2016年04月19日

≪ 新緑 ≫ in 天龍寺・勅使門

天龍寺勅使門 には、青空 に向かう 手を伸ばす かのような 新緑 が!



研修講師という仕事ではありましたが、新緑に癒されました ~ ( 笑 )
  

Posted by 若村 亮  at 19:29Comments(0)嵐山・嵯峨野季節の花・紅葉

2016年04月19日

世界遺産 ≪ 美しい花に包まれる、天龍寺 ≫

精進料理をいただいた後は、天龍寺 の拝観へ。

■ 天龍寺
公式HP http://www.tenryuji.com/


柔らかい 新緑 が印象的でした~♪



4月下旬といえば、鮮やかな黄色の花を咲かせる、山吹 の季節ですね。



大輪の 牡丹 も、咲き始めていました!



美しい花が咲き誇る、天龍寺の境内でした。
  

Posted by 若村 亮  at 19:22Comments(0)嵐山・嵯峨野季節の花・紅葉

2016年04月19日

≪ 禅寺めぐりのランチは精進料理 ≫ in 天龍寺・篩月

天龍寺 の境内に建つ、精進料理 「 篩月 」 で昼食をいただきました。

■ 天龍寺・篩月 ( しげつ )
公式HP http://www.tenryuji.com/shigetsu/


京都の精進料理のお店で、一位&二位を争うオススメの名店 です!
  

Posted by 若村 亮  at 19:16Comments(0)嵐山・嵯峨野

2011年11月29日

天龍寺

 『 天龍寺 』

  臨済宗天龍寺派大本山 『 天龍寺 』 ( てんりゅうじ ) は、暦応2 ( 1339 ) 年、室町幕府初代将軍・足利尊氏 が先に崩御された 後醍醐天皇霊を慰める ため、禅僧・夢窓疎石 ( むそうそせき ) を開山 ( 初代住職 ) に招いて創建しました。

  京都五山第一位 の格式を誇り、堂塔あわせて百五十を数える壮大な境内を有しましたが、度重なる火災で堂塔は焼失し、現在の諸堂は明治以降に再建されました。

  創建当時の遺構で 夢窓疎石作庭 した 曹源池 ( そうげんち ) 庭園 は、天下の名勝・嵐山借景 とする名庭で、彩りを深める紅葉が池に映り込んで見事な庭園美を見せてくれます。

地図 : 天龍寺
  

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2011年11月28日

二尊院

 『 二尊院 』

  嵯峨野 に広大な境内を有する 『 二尊院 』 ( にそんいん ) は、嵯峨天皇 の命によって承和年間 ( 834~847年 ) に創建された格式ある歴史を受け継ぎ、本尊として 釈迦如来阿弥陀如来二体の本尊 を祀ることから 『 二尊院 』 と称されています。

  現世から来世へと送り出す “ 発遣 ” ( はっけん ) の 釈迦如来 が右に立ち、極楽浄土へ迎え入れる “ 来迎 ” ( らいごう ) の 阿弥陀如来 が左に立ち、送る釈迦如来迎える阿弥陀如来 の 二尊 で もれなく人びとを救おう という願いが込められています。

  総門の奥に続く参道は秋になると紅葉の並木道となり、紅葉の馬場 ( もみじのばば ) と称されています。

地図 : 二尊院
  

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2011年11月27日

祗王寺

 『 祇王寺 』

  嵯峨野に建つ 『 祇王寺 』 ( ぎおうじ ) は、法然上人の弟子・念仏坊良鎮 ( ねんぶつぼうりょうちん ) が往生院を創建したことに始まると伝えられています。

  祇王寺という寺名は、当地に隠棲した 祇王 という女性の名前に由来し、平家物語によれば、平清盛の愛を失った祇王が母と妹とともに剃髪して尼僧となり、念仏三昧の余生を送ったと伝えられています。

晩秋になると庭園には紅葉が散り積もり、緑の苔庭は一面の紅葉色に染まります。
  

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2011年11月26日

宝筐院

 『 宝筐院 』

  嵯峨清凉寺嵯峨釈迦堂 ) のすぐ西に佇む 『 宝筐院 』 ( ほうきょういん ) は、平安中期、第72代・白河天皇 によって創建された 善入寺 ( ぜんにゅうじ ) に歴史が始まり、室町前期に 禅僧黙庵 ( もくあん ) が入寺して臨済宗の寺院となりました。

