2017年02月03日

2/3(金) おき・らくたび ≪ 平安神宮 節分祭 ≫

さて、本日の節分ツアーの最後は、平安神宮へ。



午後3時、鬼たちが境内で暴れて、年男たちが豆をまいて鬼を追い払い・・・



門から外へ出て、見事に鬼を退散させました!



その後、拝殿から豆まきが始まりました。



さすが平安神宮です、広い場所で多くの豆をまいてくれますので、しっかりと豆をゲットすることができました~!♪ ( 笑 )



こうして、本日の節分ツアーは大満足のうちに終わりました。 明日は立春で、暦上は明日から春になりますが、良い春を迎えることができそうです。
  

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2016年06月18日

≪ 夏越祓・茅の輪 ≫ in 平安神宮

本日の散策の最後に参拝しました 平安神宮 には、はやくも 茅の輪 が設けられていて、多くの人びとが 厄除け無病息災 を願って 茅の輪 をくぐっていました ( 笑 )

平安神宮


茅の輪


今年も折り返し、後半年の無事を願う 夏越祓の季節 がやってきました~。
  

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2016年06月18日

≪ 尊勝寺 跡 ≫ in 京都・岡崎

本日、京都最高気温33.5° を記録する暑さ ( 今年最高気温 ) になりましたが、KBS京都ラジオ 「 ほっかほかラジオ 」 リスナーの皆さんと 東山界隈を散策するイベント を実施しまして、南禅寺無鄰菴白河院・六勝寺跡平安神宮 を巡ってきました。

尊勝寺跡・石碑


現在、平安神宮が建つ岡崎周辺は、かつて平安後期の上皇による院政が行われた地でもあり、天皇・皇后ゆかりの寺院が建ち並ぶ 六勝寺 ( ろくしょうじ : 法勝寺・尊勝寺・最勝寺・円勝寺・成勝寺・延勝寺 ) と総称される地でもありました。

太陽がガンガンと照り付ける中、尊勝寺跡 の石碑を見学して、最後は 平安神宮 を参拝してきました。 来月はいよいよ 祇園祭後祭・宵山 に行く予定です、こうご期待ください!
  

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2010年04月07日

平安神宮 神苑



 『 平安神宮 神苑 』

  平安神宮 の社殿を取り囲むように広がる 『 神苑 』 ( しんえん ) は、明治時代に作庭された代表的な日本庭園として広く親しまれ、入り口から順に 南神苑西神苑中神苑東神苑 と続いています。

  南神苑 になると ≪ 紅枝垂れ桜 ≫ が一面咲き誇り、西神苑初夏≪ 睡蓮 ( スイレン ) ≪ 河骨 ( コウホネ ) が彩りを添え、中神苑≪ 杜若 ( カキツバタ ) が群生します。

  そして 東神苑栖鳳池 を中心として 尚美館泰平閣 などの建物が建ち、雄大な眺めを楽しむことができます。

『 平安神宮 紅しだれコンサート 』 平安神宮・神苑
  4/8(木)~4/11(日) 18:15~21:00( 雨天決行 / 最終入場 20:30 )
  入場料 : 2000円( 前売 1700円 )
  イベントの詳細は こちら
  

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2010年04月05日

琵琶湖疏水

 『 琵琶湖疏水 』

  滋賀県の琵琶湖から京都市に通じる運河を 『 琵琶湖疏水 』 ( びわこそすい ) といい、明治時代の開通以来、上水道発電灌漑水運 ( 船運 ) などの目的で活用され、現在は 蹴上浄水場 への 水供給 が主目的となっています。

  明治維新後の京都は 東京遷都 による 人口の減少産業の衰退 が著しく、第3代 京都府知事北垣国道 が琵琶湖疏水計画を京都の近代化の基盤となる大事業と位置づけて実行し、約5年の工事期間を経て明治23 ( 1890 ) 年に第一疏水が完成しました。

