2019年03月12日

城南宮 ≪ しだれ梅 / 散り椿 ≫

暖冬傾向から今年は梅の開花が早く、城南宮のしだれ梅はもう散っているのでは?と心配していましたが、なんの、なんの! 散った梅の花びらがピンクの絨毯となり、さらに天から枝垂れる梅の花に、ただただ感動のひとときでした~♪







城南宮の神苑は 「 椿 」 の名所でもあり、様々な種類の椿が咲き競っていました。 苔の上に散る椿の花は、ほんとに素敵な光景でした。











平安京の南を守る社として創建され、平安後期には鳥羽離宮の鎮守社として崇められた城南宮は、方除け・交通安全のご利益で厚い信仰を集めています。

◆ 城南宮 ◆
公式HP http://www.jonangu.com/
  

Posted by 若村 亮  at 20:44Comments(4)伏見・桃山季節の花・紅葉

2018年10月09日

10/8(月祝) 京都・深草 ≪ 深草十二帝陵 ≫

本日の散策で参拝しました、深草に眠る12人の天皇の陵墓です。 正式名称は、深草北陵( ふかくさのきたのみささぎ )です。



 1 第89代 後深草天皇
 2 第92代 伏見天皇
 3 第93代 後伏見天皇
 4 北朝4代 後光厳天皇
 5 北朝5代 後円融天皇
 6 第100代( 北朝6代 ) 後小松天皇
 7 第101代 称光天皇
 8 第103代 後土御門天皇
 9 第104代 後柏原天皇
 10 第105代 後奈良天皇

深草北陵で眠る、鎌倉時代から安土桃山時代の間に即位した歴代天皇ですが、この天皇の並びを見て 「 お!!! 」 という法則がわかった人は、なかなかの歴史通です! これがわかれば、京都検定は 「 特級 」 ( 無いですが、笑 ) くらいでしょうか ( 笑 )

本日、ズラリと眠る歴代天皇の説明をするために、約20分くらいここで熱く説明しました ( 笑 )
  

Posted by 若村 亮  at 00:28Comments(0)伏見・桃山

2018年02月13日

伏見の名水 《 大黒寺 ・ 金運清水 》

京都の南、伏見の地には、かつて豊臣秀吉によって絢爛豪華な伏見城が築かれ、城下町が広がりました。



伏見の大黒寺は、薩摩藩島津家との繋がりが深く、別名 「 薩摩寺 」と称され、現在、非公開文化財の特別公開 「 京の冬の旅 」 で特別公開されています。



境内に湧く清水は 「 金運清水 」 とされ、本蔵の大黒さんにもあやかって、金運良好、資産増加のご利益で親しまれていますので、ぜひ、参拝の折に飲んでみてください ♪
  

Posted by 若村 亮  at 12:51Comments(1)伏見・桃山

2017年03月19日

3/19(日) 京都さんぽ ≪ 城南宮 枝垂れ梅 ≫

本日は京都さんぽが開催されまして、天皇陵めぐり・第2弾ということで、地下鉄・竹田駅をスタートして、鳥羽の安楽寿院や城南宮を巡ってきました。

城南宮の神苑は、まだ十分、美しい枝垂れ梅が咲き誇っていました~♪







椿の名所でもあり、梅と椿の競演でした。



そろそろ紅梅は散り始めていますが、白梅はまさに満開でした!

■ 城南宮
公式HP http://www.jonangu.com/
しだれ梅と椿まつり http://www.jonangu.com/shidareume.html
  

Posted by 若村 亮  at 18:36Comments(0)伏見・桃山季節の花・紅葉

2009年12月09日

御香宮神社

 『 御香宮神社 』

  伏見に鎮座する 『 御香宮神社 』 ( ごこうのみやじんじゃ ) は、平安時代、境内から 病気に効く香水 が湧き出たことから、第56代・清和天皇 より 「 御香宮 」 ( ごこうのみや ) の名を賜りました。

