2011年03月31日

花山天皇

 『 花山天皇 』

  平安中期の 第65代 『 花山天皇 』 ( かざんてんのう ) は、在位中に 荘園 ( しょうえん : 貴族や社寺が諸国に私的に領有した土地 ) の増大を抑制するなど積極的な政治を行ったが、強大な権力を持つ 藤原兼家 ( かねいえ ) が自らの孫にあたる皇太子を天皇として即位させるために陰謀をめぐらせて、花山天皇はわずか2年足らずで 退位 させられました。

  退位した 花山上皇熊野詣西国三十三ケ所観音霊場 を巡礼したといい、現在は 紙屋川上陵 ( 北区衣笠 ) の陵墓で眠っています。

地図 : 花山天皇・紙屋川上陵

  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)人物コラム

2011年03月30日

地蔵院・五色八重散椿

 『 地蔵院・五色八重散椿 』
  神亀3( 726 )年、東大寺の建立に尽力した奈良時代の僧・行基 ( ぎょうき ) が創建した古刹 『 地蔵院 』 ( じぞういん ) には、戦国時代に 加藤清正豊臣秀吉 に献上したと伝わる 伝説の名椿 『 五色八重散椿 』 が咲くことで知られ ( 現在は樹齢約100年の二世 : 市指定天然記念物 )、通称 「 椿寺 」 と称されています。

  白・紅・黄・桃・紅絞りなど五色の花が混じり咲き、また 俳人・正岡子規< 椿寺の椿の花は散りてこそ > と詠んだように、ひとひらごと散る名椿として愛され続けています。

地図 : 地蔵院 ( 椿寺 )

 4/2(土) 春の京都さんぽ・第1弾
 春の京都を彩る 椿 と 桜
  地蔵院・五色八重散椿 と 平野神社の名桜

   散策ツアーの詳細は こちら

  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)西陣・北野

2011年03月30日

四条京町家の沈丁花 ( じんちょうげ )

3月もあと2日。 京都にも桜の開花宣言が出て、いよいよ春の到来という季節になってきました。 四条京町家のお庭にも、春の花の先駆けとして沈丁花 ( じんちょうげ ) の可憐な花が今、満開になって咲いています。

朝からオフィスにいる日は、朝の日課としてお庭の掃除をしています。 こんな素敵なお庭を掃除してから仕事をしている人は、そうはいないでしょうね。 掃除後、清々しい気持ちで仕事に向き合えます ( 笑 )



昨日、手水鉢の水をすべて抜いて、きれいに洗いました。
おかげで水が輝いて見えます~♪



手水鉢の上には、今、沈丁花が満開! とっても香りのする花で、お庭に入るとすぐに香りに気付きます。 中国原産の花だそうで、室町時代に日本に伝来したそうです。 花言葉は 「 永遠 」 や 「 不滅 」 だそう。 花を煎じた汁は、歯痛や口内炎に効く民間薬になるそうです。



手水の水面に浮かぶ、沈丁花の花。



これから桜のシーズンを迎えて、できるだけたくさんの桜をブログでもご紹介したいと思います。 ぜひご期待ください!

今週末、京都さんぽでも平野神社の桜と地蔵院の五色八重散椿という、これまでにないスペシャルな散策を実施しますので、ぜひご参加ください。
詳細・お申し込みは こちら へ♪ お待ちしています~。
  

Posted by 若村 亮  at 10:00Comments(0)らくたび日記

2011年03月29日

近衛邸址

 『 近衛邸址 』

  京都御所の周囲に広がる 京都御苑 ( きょうとぎょえん ) は、市民の憩いの広場として親しまれています。

  ここは幕末まで200近い公家の邸宅が並んでいた場所で、明治になって天皇や公家が東京へ移った後に整備されて公園となりました。

  現在、御所の北側に残る 近衛池 は、五摂家 ( ごせっけ : 摂政や関白に任ぜられる、近衛家、九条家、鷹司家、一条家、二条家の五名家 ) のひとつ 『 近衛家 』 ( このえ ) の邸宅跡にあたり、池の周りに植えられている早咲きの枝垂れ桜が咲き始めています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年03月28日

とらや羊羹・新商品 ≪ 紅茶 ≫ 4月から発売へ

とらやさんから、新しい羊羹がこの春4月から発売になるそうで、
四条京町家までお持ちいただきました、ありがとうございます。

そのお味は、なんと紅茶!



