2010年05月28日
玄武神社
古代中国では 東西南北 に 四神 ( しじん ) が宿る と考え、北を守護する神 を 玄武 ( げんぶ )、東 を 青龍 ( せいりゅう )、南 を 朱雀 ( すざく )、西 を 白虎 ( びゃっこ ) と呼び、各方角に四神を厚く祀ってきました。
紫野に鎮座する 『 玄武神社 』 は、平安京の北に位置して 北方守護の神 として崇められたことから社名が名付けられました。
祭神として第55代・文徳天皇 ( もんとくてんのう ) の皇子・惟喬親王 ( これたかしんのう ) を祀ることから 別名・惟喬社 とも呼ばれています。
地図 : 玄武神社
2009年10月17日
笠懸
2009年05月09日
大田神社
『 大田神社 』神話に登場する “ 天鈿女命 ( あめのうずめのみこと ) ” は、天照大神 ( あまてらすおおみかみ ) が天の岩屋に隠れた時に岩屋の前で賑やかに踊った女神であり、そこから 伎芸の守護神 とされています。
『 大田神社 』 は “ 天鈿女命 ” を 祭神 とし、芸能上達の御利益 ( その他、方除や病気平癒 ) があるとされています。
境内の 大田ノ沢 には古くから カキツバタ が群生し、歌人の 藤原俊成 は・・・
神山や 大田の沢のカキツバタ
ふかきたのみは 色に見ゆらむ
と歌に詠んでいます。 現在では国の天然記念物に指定され、まもなく見頃を迎えます ( 毎年5月中旬が見頃 ) 。
2009年05月01日
心光院
『 心光院 』岩倉の 『 心光院 』 ( しんこういん ) は、江戸初期の正保2 ( 1645 ) 年に創建された浄土宗の寺院で、約200年ほど前から尼寺としての歴史を受け継いでいます。
本尊・阿弥陀如来像 ( 重文 ) は平安後期の作で、ふくよかな顔立ちをした和様彫刻の貴重な仏像です。
また、脇侍として阿弥陀如来像の両脇に祀られている 観音菩薩像 と 勢至菩薩像 は、江戸初期の作とされ、正座から立ち上がろうとする時の 跪座 ( きざ ) や 大和座り と呼ばれる珍しい独特の座り方をしています。
『 春季京都非公開文化財特別拝観 』 京都市内各社寺
5月1日 ( 金 ) ~ 10日 ( 日 ) 午前9時 ~ 午後4時
心光院は普段非公開で、上記期間中に初公開されます
その他、実相院・書院や智積院・大師堂など、
市内各社寺の非公開文化財が多数公開されます
詳しくは 古文化保存協会HP ( こちら ) へ
岩倉・心光院の地図は こちら へ
2008年11月30日
常照寺

『 常照寺 』
元和2 ( 1616 ) 年、鷹峯 に 芸術村 を営んでいた 本阿弥光悦 が日蓮宗の中興の祖とされる 日乾 ( にちけん ) 上人 に土地を寄進し、『 常照寺 』 ( じょうしょうじ ) が創建されました。
後の寛永年間 ( 1624-44年 ) の頃、天下の名妓 として知られた島原の2代目・吉野太夫 が日乾上人に深く帰依していたことから常照寺に朱塗りの山門 ( 吉野門 ) を寄進したと伝えられ、境内には吉野太夫の墓やゆかりの茶室・遺芳庵が残されています。
地図 : 常照寺
写真集 : らくたろう 京都紅葉写真集 「 葉色みやび 」
2008年11月29日
上賀茂神社

『 上賀茂神社 』
古代豪族・賀茂氏の氏神 とされる 賀茂別雷大神 ( かもわけいかづちのおおかみ ) を祭神として祀る 『 上賀茂神社 』 ( かみがもじんじゃ ) は、正式名称を 「 賀茂別雷神社 」 ( かもわけいかづちじんじゃ ) といいます。
