2011年12月01日

東福寺

 『 東福寺 』

  鎌倉時代、九条家 ( 公家のひとつ ) の 菩提寺 として創建された 『 東福寺 』 ( とうふくじ ) は、奈良の 東大寺 の規模と、興福寺 の教学にあやかって 「 東 」「 福 」 の一文字づつに由来して 『 東福寺 』 と名付けられました。

  禅宗が最も隆盛を誇った室町時代から江戸時代にかけて、東福寺には千人を超える修行僧達が日夜、厳しい修行に励んでいたと伝えられています。

  東福寺境内には 洗玉澗 ( せんぎょくかん ) と呼ばれる小渓谷があり、その渓谷に架かる 通天橋 からは深紅の紅葉を楽しむことができます。
  

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2009年07月22日

東福寺 三門

 『 東福寺 三門 』

  東福寺三門 は、創建当時の建物が火災で焼失した後、室町初期の応永年間 ( 1394年 - 1428年 ) に再建された建物になり、現存する我が国最古の三門 として 国宝 に指定されています。

  東福寺の創建には、奈良の東大寺・興福寺という南都二大寺の強い影響があり、三門の建築様式は、東大寺の仁王門や大仏殿に見られる 大仏様天竺様 ) をはじめ、禅宗様唐様 ) や 和様 を折衷した美しい建築様式が見られます。

『 京の夏の旅 特別公開 』
 東福寺 三門
  7月18日(土)~8月31日(月) 10時~16時30分
  600円
  

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2009年03月14日

猫入り涅槃図

 『 猫入り涅槃図 』

  涅槃図 には 釈迦 の涅槃 ( 死 ) を嘆き悲しむ大勢の弟子とともに、象や虎や孔雀など様々な 鳥獣 が描かれています。

  ところが昔から涅槃図に が描かれることはなく、“ 釈迦の使いである鼠を猫が食べたから ”“ 猫は鼠にだまされて釈迦の涅槃 ( 死 ) に間に合わなかった ” など諸説が伝えられています ( ゆえに猫は干支にもいない ) 。

  ところが 東福寺 の涅槃図は 『 猫入り涅槃図 』 ( 室町時代 ) と呼ばれ、作者の 明兆 が描いている時に絵の具 ( 染料 ) を裏山 ( 現、絵具谷 ) から持ってきた猫を描いた、といわれています。

『 東福寺涅槃会 』  東福寺
   3月14日~16日
   縦15m×横8mの涅槃図
   室町時代の画家明兆作 「 猫入り涅槃図 」
   涅槃図のある本堂は無料、その他、特別拝観あり  

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2009年02月23日

法性寺

 『 法性寺 』

  平安前期の第61代・朱雀天皇 の御世に摂政・関白と歴任した 藤原忠平 ( ふじわらのただひら ) は、延長3 ( 925 ) 年に 藤原氏の氏寺 として 『 法性寺 』 ( ほっしょうじ ) を建立し、藤原氏の隆盛とともに伽藍が整えられ、壮大な堂塔が並ぶ一大寺院となりました。

  しかし、鎌倉時代になって藤原氏の流れを汲む 九条道家 が、法性寺の境内に 東福寺 を創建したことから次第に法性寺は衰微し、現在は浄土宗の小さな寺院になっています。

地図 : 法性寺  

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2009年01月30日

霊雲院

 『 霊雲院 』

  『 霊雲院 』 ( れいうんいん : 東福寺の塔頭 ) は、明徳元 ( 1390 ) 年に僧・岐陽方秀によって開かれました。

  書院前庭は 遺愛石 のある珍しい庭として知られていましたが、長い歴史の中で荒廃し、近年になって 重森三玲氏 により修復されました。

  「 九山八海の庭 」 とも呼ばれ、これは仏の住む世界は中央に須弥山があって九つの山と八つの海が取り囲むと考えられており、庭中央の遺愛石が須弥山、それを取り囲む白砂が九山八海をあらわしていることによります。  

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2009年01月17日

東福寺の禅堂

 『 東福寺の禅堂 』

  鎌倉時代に九条家の菩提寺として創建された 東福寺 は、東大寺の規模 と、興福寺の教行 ( 教えや修行 ) にあやかって 「 東 」「 福 」 の一文字づつを取って 「 東福寺 」 と名付けられました。