  室町幕府2代将軍・足利義詮 ( よしあきら ) は黙庵に深く帰依し、貞治5 ( 1367 ) 年、義詮が38歳で没すると義詮の 院号 ( いんごう : 死者の戒名につける “ 院 ” の付いた称号 ) の 宝筐院 にちなみ、「 宝筐院 」 と寺名が改められました。

地図 : 宝筐院
  

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2009年11月21日

野宮神社

 『 野宮神社 』

  嵯峨野竹林 に囲まれた 『 野宮神社 』 ( ののみやじんじゃ ) は、平安時代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮 に奉仕する 斎王 ( さいおう ) が伊勢へ赴く前に 身を清めた場所 になります。

  斎王 とは、平安初期の嵯峨天皇の時代以来、宮中の未婚の女性 ( 皇女や女王 ) の中から選ばれて、天皇の代理として伊勢神宮に奉仕していましたが、後醍醐天皇の南北朝時代に戦乱の中で廃絶してしまいました。

  源氏物語 でも、六条御息所光源氏 の別れの場面で登場しています。
  

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2009年06月06日

愛宕念仏寺

 『 愛宕念仏寺 』

  愛宕神社一之鳥居から奥へとさらに鳥居本を歩くと、古刹 『 愛宕念仏寺 』 ( おたぎねんぶつじ ) が山麓に佇んでいます。

  寺伝によれば、奈良時代に第48代・称徳天皇によって 旧愛宕 ( おたぎ ) ( 現在の東山区松原通大和大路東入 ) に創建されたと伝えられ、大正11 ( 1922 ) 年、奥嵯峨の鳥居本に移転しました。

  本堂 ( 重文 ) は 鎌倉中期の和様建築の貴重な遺構 で、周囲の境内には千二百体におよぶ 羅漢 ( らかん ) の石像 が立ち並んでいます。

地図 : 愛宕念仏寺
  

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2009年06月05日

鳥居本

 『 鳥居本 』

  愛宕山に鎮座する 愛宕神社 は、古くから 火伏せの神 ( 防火の神 ) として厚く信仰され、江戸時代には愛宕神社への参詣が盛んになりました。

  嵯峨釈迦堂 ( 清凉寺 ) から 仏野念仏寺 の前を経て 愛宕神社 へ向かう 参詣道 には、草葺きの民家が建ち並ぶ 『 鳥居本 』 ( とりいもと ) と呼ばれる町並みが続いています。

  鳥居本の町並みの中でも、愛宕神社一之鳥居 付近に建つ 茶店 は、江戸時代より受け継がれた歴史と趣きを現代に伝え、一帯は < 嵯峨鳥居本伝統的建造物群保存地区 > に指定されています。

地図 : 愛宕神社 一之鳥居
  

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2009年06月04日

村岡局

 『 村岡局 』

  幕末の勤王家・津崎矩子 ( つざきのりこ ) は、尊王家の公家・近衛忠煕 ( ただひろ ) に仕えて女中名を 『 村岡局 』 ( むらおかのつぼね ) と称しました。

  勤王家 として熱心に活動を広げ、薩摩藩士・西郷隆盛 や勤王僧・月照 などと盛んに交流を行いましたが、安政5 ( 1858 ) 年、安政の大獄 で捕らえられて京都町奉行所の厳しい取調べを受けるなど、苦難の人生を歩みました。

  明治維新後は故郷の奥嵯峨に佇む 直指庵 で、静かな余生を送りました。

地図 : 直指庵・村岡局墓
  

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2009年06月03日

直指庵

 『 直指庵 』

  大覚寺から北へ歩いた山麓に佇む 『 直指庵 』 ( じきしあん ) は、正保3 ( 1646 ) 年、独照禅師 が草庵を結んだことに始まり、隠元禅師高弟 として 黄檗禅 を学んで寺院は隆盛しました。