琵琶湖疏水に浮かぶ
≪ 岡崎桜回廊十石舟めぐり ≫
 公式HPは こちら
  

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2010年02月03日

須賀神社・懸想文売り

 『 須賀神社・懸想文売り 』

  『 須賀神社 』 ( すがじんじゃ ) の 節分祭 には、梅の枝に文を結んで境内を売り歩く 『 懸想文売り 』 ( けそうぶみうり ) が登場します。

  昔、貧乏なお公家さんが素性を隠すために覆面をして街へ出歩き、文字の書けなかった庶民のためにラブレター ( 懸想文 ) の 代筆 をしたと伝えられています。

  神社で授与される懸想文は “ 人知れず鏡台や箪笥の引出しに入れておくと顔・かたちが美しくなり着物が増え、良縁が有る ” ということで、古くより京の街の女性に買い求められてきました。

地図 : 須賀神社
  

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2009年11月19日

黒谷

 『 黒谷 』

  法然上人 が修行を終えて比叡山を下り、はじめて草庵を組んだところが現在の 金戒光明寺 ( こんかいこうみょうじ ) あたりの 『 黒谷 』 ( くろたに ) と伝えられています。

  黒谷の地名は、比叡山黒谷 で法然上人が修行を行っていたことに由来し、いつしか金戒光明寺は 「 くろたにさん 」 と呼ばれるようになりました。

  金戒光明寺は西に大きく開けた小高い丘の上に位置し、夕陽が沈む西方極楽浄土を拝むことができる場所として、厚い信仰を集めています。
  

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2009年11月09日

真如堂

 『 真如堂 』

  吉田山の東、神楽岡 ( かぐらおか ) に建つ 『 真如堂 』 ( しんにょどう ) は、正式寺名を 「 真正極楽寺 」 ( しんしょうごくらくじ ) と称する天台宗の寺院です。

  真如堂の歴史は、平安中期の永観2 ( 984 ) 年、比叡山の僧・戒算 ( かいざん ) が 延暦寺常行堂 ( じょうぎょうどう ) に安置されていた 阿弥陀如来像神楽岡 に移して祀ったことに始まります。

  室町後期の 応仁の乱 で諸堂を焼失した後は寺地を転々としましたが、元禄6 ( 1693 ) 年、旧地の神楽岡に戻って諸堂を再建し、現在に至っています。

地図 : 真如堂
  

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2009年09月03日

吉田神社

 『 吉田神社 』

  吉田山 に鎮座する 『 吉田神社 』 ( よしだじんじゃ ) は、貞観元 ( 859 ) 年、藤原山蔭 ( ふじわらのやまかげ ) が奈良・春日大社 に祀られていた 春日神 の分霊を吉田山に遷し祀って、平安京の鎮守の神としたことにはじまります。

  それ以来、貴族・藤原氏 の京都における 氏神 とされ、また永延元(987)年には 一条天皇行幸 ( ぎょうこう : 天皇が出掛けること ) するなど皇室からも厚い崇敬を受けました。

地図 : 吉田神社
  

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2009年06月08日

六勝寺

 『 六勝寺 』

  平安神宮 をはじめ、京都府立図書館京都市美術館国立近代美術館 などが建ち並ぶ 岡崎一大文化ゾーン として市民に親しまれていますが、かつて平安末期には、第72代・白河天皇 が上皇となって 院政 を行った 一大政治ゾーン でもありました。

  また、白河院付近には 皇室の御願寺 として 法勝寺尊勝寺最勝寺円勝寺成勝寺延勝寺 の六寺が相次いで建立され、いずれも 「 勝 」 の字を含むことから総称して 『 六勝寺 』 ( ろくしょうじ ) と呼ばれ、一大仏教ゾーン を形成していました。
  

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2009年05月24日

平安神宮

 『 平安神宮 』

  平安京遷都1100年を記念して、明治28 ( 1895 ) 年、京都・岡崎にて 第4回国内勧業博覧会 が盛大に開催されました。

  その際に 『 平安神宮 』 ( へいあんじんぐう ) が創建され、境内に立ち並ぶ社殿は 平安京朝堂院 ( ちょうどういん : 宮中の正殿 ) を史実に基づいて再現して建立されました。

