんじ ) と称されたことに始まると伝えられています ( 諸説あり )。

  平安中期に一時衰退しましたが、寿永3 ( 1164 ) 年、僧・文覚 ( もんがく ) によって中興され、室町後期の応仁の乱で再び寺勢は衰えましたが、豊臣秀吉や徳川家康などによって修復されて現在に至っています。

神護寺・大師堂の特別公開 & 金堂の夜間特別拝観
 11/1(火)~15(火)

11/23(水・祝) 京都さんぽ
『 紅葉の高雄から清滝の渓谷へ 』
詳細&お申し込みは、らくたびHPこちら )へ♪
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)三尾・周山街道

2011年11月08日

秋晴れの京都、赤山禅院へ

今日は 京都リビング現地散策講座 ≪ 親鸞の足跡を巡る旅 ≫ の最終回が開催されて、比叡山の麓に広がる 修学院一乗寺 界隈の社寺史跡を巡ってきました。 立冬を迎えた今朝、京都もグッと気温が下がりましたが、昼は素晴らしい秋晴れに恵まれて、ぽかぽか暖かい陽気に包まれて散策日和となりました ( 笑 )

赤山禅院 は延暦寺の別院として創建された格式ある歴史を有し、祀られている 赤山大明神天台宗の守護神 であるとともに、平安京の表鬼門の守護神 としても厚く崇められてきました。



拝殿の上をよく見ると、都に災いがないよう 鬼門封じ として祀られた “ 猿 ” が見られ、“ 猿 ” は災いが “ 去る ” に通じる縁起とされてきました。



毎年11月23日には数珠供養が執り行われることでも知られ、境内に大きな数珠がいくつも祀られています。



赤山禅院の後は、曼殊院詩仙堂 を巡り、親鸞聖人ゆかりの 北山別院 を参拝して無事に終了となりました ( 笑 )

さて、明日はいよいよ KBS京都ラジオ とタイアップした散策企画 ≪ おきものたび ≫ が開催されます。 私も着物を着てリスナーの皆さんと一緒に八坂神社や高台寺を巡り、料亭・中村楼でランチをいただく予定です。 無事に着物を着ることができるでしょうか?! ( 笑 )
  

Posted by 若村 亮  at 18:02Comments(0)らくたび日記

2011年11月08日

三尾

 『 三尾 』

  平安の昔から 紅葉の名所 として知られる 高雄『 三尾 』 ( さんび ) は、山間部に位置することから京都市内よりも一足早く11月中旬より 美しい紅葉の彩り を楽しむことができます。

  『 三尾 』 とは、高尾 ( たかお : 高雄 )、槙尾 ( まきのお )、栂尾 ( とがのお ) と呼ばれる、清滝川に沿って点在する三地名を総称したもので、地名それぞれに 「 尾 」 が付くことから 『 三尾 』 と呼ばれるようになりました。

  高雄 には 神護寺槙尾 には 西明寺栂尾 には 高山寺 という古刹が点在し、いよいよ静寂の境内に紅葉が彩りを添える季節を迎えます。

11/23(水・祝) 京都さんぽ
『 紅葉の高雄から清滝の渓谷へ 』
詳細&お申し込みは、らくたびHPこちら )へ♪
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)三尾・周山街道

2011年11月07日

藤袴

 『 藤袴 』

  奈良時代の万葉集にも詠まれた秋の七草のひとつ 『 藤袴 』 ( ふじばかま ) は、キク科の多年草で、かつては日本各地の河原などに群生していましたが、現在ではすっかり姿を消して 準絶滅危惧種 ( 環境省レッドリスト ) に指定されています。

  昔から乾燥した藤袴は 香料 として重宝され、平安時代の宮中では女性達が香袋に藤袴を入れて十二単にしのばせていました。 源氏物語第30帖 の巻名は、夕霧が詠んだ和歌にちなんで 「 藤袴 」 と名付けられています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年11月06日

黄石公

 『 黄石公 』

  古代中国・秦時代の末、政治家・張良 ( ちょうりょう ) は秦の始皇帝の暗殺に失敗して身を隠していた時、『 黄石公 』 ( こうせきこう ) と呼ばれる 仙人 と出会って 兵法書 を授けられ、後に漢の高祖を助けて秦を滅ぼして漢の建国に尽力しました。

  道教の仙人・黄石公 は太公望と並んで 兵法の祖 として仰がれ、また 長生き をした仙人とも伝えられ、3000年~4000年に一度だけ水面から顔を出すという亀を 3~4回も見たといわれています。

  仁和寺・金堂 の屋根上に 亀に乗った黄石公の瓦飾り があり、永遠を象徴する縁起物 として安置されています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(2)花園周辺

2011年11月05日

玄関

 『 玄関 』

  一般的に 建物の正面の出入り口 『 玄関 』 ( げんかん ) といいますが、その語源は “ 玄妙の道に入る関所 ” ともいわれ、禅寺 において 悟りを求める道入り口 となる のことを 「 玄関 」 と呼ぶことに由来しています。

  “ 玄妙 ” ( げんみょう ) とは 道理や技芸が奥深い微妙な様子 を表す言葉で、禅寺で追い求める悟りの道は奥深く玄妙であることから、禅寺・方丈の入り口に立つ門を “ 玄妙の道に入る関所 ” として 「 玄関 」 と呼ぶようになったと伝えられています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(2)言葉コラム