平安京の遷都以来、皇城鎮護の神 として厚い信仰を集め、厄を祓いあらゆる災難を除く 厄除 や、方除・電気・必勝の神 として広く信仰されています。
本年初めて ライトアップによる紅葉の夜間特別参拝 が行なわれています。
『 上賀茂神社・夜間ライトアップ特別参拝 』 上賀茂神社
本年初めてライトアップによる紅葉の時期の夜間特別参拝
期間 : 平成20年11月22日 ( 火 ) ~ 12月7日 ( 日 )
受付 : 午後6時 ~ 午後8時 ( 8時30分終了 )
初穂料 : 1000円 ( 但し同伴者が中学生以下の場合無料 )
参拝方法 : 参拝希望日前日の午後5時迄に予約の方のみ ( 当日不可 )
連絡先 : 社務所 075-781-0011 ( 担当 : 村松 )
写真集 : らくたろう 京都紅葉写真集 「 葉色みやび 」
2008年11月25日
源光庵

『 源光庵 』
紅葉が美しい鷹峯の 『 源光庵 』 ( げんこうあん ) は、貞和2 ( 1346 ) 年、大徳寺の僧・徹翁義享 ( てつとうぎこう ) 国師の隠居所として創建されました。
一時荒廃しましたが、元禄7 ( 1694 ) 年、卍山道白 ( まんざんどうはく ) 禅師によって再興され、臨済宗から曹洞宗へ改宗しました。
本堂内には丸と四角の窓があり、丸窓を 「 悟りの窓 」、角窓を 「 迷いの窓 」 と名付けられ、窓の向こうには紅葉の美しい庭園が広がっています。
地図 : 源光庵
写真集 : らくたろう 京都紅葉写真集 「 葉色みやび 」
2008年11月22日
光悦寺
安土桃山から江戸初期にかけて活躍した 本阿弥光悦 ( ほんあみこうえつ ) は、家業の刀剣鑑定の他にも陶芸・書画・漆芸など諸芸に優れた才能を発揮しました。
元和元 ( 1615 ) 年、光悦は 徳川家康 から 鷹峯 ( たかがみね ) の地を与えられ、多くの工芸家とともに 芸術村 ( 通称 : 光悦村 ) を築きました。
その後に光悦が亡くなると鷹峯に 『 光悦寺 』 が創建され、現在は秋になると境内が赤く染まる 紅葉の名所 として知られています。
地図 : 光悦寺
2008年11月18日
大仙院
大徳寺の塔頭 『 大仙院 』 ( だいせんいん ) は、永正6 ( 1509 ) 年、近江六角氏の出身である 古岳宗亘 ( こがくそうこう ) 禅師 によって創建されました。
古岳宗亘禅師は後柏原天皇をはじめ、公家や武家からも厚い信仰を集め、天文5 ( 1536 ) 年には後奈良天皇から 大聖国師 の称号を与えられ、以後、大仙院からは多くの名僧を輩出しました。
書院の東北庭は、限られた空間に高い作庭技法と意匠が見られ、室町時代を代表する枯山水庭園 です。
地図 : 大仙院
2008年11月16日
高桐院
大徳寺の塔頭 『 高桐院 』 ( こうとういん ) は、慶長6 ( 1601 ) 年、細川忠興 が父・細川藤孝 の菩提を弔うために、藤孝の弟にあたる 玉甫紹琮 ( ぎょくほじょうそう ) を開山として創建しました。
正保2 ( 1645 ) 年、細川忠興は83歳で亡くなり、遺言によって高桐院の境内西の墓地に遺骨が埋葬され、妻・ガラシャ夫人 とともに眠っています。
客殿の南庭は秋になると紅葉に染まり、落ちた紅葉が苔の緑を覆い隠し、一面の 散紅葉 となります。
地図 : 高桐院
2008年09月03日
大徳寺
臨済宗大徳寺派大本山 の 『 大徳寺 』 ( だいとくじ ) は、正和4 ( 1315 ) 年、禅僧・宗峰妙超 ( しゅうほうみょうちょう : 大燈国師 ) によって開かれ、花園天皇や後醍醐天皇の勅願寺となりました。
室町時代の 応仁の乱 によって一時荒廃しましたが、禅僧・一休宗純 の尽力によって見事に復興しました。
その後、豊臣秀吉 によって 織田信長の葬儀 が大徳寺で行なわれると、戦国武将による塔頭寺院の建立が相次ぎ、隆盛を極めました。
地図 : 大徳寺
2008年07月21日
神光院 きゅうり封じ
京都三弘法 ( 東寺・仁和寺・神光院 ) のひとつとして知られる 神光院 ( じんこういん ) は、本尊として弘法大師像が祀られ、厄除け大師 として信仰されています。
神光院では毎年7月21日と土用の丑の日に 弘法大師 が きゅうりに病苦を封じ込めて病を取り除いた という 『 きゅうり封じ 』 が行われています。
きゅうりに氏名・年齢・病名を書いて白い紙に包み、祈祷を受けて身体の悪い部分をなでて土に埋めると病気を封じこめるといわれています。
地図 : 神光院
2008年05月19日
神光院
西賀茂の弘法さん と親しまれる 『 神光院 』 ( しんこういん ) は、建保5 ( 1217 ) 年に創建された真言宗の寺院です。
本尊・弘法大師像は、弘法大師空海が42歳の時に自ら彫った木像と伝えられ、厄除け大師 として厚い信仰を集めてきました。
境内には、江戸後期から幕末の女流歌人として知られ、家族と死別した後に出家をして生涯を送った 大田垣蓮月 ( おおたがきれんげつ ) の隠棲した茶所が残されています。
地図 : 神光院
2008年05月10日
カキツバタ
『 カキツバタ 』上賀茂神社 の 境外摂社 ( けいがいせっしゃ : 本社の敷地外に鎮座するが、本社に付属し、本社の祭神と縁故の深い神様を祀る神社のこと ) となる 大田神社 ( おおたじんじゃ ) は、天鈿女命 ( あめのうずめのみこと : 天照大神が天の岩屋に隠れた際に岩屋の前で賑やかに踊った女神 : 技芸の神様 ) が祭神として祀られ、芸能上達の御利益 ( その他に方除や病気平癒 ) として信仰されています。
境内の 大田ノ沢 には古くから 『 カキツバタ 』 が群生し、現在は国の天然記念物に指定されています。
地図 : 大田神社
2008年05月05日
賀茂競馬
2008年02月14日
瑞峯院
大徳寺の塔頭 『 瑞峯院 』 ( ずいほういん ) は、天文4 ( 1535 ) 年、豊前豊後 ( 現在の福岡県東部と大分県 ) の領主で キリシタン大名 として知られた 大友宗麟 ( そうりん ) が、深く帰依していた大徳寺の徹岫宗九 ( てっしゅうそうきゅう ) 禅師を開祖に迎えて、自らの菩提寺として創建しました。
方丈南庭 は 重森三玲氏 の作庭による 昭和の名庭 で、「 独坐庭 」 ( どくざてい ) と呼ばれ、大刈込と巨石で蓬莱山と半島をあらわし、そこに打ち寄せる荒波を砂紋で描いています。
地図 : 瑞峯院

らくたび文庫 No.002
『 京の庭NAVI -枯山水庭園編- 』
ときを越えて、
あなたを待つのは京の庭
日本の庭園は、美の空間である海外のガーデンとは異なり、想いや願いを込めて作られた “ ハート ” の空間。 とりわけ京都は素晴らしい庭園の宝庫です。 それは、京都が永く日本の都として栄えてきた証し。 どの庭園からも必ず、なにがしかのメッセージが発せられます。 それを感じながら、思索をめぐらせてください。 まずは、京都が誇る枯山水庭園から!
著者 : 若村亮 / 写真 : 福尾行洋
88ページオールカラー
本体価格 ( 税込 ) : 500円
詳細は こちらへ
2008年01月14日
立砂
2007年12月24日
終い天神
2007年11月23日
光悦寺
安土桃山から江戸初期にかけて活躍した 本阿弥光悦 ( ほんあみこうえつ ) は、代々本阿弥家が家業としてきた 刀剣鑑定 の他に、陶芸 や 書画、漆芸 など様々な文化・工芸に優れた才能を発揮しました。
元和元 ( 1615 ) 年、光悦は 徳川家康 から 鷹峯 ( たかがみね ) の地を与えられ、数多くの工芸家とともに芸術村 ( 通称 : 光悦村 ) を形成しました。
その後に光悦が亡くなると鷹峯に 『 光悦寺 』 が創建され、現在は秋になると境内が赤く染まる 紅葉の名所 としても知られています。
地図 : 光悦寺
2007年10月15日
やきもち
2007年09月08日
相撲
『 相撲 』『 相撲 』 の歴史は古く、神々が腕を取って投げ合う相撲が神話として伝えられ、日本書紀には人が相撲で争う様子が記されています。
相撲は 神事 としての性格が強く、祭りで 五穀豊穣 や 豊漁 を相撲の勝ち負けで占ったり、平安時代の宮中では 「 相撲の節会 」 ( すまいのせちえ ) が行なわれていました。
上賀茂神社 の 「 烏相撲 」 ( 9月9日 ) は、烏が踊るように神職が横跳びをしたのち 「 カーカーカー 」 と烏鳴きをする珍しい神事が見られ、その後に子供による相撲が行われます。
『 烏相撲 』
9月9日10時~ 重陽神事 11時~ 烏相撲
2007年09月05日
やきもち
2007年08月27日
円通寺
『 円通寺 』庭園の外にある自然風景を、庭園の景色の一部として取り入れる作庭技法を 借景 ( しゃっけい ) と言います。
例えば、壮大な山を借景とすることによって、庭園という限られた空間は 無限の奥行き と スケール を持つ空間に変わります。
比叡山を借景とする名庭 で知られる 『 円通寺 』 ( えんつうじ ) は、江戸初期、後水尾上皇 が京都で最も比叡山が美しく見える場所を探し巡り、唯一無二の場所に営んだ離宮 ・ 幡枝御殿 ( はたえだごてん ) が寺院に改められたものです。
2007年05月13日
双葉葵と三葉葵
2007年05月07日
大田神社
『 大田神社 』神話に登場する “ 天鈿女命 ( あめのうずめのみこと ) ” は、天照大神 ( あまてらすおおみかみ ) が天の岩屋に隠れた時に岩屋の前で賑やかに踊った女神であり、そこから 伎芸の守護神 とされています。
『 大田神社 』 は “ 天鈿女命 ” を 祭神 とし、芸能上達の御利益 ( その他、方除や病気平癒 ) があるとされています。
境内の 大田ノ沢 には古くから カキツバタ が群生し、歌人の 藤原俊成 は・・・
神山や 大田の沢のカキツバタ
ふかきたのみは 色に見ゆらむ
と歌に詠んでいます。 現在では国の天然記念物に指定され、まもなく見頃を迎えます ( 毎年5月中旬が見頃 ) 。
2007年05月03日
斎王
『 斎王 』伊勢神宮 や 賀茂神社 の祭祀 ( さいし ) に奉仕した 未婚の内親王 ( ないしんのう : 天皇の姉妹や皇女など皇室の女性 ) を 『 斎王 』 ( さいおう : “ 斎 ” は “ 潔斎して神に仕える ” の意 ) といい、天皇の即位時に吉凶を占って定められ、その天皇一代の間、清らかな身で神社に奉仕していました。
賀茂神社の斎王は、弘仁元 ( 810 ) 年、嵯峨天皇によって初めて定められ、鎌倉時代初めまで約400年続きました。
