2017年02月17日

2/16(木) ≪ 能楽師・松野さんのお稽古場へ ≫

KBS京都の年越し特番で出演者同士として控え室でお会いさせていただきまして以来、ちょこちょことやりとりをさせていただくようになりました。
 
来週 2/21(火)には、らくたび京町家で能楽ワークショップも開催されます。
公式HP https://www.facebook.com/events/249236988854184/
 

 
そして、今春のイベントとして、さらに面白い企画を予定していまして、その打ち合わせでお稽古場へお伺いさせていただきました!
 
ぜひ、春のイベント、まだ詳細はヒミツですが、ご期待ください♪
 
■ 能楽師 ・ 松野浩行
公式HP http://matsu-noh.com/
  

Posted by 若村 亮  at 09:27Comments(0)文化コラムらくたび日記

2016年10月05日

10/4(火) ≪ 洛中洛外図 -舟木本- ≫ in 六本木アカデミーヒルズ

昨日の講演は19時半から21時の予定でしたが、講師の会場入りはその2時間前ということで、夕刻の午後5時頃、六本木ヒルズ へと移動しました。 

六本木ヒルズ


向かい合うように、秋の夕空 にそびえたつ 東京タワー が素敵でした ♪



さて、会場の準備はちゃくちゃくと。 一度、講演の流れを確認するリハーサルも実施して、すべてが準備万端、あとは開演を待つのみ、でした。



六本木ヒルズのオフィスワーカーを中心に、アカデミー会員は約8万人とか。 受講いただきました方々の中には会社役員や個人事業主の方なども多く、普段の講演とはまた異なる層に対して京都の歴史・社寺史跡や伝統芸能・伝統工芸の魅力をお伝えできたのではないかな、と思っています。



会場は 六本木ヒルズ49階、窓からは 最高の夜景 でした! ( 笑 )



今回の講演の後半では、観世流能楽師・梅若会所属川口晃平さん とともに、洛中洛外図の中に描かれている能や装束・道具類などについて対談形式で講演をさせていただきました。 川口さんにはスクリーン前のスペースで素晴らしい能の舞いもご披露いただきまして、ご参加をいただきました皆さまにはとっても充実した時間を過ごしていただけたのではないかな、と思っています。



最後に、講演後に川口さんと記念撮影。 ありがとうございました! ( 笑 )
  

Posted by 若村 亮  at 12:28Comments(0)文化コラムらくたび日記東京日記

2015年12月03日

師走の風物詩 ≪ 南座 顔見世興行 ≫

季節紅葉 から 師走 へと 移ろい南座 正面には 歌舞伎役者名前 が書かれた 「 まねき 」 看板 が掲げられ、師走の風物詩 「 顔見世興行 」 が催されています。

南座


12月26日の 千秋楽 まで 歌舞伎ファン熱気 に包まれます ( 笑 )
  

Posted by 若村 亮  at 16:15Comments(0)文化コラム

2015年11月03日

≪ 琳派 特別講演 ≫ in ハイアットリージェンシー京都

京都御所の一般参観を終えて、すぐに ハイアットリージェンシー京都 へ。



いつも 東京名古屋講演 をさせていただいている 旅行会社 「 クラブツーリズム 」 からのご依頼で、京都国立博物館・特別展覧会 「 琳派 - 京を彩る 」 を鑑賞するツアーの中で、琳派の歴史展覧会の見どころ講座で学んでから博物館へ! というプランでした。



資料とスライドを用いて、わかりやすく解説してみました~ ( 笑 )



講演が終わって京博へ向かいましたが、入場は90分待ち でした~。。。

京都国立博物館にとっても経験の無いほどの人気を誇る 「 琳派 」 特別展覧会。 先週末の土曜日は午前中になんと!300分待ち があったとか。

まだまだこの賑わいは続きそうですね ( 笑 ) 

■ ハイアットリージェンシー京都
http://kyoto.regency.hyatt.com/ja/hotel/home.html
  

Posted by 若村 亮  at 20:58Comments(0)文化コラム清水寺付近らくたび日記

2012年07月23日

梨園

 『 梨園 』

  演劇の世界 や、とくに 歌舞伎の世界『 梨園 』 ( りえん ) と呼ぶことがあります。

  これは古く中国・唐の故事 に由来し、舞踊音楽 を愛した 玄宗皇帝 が、梨が植えられた 梨園 ( りえん ) と称される庭園に芸人を集めて自ら 舞踊や音楽を教えた といい、その子弟たちを 梨園の弟子 と呼び、後世になって 舞踊や音楽の世界 そのものを 梨園 と呼ぶようになりました。