  その後、次第に寺院は衰退して荒廃しましたが、幕末の頃、近衛家の老女尊王攘夷論 を唱える 津崎村岡局 が再興し、浄土宗の寺院となりました。

  趣きのある庵には 想い出草ノート があり、悩みや相談を綴って心を癒す寺院として親しまれています。

地図 : 直指庵
  

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2009年04月07日

天龍寺の枝垂れ桜


撮影 : らくたろう ( 写真集は こちら へ♪ )


 『 天龍寺の枝垂れ桜 』

  足利尊氏後醍醐天皇 の対立により、朝廷は 北朝 ( 京都 ) と 南朝 ( 吉野 ) の二つに分かれ、南北朝時代 となりました。 その後、暦応元 ( 1338 ) 年に 足利尊氏征夷大将軍 となって名実ともに 室町幕府 を開きましたが、その翌年、後醍醐天皇 は吉野で 崩御 ( 死去 ) しました。

  その際、武士から厚い崇敬を集めた禅僧・夢窓疎石 は、尊氏に対して後醍醐天皇の菩提を弔う寺院の建立を強く勧めたと伝えられ、壮大な 『 天龍寺 』 ( てんりゅうじ ) が嵐山に創建されました。

  現在、多宝殿の前に大きな枝垂れ桜が見事に咲き誇っています。


 らくたび写真集 : さくらみやび  

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2009年03月15日

お松明式

 『 お松明式 』

  毎年3月15日、嵯峨野の 清凉寺 では釈迦の入滅 ( 死 ) を悲しみ遺徳を偲ぶ 「 涅槃会 」 が行われ、続いて夜になると 『 お松明式 』 が行なわれ、境内に立てられた3本の大松明に火が点けられて瞬く間に大きな炎が夜空を焦がします。

  この 「 お松明式 」 は、釈迦の荼毘 ( 火葬 ) を表すと言われ、また稲作が始まる前の行事のため、3本の大松明がそれぞれ早稲、中稲、晩稲を表わすとして、それぞれの燃え方で 稲作の出来を占う儀式 ともなりました。

地図 : 清凉寺  

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2008年08月05日

大覚寺

 『 大覚寺 』

  「 嵯峨 」 の地名は、唐 ( 中国 ) の都・長安の北方にある景勝地 「 嵯峨山 」 にちなみ、平安初期に第52代・嵯峨天皇 が名付けたとされています。

  嵯峨天皇が嵯峨に営んだ離宮を 嵯峨離宮 といい、貞観18 ( 876 ) 年、嵯峨天皇の長女・正子内親王 が離宮を 『 大覚寺 』 と称する寺院に改め、嵯峨天皇の孫にあたる、第53代・淳和天皇の皇子・恒貞親王 ( つねさだしんのう ) が出家して 恒寂入道親王 と称し、初代門跡 ( 住職 ) として入寺しました。  

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2008年02月01日

嵯峨の薬師寺

 『 嵯峨の薬師寺 』

  清凉寺 の境内に 『 嵯峨の薬師寺 』 と呼ばれる寺院 ( 塔頭 ) があり、平安初期の弘仁9 ( 818 ) 年、世の中に蔓延していた 悪病退散 の祈願を込めて、嵯峨天皇の命を受けた 弘法大師 が刻んだ 薬師如来 を本尊として祀っています。

  その昔、近くに 福生寺 と呼ばれる寺院があったと伝えられ、その遺仏とされる 地蔵菩薩像小野篁像 もともに祀られています。

  “ 生六道 ” ( しょうのろくどう ) と称された福生寺は、一説には 小野篁が冥土から帰り着いた井戸 があった寺院と伝えられています。

地図 : 嵯峨の薬師寺  

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2007年11月15日

天龍寺

 『 天龍寺 』

  足利尊氏後醍醐天皇 の対立により、朝廷は 北朝 ( 京都 ) と 南朝 ( 吉野 ) の二つに分かれ、南北朝時代 となりました。

  その後、暦応元 ( 1338 ) 年に足利尊氏が 征夷大将軍 となって名実ともに 室町幕府 を開きましたが、その翌年、後醍醐天皇は吉野で崩御 ( ほうぎょ : 死去 ) しました。

