2010年03月02日

旧二条城

 『 旧二条城 』

  「 二条城 」 といえば、江戸初期に 徳川家康 が築城し、現在は世界遺産に指定されて多くの観光客が訪れる二条城が知られていますが、歴史上、「 二条城 」 と呼ばれた城はいくつも存在していました。

  その始まりは室町時代、初代将軍・足利尊氏 から3代将軍・足利義満 までが 二条通屋敷 を構えていたことから、将軍家の屋敷「 二条城 」 と呼ぶようになり、その後は二条通から屋敷が離れても、将軍の屋敷を 「 二条城 」 と呼ぶようになりました。

地図 : 旧二条城跡 ( 室町幕府15代将軍・足利義昭の居城 )
  

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2010年02月22日

小町通

 『 小町通 』

  数々の伝説を秘めた一条戻橋から東へ歩くと、一条通から北へ延びる細い道があり、その交差点の北西角に 『 小町通 』 と書かれた小さな石碑が立っています。

  平安時代、小野小町 ( おののこまち ) の名声を妬む 大伴黒主 ( おおとものくろぬし ) は、前夜に小町邸で歌を盗み聞いて 万葉集草紙 ( そうし:綴じてある本 ) に書き加えて、翌日の歌合せで小町の歌が万葉集の 盗作 だと 批判 しましたが、小町が草紙を 井戸の水で洗う と、加筆された筆書きの文字が消えて 身の潔白が証明された という物語が伝えられています。

  石碑の辺りが謡曲 「 草紙洗小町 」 の舞台とされる小野邸の井戸があった場所とされ、細い道は 小町通 と呼ばれ、石碑の側面には 小野小町雙紙洗水遺跡 と刻まれています。

地図 : 小町通 ・ 小野小町雙紙洗水遺跡 石碑
  

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2010年01月27日

大国主命

 『 大国主命 』

  神話の登場する 『 大国主命 』 ( おおくにぬしのみこと ) は、天の象徴 である 天照大神 ( あまてらすおおみかみ ) に対して、大地を象徴する神様 とされています。

  大国主命は、神徳の高さから 大物主神 ( おおものぬしのかみ ) や 大己貴神 ( おおなむちのかみ ) など、多くの別名を持つとされています。

  下鴨神社 の本殿前に並ぶ えとの社 では、十二支の守護神 として 七つの社七つの別名 で祀られ、商売繁昌・事業繁栄の信仰を集めています。

  大国魂神 ( おおくにたまのかみ )  ( 巳・未歳 守護神 )
  顕国魂神 ( うつしくにたまのかみ ) ( 午歳 守護神 )
  大国主神 ( おおくにぬしのかみ )  ( 子歳 守護神 )
  大物主神 ( おおものぬしのかみ )  ( 丑・亥歳 守護神 )
  志固男神 ( しこおのかみ )     ( 卯・酉歳 守護神 )
  大己貴神 ( おおなむちのかみ )   ( 寅・戌歳 守護神 )
  八千矛神 ( やちほこのかみ )    ( 辰・申歳 守護神 )
  

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2010年01月22日

下鴨神社

 『 下鴨神社 』

  森厳とした 糺の森 に包まれて鎮座する 『 下鴨神社 』 ( しもがもじんじゃ ) は、平安時代以前に創建された京都最古の神社のひとつで、京都盆地の北部に定住した 古代豪族賀茂氏 が祖先にあたる神様を祀る神社として創建しました。

  平安京遷都後は、国家安泰万民安寧 を願う 国家鎮守の神社 として崇められ、一定期間で社殿を新築して神様を旧殿から新殿へと遷す 式年遷宮の制 などが定められ、賀茂祭葵祭 ) は 国家の祭祀 として執り行われました。
  

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2009年11月02日

京都御所

 『 京都御所 』

  現在の 『 京都御所 』 は、平安京における 天皇の在所 であった 内裏 ( だいり ) とは場所が異なり、元弘元 ( 1331 ) 年、時の天皇が 仮御所 とした 東洞院土御門邸 ( ひがしのとういんつちみかどてい ) が、後に 正式な御所 と定められたことに始まります。

  京都御所は長い歴史の中で幾度も 火災再建 を繰り返し、現存する建物は、安政2 ( 1855 ) 年、古制に基いて再建されたものです。

『 京都御所 秋の一般公開 』
   1日(日)~10日(火) 9:00 ~ 15:30
   例年は非公開とされている御所の北側の
   皇后宮常御殿や飛香舎も見学が可能


ICON129 明日の開催です、ご参加をお待ちしています~♪
『 ものがたり観光 』 らくたび協賛事業 ( 知恵と力の博覧会 )
御所物語 11月3日(火祝)13:00~16:00  参加費 3000円
≪ 平安王朝の雅を今に伝える京都御所の伝統と文化 ≫
地下鉄・今出川駅・・・京都御所( 一般参観 )・・・京都御苑・・・幸神社・・・相国寺・・・上御霊神社・・・現地解散
■ 上記散策の詳細&お申込みは こちら をご覧ください。

知恵と力の博覧会 【 ものがたり観光 】 とは・・・
千年の都・京都には、様々な物語を秘めた社寺史跡が点在しています。
歴史に精通したガイドと、歴史物語ゆかりの地を歩いて巡ります♪
※らくたびガイドスタッフがご案内しますが、若村も同行します。

その他のコースについては こちら をご覧ください♪
  

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2009年08月19日

宗像三女神

 『 宗像三女神 』

  『 宗像三女神 』 ( むなかたさんじょじん ) とは、宗像大社 ( 福岡県宗像市 ) に祀られている 三柱の女神の総称 で、湍津姫命 ( たぎつひめのみこと )、市杵島姫命 ( いちきしまひめのみこと )、田心姫命 ( たごりひめのみこと ) と呼ばれています。

  宗像大社玄界灘 に面した 海上交通の要衝 にあり、古くから 海の神航海の神 として崇められてきました。

  平安末期には、平清盛 が大陸との 貿易航路の守護神 として安芸の 厳島神社 ( いつくしまじんじゃ : 広島県 ) に祀るなど、広く信仰されてきました。

  現在、京都御苑の九条家邸宅跡内に鎮座する 厳島神社 には、安芸の厳島神社から勧請 ( かんじょう : 神様の分霊を他の場所に移し祀ること ) された 宗像三女神 と、祗園女御 ( ぎおんにょうご : 平清盛の母 ) が合わせ祀られています。

地図 : 厳島神社 ( 京都御苑内 )
  

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2009年06月07日

糺の森

 『 糺の森 』

  高野川賀茂川 が合流する三角州地帯に広がる森林は、古くから 『 糺の森 』 ( ただすのもり ) と呼ばれています。

  太古の昔から広大な 原生林 が一帯に広がっていましたが、長い歴史の中で戦乱や政策などによって森林は小さくなり、現在では約12万4千平方メートル ( 東京ドームの約3倍 ) の森林となっています。

  糺の森には 下鴨神社 が鎮座し、平安時代から天皇や貴族が 禊ぎ祓いの地 として訪れ、『 源氏物語 』 や 『 枕草子 』 などの物語にも登場しています。

地図 : 糺の森
  

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2009年05月07日

斯波義将 邸宅跡

 『 斯波義将 邸宅跡 』

  室町幕府 における 第一の重職 で、足利将軍家補佐 して 幕府の政務全般を統轄 する役職を 管領 ( かんれい )といいます。

  南北朝から室町時代にかけて活躍した武将 ( 守護大名 ) の 『 斯波義将 』 ( しばよしまさ ) は、管領として幕府の制度を整備し、幕政の基礎を固めた人物として知られています。

  上京区武衛陣町 には 斯波義将の邸宅跡 を示す石碑が立ち、付近の町名・武衛 ( ぶえい ) とは、兵衛府 ( ひょうえふ : 警護の兵を監督して天皇の身辺警固を司った官職 ) の 兵衛督 ( ひょうえのかみ:兵衛府の長官 ) をつとめた斯波氏の家号に由来しています。

地図 : 斯波義将邸宅跡の石碑 ( 上京区武衛陣町 )
  

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2009年04月23日

皇后宮常御殿

 『 皇后宮常御殿 』

  今年は 天皇皇后両陛下御結婚満50年 を迎えることから、4月下旬に京都御所が特別公開されます。

  春と秋に催される例年の一般公開コース ( 紫宸殿・清涼殿・小御所など ) に加えて、通常は非公開の 皇后宮常御殿飛香舎若宮姫宮御殿朔平門 などが特別に公開されます。

  『 皇后宮常御殿 』 ( こうごうぐうつねごてん ) とは、かつて皇后や女性女官などが日常を過ごした 男子禁制エリア で、天皇が日常を過ごした 御常御殿 ( おつねごてん ) のはるか北側に位置しています。


天皇皇后両陛下御結婚満50年記念
京都御所特別公開

  4月23日 ( 木 ) ~ 29日 ( 水・祝 )
  午前9時 ( 開門 ) ~ 午後3時30分 ( 閉門 )  

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2009年04月01日

京都府庁旧本館・中庭

 『 京都府庁旧本館 ・ 中庭 』

  明治37 ( 1904 ) 年に竣工した 京都府庁舎 ( 現在の 旧本館 ) は、現役の官公庁舎としては日本最古の建物となります。

  京都府技師の松室重光など日本人建築家によって設計され、外観は ネオ・ルネサンス様式の煉瓦造 で、ロの字型の建物には正庁や知事室・議場など大小55室が設けられています。

  建物に囲まれた中庭は、7代目・小川治兵衛 によって設計された庭園であり、春になると見事な枝垂れ桜が満開の花を咲かせます。

『 京都府庁旧本館 春の一般公開 ・ 観桜会 』  京都府庁
   3月23日(月)~ 4月5日(日) 10時~18時
   旧知事室、正庁、旧貴賓応接室、などを公開
   中庭の見事な枝垂れ桜も一般公開

   参考 : 京都府庁 旧本館 観桜会と開花状況  

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2009年02月21日

一条通

 『 一条通 』

  平安時代の 『 一条通 』 は平安京の北端の大路にあたり、その一条通が堀川をまたぐ橋がご存知 「 一条戻橋 」 です。

  平安時代の学者・三善清行 の葬列がこの橋を渡る際、父の訃報に急ぎ紀州から帰った息子の 浄蔵 が棺にすがって祈ると、父が一時生き返って抱き合ったと伝えられ、以来 「 戻橋 」 と呼ばれるようになりました。

  一条通をさらに西へ歩くと 大将軍商店街 となり、ここは室町時代、捨てられた道具が恨みから妖怪になって夜行した という伝説が残されています。  

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2009年01月16日

仙洞御所

 『 仙洞御所 』

  京都御所の隣りに位置する 『 仙洞御所 』 ( せんとうごしょ ) は、江戸初期、江戸幕府によって 後水尾上皇 のために二条城の行幸御殿 ( みゆきごてん ) を移築して造営されました。

  その後に幾度も火災に遭い、建物は焼失したままで再建されていませんが、庭園は当時の姿をよく残しています。

  寛永13 ( 1636 ) 年に 小堀遠州 によって作庭され、のちの寛文4 ( 1664 ) 年に後水尾上皇によって修築されたとも伝えられ、四季折々の趣きを楽しめる名庭です。  

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2008年12月09日

王政復古の大号令

 『 王政復古の大号令 』

  江戸幕府15代将軍・徳川慶喜 が征夷大将軍の職を辞して政権を朝廷に返上する 「 大政奉還 」 ( たいせいほうかん ) を宣言し、慶応3(1867)年12月8日、京都御所内の小御所で 「 小御所会議 」 ( こごしょかいぎ ) が開かれました。

  今後の方針を決めるため、天皇や公家、主な大名や藩士が集まって会議を行い、翌12月9日、朝廷は 『 王政復古の大号令 』 ( おうせいふっこのだいごうれい ) を発して、政権が幕府から朝廷に移ったことを宣言しました。  