  江戸時代に 歌舞伎 が盛んになると、演劇の中でもとくに 歌舞伎の世界梨園 と呼ぶようになりました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2012年05月06日

六日の菖蒲

 『 六日の菖蒲 』

  五月五日の 端午の節句菖蒲の節句 とも呼ばれ、菖蒲 ( しょうぶ ) には 邪気を祓う力 があるとされ、古くから菖蒲を軒に挿し、菖蒲酒を飲む風習などが伝えられています。

  ところが、端午の節句 ( 五日 ) の 翌日六日 ) に菖蒲を用意していては遅く、そこから 時機を逃して役に立たない ことを喩えて 『 六日の菖蒲 』 というようになりました。

  ≪ 平家物語 ≫ では、屋島の合戦遅参 した武将・梶原景時 ( かげとき ) が、その遅参を 「 六日の菖蒲 」 と嘲笑されています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2012年03月06日

浮世絵

 『 浮世絵 』

  “ 浮世 ” ( うきよ ) とは、“ 憂き世 ” ( うきよ : つらい世の中 ) と “ 浮世 ” ( ふせい : はかない世の中 ) のふたつが重なり合った言葉で、今の世の中 ( 俗世間 ) という意味になります。

  江戸時代、浮世の風俗を題材に描かれた肉筆画や多色刷りの版画 ( 錦絵 ) を 『 浮世絵 』 ( うきよえ ) といい、芝居・遊里・相撲など町人階級の好んだ風俗や似顔絵・風景などが多く描かれました。

  明治時代になると浮世絵は軽んじられ、多くの優れた作品が海外に散逸してしまいました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2012年02月18日

裳階

 『 裳階 』

  妙心寺の法堂など、外観 を一見すると屋根の枚数から 二重 ( 二階建て ) に見える建物があります。

  しかし、下層の屋根『 裳階 』 ( もこし ) という 飾りの屋根 で、建物としては 一重 ( 一階建て ) となり、正しくは 「 一重裳階付き 」 という表記になります。

  ( も ) は古代に女性が腰から下にまとった衣服を意味することから、飾りの階 ( 屋根 ) を 「 裳階 」 と呼ぶようになり、当初は建物の保護を目的として設けられ、次第に建物の装飾・意匠を目的とするようになりました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2012年02月17日

二十四孝

 『 二十四孝 』

  儒教の教え を重んじた中国の歴代王朝では、治世の上で “ 親孝行 ” が特に重要と位置づけ、古く親孝行であった人物を二十四人取り上げた物を 『 二十四孝 』 ( にじゅうしこう ) として、後世の模範として長く語り継いできました。

  御香宮神社表門 は、元和8 ( 1622 ) 年、徳川頼房の寄進によって建立された 旧伏見城大手門 とされ、豪華な彫刻の装飾の中に 「 二十四孝 」 を題材とする見事な透かし彫りが設けられています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2012年02月12日

渉成園・雪の灯籠

 『 渉成園・雪の灯籠 』

  慶長7 ( 1602 ) 年、徳川家康 から土地が寄進されて 東本願寺 が成立し、寛永18 ( 1641 ) 年、江戸幕府3代将軍・徳川家光 から東本願寺の東側の土地がさらに寄進され、東本願寺の 別邸 として 『 渉成園 』 ( しょうせいえん ) が造営されました。

  印月池を中心とした広大な園内には灯籠がいくつも据えられ、その中には あたかも雪が灯籠の笠に降り積もった ように刻まれた 石灯籠 なども見られ、渉成園の雅な庭園に趣きを添えています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2012年02月11日

伏見酒

 『 伏見酒 』

  伏見 ( ふしみ ) という地名は “ 伏水 ” ( ふせみず : 地を伏せて流れる水、つまり地下水のこと ) に由来しているともいわれ、御香宮神社 ( ごこうのみやじんじゃ ) の境内に涌く 「 御香水 」 ( ごこうすい ) をはじめ、多くの名水が涌く土地として古くから知られています。

  また、伏見は豊富で良質な涌き水を使った 酒造り が盛んなところとしても知られ、神戸の ( なだ ) で造られる辛口の酒を 男酒 ( おとこざけ ) と呼ぶのに対し、ほんのり 甘口の伏見酒女酒 ( おんなざけ ) と呼ばれて愛されています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(2)文化コラム