  その際、武士から厚い崇敬を集めた禅僧 夢窓疎石 は、尊氏に対して 「 怨親平等 」 の教えを説き、後醍醐天皇の菩提を弔う寺院の建立を強く勧めたと伝えられ、壮大な 『 天龍寺 』 が創建されました。

『 怨親平等 』 ( おんしんびょうどう )
  人間は生きていくうちに、必ず怨みを生じていく。
  その怨みを怨みで晴らしていくと、いつまでたっても
  それは消えていくことがない。  

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2007年11月10日

晩秋の嵐山

 『 晩秋の嵐山 』

  天下の名勝 ・ 嵐山 は、いにしえより風光明媚な場所として愛されてきました。

  平安時代には貴族が川に舟を浮かべて宴席を設け、陽春の桜花初夏の新緑盛夏の避暑初秋の観月晩秋の紅葉厳冬の雪景色 と、四季折々の花鳥風月を感じ、多くの歌に詠んできました。

  桜や紅葉が嵐のように散る ことから 「 嵐山 」 と呼ばれるようになったと伝えられ、これから晩秋にかけての嵐山はまさに燃えるような紅葉を愛でることができます。

『 嵐山もみじ祭 』  嵐山・渡月橋一帯
   11月11日 ( 日 )
   箏曲小督船、今様歌舞船、能舞台船など
   平安時代の舟遊び絵巻が繰り広げられる  

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2007年11月02日

嵯峨御流

 『 嵯峨御流 』

  齢草 ( よわいぐさ )、百代草 ( ももよぐさ ) など、菊の花は長寿にちなんだ名前で呼ばれています。

  菊の原産地は中国であり、日本へは奈良時代の遣唐使によって漢方薬の一種 ・ 薬用植物として伝来しました。

  平安時代のある秋のこと、嵯峨天皇大沢の池 の菊ケ島に自生していた美しい 野菊 ( 嵯峨菊 ) を手折られて 嵯峨離宮 ( 現在の 大覚寺 ) の瓶に挿して愛でたと伝えられ、これが生け花 『 嵯峨御流 』 ( さがごりゅう ) のはじまりとされています。

『 嵯峨菊展 』  大覚寺
   11月1日 ( 木 ) ~ 30日 ( 金 )
   江戸期に品種改良が進んだ古典菊の一種の嵯峨菊
   茶筅を立てたような珍しい可憐な花
   嵯峨菊600鉢が優雅な王朝の花を咲かせて魅了します
   拝観料500円
  

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2007年09月22日

観月

 『 観月 』

 名月や
   池をめぐりて
         夜もすがら

 名月の美しさに心を奪われてしまい、ただ月影の宿る池の周りをいつまでも歩き続けてしまった・・・


  江戸前期の俳人 ・ 松尾芭蕉 が、数名の門人と会して月見を行ったときに詠んだ俳句といわれています。

  平安の昔から人びとは夜空に浮かぶ月に心を奪われてきましたが、そのなかでも 旧暦8月15日 の夜空に輝く満月はとくに美しいとされ、古くから 「 中秋の名月 」 と称されてきました。

  今年の 「 中秋の名月 」 は 9月25日 です。

『 大覚寺 ・ 大沢の池 観月の夕べ 』  大覚寺
   9月23日~25日 17~21時頃

らくたびツアー
『 千代の古道 と 大覚寺 ・ 中秋の名月鑑賞 』
   9月23日(日) 17時 嵐電 鳴滝駅 集合
   鳴滝駅 … 千代の古道 … 大覚寺 ( 観月 )
   詳細 ・ 参加申込みは らくたびHP より  

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2007年08月23日

千灯供養

 『 千灯供養 』

  古くからの葬送地であった 仏野 ( あだしの ) は、鳥辺野 ( とりべの )、蓮台野 ( れんだいの ) と並ぶ 京都三大葬送地 のひとつです。

  仏野 では江戸時代まで 風葬 の習わしが続き、無縁仏となった石仏が数多く埋もれていました。

  仏野念仏寺 ( あだしのねんぶつじ ) には、辺り一帯から集められた 無縁仏の石仏石塔 が約8000体並び、毎年8月23日・24日の夜、無縁仏に献灯する 『 千灯供養 』 がおこなわれ、境内は幻想の世界に包まれます。 嵯峨野の晩夏の風物詩 です。