  その後、豊臣秀吉伏見城 を築くと、その守り神として崇められ、境内には今も安土桃山時代の荘厳華麗な特色を伝える表門や本殿が建ち並んでいます。

  幕末、この辺り一帯で勃発した 鳥羽伏見の戦い では、御香宮神社が 薩摩軍の屯所 となった歴史も有しています。

地図 : 御香宮神社

ものがたり観光 〔 らくたび協賛・知恵博 企画 〕
龍馬物語 ≪ 龍馬が愛した港町・伏見を歩く ≫

 12/13(日) 13:00 ~ 16:00
 詳細は こちら
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(3)伏見・桃山

2009年12月08日

寺田屋

 『 寺田屋 』

  江戸時代、伏見 の町は京都と大坂を結ぶ宇治川・淀川を往来する 船運の港町 として発展し、支流に設けられた船溜まりの港に面して 船宿 が軒を並べていました。

  『 寺田屋 』 は江戸初期から続く伏見の船宿で、薩摩藩御用達 として賑わっていました。

  幕末、寺田屋を舞台として、薩摩藩士が乱闘を繰り広げた 寺田屋事件 と、坂本龍馬 が奉行所の幕吏に 襲撃 されて負傷した事件と、歴史上、ふたつの大きな事件が起こりました。

地図 : 寺田屋

ものがたり観光 〔 らくたび協賛・知恵博 企画 〕
龍馬物語 ≪ 龍馬が愛した港町・伏見を歩く ≫

 12/13(日) 13:00 ~ 16:00
 詳細は こちら
  

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2009年06月12日

藤森神社・紫陽花苑

 『 藤森神社・紫陽花苑 』

  深草 ( ふかくさ ) に鎮座する 『 藤森神社 』 ( ふじのもりじんじゃ ) は、神功皇后 ( じんぐうこうごう ) が 軍旗武具 を深草の地に埋めて祀ったのがはじまりと伝えられ、摂政3 ( 203 ) 年の創建と伝えられる京都でも最古の神社のひとつです。

  6月になると藤森神社の境内には約3500株の色鮮やかな 紫陽花 が咲き誇り、毎年 6月15日に催される 紫陽花祭 では、献花や献茶、神楽の奉納などが執り行われています。

地図 : 藤森神社


京都さんぽ
藤森神社アジサイ苑 と 知られざる深草の里めぐり
 6月14日(日) 13:00~ JR奈良線・藤森駅スタート
 詳細は こちら をご覧ください


  

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2009年05月18日

稲荷の狐

 『 稲荷の狐 』

  伏見稲荷大社 の主祭神・宇迦之御魂神 ( うかのみたまのかみ ) は、稲を神格化した穀物神 として古くから 五穀豊穣の神様 として崇められ、中世以降は 商売繁盛の神様 としても厚い信仰を集めてきました。

  宇迦之御魂神は別名・御餞津 ( みけつのかみ ) とも呼ばれ、狐の古い呼び名 「 けつ 」 より 「 三狐神 」 ( みけつのかみ ) と解して 稲荷神の使い であるとされ、全国に数ある稲荷社の社前には狐が鎮座しています。


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2009年02月22日

伏見城

 『 伏見城 』

  天正20 ( 1592 ) 年、豊臣秀吉 が自らの居城として 『 伏見城 』 を築城しましたが、慶長元 ( 1596 ) 年の 慶長伏見大地震 によって 倒壊 しました。

  翌年には再建されましたが、秀吉の死後は 徳川家康の預かり となり、関ヶ原の合戦に際して西軍の攻撃を受けて焼失しました。

  後に再建されて再び江戸幕府の支配下に置かれましたが、寛永2 ( 1625 ) 年には城としての重要性が薄れたことから 廃城 となり、建物は二条城や大徳寺などに移築されました。  

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2008年08月29日

白河天皇

 『 白河天皇 』

  平安時代、藤原氏は天皇に一族の娘を嫁がせ、生まれた子が天皇となった時に 外祖父 ( 皇后の祖父 ) として政治の実権を握り続けました。

  しかし、第59代・宇多天皇 ( うだ ) 以来170年ぶりに 藤原氏を外祖父に持たない 第71代・後三條天皇 ( ごさんじょう ) が即位し、藤原氏の権勢を排除した政治を行いました。