2012年02月08日

高御座

 『 高御座 』

  天皇の位につく即位式など、朝廷の儀式の際に紫宸殿の中央に設けられた天皇が着座する座を 『 高御座 』 ( たかみくら ) といいます。

  現在の高御座は大正天皇の即位の際に古式に則って作られたもので、黒塗りの壇上に八角形の屋根を据えて、帳 ( とばり : 垂れ下げて隔てとする布 ) をめぐらし、内部に椅子が据えられています。

  日本では古来より 高御座のあるところが天皇の在所 とされ、現在も京都御所の紫宸殿にあることから、京都御所正式な皇居 とする考えが存在しています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2012年02月07日

宇治上神社

 『 宇治上神社 』

  『 宇治上神社 』 ( うじかみじんじゃ ) の 本殿 は、覆屋 ( おおいや ) と呼ばれる建物の内部に、内殿 ( ないでん ) と呼ばれる小さな社殿が三社並んで建てられています。

  内殿三社は向って左から右殿・中殿・左殿と呼ばれ、それぞれ祭神として中殿に 応神天皇、右殿に 仁徳天皇、左殿に 菟道稚郎子 ( うじのわきいらつこ ) が祀られています。

  木材の年輪から建立年代を測定すると 1060年頃 に建てられたことが判明し、これは平安時代の神社建築の遺構としては唯一となります。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(2)文化コラム

2012年01月12日

立砂

 『 立砂 』

  上賀茂神社 の細殿 ( ほそどの ) の前にある 『 立砂 』 ( たてすな ) は、砂を円錐形に盛り上げたもので、賀茂の神が天から降臨した と伝えられる 神山 ( こうやま : 上賀茂神社の北側にある円錐形の美しい山 ) をかたどったものといわれ、依り代 ( よりしろ : 神様が招き寄せられて乗り移るもの ) とされています。

  この立砂が、鬼門 ( きもん : 北東の方角、忌み嫌われる方角 ) などに撒く 清めの砂 の起源であり、玄関などに盛る 盛り塩 の起源でもあります。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2012年01月04日

仕事始め ・ 御用始め

 『 仕事始め ・ 御用始め 』

  正月三が日が終わり、年末年始の休暇が明けて今日 ( 4日 ) から仕事が始まる方も多いと思います。 民間企業では 『 仕事始め 』 と言いますが、官公庁では 『 御用始め 』 と言う場合があります。

  御用 ( ごよう ) とは、本来は 宮中幕府政府 などの執務や仕事をあらわす言葉であり、そこから官公庁の年始の仕事始めを 「 御用始め 」 と呼ぶ習わしがありました。

  しかし最近では、表現がかたくて古いということから、民間企業と同じ 「 仕事始め 」 と表現するようになってきました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2011年12月05日

臘月

 『 臘月 』

  12月の異名師走 ( しわす ) の他に 『 臘月 』 ( ろうげつ : 年の暮れ という意味 ) があります。

  現代では聞き慣れない言葉ですが、例えば12月に降る雪を 臘雪 ( ろうせつ )、大晦日の事を 臘日 ( ろうじつ ) といいます。

  仏教の世界では、仏教の祖である お釈迦さま が悟りを開いた 12月8日 のことを 臘八 ( ろうはち : 臘月八日 ) といい、禅寺において12月1日から8日にかけて 臘八会 ( ろうはちえ ) という法要が営まれ、8日間休まず座禅する修行・ 臘八接心 ( ろうはち / ろうはつ - せっしん ) が行なわれます。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2011年11月03日

嵯峨菊

 『 嵯峨菊 』

  菊の原産地は中国であり、日本へは奈良時代の遣唐使によって漢方薬の一種・薬用植物として伝来し、齢草 ( よわいぐさ ) や 百代草 ( ももよぐさ ) など 長寿 にちなんだ名前で呼ばれています。

  平安時代のある秋のこと、嵯峨天皇大沢の池菊ケ島 に自生していた美しい野菊を手折られて 嵯峨離宮 ( 現在の 大覚寺 ) の瓶に挿して愛でたと伝えられ、古典菊 『 嵯峨菊 』 ( さがぎく ) として 王朝の気品 を今に伝えています。

『 嵯峨菊展 』  大覚寺
   11月1日 ~ 30日
   江戸期に品種改良が進んだ古典菊の一種の嵯峨菊
   茶筅を立てたような珍しい可憐な花
   嵯峨菊600鉢が優雅な王朝の花を咲かせて魅了します
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2011年10月30日

