2016年08月22日

8/27(土)開催予定 ≪ 京の名水で一服 ≫ in らくたび京町家

今年も 京の名水 で一服する茶会 「 名水ゆるり茶会 」 の季節到来です!

昨年の看板


京都には歴史ある名水が数々伝えられ、社寺や街角で涌き続けています。



それらの名水を汲んできて、らくたび京町家名水を飲み比べて・・・

昨年の名水あれこれ ( 今年は昨年とは異なる名水も予定 )


それら名水の中から、今年はある 歴史的な名水 をピックアップして、その 名水にちなんだ和菓子 も準備して、今週末 8/27(土)「 名水ゆるり茶会 2016 」 を催します♪



涼しさをもたらす 冷水仕立てお抹茶、どうぞ、お楽しみください ( 笑 )



それぞれの名水ゆかりの社寺や名水の歴史なども講義します。

まだ、今週末のゆるり茶会はご参加の人数に余裕がありますので、どうぞ、みなさまのご参加をお待ちしています!

◎ 8/27(土) 12時~14時 名水ゆるり茶会 ◎
詳細&申込は公式HP http://www.rakutabi.com/yururi_chakai.html#s20160827

※ らくたび主催・毎月開催の 「 ゆるり茶会シリーズ 」 は、本格的な茶会ではなく、あくまでも楽しく季節ごとに趣向を凝らした和菓子とお抹茶をいただく気軽なイベント茶会です。どうぞ、お気軽にご参加lください♪
  

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2016年07月18日

祇園祭・無言詣

 『 祇園祭・無言詣 』

  昨日 ( 17日 )、八坂神社の神輿四条寺町御旅所 へ奉安 ( ほうあん : 尊い物を安置すること ) されました。

  神輿は三基 あり、素戔嗚尊 ( すさのおのみこと ) を祀る 中御座 ( なかござ )、櫛稲田姫命 ( くしいなだひめのみこと ) を祀る 東御座八柱御子神 ( やはしらのみこがみ ) を祀る 西御座 です。

  24日の還幸祭で神輿が八坂神社へ戻るまでの 七日七夜誰ともしゃべらずに御旅所の神輿前に詣でる心願が成就する という 『 無言詣 』 ( むごんまいり ) の習わしがあり、舞妓さんや芸妓さんが願いを込めて無言詣をおこないます。
  

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2016年07月17日

祇園祭・神幸祭

 『 祇園祭・神幸祭 』

  山鉾巡行が終わると、祇園祭で最も重要な神事 『 神幸祭 』 ( しんこうさい ) がおこなわれます。

  17日の夕刻、八坂神社神霊 を遷した 三基の神輿 が神社を出発し、法被姿の氏子達が荒々しく担いで 氏子町を巡行 します。 夜、三基の神輿は四条寺町にある 御旅所 ( おたびしょ : 神輿を迎えて奉安する所 ) に入り、還幸祭 ( かんこうさい : 24日 ) までの7日間、町内に滞在します。

  八坂神社の神様を迎える 神幸祭還幸祭 は、平安時代に始まる 祇園御霊会の古式を今に伝える神事 です。
  

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2016年07月16日

祇園祭・前祭の山鉾巡行

 『 祇園祭・前祭の山鉾巡行 』

  全32基の山鉾が都大路を巡行する 祇園祭『 前祭・山鉾巡行 』 ( さきまつり・やまぼこじゅんこう : 7月17日 ) は、四条麩屋町において 長刀鉾稚児 による 注連縄切り が行なわれ、“ エンヤラヤア ” の掛け声とともに巡行がはじまります。

  四条烏丸を出発した山鉾は、四条堺町で巡行順を改 ( あらた ) める くじ改め を行い、四条河原町などの交差点において方向転換をする 辻まわし を行い、祇園囃子 を奏でながらゆっくりと巡行します。
  

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2016年07月15日

きゅうりを食べない

 『 きゅうりを食べない 』

  宵山の駒形提灯には、八坂神社神紋 である 【 五瓜に唐花紋 】 ( ごうりにからばなもん ) や 【 三つ巴紋 】 ( みつどもえもん ) が見られます。

  祇園祭八坂神社の祭礼 であり、八坂神社の神紋 【 五瓜に唐花紋 】 と、きゅうり を 輪切りにした断面の形がよく似ていることから、京都では古くから ≪ 祇園祭の期間中は、きゅうりを食べない ≫ という習わしが伝えられ、祇園祭が何事もなく無事に執り行われることを願い続けてきました。
  

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2016年07月14日

祇園祭・前祭の宵山

 『 祇園祭・前祭の宵山 』

  夕刻になると 祇園鉾町 に建ち並ぶ 山鉾駒形提灯 に火が灯り、あちらこちらから “ コンチキチン ”祇園囃子 が高らかに響きはじめます。

  14日から16日は 『 宵山 』 ( よいやま ) と呼ばれ、祭りの熱気が一気に高まって賑わいをみせます。

  この宵山の期間中、祇園鉾町の旧家では所蔵する 屏風 などの家宝を玄関口などに飾って人びとに披露する習わしがあり、そのことから宵山は 別名屏風祭 ( びょうぶまつり ) ともいわれています。
  

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2016年07月13日

祇園祭・稚児社参

 『 祇園祭・稚児社参 』

  古来より、 ( けが ) れのない純真無垢な子供 には 神霊が降臨しやすい と考えられ、『 稚児 』 ( ちご ) と呼ばれる 神様の使い として、全国の様々な祭礼において重要な役割を担ってきました。

  稚児 とは、乳児や幼児をあらわす 乳飲み子 ( ちのみご ) が語源と考えられています。

  祇園祭では毎年13日、長刀鉾稚児 が八坂神社を参拝し、お位を授かる 『 稚児社参 』 ( ちごしゃさん ) が行なわれ、以後、稚児は地面を踏まず、注連縄が張られた祭壇のある部屋で厳粛な日々を送ります。
  

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2016年07月12日

祇園祭・山鉾の原型

 『 祇園祭・山鉾の原型 』

  粟田神社 ( あわたじんじゃ ) には、祇園祭の山鉾の原型 とされる長さ 7~8メートル の柄の先に剣が付いた重さ 40~60キロ にも及ぶ 「 剣鉾 」 ( けんほこ ) という祭具が伝えられています。

  毎年10月の粟田祭では、人が剣鉾を持ち上げて町を練り歩き、悪霊を鎮めて道を祓い清めます。

  祇園祭の鉾は、この剣鉾が時代を経て大型化したもので、室町時代頃には現在のような剣鉾に台車が付いた大型の鉾車となったと考えられています。
  

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2016年07月11日

祇園祭・曳き初め

 『 祇園祭・曳き初め 』

祇園鉾町には豪華絢爛な懸装品で装飾された山鉾が建ち並び、山鉾巡行の前に試し引きをする 『 曳き初め 』 ( ひきぞめ ) が行われています。

祇園囃子 が演奏され、“ エンヤラヤー ” の掛け声とともに数百メートルの距離を巡行本番のように進みます。

巡行本番では原則として成人男子のみが山鉾を引きますが、曳き初め では 老若男女を問わず に誰でも参加して山鉾を引くことができます。

昔から曳き初めに参加すると、一年が無病息災になる と言い伝えられています。
  

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2016年07月10日

祇園祭・山鉾建

 『 祇園祭・山鉾建 』

  祇園祭を華やかに飾る山鉾の 『 山鉾建 』 ( やまほこたて ) が、10日から14日にかけて行なわれます。 前年の巡行を終えて、完全に解体されて倉庫で保管されている山鉾の部材を、再び組み立てます。

  胴体の胴組みは、釘を使わず荒縄だけで固定する伝統の技法・縄がらみ で組み立てられ、真木 ( 鉾を取り付ける中心の柱 )・車輪・屋根・懸装品などを組み付けて山鉾が完成します。

  絢爛豪華な懸装品を纏う山鉾は、まさに 動く美術館 です。
  

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2016年07月09日

祇園祭・神輿洗

 『 祇園祭・神輿洗 』

  10日夜に行なわれる祇園祭の神事 『 神輿洗 』 ( みこしあらい ) は、松明の明かりで八坂神社から 神輿 を四条大橋まで導き、鴨川から汲み上げた御神水で神輿を洗い清める神事で、清める際に飛び散る水しぶきにかかると 無病息災 のご利益があると伝えられています。

  この神輿洗の神事にちなみ、四条大橋付近の鴨川は 宮川 ( みやがわ : お宮さんの川 ) と呼ばれており、花街のひとつ 宮川町の地名の由来 にもなっています。
  

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2016年07月08日

文月

 『 文月 』

  陰暦七月異名『 文月 』 ( ふみづき ) といいます。

  文月の語源は、7月7日七夕 ( たなばた ) において短冊に歌や字を書いて献じたり、書物を夜風にさらす風習があったことに由来すると言われています。

  また、稲の穂が膨らむ月 であることから ほふみづき ( 穂含み月 ) や ふくみづき ( 含み月 ) が転じて、ふみづき ( 文月 ) になったとも言われています。

