2011年11月23日

円通寺

 『 円通寺 』

  臨済宗妙心寺派 に属する 『 円通寺 』 ( えんつうじ ) は、江戸初期に 後水尾天皇幡枝離宮 ( はたえだりきゅう ) を営んだ地で、延宝6 ( 1678 ) 年、守澄 ( しゅちょう ) 法親王 ( 後水尾天皇の第3皇子 ) の尽力を得て堂宇を興して創建されました。

  後水尾天皇 より “ 円通寺 ” の勅額を賜り、霊元天皇 勅願寺 と定めて梵鐘を寄進するなど、皇室ゆかりの格式高い歴史を受け継いできました。 円通寺の庭園は比叡山を借景とする枯山水式の平庭で、後水尾天皇が営んだ幡枝離宮に造営された庭園をそのまま受け継ぐ雅の空間として知られています。

地図 : 円通寺
  

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2011年11月22日

実相院

 『 実相院 』

  洛北・岩倉 『 実相院 』 ( じっそういん ) は、寛喜元 ( 1229 ) 年、僧・静基 ( じょうき ) によって洛北・紫野 に創建されました。 古くは 天台宗寺門派 ( 三井寺を総本山とする天台宗の一派 ) に属し ( 現在は単立 )、紫野から京都御所の近くに移転し、その後、室町後期に応仁の乱の戦火を避けて現在地の岩倉に移転したと伝えられています。

  江戸中期、第112代・霊元天皇養子義周 ( ぎしゅう ) 法親王 が入寺して 門跡寺院 となり、御所の旧殿を賜るなど 岩倉門跡岩倉御殿 と称される格式高い歴史を受け継いでいます。

  秋・紅葉の頃、客殿・滝ノ間の床に紅葉の赤が映り込む絶景・床もみじ で知られています。

地図 : 実相院
  

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2011年11月21日

詩仙堂

 『 詩仙堂 』

  江戸初期の文化人・石川丈山 ( いしかわじょうざん ) は、元は 武士 として 徳川家康の家臣 として活躍した異色の経歴を持ち、寛永18 ( 1641 ) 年、一乗寺 に小さな庵を建てて隠棲をはじめました。

  山麓のでこぼこした土地に建てられた丈山の庵・凹凸か ( おうとつか ) は、中国の詩家三十六人の肖像画を庵に掲げられたことから、いつしか 『 詩仙堂 』 ( しせんどう ) と呼ばれるようになりました。

  比叡山麓の一乗寺に位置する、紅葉の美しい寺院です。

地図 : 詩仙堂  

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2011年11月20日

曼殊院

 『 曼殊院 』

  天台宗総本山・比叡山延暦寺 に次ぐ格式を受け継ぐ 五箇室門跡 ( ごかしつもんぜき ) として、青蓮院・三千院・妙法院・毘沙門堂 と並び称される 『 曼殊院 』 ( まんしゅいん ) は、天台宗祖・最澄 が比叡山内に建立した一堂に始まり、江戸初期の明暦2 ( 1656 ) 年、桂離宮 を造営した 八条宮智仁 ( はちじょうのみや-としひと ) 親王 を父に持つ 良尚 ( りょうしょう ) 法親王 が住持を務めた時、現在地の比叡山麓・一乗寺 へ移転しました。

  門跡寺院として宮中とのゆかりが深く、大書院・小書院の襖絵は狩野探幽などの筆によるもの、また鶴亀を配した庭園は秋になると紅葉が彩りを添える名庭として知られています。

地図 : 曼殊院
  

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2011年11月19日

赤山禅院

 『 赤山禅院 』

  比叡山の西麓、延暦寺の別院 とされる 『 赤山禅院 』 ( せきざんぜんいん ) は、仁和4 ( 888 ) 年、慈覚大師・円仁 ( じかくだいし・えんにん ) の 遺命 によって、天台座主・安慧 ( あんね ) が 天台宗の鎮守神 として 赤山明神 ( せきざんみょうじん ) を祀ったのが始まりと伝えられています。

  赤山明神 陰陽道の祖神 であり、中国の 泰山府君 ( たいざんふくん : 中国・泰山の神 ) のことで、昔から 延命・富貴の神 とされ、とくに 商売繁盛の神 として崇められてきました。 秋は一面、紅葉で彩られることでも知られています。

『 数珠供養 』 赤山禅院
  11/23 ( 水・祝 ) 10:00~
  

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2009年11月25日

曼殊院

 『 曼殊院 』

  一乗寺の詩仙堂から約20分ほど山際を歩いていくと、比叡山の麓に 天台宗 の格式ある門跡寺院 『 曼殊院 』 ( まんしゅいん ) があります。

  曼殊院は今から約1200年前、天台宗祖・最澄 が比叡山内の建立した一堂に始まり、江戸前期の明暦2 ( 1656 ) 年、現在地へと移転しました。

  門跡寺院として宮中とのゆかりが深く、大書院小書院襖絵 は主に 狩野探幽 の筆によるもので、また 鶴亀 を配した 名勝庭園 には今、紅葉 が彩りを添えています。
  

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2009年05月27日

詩仙堂

 『 詩仙堂 』

  一乗寺の 『 詩仙堂 』 ( しせんどう ) は、江戸初期の寛永18 ( 1641 ) 年、文人の 石川丈山 ( いしかわじょうざん ) が隠棲のために建立した山荘に始まります。

  建物の一室に 狩野探幽 に描かせた中国の 詩仙三十六人 の肖像に丈山自らが詩を書いて四方の壁に掲げていたことから、いつしか 詩仙堂 と呼ばれるようになりました。

  建物の前には庭園が広がり、まもなく さつき が見頃を迎えるなど、四季折々の美しい花が咲き誇ります。

地図 : 詩仙堂
  

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2009年05月20日

八大神社

 『 八大神社 』

  永仁2 ( 1294 ) 年、一乗寺の氏神 として 『 八大神社 』 ( はちだいじんじゃ ) が創建され、京都の 表鬼門 ( 北東 ) に位置していることから、方除けの神 としても厚く信仰されてきました。

  吉川英治の小説では、宮本武蔵 が一乗寺での決闘に向かう際、八大神社で勝利を祈願しようとしましたが、「 我れ神仏を尊んで神仏を恃 ( たの ) まず 」 と思い直して決闘へ向かったとされています。

  境内には、決闘当時の 一乗寺下がり松の古木 が祀られています。

地図 : 八大神社
  

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2009年05月19日

一乗寺下がり松

 『 一乗寺下がり松 』

  江戸初期の剣豪・宮本武蔵 は、各地で決闘を重ねて剣の腕を上げ、京へ上洛して 吉岡道場 との 壮絶な決闘 に勝利して、一躍その名は天下に轟きました。

  吉岡一門との決闘では、比叡山の麓にあたる 一乗寺 での戦いが知られ、京の都から比叡山へ往来する人びとが道標として眺めてきた 『 一乗寺下がり松 』 の付近で決闘が繰り広げられたと伝えられています。

  現在、一乗寺下がり松の側に据えられている石碑に決闘の歴史が刻まれています。

地図 : 一乗寺下がり松  

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2007年11月24日

詩仙堂

 『 詩仙堂 』

  異色の経歴を持つ 石川丈山 ( いしかわじょうざん ) は、元は 徳川家康の家臣 として多くの合戦で武功を立てましたが、大坂夏の陣を境に武士を辞めて一転、文化人 としての道を歩みました。

  寛永18 ( 1641 ) 年、京都の一乗寺に小さな庵を建て、花鳥風月とともに隠棲をはじめました。

  山麓のでこぼこした土地に建てられた丈山の庵 「 凹凸か 」 は、中国の詩家三十六人の肖像画を庵に掲げられたことから、いつしか 『 詩仙堂 』 ( しせんどう ) と呼ばれるようになりました。

地図 : 詩仙堂  

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