市章

 『 市章 』

  『 市章 』 ( ししょう )とは、行政区の 市を象徴する紋章 のことで、一般的にはその行政区の風土や歴史・文化などが象徴的に表現されています。

  京都市市章 は、昭和35(1960)年に制定されたもので、「 京 」 の文字を図案化したものに 御所車 を配したデザインで、古都 を象徴する 紫色 が用いられています。

  また、神戸市 では夜になると市章をかたどった電飾が山に灯ることで知られ、その山は 市章山 ( ししょうざん ) と呼ばれています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2011年10月25日

落飾

 『 落飾 』

  家族や家庭との関係を断ち切り、世俗 ( せぞく : 世の中 ) を離れて僧侶になることを 「 出家 」 ( しゅっけ ) といい、とくに貴人が髪を剃り落として仏門に入って僧侶になることを 『 落飾 』 ( らくしょく ) といいます。

  また、出家して僧侶になった者が再び世俗に戻って俗人 ( ぞくじん : 世間一般の人 ) になることを 「 還俗 」 ( げんぞく ) といい、また 「 落飾 」 の反対語として 「 復飾 」 ( ふくしょく ) ともいわれています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2011年10月18日

屋根の葺き方

 『 屋根の葺き方 』

  伝統的な日本建築では、植物 を材料として屋根を葺 ( ふ ) いた建築物があります。

  古民家 には ( わら ) を葺いた 『 藁葺き 』 ( わらぶき ) や、 ( すすき )・ ( ちがや )・ ( あし ) などを葺いた 『 茅葺き 』 ( かやぶき ) が多く見られます。

  また、御所社寺 の建築では、 ( すぎ ) や ( ひのき ) の 樹皮 を葺いた 『 檜皮葺 』 ( ひわだぶき ) や、 ( さわら ) などの 薄い削り板 : こけら ) を葺いた 『 柿葺 』 ( こけらぶき ) が見られます。

木片 のことを 「 こけら 」 といいます。 ( かき ) と ( こけら ) は同じ漢字に見えますが、画数が違い、異なる漢字です。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2011年10月12日

荒御魂 と 和御魂

 『 荒御魂 と 和御魂 』

  神様御霊 ( みたま ) を 神霊 ( しんれい ) といい、神霊の中でも荒々しく活動的な作用をすると考えられる神霊を 『 荒御魂 』 ( あらみたま ) といい、静穏や平和に作用する神霊を 『 和御魂 』 ( にきみたま ) といいます。

  八坂神社の境内に鎮座する 悪王子社 は、素戔嗚尊 ( すさのおのみこと ) の 荒御魂 を祭神として祀る神社で、社名の 「 悪 」 とは 「 強力 」 の意味をあらわし、力強い霊験あらたかな神として祀られています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2011年10月05日

東寺

 『 東寺 』

  水に浸した大豆をすりつぶし、水を加えて煮立てて漉 ( こ ) した乳状の液を 「 豆乳 」 ( とうにゅう ) と言い、それを苦汁 ( にがり ) で固めると 「 豆腐 」 ができ、煮立てて表面にできた薄皮をすくい上げると 「 湯葉 」 ( ゆば ) ができます。

  「 湯葉 」 には 『 東寺 』 という別称があり、寺院の東寺で最初に作られたと伝えられています。

  湯葉を用いた揚げ物を 「 東寺揚げ 」、白身魚や野菜などを湯葉で巻いた料理を 「 東寺巻き 」 といい、これらはすべて湯葉を使った料理です。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2011年10月03日

ずいき祭

 『 ずいき祭 』

  京都の秋祭りの先陣を切る、北野天満宮『 ずいき祭 』 ( 10月1日 ~ 5日 ) は、五穀豊穣に感謝する秋の大祭 です。

  神輿の屋根を ずいき ( 芋の茎 ) で葺き、からし芋 ・ 米 ・ 麦 ・ 豆 ・ 野菜などで飾り、その神輿を氏子達が担いで町を練り歩きます。

  氏子の町を練り歩いた神輿は 「 還幸祭 」 ( かんこうさい : 10月4日 ) で再び北野天満宮へ戻りますが、祭神の 菅原道真 をはじめて北野の地へお迎えした様子を想い起こさせ、別名 「 おいでまつり 」 と呼ばれています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2011年10月02日

野々村仁清

 『 野々村仁清 』

  京都で産出する陶磁器の総称を 京焼 ( きょうやき ) といい、とくに江戸初期、『 野々村仁清 』 ( ののむらにんせい ) や 尾形乾山 ( おがたけんざん ) らによって大成された 色彩豊かな色絵陶器 が知られています。