  現在の新暦では7月は夏ですが、文月 といえば 秋をあらわす季語 になります。
  

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2016年07月07日

七夕

 『 七夕 』

  7月7日 『 七夕 』 です。

  古来中国では陰暦7月7日夜、女子が手芸の上達を祈る行事・乞巧奠 ( きっこうでん ) と、天の許しで織女と牽牛が1年に1度会えるという伝説にちなむ 星祭 が行なわれ、この2つの風習が奈良時代に日本へ伝来しました。

  また、古来日本でも水辺の棚で乙女が機 ( はた ) を織り、神を迎えて禊 ( みそぎ ) を行なう信仰行事・ 棚機女 ( たなばたつめ ) が行なわれており、これら3つが重なって日本独自の 「 七夕 」 となりました。
  

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2016年07月06日

鉾頭

 『 鉾頭 』

  神様が現れた時に宿る場所を 依り代 ( よりしろ ) といい、古来より 光り輝く物尖った物神様が宿りやすい と考えられてきました。

  祇園祭の鉾の頂部には 『 鉾頭 』 ( ほこがしら ) があり、この鉾頭が神様の依り代となって 疫神 を集めて清め祓い、疫病退散をもたらします。

  古くは 剣鉾 ( けんぼこ ) と呼ばれる長さ約7メートルほどの祭具でしたが、室町時代頃に剣鉾に台車が付き、現在のような 大型の鉾車 となったとされています。
  

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2016年07月05日

祇園祭 『 長刀鉾町の吉符入と稚児舞披露 』

 『 長刀鉾町の吉符入と稚児舞披露 』

  長刀鉾町 では7月5日に 吉符入 が行なわれ、今年の稚児役に選ばれた 稚児 ( ちご ) が初めて正式に町内の人に紹介されます。

  まずは盃事を行なって祭りの無事を祈願し、町会所の2階から四条通へ向って、稚児 と2人の 禿 ( かむろ ) が巡行時に鉾の上で舞う 太平の舞 ( 15時~ ) を披露します。

  ゆったりした奉納囃子にのせた優雅な舞はもちろん、巡行時とは異なる稚児のあでやかな衣装や冠も見ものです。
  

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2016年07月04日

祇園祭 『 二階囃子 』

 祇園祭 『 二階囃子 』

  吉符入が済むと、各町会所では 祇園囃子稽古 が始まり、町会所の2階で行なわれるため 『 二階囃子 』 ( にかいばやし ) と呼ばれています。

  祇園囃子は、 ( かね )・太鼓 によって奏でられ、鉦方 ( かねかた : 鉦を打つ組 ) は少年期から稽古を始め、成人して 太鼓方笛方 になるのが一般的です。

また、祇園囃子の曲には大きく分けて2種類があり、山鉾巡行時に四条通を八坂神社へ向って進んで神様を迎えに行く際に奏でられる優雅な 渡り囃子 と、その後に町内へと戻る際に奏でられる軽快な 戻り囃子 があります。
  

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2016年07月03日

祇園祭 『 祇園祭の歴史 』

 『 祇園祭の歴史 』

  祇園祭 は、貞観11 ( 869 ) 年に全国的に大流行した 疫病の退散 を願って始められ、当初は疫病が流行った年のみ行われていましたが、天禄元 ( 970 ) 年からは毎年行われるようになりました。

  室町時代、商工業で力を得た 町衆 の手によって祇園祭が運営されるようになり、安土桃山時代には 豊臣秀吉 によって数町から成る組織で山鉾を運営する 寄町 ( よりまち ) 制度 が制定され、祇園祭は盛大な祭りへと発展し、荘厳華麗な大型の山鉾が誕生しました。
  

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2016年07月02日

祇園祭 『 くじ取り式 』

 祇園祭 『 くじ取り式 』

  祇園祭の盛り上がりが最高潮に達する 山鉾巡行 ( 現在は7月17日 ) において、昔は巡行の順番をめぐる争いが絶えなかったことから、明応9 ( 1500 ) 年より巡行順を決める 『 くじ取り式 』 ( 現在は7月2日 ) が始められました。

  しかし、山鉾巡行の際に 先頭 を進んで 注連縄を切る 役割を担う 長刀鉾 や、かつて7月24日に行なわれていた 後の祭の最後尾 を巡行していた 南観音山 など、八基の山鉾慣例 によって巡行順が決まっていることから くじ取らず と呼ばれています。
  

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2016年07月01日

祇園祭 『 吉符入・長刀鉾町お千度 』

 祇園祭 『 吉符入・長刀鉾町お千度 』

  千年以上の歴史を誇る 『 祇園祭 』 ( ぎおんまつり ) は、7月1日~5日に各山鉾町で行われる ≪ 吉符入 ≫ ( きっぷいり : 神事始め ) で幕を開け、宵山山鉾巡行神幸祭還幸祭 など諸祭行事が1ヶ月に渡って行われ、31日の 疫神社夏越祭 で幕を閉じます。

  八坂神社では1日10時から ≪ 長刀鉾町お千度 ≫ ( なぎなたぼこちょう・おせんど ) が行われ、長刀鉾町の稚児や役員たちがお祓いを受けた後に社殿を右回りに3周して、祭りの無事を祈願します。
  

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2016年06月06日

愛宕念仏寺

 『 愛宕念仏寺 』

  愛宕神社一之鳥居から奥へとさらに鳥居本を歩くと、古刹 『 愛宕念仏寺 』 ( おたぎねんぶつじ ) が山麓に佇んでいます。

  寺伝によれば、奈良時代に第48代・称徳天皇によって 旧愛宕 ( おたぎ ) ( 現在の東山区松原通大和大路東入 ) に創建されたと伝えられ、大正11 ( 1922 ) 年、奥嵯峨の鳥居本に移転しました。

  本堂 ( 重文 ) は 鎌倉中期の和様建築の貴重な遺構 で、周囲の境内には千二百体におよぶ 羅漢 ( らかん ) の石像 が立ち並んでいます。
  

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2016年06月05日

池田屋事件

 『 池田屋事件 』

  元治元 ( 1864 ) 年 6月5日夜半、新選組 は三条小橋の旅籠・池田屋 において 尊王攘夷派の志士 20数名が密議を行なっていることを察知し、局長・近藤勇 率いる隊士数名が池田屋を襲撃し、約2時間に及ぶ激闘の末、尊王攘夷派に大打撃を与えました。

  この 『 池田屋事件 』 によって尊王攘夷派の有力な志士が数多く戦死しましたが、三条大橋南西2個目の擬宝珠 ( ぎぼし ) に現在も残る傷は、この池田屋事件の激闘による 刀傷 と伝えられています。
  

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2016年06月04日

最澄

 『 最澄 』

  近江国 ( 滋賀県 ) に生まれた 『 最澄 』 ( さいちょう ) は、民衆を救うための新しい仏教を求めて 比叡山 にこもって修行を積み、延暦23 ( 804 ) 年、留学僧として唐 ( 中国 ) へ渡って天台教学や密教・禅などを学び、帰国して日本独自の 天台宗 を開きました。

  晩年は比叡山内に 戒壇院 を設けることに力を尽くしましたが、旧仏教 ( 奈良 ) の抵抗で設立が認められず、弘仁13 ( 822 ) 年 6月4日、最澄は亡くなり、没後7日目、念願の戒壇院設立が認められました。
  

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2016年06月03日

黒船来航

 『 黒船来航 』

  嘉永6 ( 1853 ) 年 6月3日、アメリカ から ペリー 率いる 四隻の黒船 ( 蒸気船 ) が相模国浦賀沖 ( 神奈川県 ) に来航し、江戸幕府に米大統領国書を渡して 開国 を迫りました。 このペリー来航によって日本は 幕末 と呼ばれる動乱の時代へ突入しました。

 太平の眠りをさます上喜撰
     たった四はいで夜も寝れず

高級茶の 上喜撰 ( じょうきせん ) をたった四杯飲んだだけで・・・、つまり 蒸気船 ( 黒船 ) がたった四隻来航しただけで、日本は夜も眠れない大混乱に・・・、という当時の様子を風刺した狂歌です。

  武力を背景としたアメリカの圧力的な外交に屈するように幕府は 日米和親条約 を締結し、長い鎖国体制が崩れました。 また、幕府内でも 将軍継嗣問題 から対立が生じ、幕政は転換期を迎えました。
  

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2016年06月02日

本能寺

 『 本能寺 』

  応永22 ( 1415 ) 年、日隆上人 によって創建された法華宗本門流大本山 『 本能寺 』 ( ほんのうじ ) は、当初 本応寺 と称していましたが、永享5 ( 1433 ) 年、六角大宮に移転し、本能寺 と寺名を改めました。

  広大な寺域を持つ大寺院となりましたが、天正10 ( 1582 ) 年 6月2日 未明、本能寺に宿泊する 織田信長明智光秀 が急襲し、織田信長は天下統一間近で命を落とし ( 本能寺の変 )、本能寺は炎上して灰燼に帰しました。 本能寺は、その後に移転再建されて現在に至っています。
  

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2016年06月01日

更衣

 『 更衣 』

  季節に応じて衣服や調度をかえることを 「 衣替え 」 といい、現在では一般的に 6月1日 になると 夏の服装 に、10月1日 になると 冬の服装 に衣替えをしています。

  「 衣替え 」 は、古くは 『 更衣 』 ( こうい ) といい、平安時代 には 4月1日10月1日 にそれぞれ夏装束・冬装束に改めていました。

  また、天皇の着替えに従事した女官の職名「 更衣 」 といい、後に天皇の寝所に奉仕する女官で 「 女御 」 ( にょうご ) に次ぐ女官を 「 更衣 」 と呼ぶようになりました。
  

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2016年04月24日

狩野元信

 『 狩野元信 』

  かつて日本画界において最大の画派を築いた 狩野派 ( かのうは ) は、室町中期の 狩野正信 ( まさのぶ ) が 室町幕府御用絵師 となり、狩野派の基礎を築きました。

  正信の子・『 狩野元信 』 ( もとのぶ ) も父に続いて幕府御用絵師として活躍し、漢画様式大和絵の技法 を取り入れた力強い装飾性をもつ様式を大成し、桃山障壁画の基礎を確立しました。

  元信が上京に建てた邸宅は、以後、松栄・永徳など狩野家歴代に受け継がれました。
  

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2016年04月23日

狩野図子

 『 狩野図子 』

  千年の歴史を誇る京都には、町の奥へと続く 路地 ( ろーじ ) と呼ばれる細い道が多く存在しています。

路地の中でも大路や小路の間をつなぐ 突き抜けの路地「 図子 」 ( ずし ) と呼び、行き止まりの袋小路「 路地 」 ( ろーじ ) と呼び分ける場合もあります。

  西陣にある 『 狩野図子 』 ( かのうずし ) は、室町時代に 絵師・狩野派 の基礎を築いた 狩野元信 ( もとのぶ ) の邸宅が存在した場所にあたり、いつしか付近の路地が 「 狩野図子 」 と呼ばれるようになりました。
  

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2016年04月22日

護法善神

 『 護法善神 』

  仏教や仏教徒を守護する天部に属する神々のことを 『 護法善神 』 ( ごほうぜんじん ) といい、梵天・帝釈天・四天王・八部衆・十二神将などが知られています。

  護法善神の多くは、古代インドで信仰されていた バラモン教ヒンドゥー教 の神々が仏教に取り込まれ、仏教や仏教徒の守護神 となりました。

  古代インドでは 鬼神武神音楽神動物神 として信仰されていたことから、仏像の姿は鬼神や動物を象ったものなど様々な造形がみられます。
  

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2016年04月21日

瓢鮎図

 『 瓢鮎図 』

  妙心寺退蔵院 が所蔵する 国宝水墨画 『 瓢鮎図 』 ( ひょうねんず ) は、室町時代の初期水墨画を代表する画僧・如拙 ( じょせつ ) によって描かれました。

  禅宗に深く帰依した室町幕府 4代将軍・足利義持 ( よしもち ) の命によって 応永22 ( 1415 ) 年頃に描かれたもので、表面は滑らかに曲がり、口は細い 瓢箪 で、いかにして川に泳ぐ大きな ナマズ を捕まえるか、という 禅の公案 ( こうあん : 修行者が悟りを開くために研究課題として与えられる問題 ) を題材として描かれています。

※ 「 鮎 」 は 「 ナマズ 」 の意
※ 妙心寺・公式HPに掲載されている 「 瓢鮎図 」 は こちら
  

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2016年04月20日

茶屋四郎次郎

 『 茶屋四郎次郎 』

  江戸時代の京都の豪商 『 茶屋四郎次郎 』 ( ちゃやしろじろう ) とは、本姓を中島といい、安土桃山時代の 茶屋清延 ( きよのぶ ) を 茶屋家初代 とし、以後代々の当主が 茶屋四郎次郎襲名 する習わしでした。

  初代・茶屋清延徳川家康御用商人 となり、二代・茶屋清忠 ( きよただ ) が初代の地盤を引き継いで 京都町人頭 にも任命されて権勢を誇り、三代・茶屋清次 ( きよつぐ ) は 朱印船貿易 の特権を得て貿易によって莫大な富を得て、その財産で 茶道具 を集め、さらに 芸術家 を熱く 支援 しました。

地図 : 茶屋四郎次郎 邸宅跡
  

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