地図 : 仏野念仏寺  

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2007年06月28日

棲霞観

 『 棲霞観 』

  平安初期に 嵯峨天皇の皇子 として生まれ、源氏姓 を授けられて皇族を離れて臣籍 ( しんせき : 臣下の身分 ) となった貴族の 源融 ( みなもとのとおる ) は、嵯峨野に 『 棲霞観 』 ( せいかかん ) と呼ばれる山荘を営んでいました。

  源融の没後に 棲霞観棲霞寺 ( せいかじ ) に改められ、貫和元 ( 985 ) 年には、僧の “ ちょう然 ” が釈迦如来像を中国より持ち帰り、寺名を 清凉寺 ( せいりょうじ ) としました。

  清凉寺の境内には、源融の墓と伝えられる墓所が現存しています。

地図 : 清凉寺  

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2007年05月26日

宝筐院

 『 宝筐院 』

  新緑や紅葉の美しい嵯峨野の 『 宝筐院 』 ( ほうきょういん ) は、平安中期に白河天皇によって創建された 善入寺 にはじまり、室町前期に禅僧の 黙庵 ( もくあん ) 禅師が入寺し、臨済宗の禅寺となりました。

  室町幕府二代将軍 足利義詮 ( よしあきら ) は黙庵禅師に深く帰依し、貞治5 ( 1367 ) 年に義詮が38歳で没すると、のちに義詮の院号 ( いんごう : 死者の戒名につける “ 院 ” のついた称号 ) の 宝筐院 にちなみ、「 宝筐院 」 と寺名が改められました。

地図 : 宝筐院

● 近鉄文化サロン 5月講座
   『 京都の隠れた寺と味めぐり 』  5月27日(日)
JR嵯峨嵐山駅 11:00発 ・・・ 清凉寺 ・・・ 昼食 「 竹仙 」 ・・・
・・・ 嵯峨野散策 ・・・ 竹林 ・・・ 野宮神社 ・・・ 現地解散 15:00予定

※ 本講座では毎月1回 ( 第4日曜日 )、現地講座 ( すべて京都の現地集合、現地解散 ) を行っています。 ご興味のある方は、< 近鉄文化サロン 講座詳細 > をご覧ください。 現在、25名の受講者とともに毎月、京都をめぐっています。 若村  

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2007年05月18日

嵐山

 『 嵐山 』

  天下の名勝 『 嵐山 』 は、平安時代の昔から天皇や貴族が訪れて、その 風光明媚な景色 を楽しんでいました。

  昌泰元 ( 898 ) 年、宇多上皇が渡月橋の上流一帯にあたる大堰川 ( おおいがわ ) に舟を浮かべて、詩歌や管絃、舞楽を楽しんだと記録されており、これが嵐山で催された最古の 船遊び の記録とされています。

  嵐山以外の景勝地としては、宇治 ・ 深草 ・ 鳥羽 ・ 嵯峨 などがあり、貴族の別荘が建てられ、遊宴が催されていました。

『 三船祭 』 ( みふねまつり )  嵐山
   5月20日 ( 日 )
   平安王朝を偲ぶ舟遊びが再現され、
   嵐山一帯は優雅な雰囲気に包まれます  

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2007年05月16日

二尊院

 『 二尊院 』

  嵯峨野の 『 二尊院 』 ( にそんいん ) は、嵯峨天皇の命によって承和年間 ( 834 ~ 847年 ) に創建されました。

  本尊として、釈迦如来阿弥陀如来 の2体の本尊をお祀りすることから 「 二尊院 」 と呼ばれています。

  現世から来世へと送り出す 発遣 ( はっけん ) の 釈迦如来 が右に立ち、極楽浄土へ迎え入れる 来迎 ( らいごう ) の 阿弥陀如来 が左に立ち、送る如来と迎え入れる如来の二尊で人びとをもれなく救おうという願いが込められています。

地図 : 二尊院  

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2007年04月18日

十三参り

 『 十三参り 』

  虚空蔵菩薩 ( こくうぞうぼさつ ) とは “ 虚空を蔵する菩薩 ” という意味で、広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持って衆生 ( しゅじょう : 人びと ) の望みに応じて分け与える菩薩です。