  安土桃山時代、丹波国北桑田郡野々村 ( 現在の京都府美山町 ) で生まれた 清右衛門 は、のちに 仁和寺 の門前に 窯を開いた ことから、仁和寺「 仁 」清右衛門「 清 」「 仁清 」 の印銘を作品に使用し、卓説した色彩と意匠の才能を発揮して 色絵陶器 を完成させ、京焼の祖 とされています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2011年10月01日

神無月

 『 神無月 』

  実りの秋を迎える 陰暦10月異名『 神無月 』 ( かんなづき ) といいます。

  その語源は、五穀豊穣に感謝して 神を祭る月 であることから 「 神の月 」 とする説が最も有力で、「 無 」「 の 」 を意味する格助詞とされています。

  また、雷が収まって鳴らなくなる月ということから 「 雷無月 」 ( かみなしづき ) が転じたとする説、新穀で酒を醸造する月であることから 「 醸成月 」 ( かみなしづき ) が転じたとする説などがあります。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2011年09月30日

五輪塔

 『 五輪塔 』

  インドで発祥したと伝えられ、仏教とともに日本に伝来してきた 『 五輪塔 』 ( ごりんとう ) は、平安中期以降に 供養塔 として用いられるようになり、鎌倉以降は 墓塔 としても広く用いられてきました。

  五輪塔は 密教 で説かれる 五大 ( ごだい : 万物を生成する の五つの要素 ) を表す五つの形の石から形成された塔で、下から 四角形 ( 地 )・円形 ( 水 )・三角形 ( 火 )・半月形 ( 風 )・宝珠形 ( 空 ) の順に積み上げられています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2011年09月24日

樂焼

 『 樂焼 』

  桃山時代、陶工長次郎 が創始した焼き物 『 樂焼 』 ( らくやき ) は、茶道の千家を中心として広く茶の湯に好まれました。

  その歴史は、長次郎が茶の湯を大成者した 千利休 にしたがい、利休好みの茶碗 を製陶したことに始まります。

  当時、利休の邸宅は 聚樂第 ( じゅらくだい ) の一角にあり、その茶室で初めて長次郎の茶碗が用いられ、のちに 豊臣秀吉 から聚樂第の 「 樂 」 の一文字を賜って 「 樂焼 」 と称されました。

  樂焼には利休が極めた侘びの精神が色濃く反映されています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2011年09月22日

くだらない

 『 くだらない 』

  「 上 」 ( かみ ) には “ 皇居のある所 ” という意味があり、そこから 「 上方 」 ( かみがた ) は、都の方面、つまり 京都 およびその付近 ( 大坂 ) をさします。

  江戸前期、江戸の町では品質の良い物資や品物はほとんど上方から運び込んだことから、品質の良いもの< 上方からの > ( くだ ) りもの 」 と呼び、それに対して江戸の町で作られた 粗悪なもの「 下 ( くだ ) らないもの 」 というようになったと伝えられています ( 諸説あり )。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2011年09月17日

春夏冬□□五合

 『 春夏冬□□五合 』

  『 春夏冬□□五合 』 これは何と読むのでしょうか?

  「 春夏冬 」 は秋がないことから 「 あきない 」 と読み、「 □□ 」 は液体などを量る ( ます ) が二つで 「 ますます 」 と読み、最後の 「 五合 」 は一升 ( いっしょう : 「 升 」 は尺貫法の体積の単位 ) の半分であることから 「 はんじょう 」 と読みます。

  つまり、『 春夏冬□□五合 』「 商い ますます 繁盛 」 と読むわけです。

  「 商う 」 とは 「 秋なう 」 が語源といわれ、古くは秋の収穫のあとに取り引きが行われたことに由来します。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2011年09月14日

林下

 『 林下 』

  京都の禅寺には、室町幕府の庇護と統制下にあって 五山十刹 ( ござんじっさつ ) という寺格を定められた寺院一派と、それらとは一線を画した 在野の寺院 がありました。

  五山十刹に属した寺院を 禅林 ( ぜんりん ) または 叢林 ( そうりん ) と呼んだのに対して、在野の寺院を 禅林下 ・ 叢林下 という意味で 『 林下 』 ( りんか ) と呼びました。

  五山十刹が 権力志向 であったのに対し、大徳寺や妙心寺など林下の寺院は、修行を重んじる厳しい禅風 を受け継いできました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム