2008年09月30日

東寺

 『 東寺 』

  水に浸した大豆をすりつぶし、水を加えて煮立てて漉 ( こ ) した乳状の液を 「 豆乳 」 ( とうにゅう ) と言い、それを苦汁 ( にがり ) で固めると 「 豆腐 」 ができ、煮立てて表面にできた薄皮をすくい上げると 「 湯葉 」 ( ゆば ) ができます。

  「 湯葉 」 には 『 東寺 』 という別称があり、寺院の東寺で最初に作られたと伝えられています。

  湯葉を用いた揚げ物を 「 東寺揚げ 」、白身魚や野菜などを湯葉で巻いた料理を 「 東寺巻き 」 といい、これらはすべて湯葉を使った料理です。  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)言葉コラム

2008年09月29日

ひし伊

今日は大阪の産経新聞 「 ウェーブ産経 」 で募集したツアーに講師として同行してきました。

小雨が降り続き、かなり肌寒い一日でしたが、映画ゆかりの太秦を巡って広隆寺の弥勒菩薩像を拝観して終了しました。

今日は、広隆寺前の京料理 ひし伊 さんで美味しい昼食をいただきました ( 笑 )

リンク : ひし伊  

Posted by 若村 亮  at 21:26Comments(0)携帯から京都

2008年09月29日

護持僧

 『 護持僧 』

  『 護持僧 』 ( ごじそう ) とは、天皇が日常生活の居所とした清凉殿 ( せいりょうでん ) の二間に侍して、天皇を護持する ために日夜、勤行する僧侶 のことを言います。

  護持僧の制度は桓武天皇の時にはじまり、東寺 ( 真言宗 ) ・ 延暦寺 ( 天台宗山門派 ) ・ 園城寺 ( 天台宗寺門派 : 通称 三井寺 ) の高僧に限って選ばれてきました。

  夜も一晩中、天皇のそばに侍して、万一の危急があった時に 加持祈祷 を執り行うため、「 夜居 ( よい ) の僧 」 とも呼ばれていました。  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2008年09月28日

四つ葉タクシー

帰りにパッと手を上げてタクシーに乗ったら、なんと!ヤサカタクシーさんの 四つ葉タクシー でした!

らくたび文庫やテレビ出演をご覧になっていただいていたようで、乗ってすぐに京都観光の話題で盛り上がり、まったく四つ葉タクシーということに気付かず、降りる前に乗車記念のシールをいただいて初めて 「 あ! 」 って気付きました。

“ 幸せを運ぶタクシー ” に乗ったので、何かいいことがありそうでーす ( 笑 )  

Posted by 若村 亮  at 18:52Comments(4)携帯から京都

2008年09月28日

二条城

今日は 近鉄文化サロン 「 京都のかくれた寺と味めぐり 」 の現地講座で、京都府庁や二条城へ行ってきました。

こちらは二条城の本丸に残る、天守閣跡から見た本丸御殿です。

奥には比叡山と東山連峰が望めます!  

Posted by 若村 亮  at 18:44Comments(0)携帯から京都

2008年09月28日

観世水

 『 観世水 』

  室町幕府 3代将軍・足利義満能楽 を好み、猿楽大和四座のひとつ 結崎座 ( ゆうざきざ : 後の 観世座 ) の始祖とされる父・観世清次 ( かんぜきよつぐ ) に 観阿弥 ( かんあみ )、その子・元清 ( もときよ ) に 世阿弥 ( ぜあみ ) の法名を授け、また現在の今出川大宮辺りに屋敷地を与えました ( 現在の 観世町 )。

  観世屋敷は後の応仁の乱で焼失しましたが、屋敷内の 鎮守社井戸 が今も西陣中央小学校の敷地内に残されています。

  かつて観世井に竜神が降り立ち、水面が常に動いて波紋を作ったと伝えられ、それが観世流の紋様 『 観世水 』 ( かんぜみず ) となっています。

地図 : 観世町  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)西陣・北野

2008年09月27日

京都守護職

 『 京都守護職 』

  幕末に江戸幕府が設立した役職のひとつ 『 京都守護職 』 ( きょうとしゅごしょく ) は、文久2 ( 1862 ) 年、宮中の警備市中の治安維持 を目的に創設され、会津藩主・松平容保 ( かたもり ) がその任に就きました。

  現在の 京都府庁京都守護職上屋敷 が建てられていた場所にあたり、慶応3 ( 1867 ) 年 12月に京都守護職が廃止された後、その跡地に京都府庁が移転しました。

  京都府庁の正門脇に京都守護職屋敷跡を示す石碑が立っています。

地図 : 京都守護職屋敷跡碑  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)御所・糺ノ森

2008年09月26日

レストラン NOANOA

今日は 白沙村荘橋本関雪記念館 の橋本さんにお会いする機会があり、洋館を改装した素敵なレストラン 【 NOANOA 】 ( ノアノア : リンク ) へ行ってきました!