これがかなりグッド!で、紅茶の素敵な風味がたっぷりと味わう
ことができる一品に仕上がっています♪



片手でいただけるスティックタイプも、手軽で喜ばれますね。
ぜひ皆さん、4月以降にとらやさんで味わってみてください ( 笑 )

とらや : 公式HPは こちら
  

Posted by 若村 亮  at 17:19Comments(0)和菓子

2011年03月28日

≪ 京都の隠れた社寺と四季の味めぐり ≫ 現地散策講座

京都の隠れた社寺と四季の味めぐり

千年の都 “ 京都 ” には、かくれた魅力がたくさんあります。 四季折々にかくれた寺を訪れて新しい魅力を発見し、また散策の途中に京都の食文化を担う料亭や食事処で昼食をいただく “ 味めぐり ” を行います。

■ 講座名
   京都の隠れた社寺と四季の味めぐり

■ 講師
   若村 亮 ( 京都の旅 (株) らくたび代表取締役 )

■ 講座日程  毎月第4日曜日・各11:00 ~ 14:00頃
  4月24日(日) 【 松尾 】 山吹咲く松尾大社 / 京料理 ≪ 嵐山 錦≫
    渡月橋畔に佇む嵐山 錦と、松尾大社では輝く山吹がお出迎え♪
  5月22日(日) 【 宇治 】 新緑に輝く平等院 / 京料理 ≪ 竹林 ≫
    国宝・阿弥陀如来像と《 竹林 》で季節のお料理を堪能します 
  6月26日(日) 【 糺ノ森 】 下鴨神社 / 京懐石 ≪ 下鴨茶寮 ≫
    下鴨神社御用達《 下鴨茶寮 》と、紫陽花が咲く糺ノ森を散策
  7月24日(日) 【 祇園祭 】 祇園祭 花傘巡行 / ≪ 中村楼 ≫
    八坂神社門前の老舗・中村楼と、雅な祇園祭・花笠巡行を見学
  8月28日(日) 【 納涼 】 貴船神社 / 川床料理 ≪ ひろや ≫
    暑い夏、涼しい京の奥座敷・貴船《 ひろや 》で川床料理に舌鼓♪ 
  9月25日(日) 【 名庭 】 詩仙堂 / 西洋膳所 ≪ おくむら ≫
    仏蘭西料理の極み《 おくむら 》と、洛北の名庭・初秋の詩仙堂

■ 受講料
   月1回 6ヵ月 18900円(税込) ※昼食代、拝観料等別途

■ 備考
   1、カリキュラムは変更になる場合があります。詳細は毎月ご案内します
     食事処も、予約の関係で変更になる場合があります
   2、定員は30名です。定員に達しましたら、受付を終了します
   3、食事代、現地までの交通費、拝観料など、実費は個人負担です
   4、6カ月単位での受講料となりますので、休講時の返金はありません
     ただし、天災や特別な理由などの場合は例外とします

■ 詳細・お申込みは・・・
   株式会社らくたび 075-257-7321
  

Posted by 若村 亮  at 17:00Comments(0)京都

2011年03月28日

京料理 ちもと

≪ 京都の隠れた社寺と四季の味めぐり ≫ 散策講座で、3月といえば
雛祭り ということで、四条大橋西詰の 京料理・ちもと へ行ってきました。

毎年3月、ちもとさんでは貴重な雛人形を飾りて、来客した皆さんへ
披露して詳しい説明もしていただけるんです。



こちらの御殿雛は貴重なもので、二つが作られてひとつが皇室に納められ、
もう一つがこちらに納められたというものです。

大きな建物が御所の紫宸殿を模していて、中にお内裏様とお雛様が座り、
さらに回廊で対屋などが繋がり、まさに御所そのものとなっています。



せっかくの機会なので、初節句を迎えた娘にも見せてあげました ( 笑 )



さて、3階の大座敷へ移動して、いよいよ食事が始まります。
最大80名が入るという広いお座敷だそうで、ゆったりとした空間です。



舞台上には、御所車の花器に豪華な花が飾られていました! ( 驚 )



八寸
赤貝 分葱 ぬた和え / 甘海老湯葉包み など


赤と緑の器はこの季節のみ使われる器で、雛祭りに欠かせない和菓子
引千切 ( ひちぎり ) の形に似せた器ですね。




京都の料亭でいただく白味噌雑煮は、最高です!

御椀 -白味噌仕立-
胡麻豆腐 菜花 辛子


雛祭りは桃の節句ということで、こちらもこの季節だけしか使わない器で
桃の形をした器にお造りが盛りつけられていました。

御造里


こちら雛祭り用の器ですね。



金糸玉子の味わいがなんとも美味しい一品でした♪

御凌ぎ -蒸し寿司-


小鍋車海老 鴨つくね 大根餅 青梗菜 おこげ


小鍋は中華風の雰囲気で、鴨つくねと大根餅がとってもグッドでした!



おこげもカリカリと、素敵な食感でした~。



小鉢
すくい玉子豆腐 うすい


これからの季節を先取りした、旬の食べ物・たけのこです!