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2008年09月27日

京都守護職

 『 京都守護職 』

  幕末に江戸幕府が設立した役職のひとつ 『 京都守護職 』 ( きょうとしゅごしょく ) は、文久2 ( 1862 ) 年、宮中の警備市中の治安維持 を目的に創設され、会津藩主・松平容保 ( かたもり ) がその任に就きました。

  現在の 京都府庁京都守護職上屋敷 が建てられていた場所にあたり、慶応3 ( 1867 ) 年 12月に京都守護職が廃止された後、その跡地に京都府庁が移転しました。

  京都府庁の正門脇に京都守護職屋敷跡を示す石碑が立っています。

地図 : 京都守護職屋敷跡碑  

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2008年09月21日

閑臥庵

 『 閑臥庵 』

  烏丸通鞍馬口東入ルに建つ 『 閑臥庵 』 ( かんがあん ) は、江戸初期に 後水尾法皇王城鎮護 のために貴船から 鎮宅霊符神 ( ちんたくれいふしん : 陰陽道の最高神 とされ、北辰 【 北極星・北斗七星 】 をあらわす神 ) を遷して祀ったことに始まります。

  閑臥庵は 黄檗宗 ( おうばくしゅう : 曹洞宗・臨済宗と並ぶ日本三禅宗のひとつ ) の禅寺で、中国伝来の精進料理である 普茶料理 ( ふちゃりょうり ) をいただくことができます。

地図 : 閑臥庵  

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2008年09月20日

鯖街道

 『 鯖街道 』

  京都から日本海側の 若狭 ( わかさ ) 地方へ通じる街道は 若狭街道 と呼ばれ、その街道を通じて日本海の豊かな海の幸が京都に運び込まれていました。

  特に 若狭の名産 である ( さば ) を運んだ街道であることから、昔から 鯖街道魚街道 とも呼ばれていました。

  また、若狭街道の京への出入り口 は多くの行商人が出入りする町として栄えたことから、いつしか 「 出町 」 ( でまち ) と呼ばれるようになりました。

地図 : 鯖街道口 石碑  

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2008年08月26日

後水尾天皇髪歯塚

 『 後水尾天皇髪歯塚 』

  江戸初期に皇位を継承した第108代・後水尾天皇 ( ごみずのお ) は、江戸幕府による 「 禁中並公家諸法度 」 など皇室への圧力に抵抗し、第109代・明正天皇 ( めいしょう ) に皇位を譲りました。

  その後、第110代・後光明天皇 ( ごこうみょう )、第111代・後西天皇 ( ごさい )、第112代・霊元天皇 ( れいげん ) と4代の天皇、51年間に渡って 院政 ( いんせい : 上皇として政治を行なう ) を行いました。

  相国寺の境内には、後水尾天皇の毛髪や歯を納めた 『 後水尾天皇髪歯塚 』 ( はつしつか ) が現存しています。

地図 : 後水尾天皇髪歯塚  

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2008年08月22日

新島旧邸

 『 新島旧邸 』

  寺町通丸太町を少し北へ歩くと、同志社の創立者・新島襄 ( にいじまじょう ) の旧宅が残されています。

  明治11 ( 1878 ) 年に竣工し、外観は コロニアルスタイル ( 17~19世紀、植民地時代のアメリカの建築様式 ) を基本としながらも、構造は 和風寄棟木造二階建て住宅 であり、内部には 畳敷箱階段 などの伝統的手法も用いられています。

  明治初期に作られた 国産の洋家具 が数多く見られるなど、当時の貴重な面影を残しています。

地図 : 新島旧邸  

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2008年07月29日

建春門

 『 建春門 』

  京都御所の築地に設けられた御門のうち、『 建春門 』 ( けんしゅんもん ) は 勅使 ( ちょくし : 天皇の意思を伝える使い ) の出入りに用いられていましたが、明治以降は 皇后皇太子 の出入りする門として用いられています。

  また、宜秋門 ( ぎしゅうもん ) は別名・公家門 とも呼ばれ、親王 ( しんのう : 天皇の兄弟や皇子など皇族の男子 ) や 公家 などが出入りする門として用いられました。