美味しいランチ料理の最後は、もちろんデザート!

デザートで一番大好きなアップルパイ ( ケーキかな? ) と、素晴らしい香りのハーブティーをいただきました ( 笑 )

※橋本さんのブログは こちら  

Posted by 若村 亮  at 16:09Comments(2)携帯から京都

2008年09月26日

武市瑞山

 『 武市瑞山 』

  幕末、土佐藩 出身の 『 武市瑞山 』 ( たけちずいざん ) は 尊王 ( そんのう : 天皇に忠義を尽くすこと ) の思想を抱いて駆け巡り、ついには藩全体の方針を尊王へと転換しました。

  しかし、その後の政変で土佐藩の方針は再び転換し ( 公武合体 へ )、文久3 ( 1863 ) 年 9月、武市瑞山は捕らえられ、後に切腹となりました。

  現在、三条小橋近くの 武市瑞山寓居跡 には、彼の功績に比べて余りにも小さな石碑が静かに佇んでいます。  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)人物コラム

2008年09月26日

雨の蛤御門

ものすごい雨が降って、KBS京都に到着した時にはズボンから水が滴りました ( 笑 )

今日のラジオは、らくたび文庫 9月の新刊から 「 京の路地裏 」 をお届けしました。

さあ、オフィスへ向かいます~!  

Posted by 若村 亮  at 09:12Comments(0)携帯から京都

2008年09月25日

栗餅!

さきほど、「 出町ふたば 」 さんの美味しい栗餅をいただきました!

豆餅は有名ですが、秋の味覚・栗のお餅も絶品ですねー ( 笑 )

こちらの栗餅は、らくたび文庫・ 9月新刊 『 京の近代建築 』 でお世話になった < ぽむ企画 > さんにいただきました、ありがとうございました!

美味しく、ペロリと食べてしまいました ( 笑 )  

Posted by 若村 亮  at 17:22Comments(2)携帯から京都

2008年09月25日

水戸黄門

 『 水戸黄門 』

  日本の朝廷を中心とする政治体制の中には、太政大臣右大臣左大臣 など様々な官職がありました。

  これらの官職には、中国の制度に当てた呼び名の 「 唐名 」 ( からな ) があり、例えば、太政大臣 ( だじょうだいじん ) は 「 相国 」 ( しょうこく )、中納言 ( ちゅうなごん ) は 「 黄門 」 ( こうもん ) と称されていました。

  ゆえに、太政大臣足利義満 が創建した寺院は 「 相国寺 」 と呼ばれ ( 一説 )、中納言水戸藩主 徳川光圀 ( みつくに ) は 「 水戸の黄門様 」 と呼ばれました。  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)人物コラム

2008年09月24日

五芒星

 『 五芒星 』

  陰陽五行説 ( いんようごぎょうせつ ) では、 という五つの元素が、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木にそれぞれ勝つとされ、その 相関関係を並列的に図案化する図形 として 『 五芒星 』 ( ごぼうせい ) が用いられてきました。

  平安時代の陰陽師 ・ 安倍晴明 は、陰陽五行説の象徴として五芒星の紋を用い、この紋が五角形の花を咲かせる 桔梗 と似ていることから 「 晴明桔梗紋 」 とも称され、現在でも晴明神社の神紋となっています。  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)言葉コラム

2008年09月24日

記念切手 【 源氏物語一千年紀 】

源氏物語一千年紀を記念した特殊切手が、9月22日に発売開始となりました。

切手のデザインには、国宝や重要文化財の 「 源氏物語絵巻 」、「 紫式部日記絵巻 」 などが取り上げられていました。

ぜひ皆さんも近くの郵便局でお買い求めくださいー!

参考 : 日本郵便  

Posted by 若村 亮  at 09:42Comments(0)携帯から京都

2008年09月24日

爽やかな朝!