  平安神宮の御祭神は、第50代・桓武天皇 と 第121代・孝明天皇 であり、京の都の最初と最後の天皇を御祭神として祀っています。
  

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2009年05月17日

龍尾壇

 『 龍尾壇 』

  平安神宮 の建築物は、かつての 平安京朝堂院 ( ちょうどういん : 天皇の即位式など国家の重要な儀式を執り行う正殿 ) を忠実に再現して建築されています。

  参拝者が訪れる 拝殿 は朝堂院の 大極殿 にあたり、その前庭には少し 高低差 がある段差が設けられています。

  この段差は 『 龍尾壇 』 ( りゅうびだん ) と呼ばれ、平安時代には龍尾壇を登って大極殿に近づくことが許された者は、高い位階 を任じられた 一部の限られた貴族 のみでした。
  

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2008年11月12日

紫雲石

 『 紫雲石 』

  法然上人 が比叡山で修行を終えて山を下り、浄土念仏を唱えるために結んだ 黒谷の草庵 がのちに 金戒光明寺 となりました。

  金戒光明寺の塔頭・西雲院 に現存する法然上人ゆかりの 『 紫雲石 』 ( しうんせき ) には “ 紫雲石の逸話 ” が伝えられており、法然上人が黒谷の丘の上に突き出た石の上に座して念仏を唱えたところ、たちまち空に紫の雲がたなびき、いくつもの光が天から地上に差し込めるような霊験あらたかな光景を目にしたとされています。

地図 : 西雲院  

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2008年08月28日

陽成天皇

 『 陽成天皇 』

  第57代・陽成天皇 ( ようぜい ) は、第56代・清和天皇 ( せいわ ) の第一皇子として生まれ、9歳で天皇に即位しました。

  しかし、宮中で臣下を殴殺する事件を起こし ( これには疑問点も多く諸説あり )、また時の摂政・藤原基経 ( もとつね ) との確執から関係が悪化して廃位させられました。

  退位後は上皇となり、第58代・宇多天皇 ( うだ ) から第62代・村上天皇 ( むらかみ ) までの65年間の長きにわたる上皇歴 ( 歴代1位 ) を重ねました。

地図 : 樂岡東陵 ( かぐらがおかのひがしのみささぎ : 陽成天皇陵 )  

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2008年01月05日

囲碁

 『 囲碁 』

  『 囲碁 』 ( いご ) は、古く中国の占星術の一流が起源とされ、日本へは奈良時代に伝来し、奈良・東大寺の 正倉院 にも碁盤と碁石が残されています。

  平安時代の 枕草子源氏物語 にも囲碁と思われる遊戯が登場し、その後は武士に大いに好まれ、寂光寺 ( 京都 ) の僧坊 ・ 本因坊 ( ほんいんぼう ) に起居した囲碁の名手 ・ 日海 ( のちの 本因坊算砂 ) は 織田信長 より 名人の称号 を許され、囲碁の家元 「 本因坊 」 は江戸時代、囲碁の一流派として隆盛しました。

  1月5日囲碁の日 です。

◆ 地図 : 寂光寺 ( 囲碁本因坊の寺 )  

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2007年08月24日

文殊の知恵

 『 文殊の知恵 』

  文殊菩薩 ( もんじゅぼさつ ) は 知恵をつかさどる菩薩 とされ、“ 文殊の知恵 ” ( 文殊菩薩のようなすぐれた知恵という意味 ) という言葉があるように知恵の象徴でもあります。

  金戒光明寺三重塔 は、江戸初期に江戸幕府 2代将軍 徳川秀忠 ( ひでただ ) の菩提を弔うために建立され、内部には本尊として 運慶作文殊菩薩 が祀られています。

  切戸の文殊 ( 京都府宮津市 )、安倍の文殊 ( 奈良県桜井市 ) とともに 日本三文殊 のひとつに数えられています ( 諸説あり )。

地図 : 金戒光明寺 三重塔  

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2007年07月08日

天王町

 『 天王町 』

  牛頭天王 ( ごずてんのう ) は元はインドの 祇園精舎の守護神 であり、同時に疫病をもたらす 疫神 ( えきじん ) とされてきました。

  古くは単に “ 天王 ” ( てんのう ) といえば “ 牛頭天王 ” をさすことが多く、各地にみられる “ 天王 ” が付く地名は “ 牛頭天王 ” ( 現在は素戔嗚尊 ) を祀る神社に因むものが多くみられます。