  その意思は子の第72代・白河天皇 ( しらかわ ) にも引き継がれ、譲位後は上皇となって43年間にわたる院政を行いました。

地図 : 成菩提院陵 ( じょうぼだいいんのみささぎ : 白河天皇陵 )  

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2008年06月23日

鳥羽伏見の戦い

 『 鳥羽伏見の戦い 』

  幕末、最後の将軍となった 徳川慶喜 ( よしのぶ ) の 辞官納地 ( じかんのうち : 官位と領地の没収 ) が決定し、旧幕府内では新政府の薩摩藩と長州藩に対する反感が高まりました。

  そして慶応4 ( 1868 ) 年 正月、ついに大坂から京都へ向って旧幕府分は進軍を開始し、戊辰戦争の戦端となる 『 鳥羽伏見の戦い 』 が始まりました。

  伏見の老舗料亭・魚三楼 ( うおさぶろう ) の玄関には、鳥羽伏見の戦いで刻まれた 弾痕 が今も残されています。

地図 : 料亭・魚三楼


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2008年06月22日

橦木町

 『 橦木町 』

  撞木 ( しゅもく ) とは、鐘 ( かね ) や半鐘 ( はんしょう ) などを打ち鳴らす仏具の棒のことで、多くは 丁字形 ( ていじけい : Tの形 ) をしています。

  伏見の 『 橦木町 』 は、町が丁字形をしていたことから橦木町と呼ばれ、江戸時代には 遊郭 として賑わった町でもありました。

  忠臣蔵 で知られる 大石良雄 ( 内蔵助 ) が、敵の目を欺くために遊興に耽ったと伝えられる 「 よろづや 」 跡 の石碑も残されています。

地図 : 橦木町  

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2008年06月09日

稲荷造

 『 稲荷造 』

  伏見稲荷大社本殿 は、応仁の乱の兵火によって焼失し、のちの明応8 ( 1499 ) 年に再建され、修復を重ねて現在に至っています。

  社殿建築としては大型に属しますが、細部に注目すると、装飾金具や牡丹唐獅子・唐草などの彫刻を意匠とする蟇股などに、安土桃山時代力強さ優美な趣き が伝えられています。

  社記には 「 御本殿五社相殿ウチコシナガシ作四方ニ高欄有ケタ行五間五尺ハリ行五間五尺 」 とあり、『 稲荷造 』 とも称されています。

『 田植祭 』  伏見稲荷大社
   6月10日 ( 火 )
   神田の田植を行い、一年の豊作を祈る神事


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2008年05月04日

藤森神社

 『 藤森神社 』

  平安時代から貴族が別荘を構えた 深草 ( ふかくさ ) には、摂政3 ( 203 ) 年創建と伝えられる古社 『 藤森 ( ふじのもり ) 神社 』 が鎮座しています。

  長い歴史の中で様々な神様が次第に合わせ祀られ、現在では12柱の神様が鎮座しています。 武神 として武士からの信仰も集め、勝ち運馬の神 へ祈願する人びとで賑わってきました。

  5月5日の 「 端午 ( 菖蒲 ) の節句 」 の起源となった 「 藤森祭 」 では、武者行列や駈馬神事が行なわれます。

『 藤森祭 』  藤森神社
   5月5日  

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2008年02月26日

鳥羽

 『 鳥羽 』

  東寺から南へ、鴨川を越えた辺りの地名を 『 鳥羽 』 ( とば ) といいます。

  幕末には 鳥羽 ・ 伏見の戦い が勃発した地として歴史に名を刻んでいますが、平安時代には 白河上皇鳥羽離宮 が造営され、華やかな宮廷文化が営まれました。

  白河上皇はしばしば熊野詣を行い、旅立つ前に離宮に籠って身を清め、旅の安全を祈願しました。

  その後、鳥羽離宮の神社は 城南宮 ( じょうなんぐう ) となり、現在も旅行や交通安全の神様として厚く信仰されています。  

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2008年02月16日

杉玉

 『 杉玉 』

  日本酒の造り酒屋の軒先に吊るされる 『 杉玉 』 ( すぎたま ) は、スギの葉 ( 穂先 ) を集めてボール状にした物で、酒林 ( さかばやし ) とも呼ばれています。