昭和28年、斎王の古制を復活させ、斎王の代理 「 斎王代 」 ( さいおうだい ) として現在では 民間の未婚の女性 が選ばれて祭りを華やかに彩ります。『 斎王代御禊神事 』 ( さいおうだいみそぎしんじ )
5月4日 下鴨神社
葵祭の斎王代が身を清める神事
十二単を着た斎王代が川に手を浸して身を清めます
2007年05月02日
清めの神事
『 清めの神事 』風薫る5月、新緑の美しい京都は 葵祭 ( あおいまつり ) の季節を迎えます。
祭りの幕開けとなる 3日 流鏑馬神事 ( やぶさめしんじ ) は、疾走する馬上から射手が清め祓いの矢で的を射る神事であり、15日の大祭行列の平穏無事を祈願して行われます。
4日 斎王代御禊神事、5日 競馬会神事 ・ 歩射神事、12日 御蔭祭 と、大祭の清めの神事が続き、そして 15日、平安の王朝絵巻の如く華麗で優雅な行列 「 路頭の儀 」 が行なわれます。
葵祭は、半月に渡って様々な神事が執り行われる壮大華麗な大祭です。
『 流鏑馬神事 』 下鴨神社
5月3日 ( 木 )
『 斎王代御禊神事 』 下鴨神社
5月4日 ( 金 )
『 競馬会神事 』 上賀茂神社
5月5日 ( 土 )
『 歩射神事 』 下鴨神社
5月5日 ( 土 )
2007年05月01日
競馬会足汰式
『 競馬会足汰式 』上賀茂神社 と 下鴨神社 を総称して 「 賀茂社 」 と称し、古代豪族の賀茂氏が祖神をまつる神社として創建されました。
賀茂社の例祭である 「 賀茂祭 」 ( 通称、葵祭 ) は、6世紀中頃に 凶作を鎮めて五穀豊穣を祈る神事 としてが始まったと伝えられ、上賀茂神社では毎年5月1日 ( 今日 )、葵祭の神事のひとつ 『 競馬会足汰式 』 ( くらべうまえ あしそろえしき ) が執り行われています。
5日の競馬会神事に先立ち、馬の年齢や遅速を実際に走らせて見極め、本番の競馬会神事で疾走する組合せを決定する儀式です。
『 競馬会足汰式 』
5月1日 ( 火 ) 午後1時頃~
烏帽子に浄衣の装束で騎乗して馬が試走します。
2007年04月14日
吉野太夫
『 吉野太夫 』江戸時代初め、京はもとより、遠く江戸にまで “ 京の島原に浮舟あり ” と知られた名妓がいました。 浮舟太夫 ( うきふねだゆう ) は絶世の美女というだけではなく、和歌や茶道、書道や生け花など、諸芸どれをとっても並ぶ者がない才気も持つ、まさに 当世一の名妓 でした。
春、桜が咲き誇る島原で、浮舟はまだ見たことのない 吉野山の桜 を想い浮かべながら歌を詠みました。
ここにさへ
さぞな吉野は 花ざかり
当世一の名妓に当世一の吉野桜、人はいつしか浮舟の名を 『 吉野太夫 』 と呼ぶようになりました。
『 吉野太夫 追善花供養 』
4月15日 ( 日 )
吉野太夫を偲ぶ追善の花供養
光悦寺から島原太夫による太夫道中があり、
また野点席では島原太夫のお点前もあります。
2007年04月12日
上品蓮台寺
千本鞍馬口に位置する京都屈指の古刹 『 上品蓮台寺 』 ( じょうぼんれんだいじ : 真言宗智山派 ) は、今から約1400年前、聖徳太子 が 母の菩提を弔う ために創建したと伝えられています。
一時は 応仁の乱 で焼失して寺勢が衰えましたが、江戸時代には再興されて子院12ヵ寺をもつ大寺として繁栄し、その子院12ヵ寺より 「 十二坊 」 と呼ばれて町衆から厚い信仰を集めてきました ( 現在は子院3ヵ寺 )。
現在、境内にはソメイヨシノ、枝垂れ桜、紅枝垂れ桜が同時に咲き誇り、見事な春の競演を見せてくれています。