  虚空蔵菩薩を本尊とする 法輪寺 ( ほうりんじ ) では、4月13日を中日とした前後1ヶ月間、数えで13歳になる子供が参拝し、虚空蔵菩薩から知恵を授かる 『 十三参り 』 が行われています。

  古くから、参拝後に 法輪寺橋 ( 現、渡月橋 ) を渡り終えるまで決して後ろを振り返ってはならず、もし振り返ってしまうとお参りして授かった知恵を失ってしまう、と伝えられています。

『 十三参り 』  法輪寺
   3月13日 ~ 5月13日  

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2007年02月08日

法輪寺橋

 『 法輪寺橋 』

  嵐山の桂川に架かる橋を 渡月橋 ( とげつきょう ) といい、平安時代初期の承和3 ( 836 ) 年、空海の弟子である道昌僧正が川を修築した時に、現在の渡月橋より200mほど上流に橋を架けたのが橋の歴史の最初とされています ( 諸説あり )。

  古くは橋の南にある 法輪寺 ( ほうりんじ ) が管理していたことから 『 法輪寺橋 』『 法輪橋 』 と呼ばれていましたが、亀山上皇 が夜空を渡る月の様子を眺めながら 「 くまなき月の渡るに似る 」 と称 ( たた ) えたことから 渡月橋 と呼ばれるようになりました。

『 針供養 』  法輪寺
   2月8日 ( 今日 )  

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2006年12月07日

針供養

 『 針供養 』

  12月8日 ( 明日 ) は 「 事納め 」 ( ことおさめ ) の日。 昔から12月8日に農作業をすべてを終えて祝ったことから、この日が1年の事納めとなり、様々な行事が行われるようになりました。

  京都の虚空蔵さんで知られる 法輪寺 ( ほうりんじ ) では 『 針供養 』 という、この1年間に一生懸命働いてくれた針をコンニャクに刺して休んでもらう行事が行なわれます。

  また、本尊の 虚空蔵菩薩 ( こくうぞうぼさつ ) は 技芸上達の守護仏 でもあり、参拝すると 針仕事の技芸上達の御利益 があり、境内は多くの人びとで賑わいます。

『 針供養 』  法輪寺
   12月8日
  

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2006年11月12日

夕霧祭

 『 夕霧祭 』

  嵯峨で生まれたと伝えられる 『 夕霧太夫 』 ( ゆうぎりたゆう : 生年不詳-1678年 ) は、島原の扇屋で太夫 ( たゆう : 官許の遊郭 「 島原 」 で最高位の遊女の称 ) となり、のちに大坂の新町へと移住しました。

  芸事に秀でた美しい名妓 として知られていましたが、若くして病気で亡くなり ( 22歳もしくは27歳 )、大坂の町は夕霧の死を惜しんだ と伝えられています。

  夕霧の墓 は生まれた 嵯峨の清凉寺 にあり、毎年11月、夕霧の菩提を弔う追善法要 と、境内本殿から三門まで島原の太夫による太夫道中 が行われています。

『 夕霧祭 』  清凉寺 ( 嵯峨釈迦堂 )
   10:00~ 追善法要
   11:10~ 本殿から三門まで太夫道中
  

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2006年11月11日

嵐山 もみじ祭

 『 嵐山 もみじ祭 』

  天下の名勝 『 嵐山 』 は、いにしえより風光明媚な場所として愛されてきました。

  平安時代には貴族達が川に舟を浮かべて宴席を設け、陽春の桜花初夏の新緑盛夏の避暑初秋の観月晩秋の紅葉厳冬の雪景色 と、四季折々の花鳥風月 を感じ、そして多くの歌に詠んできました。

  桜や紅葉が嵐のように散ることから 「 嵐山 」 と呼ばれるようになった と伝えられ、これから晩秋にかけての嵐山はまさに燃えるような紅葉を愛でることができます。

『 嵐山もみじ祭 』  嵐山 ・ 渡月橋一帯
   11月12日 ( 日 )
   箏曲小督船、今様歌舞船、能舞台船など、
   平安時代の舟遊び絵巻が繰り広げられる。  

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