  青々とした杉玉が吊るされると 新酒 が出来たという目印となり、時間とともに色褪 ( あ ) せて茶色になり、酒の 熟成度 を人びとに知らせてくれます。

  杉を飾って酒の神の御加護を願う風習に由来し、また造り酒屋では杉の新芽 ( 防腐作用の成分を含有 ) を集めて、酒が腐りかけると杉の新芽を酒に浸けていました。  

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2007年11月08日

御火焚

 『 御火焚 』

  旧暦11月8日 ( 現在は各神社によって異なる ) に行われる 『 御火焚 』 ( おひたき ) とは、江戸時代頃から京都を中心とする地方で行われてきた伝統神事です。

  各神社の社前では 神楽 ( かぐら : 巫女などによる舞や囃子 ) が奉納され、供物 ( くもつ : 神様への供え物 ) が供えられ、氏子や参拝者が願いを書いて奉納した 火焚串 ( 護摩木 ) を 神火 ( しんか : 穢 ( けが ) れのない神火 ) で焚きあげて、知らないうちに犯した 罪業 ( ざいごう ) を消滅し、万福招来 を祈ります。

『 御火焚祭 』  伏見稲荷大社
   11月8日(木)  

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2007年11月03日

曲水の宴

 『 曲水の宴 』

  平安貴族が催した遊宴 『 曲水の宴 』 ( きょくすいのえん ) とは、庭の曲水 ( きょくすい : まがりくねって流れる小川 ) のほとりに参会者が座り、上流から流さる杯 ( さかずき ) が自分の前に流れ着くまでに詩歌を作り、その杯を取って酒を飲み、次の下流の人へ杯を流し、その後に宴を催してお互いの詩歌を披露しあう雅な遊びです。

  白河上皇 が営んだ 鳥羽離宮 の跡に建つ 城南宮 では、毎年11月3日 ( 今日 )、秋の 「 曲水の宴 」 が催され、平安の雅を今に伝えています。

『 曲水の宴 』  城南宮
   11月3日 14~15時
   神苑 「 楽水苑 」 ( 平安の庭 )  

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2007年09月16日

饅頭喰い

 『 饅頭喰い 』

  伏見稲荷大社 の門前で販売されている 伏見人形 の中には、二つに割った饅頭を手に持つ子供の人形 『 饅頭喰い 』 ( まんじゅうぐい ) があります。

  昔、ある人に 「 お父さんとお母さん、どっちが好き? 」 と聞かれた子供が、手に持っていた饅頭を二つに割って 「 じゃあ、どちらの饅頭が美味しい? 」 と逆に聞き返したという逸話があり、これは 比べることのできない事柄の例え話 でもあります。

  この逸話から、饅頭喰いの人形を家に置いておくと 子供が賢くなる と伝えられています。  

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2007年07月21日

伏見稲荷大社 宵宮祭・本宮祭

 『 伏見稲荷大社 宵宮祭・本宮祭 』

  “ お稲荷さん ” と親しまれる 伏見稲荷大社 は、平安の昔から 五穀豊穣の神様 として崇められ、中世以降は 商売繁盛の神様 として信仰を集めてきました。

  7月21日 ( 今日 ) - 22日 ( 明日 ) に執り行われる祭事の 「 宵宮祭 ( 21日 ) ・ 本宮祭 ( 22日 ) は、稲荷神の分霊をお祀りしている崇敬者が全国から総本宮にあたる伏見稲荷大社に参拝し、日々の御神恩に感謝します。

  「 万灯の神事 」 では幾多の灯籠や行灯に火が灯され、境内は幻想的な雰囲気に包まれます。  

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2007年06月09日

伏見人形

 『 伏見人形 』

  中世以降の商工業の発展とともに、伏見稲荷大社商売繁盛の神様 としての印象が強くなりましたが、古くから 農業の神様 として庶民から厚い信仰を集めてきました。

  “ 稲荷山の土を持ち帰り、田畑に施せば五穀豊穣になる ” という 稲荷の土信仰 があり、参拝者は稲荷山の土を持ち帰る習わしがありました。

  その後、時代とともに稲荷山の土そのものではなく、稲荷山の土で作った簡素な素焼きの土人形 「 伏見人形 」 を手土産として買って帰るようになり、火難除け商売繁盛 を願って家に祀るようになりました。

『 田植祭 』  伏見稲荷大社
   6月10日 ( 日 )  

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2007年02月20日

城南宮

 『 城南宮 』

  東寺から南へ、鴨川を越えた辺りを 鳥羽 ( とば ) といいます。

  幕末に 鳥羽伏見の戦い が勃発した場所として歴史に名を刻みますが、平安時代には鴨川の清流と東山の連山を望む景勝地として 白河上皇鳥羽離宮 が造営され、華やかな宮廷文化が営まれました。

  白河上皇はしばしば 熊野詣 を行い、京から旅立つ前に、離宮に七日程籠って身を清め、旅の安全を祈願してから熊野へと旅立ちました。

  その後、鳥羽離宮の神社は 『 城南宮 』 ( じょうなんぐう ) となり、現在も 旅行交通安全の神様 として厚く信仰されています。

地図 : 城南宮  

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2007年02月10日

伏見の女酒

 『 伏見の女酒 』

  伏見 ( ふしみ ) という地名は “ 伏水 ” ( ふせみず : 地を伏せて流れる水、つまり地下水のこと ) に由来しているともいわれ、御香宮神社 ( ごこうのみやじんじゃ ) の境内に涌く 「 御香水 」 ( ごこうすい ) をはじめ、多くの名水が涌く土地として古くから知られています。

  また、伏見は豊富で良質な涌き水を使った 酒造り が盛んなところとしても知られ、神戸の ( なだ ) で造られる辛口の酒を 男酒 ( おとこざけ ) と呼ぶのに対し、ほんのり 甘口の伏見酒女酒 ( おんなざけ ) と呼ばれて愛されています。  

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2007年02月05日

伏見稲荷大社

 『 伏見稲荷大社 』

  和銅4 ( 711 ) 年、秦一族の 秦伊呂具 ( はたのいろぐ ) が 稲荷山稲荷神 をお祀りして 『 伏見稲荷大社 』 とし、現在では全国に4万ある稲荷社の総本社として厚く信仰されています。

  毎年 2月の初午の日 ( はつうま ) に 「 初午大祭 」 が行われますが、これは 2月の初午の日に稲荷神が天から降臨した ことに由来します。

  現在では 商売繁盛の神 として広く知られていますが、元来は 農耕の神 であり、「 稲荷 」 の名前は 「 稲成 」 ( いねなり ) に由来する、五穀豊穣を心から願う名前なのです。

『 初午大祭 』  伏見稲荷大社
   2月5日 ( 月 )  

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2006年11月03日

城南宮 「 曲水の宴 」

 城南宮 『 曲水の宴 』

  平安時代の貴族が催した遊宴 『 曲水の宴 』 ( きょくすいのえん ) とは、庭の曲水 ( きょくすい : まがりくねって流れる小川 ) のほとりに参会者が座り、上流から流さる杯 ( さかずき ) が自分の前に流れ着くまでに詩歌を作り、その杯を取って酒を飲み、次の下流の人へ杯を流し、その後に宴を催してお互いの詩歌を披露しあうという、平安時代の雅な遊び です。

  平安時代に 白河上皇 が営んだ 鳥羽離宮 の跡に創建された 城南宮 では、毎年11月3日 ( 今日 )、秋の 『 曲水の宴 』 が催され、平安時代の雅を今に伝えています。

『 曲水の宴 』  城南宮
   11月3日 14~15時
   神苑 「 楽水苑 」 ( 平安の庭 )

< 参考コラム : 旅の安全祈願 -城南宮- >  

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