  白川丸太町に鎮座する 『 岡崎神社 』 は “ 牛頭天王 ” ( 現在は素戔嗚尊 ) が祀られており、当地には 岡崎天王町 という地名が付けられています。

地図 : 岡崎神社  

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2007年05月27日

合槌稲荷

 『 合槌稲荷 』

  粟田口 ( あわたぐち ) は、鎌倉時代まで多くの刀匠 ( とうしょう : 刀を作る人 ) が住む町でした。

  ある日、名刀匠の 三条小鍛治宗近 ( さんじょうこかじむねちか ) に対して、朝廷へ献じる名刀の製作が命じられ、宗近は伏見稲荷へ祈願を込めて参詣しました。

  すると、夜半に 稲荷の神霊 が現れて 合槌 ( あいづち ) を打ち、見事な名刀 「 小狐丸 」 が朝廷へ献上されました。

  稲荷の神霊は 『 合槌稲荷 』 と呼ばれ、粟田口の小さな神社に祀られています。

合槌 / 相槌 ( あいづち ) ・・・ 刀を作る時、二人の刀匠が交互に槌 ( つち ) で鉄を打ち叩くこと。

地図 : 合槌稲荷
  

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2007年03月27日

金戒光明寺

 『 金戒光明寺 』

  法然上人 が比叡山で修行を終えて山を下り、浄土念仏 を唱えるためにはじめて営んだ草庵がのちに寺院として隆盛し、現在の 金戒光明寺 となりました。

  比叡山の “ 黒谷 ” で修行を行っていた法然上人が草庵を営んだことから、いつしか金戒光明寺は “ くろたにさん ” と呼ばれるようになりました。

  金戒光明寺は西に大きく眺望が開ける小高い丘の上に位置し、夕陽が沈む 西方極楽浄土 を拝むことができる場所として、現在も厚い信仰を集めています。

地図 : 金戒光明寺

※ 3月23日発行 「 京都シティリビング 」 で、らくたびオススメの桜情報として金戒光明寺を紹介しています。 ぜひご覧ください。
  リンク : 京都シティリビング = 京都人オススメ 桜スポット =  

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2007年02月01日

吉田神社の追儺式

 『 吉田神社の追儺式 』

  御所の 表鬼門 ( 北東の方角 : 悪鬼が生じる方角として忌み嫌われる ) を封じるために創建された 吉田神社 では、2日 ( 明日 ) の夜、節分行事『 追儺式 』 ( ついなしき ) が行なわれます。

  赤、青、黄の 三匹の鬼 が境内を暴れまわり、方相氏 ( ほうそうし : 黄金の4つの目を持つ儀式の主役 ) が鬼の前に立ちはだかり、見事に退治して厄を祓います。

  三匹の鬼は 人間の三毒 ( 欲、憎悪、愚かさ ) をあらわし、その三毒を退治して清い心で新年 ( 節分は昔、旧正月を迎える大晦日の行事 ) を迎えるという意味があります。

地図 : 吉田神社  

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2006年11月25日

鎧掛けの松

 『 鎧掛けの松 』

  平安時代末期、源氏と平氏が互いの興廃をかけて戦った 一の谷の戦い において、源氏方の武将 熊谷直実 ( くまがやなおざね ) が、平氏方の若き貴公子 平敦盛 ( たいらのあつもり ) を涙ながらに討つ話しは 「 平家物語 」 で世に広く知られています。

  熊谷直実 はのちに殺生の虚しさを感じ、建久3 ( 1192 ) 年 11月25日 ( 今日 )、浄土念仏を唱える 法然上人 の庵 ( 現在の金戒光明寺 ) を訪ねて出家しました。

  金戒光明寺 には、直実が出家した際に鎧を掛けたと伝えられる 『 鎧掛けの松 』 が今も残されています。

地図 : 金戒光明寺
  

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