  禅宗が隆盛を誇った室町から江戸時代にかけて、東福寺には千人を超える修行僧達が日夜、厳しい修行に励んでいたと伝えられています。

  室町前期に建てられた 東福寺の禅堂 は、禅堂建築としては国内最古を誇り、日夜修行に励む修行僧の座禅をずっと見守り続けてきました。  

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2008年11月24日

東福寺

 『 東福寺 』

  鎌倉時代、九条家 ( 公家のひとつ ) の 菩提寺 として創建された 『 東福寺 』 ( とうふくじ ) は、東大寺 ( 奈良 ) の規模と、興福寺 ( 奈良 ) の教学にあやかって 「 東 」「 福 」 の一文字づつをいただいて 『 東福寺 』 と名付けられました。

  禅宗が最も隆盛を誇った室町時代から江戸時代にかけて、東福寺には千人を超える修行僧達が日夜、厳しい修行に励んでいたと伝えられています。

  東福寺境内には 洗玉澗 ( せんぎょくかん ) と呼ばれる小渓谷があり、その渓谷に架かる 通天橋 からは真っ赤に彩付いた紅葉を楽しむことができます。  

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2008年11月03日

月輪陵

 『 月輪陵 』

  泉涌寺 ( せんにゅうじ ) は 皇室の菩提寺 として格式高い歴史を受け継ぎ、「 御寺 」 ( みてら ) と呼ばれています。

  泉涌寺境内の東には 『 月輪陵 』 ( つきのわりょう ) と呼ばれる 天皇の陵墓灰塚 などがあり、鎌倉時代の第87代・四条天皇 をはじめ、江戸時代の第108代・後水尾天皇 から第120代・仁孝天皇 までの25陵・5灰塚・9墓が営まれています。

  また月輪陵の背後の山腹には、南に第121代・孝明天皇後月輪東山陵、北に 英照皇太后後月輪東北陵 が築かれています。

地図 : 月輪陵  

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2008年08月25日

今熊野観音寺

 『 今熊野観音寺 』

  西国三十三箇所観音霊場第15番札所 として多くの参拝者が訪れる 『 今熊野観音寺 』 ( いまくまのかんのんじ ) は、弘法大師空海熊野権現 ( 紀州・熊野三山の祭神 ) の化身という老翁から 十一面観音像 を授けられて安置したことに始まると伝えられています。

  頭痛など病気に悩んだ 後白河法皇治癒 に霊験あらたかであったと伝えられ、以来、中風や頭痛平癒の観音様 として庶民から厚い信仰を集めてきました。

地図 : 今熊野観音寺  

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2008年06月29日

瀧尾神社

 『 瀧尾神社 』

  京阪電車・東福寺駅を降りて北へ歩くと、大国主命を祭神とする 『 瀧尾神社 』 ( たきおじんじゃ ) が鎮座しています。

  創建時期ははっきりしていませんが、天正14 ( 1586 ) 年、豊臣秀吉の方広寺大仏殿の建立にともなって当地に移築されたと伝えられています。

  京都の 豪商下村家大丸百貨店 の創業一族 ) の崇敬が厚く、下村家によって元文3 ( 1738 ) 年から幾度も社殿の修復が行なわれ、現在の社殿も天保11 ( 1840 ) 年に造営されたものとなっています。

地図 : 瀧尾神社  

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2008年06月28日

来迎院

 『 来迎院 』

  泉涌寺の塔頭 『 来迎院 』 ( らいごういん ) は、大同元 ( 806 ) 年、弘法大師・空海 が唐 ( 中国 ) から持ち帰った 荒神像 を祀るために創建したと伝えられています。

  境内には 独鈷水 ( とっこすい ) と呼ばれる水が現在でも湧いており、弘法大師が密教の法具である 独鈷 ( とっこ ) を使って水脈を探し当てたと伝えられています。

  また、忠臣蔵で知られる 大石内蔵助檀家 になった寺院でもあり、大石内蔵助が建てた茶室・含翠軒 ( がんすいけん ) が境内に現存しています。

地図 : 来迎院  

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2008年05月28日

身代わりの釈迦如来

 『 身代わりの釈迦如来 』

  泉涌寺の塔頭・戒光寺 ( かいこうじ ) は、安貞2 ( 1228 ) 年、後堀川天皇が国家鎮護などを祈願する勅願所として創建されました。

  江戸初期、後水尾天皇 が皇太子だった頃、次の皇位をめぐる争いから暗殺されましたが、戒光寺の本尊・釈迦如来 が首から血を流して身代わりとなって救ったことから、それ以来 『 身代わりの釈迦如来 』 と呼ばれるようになり、悪事や首から上の病気の身代わりになってくれるとして厚い信仰を集めてきました。  