  その他、清所門 ( せいしょもん ) は別名・御台所御門 とも呼ばれ、御所の勝手口 といえる通用門として用いられました。

※写真は、京都御所の南西にある 「 宜秋門 」 です。  

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2008年07月28日

建礼門

 『 建礼門 』

  京都御所 を取り囲む高い築地 ( ついじ ) には、御所の正門にあたる 『 建礼門 』 ( けんれいもん ) が南側正面に位置し、その建礼門から時計回りに、宜秋門 ( ぎしゅうもん )、清所門 ( せいしょもん )、皇后門 ( こうごうもん )、朔平門 ( さくへいもん )、建春門 ( けんしゅんもん ) が構えられています。

  各門は通過する人物や用途によって使い分けられ、御所の正門にあたる 建礼門 は、天皇国賓 が来られた際など特別な行事の時のみ開かれます。  

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2008年06月18日

西園寺の梵鐘

 『 西園寺の梵鐘 』

  西園寺の現在の本堂は、江戸中期の天明の大火後に再建された建物で、堂内には 恵心僧都 ( えしんそうず : 平安中期の天台宗の僧 ) の作と伝えられる 本尊・阿弥陀如来像 ( 重要文化財 ) が祀られています。

  また、境内の 梵鐘 は、戦時中に不足した 鉄や銅の供出 により、銅精錬所で溶解される直前に終戦となって当寺に戻ってきたものと伝えられ、梵鐘の側面には 銅の組成を調べるために開けられた穴 が名残りとしてみられます。  

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2008年06月17日

西園寺

 『 西園寺 』

  『 西園寺 』 ( さいおんじ ) は、正しくは 山号・宝樹山 ( ほうじゅざん )、寺号・竹林院 ( ちくりんいん ) といい、浄土宗の寺院です。

  元仁元 ( 1224 ) 年、藤原公経 ( きんつね : 鎌倉前期の公卿 / 西園寺公経 ) が衣笠山の麓に壮麗な堂宇を建立して 「 西園寺 」 と称したのが始まりと伝えられています。

  その後、足利義満北山殿 ( 金閣寺 ) を創建した際、西園寺は室町に移り、さらに天正18 ( 1590 ) 年、現在地の鞍馬口寺町下ルに移転しました。

地図 : 西園寺


西園寺公経 【 さいおんじ きんつね 】
1171-1244年、鎌倉前期の公卿。 藤原氏。 承久の乱後、内大臣、太政大臣。 京都北山の別荘に西園寺を建立し、これが家名となる。 歌人としては新古今和歌集以下の勅撰集に114首入集。  

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2008年06月02日

阿弥陀寺

 『 阿弥陀寺 』

  天正10 ( 1582 ) 年 6月2日、織田信長 の宿所である 本能寺 を配下の武将・明智光秀 が取り囲んで謀反を起こし、燃える寺院の中で信長は自刃しました ( 本能寺の変 )。

  織田家ゆかりの僧・清玉 ( せいぎょく ) 上人 は本能寺での異変を察知して駆けつけましたが、すでに信長は亡くなっており、近習の武士に託された信長の遺骸を持ち帰ったと伝えられています。

  清玉上人が創建した 『 阿弥陀寺 』 には、今も 織田信長の墓 があり、ここで静かに眠っています。

地図 : 阿弥陀寺  

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2008年04月12日

御車返しの桜

 『 御車返しの桜 』

  京都御苑の中立売御門から御所へ進むと、左手に柵で囲われた桜の大樹があります。

  この桜の名前は 『 御車返しの桜 』 ( みくるまかえしのさくら ) といい、一重と八重の桜花が入り交じって咲く、世に名高い名桜です。

  江戸初期、この桜の前を御車で通り過ぎた 後水尾天皇 は、あまりの美しさに魅せられて、御車を返してもう一度その桜を愛でた と伝えられています。

  京都では幾つかの社寺でも、古都にふさわしい雅の名桜 「 御車返しの桜 」 を愛でることができます。  

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2008年03月23日

上御霊神社

 『 上御霊神社 』

  『 上御霊神社 』 ( かみごりょうじんじゃ ) は、延暦13 ( 794 ) 年の平安京遷都に際し、桓武天皇 によって 王城鎮護の神社 として創建されました。

  創建当初は奈良時代から平安初期にかけて不運の死をとげた 早良親王 など 八柱の神霊 を祀り、のちに明治天皇の御願によって五柱が合せ祀られ、現在は十三柱の神霊を祀っています。