京都は快晴です! 爽やかな朝を迎えました。

昨晩はKBS京都ラジオ 『 羽川英樹の京・奈良・近江☆みつけ旅 』 に出演して、ちょうど番組改編期 ( 9月→10月 ) になることから、出演者やスタッフの皆さんと軽い打ち上げに行きました。 番組は10月以降も続きますが、放送日が毎週・火曜日 → 木曜日 に変更となります。 ということで、第4火曜日に出演していた私も 第4木曜日 になりますので、次回は 10月23日 の予定です、お楽しみに♪

ちなみに昨日は、らくたび文庫 9月の新刊のご紹介を兼ねて、秋のオススメ散策についてお届けしました。 その模様は こちら よりご覧ください ( 笑 )  

Posted by 若村 亮  at 09:31Comments(0)携帯から京都

2008年09月23日

月刊らくたび通信

ただいま、KBS京都ラジオ 『 羽川英樹の京・奈良・近江☆みつけ旅 』 が始まりました!

今日の月刊らくたび通信では、らくたび文庫 9月の新刊2冊に関する話題をお届けします~。

8時5分くらいに出演します ( 笑 )  

Posted by 若村 亮  at 19:47Comments(0)携帯から京都

2008年09月23日

秋分の日

 『 秋分の日 』

  『 春分・秋分の日 』 は、太陽がほぼ真東から昇ってほぼ真西に沈み、昼夜がほぼ同時間となります。

  浄土思想 では 西方 の遙か彼方に 極楽浄土 があると考えられ、太陽が真西に沈む日に極楽浄土に想いを馳せたのが 「 彼岸 」 の始まりとなりました。

  ちなみに春分・秋分の祝日は、前年 2月1日に 国立天文台 が発表する 「 暦要項 」 ( れきようこう ) に従い、閣議 で決定されて 官報 で告示される、天文学に基づいて決定する世界的にも珍しい祝日です。  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)季節コラム

2008年09月22日

牧野省三

 『 牧野省三 』

  明治11 ( 1878 ) 年 9月22日 ( 今日 )、京都北部の北桑田郡山国村 ( 現在の京都市右京区 ) に生まれた 『 牧野省三 』 ( まきのしょうぞう ) は、旅役者・尾上松之助 を主演に映画を撮影し、これが爆発的な人気を得て、日本最初の職業的映画監督 の地位を築きました。

  大正10 ( 1921 ) 年には 「 牧野教育映画製作所 」 の撮影所として 等持院 境内に撮影所を設立し、若手の才能を育て、 「 日本映画の父 」 と呼ばれるようになりました。  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)人物コラム

2008年09月21日

普茶料理 【 閑臥庵 】

今日は 京都さんぽ閑臥庵 さんで 普茶料理 をいただいてきました!

素敵な苔庭を奥へ進むと、普茶料理をいただくお部屋があります。



普茶料理は中国風精進料理で、約400年前に黄檗宗を日本に伝えた中国の禅僧・隠元禅師によって伝えられ、薬膳料理にも通じる健康的な料理です ( 笑 )

手前のニンジンがとっても甘くて美味しかったぁ~!



建物は新しく快適な空間でしたが、その間取りは昔のままだそうです。 今日は32名のご参加をいただき、テーブルを囲んでワイワイと盛り上がりながら普茶料理をいただきました。



色鮮やかな料理~! 野菜の揚げ物です。



こちらは胡麻豆腐、プルプルしてました ( 笑 )



秋の味覚・栗をかたどった料理。 細い麺を周囲にまぶして、揚げているようです。 パリパリの食感が最高でした ( 笑 )



最後はお抹茶とお菓子。
「 閑臥庵 」 という文字が入っていました。



その後、特別公開中の 「 神秘なる砂曼荼羅 」 を拝観して、解散しました。

本日ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。
今後も料理付きの京都さんぽを定期的に開催してみたいと思います!  

Posted by 若村 亮  at 15:31Comments(2)携帯から京都

2008年09月21日

閑臥庵

 『 閑臥庵 』

  烏丸通鞍馬口東入ルに建つ 『 閑臥庵 』 ( かんがあん ) は、江戸初期に 後水尾法皇王城鎮護 のために貴船から 鎮宅霊符神 ( ちんたくれいふしん : 陰陽道の最高神 とされ、北辰 【 北極星・北斗七星 】 をあらわす神 ) を遷して祀ったことに始まります。

  閑臥庵は 黄檗宗 ( おうばくしゅう : 曹洞宗・臨済宗と並ぶ日本三禅宗のひとつ ) の禅寺で、中国伝来の精進料理である 普茶料理 ( ふちゃりょうり ) をいただくことができます。

地図 : 閑臥庵  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)御所・糺ノ森

2008年09月20日

鯖街道

 『 鯖街道 』

  京都から日本海側の 若狭 ( わかさ ) 地方へ通じる街道は 若狭街道 と呼ばれ、その街道を通じて日本海の豊かな海の幸が京都に運び込まれていました。

  特に 若狭の名産 である ( さば ) を運んだ街道であることから、昔から 鯖街道魚街道 とも呼ばれていました。

  また、若狭街道の京への出入り口 は多くの行商人が出入りする町として栄えたことから、いつしか 「 出町 」 ( でまち ) と呼ばれるようになりました。

地図 : 鯖街道口 石碑  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(2)御所・糺ノ森

2008年09月19日

台風は…

接近していた台風はもう、関西から遠ざかっているんでしょうか・・・。

西の空を見ると、青空が見えています。

明日は台風一過、快晴かな?  

Posted by 若村 亮  at 18:05Comments(0)携帯から京都

2008年09月19日

中村藤吉本店

天ヶ瀬ダムを後にして、京阪宇治駅から帰る予定でしたが、今日はいろいろとご案内していただいたので、あと1軒行きましょう!ということで、JR宇治駅前に店を構える 中村藤吉本店 へ行ってしまいました。

完全な食べ過ぎです・・・ ( 汗 )



モダンな店内ですね。



もちろん、オーダーは 「 抹茶ゼリイ 」。



つるん!とした喉ごしが最高です ( 笑 )



参考 : 中村藤吉本店 公式HP  

Posted by 若村 亮  at 16:57Comments(2)携帯から京都

2008年09月19日

天ヶ瀬ダム

宇治田原から宇治への帰り道、天ヶ瀬ダムに立ち寄ってみました。

天ヶ瀬ダムは治水目的のダムとしては淀川流域で初めてとなるダムとして建設されました。



ダムの絶壁は高さが70mもあるそうで、ちょっと足がすくみました ( 笑 )



今のところ、まったく放水していませんでしたが、台風で増水したら、ザバーっと放水されるでしょうね。

左手の建物は天ヶ瀬水力発電所です。



参考 : 天ヶ瀬ダム 公式HP  

Posted by 若村 亮  at 16:49Comments(0)携帯から京都

2008年09月19日

大西製茶場

今日は宇治田原に行ってましたが、実はいつもお世話になっている美容師さんが宇治田原に住んでいて、宇治田原めぐりをしよう!という話しから、今日のミニ旅行になりました ( 笑 )。

美容師さんの実家は、宇治田原で製茶場を営まれていて、ちゃっかり工場見学もさせてもらいました!



中に入ると、香ばしいお茶の香りが広がっていました ( 笑 )



大西製茶場のお茶は、こちら のサイトで購入できますー!  

Posted by 若村 亮  at 16:43Comments(0)携帯から京都

2008年09月19日

彼岸花

もうすぐ、お彼岸。

宇治田原の田んぼに、彼岸花が赤々と咲いています。。

  

Posted by 若村 亮  at 14:15Comments(0)携帯から京都

2008年09月19日

茶畑

宇治田原の茶畑です。

今は茶摘みの季節ではありませんが、新芽は鮮やかな緑です。

※ もうすぐ、秋の茶摘みがあるそうです。  

Posted by 若村 亮  at 13:44Comments(0)携帯から京都

2008年09月19日

永谷宗円の生家

宇治田原の茶農・永谷宗円は、元文3(1738)年に新しい煎茶製法を考案し、その名声は全国に広まり、後世に宇治田原を緑茶発祥の地と呼ぶようになりました。

その永谷宗円の生家として一部復元された家屋が石碑の奥に建っています。

永谷園の発祥地ということですね、いつもお茶漬けをいただいています~ ( 笑 )   

Posted by 若村 亮  at 13:30Comments(0)携帯から京都

2008年09月19日

抹茶パフェ

今日は宇治田原に来ています!

お茶の町・宇治田原ということで、オススメのお店で抹茶パフェをいただいています ( 笑 )

さっき、うどん大を食べたばかりで、お腹は限界に近いですが、甘味は別腹ですかね?!( 笑 )  

Posted by 若村 亮  at 12:58Comments(0)携帯から京都

2008年09月19日

黒田如水邸跡

 『 黒田如水邸跡 』

  豊臣秀吉 が造営した荘厳華麗な城郭風の邸宅は 「 聚楽第 」 ( じゅらくだい ) と呼ばれ、その北東部に 秀吉の参謀 として活躍した 『 黒田如水 』 ( くろだじょすい ) の邸宅がありました。

  本名は 黒田孝高 ( よしたか ) といい、中国攻めに向う秀吉に従って参謀として 毛利攻め などで活躍し、後に秀吉が朝鮮に出兵した 文禄・慶長の役 にも参戦しています。

  現在、黒田如水邸跡 の石碑が建つ町は 「 如水町 」 と名付けられています。

地図 : 黒田如水邸跡  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)西陣・北野