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2008年01月30日

霊雲院

 『 霊雲院 』

  『 霊雲院 』 ( れいうんいん : 東福寺の塔頭 ) は、明徳元 ( 1390 ) 年に僧・岐陽方秀によって開かれました。

  書院前庭は 遺愛石 のある珍しい庭として知られていましたが、長い歴史の中で荒廃し、近年になって 重森三玲氏 により修復されました。

  「 九山八海の庭 」 とも呼ばれ、これは仏の住む世界は中央に須弥山があって九つの山と八つの海が取り囲むと考えられており、庭中央の遺愛石が須弥山、それを取り囲む白砂が九山八海をあらわしていることによります。  

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2008年01月19日

東福寺の禅堂

 『 東福寺の禅堂 』

  鎌倉時代に九条家の菩提寺として創建された 東福寺 は、東大寺の規模 と、興福寺の教行 ( 教えや修行 ) にあやかって 「 東 」「 福 」 の一文字づつを取って 「 東福寺 」 と名付けられました。

  禅宗が隆盛を誇った室町から江戸時代にかけて、東福寺には千人を超える修行僧達が日夜、厳しい修行に励んでいたと伝えられています。

  室町前期に建てられた 東福寺の禅堂 は、禅堂建築としては国内最古を誇り、日夜修行に励む修行僧の座禅をずっと見守り続けてきました。  

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2007年11月21日

泉涌寺

 『 泉涌寺 』

  月輪山の麓に静かに佇む 『 泉涌寺 』 ( せんにゅうじ ) は、天長年間 ( 824 - 834年 ) に 弘法大師 が当地に庵を結んだ事に歴史が始まり、法輪寺 から 仙遊寺 と改称し、健保6 ( 1218 ) 年に 月輪大師 が伽藍を建立して 泉涌寺 となりました。

  境内奥の 御座所 ( ござしょ ) は、江戸時代に造営された 京都御所の御殿 を明治に移築された建築物です。

  また、御座所の前には秋になると 紅葉が彩る美しい庭園 が広がり、仙洞御所より移された 光格天皇遺愛の雪見灯籠 が置かれています。

地図 : 泉涌寺  

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2007年10月18日

即成院

 『 即成院 』

  正暦3 ( 992 ) 年、僧の 源信 ( げんしん ) が伏見に 光明院 を建立し、のちに藤原頼道 ( よりみち ) の子である 橘俊綱 ( たちばなのとしつな ) が伏見の広大な山荘に光明院を移し、即成就院 と称したのがはじまりと伝えられています。

  平安後期は阿弥陀如来の導きによって極楽浄土へ生まれ変わることを願う 浄土信仰 が盛んとなり、堂内に 阿弥陀如来二十五菩薩 が祀られました。

  仏像群が居並ぶ壮観な空間は、まるで 極楽浄土 が目の前に広がる感覚を見る者にもたらしてくれます。

『 二十五菩薩お練り供養法会 』  即成院
   10月21日 ( 日 ) 13時 ~
   拝観料 当日 : 本堂 1000円 / 境内入内は無料
   本堂を浄土とし、地蔵堂を現世に見立て、菩薩装束を
   つけた25人が、50mの橋をゆっくりと渡ります。  

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2007年05月25日

重要文化財のトイレ

 『 重要文化財のトイレ 』

  『 東司 』 ( とうす ) とは 「 厠 」 ( かわや ) の別名で、つまり “ トイレ ” のことです。

  東福寺の東司 ( 重要文化財 ) は細長い木造建築物の内部に 36個の壺が 2列 ( 合計 72個 ) 並べられており、室町時代から明治維新に至るまで実際に 禅僧のトイレ として使用されていました。