  平安時代より怨霊を鎮める 御霊信仰 の神社として厚く信仰され、怨霊をなだめ祀るための 御霊会 ( ごりょうえ ) が幾度も行われてきました。

地図 : 上御霊神社  

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2008年03月16日

鷹司邸跡

 『 鷹司邸跡 』

  鎌倉時代以降、天皇を助けて政務をつかさどる摂政・関白の重職を任ぜられる、公家の 近衛家九条家二条家一条家鷹司家 の五家を 「 五摂家 」 ( ごせっけ ) といいます。

  『 鷹司家 』 ( たかつかさけ ) は、鎌倉中期に藤原北家嫡流の近衛家実の四男兼平を祖とする公家の名家です。

  戦国時代には鷹司忠冬を最後に一度断絶しましたが、江戸初期に二条信房が鷹司家を再興し、江戸後期から幕末にかけては鷹司家が関白を務めることが多く、名家として近代まで続きました。

地図 : 京都御苑内 鷹司邸跡  

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2008年03月04日

紫宸殿

 『 紫宸殿 』

  内裏 ( 御所 ) の正殿は 『 紫宸殿 』 ( ししんでん ) と呼ばれ、現・京都御所の紫宸殿は安政2 ( 1855 ) 年、古制にならって造営されました。

  紫宸殿の正面には 十八段の階段 があり、この階段から 天皇 は紫宸殿に 昇殿 したとされています。

  古くから中国の 陰陽思想 において、奇数「 陽数 」 ( 偶数 は 「 陰数 」 ) と考えられ、陽数の極みである 「 九 」 は最も好まれる幸運の数字とされてきました。

  つまり、紫宸殿の十八階段とは、陽数の極み 「 九 」 が重なる階段というわけです。  

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2008年02月06日

高御座

 『 高御座 』

  天皇の位につく即位式など、朝廷の儀式の際に紫宸殿の中央に設けられた天皇が着座する座を 『 高御座 』 ( たかみくら ) といいます。

  現在の高御座は大正天皇の即位の際に古式に則って作られたもので、黒塗りの壇上に八角形の屋根を据えて、帳 ( とばり : 垂れ下げて隔てとする布 ) をめぐらし、内部に椅子が据えられています。

  日本では古来より 高御座のあるところが天皇の在所 とされ、現在も京都御所の紫宸殿にあることから、京都御所正式な皇居 とする考えが存在しています。  

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2008年01月18日

仙洞御所

 『 仙洞御所 』

  京都御所の隣りに位置する 『 仙洞御所 』 ( せんとうごしょ ) は、江戸初期、江戸幕府によって 後水尾上皇 のために二条城の行幸御殿 ( みゆきごてん ) を移築して造営されました。

  その後に幾度も火災に遭い、建物は焼失したままで再建されていませんが、庭園は当時の姿をよく残しています。

  寛永13 ( 1636 ) 年に 小堀遠州 によって作庭され、のちの寛文4 ( 1664 ) 年に後水尾上皇によって修築されたとも伝えられ、四季折々の趣きを楽しめる名庭です。

地図 : 仙洞御所  

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2007年12月15日

室町幕府

 『 室町幕府 』

  源頼朝が鎌倉に開いた 鎌倉幕府 と、徳川家康が江戸に開いた 江戸幕府 は、どちらも幕府が開かれた 都市の名前 が幕府の名前となりました。

  室町幕府の名前の由来は、現在の京都御所の北西にあたる室町北小路に室町幕府3代将軍 足利義満「 花の御所 」 と呼ばれる広大な邸宅を造営し、その邸宅の正門が 室町通 に面していたことより、邸宅は 室町殿、幕府は 『 室町幕府 』 と呼ばれるようになりました。

  現在の室町通は小さな通りですが、歴史に大きく名前を刻んでいます。  

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