2011年11月04日

月輪陵

 『 月輪陵 』

  泉涌寺 ( せんにゅうじ ) は 皇室の菩提寺 として格式高い歴史を受け継ぎ、「 御寺 」 ( みてら ) と呼ばれています。

  泉涌寺境内の東には 『 月輪陵 』 ( つきのわりょう ) と呼ばれる 天皇の陵墓灰塚 などがあり、鎌倉時代の第87代・四条天皇 をはじめ、江戸時代の第108代・後水尾天皇 から第120代・仁孝天皇 までの25陵・5灰塚・9墓が営まれています。

  また月輪陵の背後の山腹には、南に第121代・孝明天皇後月輪東山陵、北に 英照皇太后後月輪東北陵 が築かれています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)仏教コラム

2011年11月03日

嵯峨菊

 『 嵯峨菊 』

  菊の原産地は中国であり、日本へは奈良時代の遣唐使によって漢方薬の一種・薬用植物として伝来し、齢草 ( よわいぐさ ) や 百代草 ( ももよぐさ ) など 長寿 にちなんだ名前で呼ばれています。

  平安時代のある秋のこと、嵯峨天皇大沢の池菊ケ島 に自生していた美しい野菊を手折られて 嵯峨離宮 ( 現在の 大覚寺 ) の瓶に挿して愛でたと伝えられ、古典菊 『 嵯峨菊 』 ( さがぎく ) として 王朝の気品 を今に伝えています。

『 嵯峨菊展 』  大覚寺
   11月1日 ~ 30日
   江戸期に品種改良が進んだ古典菊の一種の嵯峨菊
   茶筅を立てたような珍しい可憐な花
   嵯峨菊600鉢が優雅な王朝の花を咲かせて魅了します
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2011年11月02日

京都御所 秋の一般参観

今日は秋晴れの下、京都御所 を巡る京都さんぽへ行ってきました。 いつもは皆さまの案内役で京都を巡っていますが、本日の散策は森講師の担当なので、私はただ単純に楽しく散策させてもらいました ( 笑 )

承明門 から仰ぐ紫宸殿


今日は平日とあって、週末の土日に比べると参観者は少なくて、ゆっくりと宮中の雅に満ちた御所建築を拝見することができました。 こちらは京都御所の正殿にあたり、天皇の即位式など国家的な儀式を執り行う 紫宸殿 ( ししんでん ) です。 手前の樹木は 右近の橘 で、反対側には一対となる 左近の桜 も植えられています。

紫宸殿


紫宸殿の中央奥には 天皇の玉座 にあたる 高御座 ( たかみくら ) が置かれています。 現在の高御座は、大正天皇の即位式の際に造られたもので、昭和天皇も今上天皇も高御座に座して即位式を執り行っています。

紫宸殿高御座


古来、日本は 天皇の正式な在所 をあらわす 玉座 ( 現在は 高御座 ) がある場所が首都と定義されてきた経緯があり、そういう解釈から歴史学者の中には現在でも 首都は玉座のある京都である! という学説が生きています ( 笑 ) 日本国憲法にも首都を定める規定はなく、明治天皇も東京遷都の詔 ( みことのり : お言葉 ) を発していないことも、その裏付けとなっています。 しかし、国際的にも首都は東京ですね ( 笑 )

御池庭


さて、明日は 「 初めての仏像 」 と題した仏像入門講演があるために、首都・東京へ日帰りで行ってきます~!
  

Posted by 若村 亮  at 18:42Comments(2)らくたび日記

2011年11月02日

小御所

 『 小御所 』

  広大な 京都御所 の中、正殿・紫宸殿の東北に建つ建物は 『 小御所 』 ( こごしょ ) と呼ばれ、かつて平安時代には 皇太子の御殿 として 昭陽舎代 ( しょうようしゃだい ) とも呼ばれ、鎌倉時代になって幕府の制度が宮中に取り入れられて 小御所 の名称になったと伝えられています。

  主に 皇太子立太子礼元服式 や用いられていましたが、江戸時代には 幕府の使者大名 と会う際にも用いられ、幕末の慶応3 ( 1867 ) 年12月には維新後の政治体制が決定された歴史的な 小御所会議 が開かれました。

『 京都御所 秋の一般公開 』
 10/31(月)~11/6(日) 9:00 ~ 15:30
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)御所・糺ノ森

2011年11月01日

紫宸殿

 『 紫宸殿 』

  京都御所正殿 である 『 紫宸殿 』 ( ししんでん ) は、天皇の即位式 など 国家的な儀式 を執り行う建物として京都御所内で最も格式高い建物とされています。

  「 宸 」 ( しん ) の文字は古来、天皇の住まい を表して用いられ、また 天皇に関する物事に冠する言葉 としても用いられたことから、宸意 ( しんい : 天皇の意向 )、宸翰宸筆 ( しんかん / しんぴつ : どちらも 天皇直筆の文書 の意 ) などの言葉が伝えられています。

  現存する京都御所の紫宸殿は、安政2(1855)年に再建された建築物です。

『 京都御所 秋の一般公開 』
 10/31(月)~11/6(日) 9:00 ~ 15:30  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)御所・糺ノ森