  禅僧にとって 用便は修行のひとつ であり、東司の使用には 厳格な作法 が定められていました。

  清潔にすることは功徳を積む修行 であり、その禅の精神を今に伝える室町時代唯一の東司の遺構として貴重な建築物です。

地図 : 東福寺の東司  

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2007年05月23日

即成院

 『 即成院 』

  正暦3 ( 992 ) 年、僧の源信 ( げんしん ) が伏見に光明院を建立し、のちの寛治年間 ( 1087 ~ 94 ) に藤原頼道の子である橘俊綱 ( たちばなのとしつな ) が伏見の山荘に光明院を移し、「 即成就院 」 と称したのがはじまりと伝えられています。

  平安後期は阿弥陀如来の導きによって極楽浄土へ生まれ変わることを願う 浄土信仰 が盛んとなり、堂内に 現世極楽浄土 をあらわす高さ5.5メートルの 阿弥陀如来坐像 と、その左右に 二十五菩薩 が祀られました。

地図 : 即成院  

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2007年05月22日

戒光寺

 『 戒光寺 』

  泉涌寺の塔頭 『 戒光寺 』 ( かいこうじ ) は、古くは安貞2 ( 1228 ) 年、後堀川天皇が国家鎮護などを祈願する勅願所として、僧の曇照 ( どんしょう ) によって八条大宮の地に創建され、正保2 ( 1645 ) 年、泉涌寺の塔頭として現在地に移転しました。

  本尊の 釈迦如来立像 は、鎌倉時代を代表する仏師の 運慶 ( うんけい ) と 湛慶 ( たんけい ) 父子の合作と伝えられ、下の台座から上の光背部まで約10mの高さを誇り、仰ぎ見る圧倒的な存在感は釈迦如来の深い慈悲そのものです。

地図 : 戒光寺  

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2007年03月15日

猫入り涅槃図

 『 猫入り涅槃図 』

  涅槃図 には 釈迦 の涅槃 ( 死 ) を嘆き悲しむ大勢の弟子とともに、象や虎や孔雀など様々な 鳥獣 が描かれています。

  ところが昔から涅槃図に が描かれることはなく、“ 釈迦の使いである鼠を猫が食べたから ”“ 猫は鼠にだまされて釈迦の涅槃 ( 死 ) に間に合わなかった ” など諸説が伝えられています ( ゆえに猫は干支にもいない ) 。

  ところが 東福寺 の涅槃図は 『 猫入り涅槃図 』 ( 室町時代 ) と呼ばれ、作者の 明兆 が描いている時に絵の具 ( 染料 ) を裏山 ( 現、絵具谷 ) から持ってきた猫を描いた、といわれています。

『 東福寺涅槃会 』  東福寺
   3月14日~16日
   縦15m×横8mの涅槃図
   室町時代の画家明兆作 「 猫入り涅槃図 」
   涅槃図のある本堂は無料、その他、特別拝観あり  

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2006年11月23日

筆供養

 『 筆供養 』

  東福寺の塔頭 「 正覚庵 」 ( しょうがくあん ) の境内には、文化年間 ( 1804~18 ) に築かれた 「 筆塚 」 があり、それ以来、人びとから 『 筆の寺 』 として親しまれてきました。

  正覚庵では毎年11月23日 ( 今日 )、古くなった筆や鉛筆などの筆記具に感謝して供養する 「 筆供養 」 が行なわれています。

  書家や学校・会社などから廃筆や鉛筆が奉納され、学業上達文運興隆 を祈祷しながら奉納された筆を護摩火に投げ入れて供養を行います。

  護摩火で供養された筆からあがる煙を浴びると 「 字が上達する 」 と言われています。

『 筆供養 』  正覚庵
   11月23日
   10:00~ 供養する筆の受付
   13:00~ 筆神輿の山内巡行
   14:00~ 筆供養
  

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2006年11月22日

東福寺

 『 東福寺 』

  鎌倉時代、九条家 ( 公家のひとつ ) の 菩提寺 として創建された 『 東福寺 』 ( とうふくじ ) は、東大寺 ( 奈良 ) の規模と、興福寺 ( 奈良 ) の教学にあやかって 「 東 」「 福 」 の一文字づつをいただいて 『 東福寺 』 と名付けられました。

  禅宗が最も隆盛を誇った室町時代から江戸時代にかけて、東福寺には千人を超える修行僧達が日夜、厳しい修行に励んでいたと伝えられています。

  東福寺境内には 洗玉澗 ( せんぎょくかん ) と呼ばれる小渓谷があり、その渓谷に架かる 通天橋 からは真っ赤に彩付いた紅葉を楽しむことができます。

地図 : 東福寺
  

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