大皿
筍蒸し焼き 旨味噌


柔らかいたけのこで、味噌を付けていただきました。



大皿にはあと一品、赤むつの焼き魚も。



最後にご飯ですが、これがまたとっても美味しく、おかわりまでしてしまい
ました ( 笑 ) たしかフキノトウのご飯で、塩加減も最高でした!



最後は水物。竹籠に包まれたこちらの器の中には・・・



白玉ぜんざいです♪

白玉ぜんざい


食事が終わり、窓から鴨川を眺めてみると・・・



四条大橋と南座が見える、絶景のロケーションです ( 笑 )



ほんとに美味しいお料理でした。皆さんも大満足で、とっても素敵な時間を
過ごすことができました。今度は床でもお食事をいただいてみたいですね。

本講座、4月以降の詳細が決まりましたので、ぜひご検討をいただきまして
ご参加をお待ちしています! 詳細は こちら へ。  

Posted by 若村 亮  at 12:51Comments(0)京料理

2011年03月28日

高瀬川

 『 高瀬川 』

  京都の繁華街を静かに流れる 『 高瀬川 』 ( たかせがわ ) は、慶長年間 ( 1596~1615年 )、江戸時代初期の豪商 角倉了以 ( すみのくらりょうい ) が 材木物資 の輸送のために開削した 運河 であり、明治頃までは荷物を積んだ 高瀬舟 が往来して賑わいを見せていました。

  昔は舟で運ばれてきた材木を扱う 材木商 が高瀬川沿いに建ち並び、現在も 木屋町木屋町通 という名前にその名残りを感じることができます。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年03月27日

木花之開耶姫

 『 木花之開耶姫 』

  日本の神話に登場する女神 “ コノハナサクヤビメ ” は、古事記では 木花之佐久夜毘売、日本書紀では 木花之開耶姫 と記され、単に “ サクヤビメ ” とも呼ばれています。

  皇室の祖神の 天照大神 ( あまてらすのおおみかみ ) の孫である 瓊瓊杵尊 ( ににぎのみこと ) の妻となり、後世になって 富士の神 として祀られるようになりました。

  サクヤビメ には、富士山頂から花の種をまいて花を咲かせた という伝説があり、一説には “ サクヤビメ ” から “ 桜 ” の言葉が生まれた、といわれています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム

2011年03月27日

セカンドハウス七条西洞院店が閉店へ・・・ ( 涙 )

京都さんぽの後は、やっぱりカフェタイムです ( 笑 )

西本願寺で終了した後、七条西洞院にあるセカンドハウスへ行って、パウンドケーキとカフェラテをいただきました♪

ここは大正時代に建てられた元・村井銀行の近代建築で、素敵な空間のカフェレストランなんですが、4月3日をもってこの支店は閉店となります。

これまでも何度も訪れてきたお店だけに、学生時代から親しんできたお店だけにとっても残念ですが、なんとか貴重な近代建築は後世へと受け継がれることを願っています!

セカンドハウス七条西洞院店 : 公式HPは こちら
  

Posted by 若村 亮  at 01:27Comments(0)カフェ

2011年03月27日

腕輪念珠作りの体験

今日は3月最後の京都さんぽ。 この冬に頑張って制作してきた
『 親鸞の歩き方 』 発売記念・第1弾イベントとして、念珠作りの
体験に行ってきました!

お伺いしましたのは、書籍の中でも仏壇のいろはを教えていた
だいている若林佛具製作所です。

まずは、スタッフの方から作り方の指導がありました~♪



いろとりどりの玉を組み合わせて、自分オリジナルの念珠を作る
ことができます。皆さんの作業風景は真剣そのもの! ( 笑 )



約60分の体験時間で、5つまで念珠を作ることができます。もし
5つまで完成しなければ、あとは材料を持ち帰って自宅でも作る
ことができるんです。



念珠作り体験の後は、若林会長のご案内で様々な仏壇仏具を
見学させていただきまして、さらに製作工房の中にもお伺いを
させていただきました。



仏壇仏具の製作をされている職人の橋本さんからも興味深い
お話をいろいろと聞かせていただきました。専用の鉋 ( かんな )
で実際に材木を削る実演も見せていただきました!



寺院に納める大型のものまで、様々な仏壇仏具が生み出されて
いました。



若林さんでは常に念珠の体験ができますので、皆さんも機会が
ありましたら、ぜひオススメです!

若林佛具製作所 : 公式HPは こちら
腕輪念珠作り体験 : 京の手習ひサイトは こちら
  

Posted by 若村 亮  at 01:16Comments(0)らくたび日記

2011年03月27日

京都御苑・近衛邸跡の枝垂れ桜

3月下旬は連日、厳しい冷え込みが続き、真冬に戻ったような
気候です。しかし、着実に春は近づいていますね、早咲きとして
知られる京都御苑・近衛邸跡の糸桜は1分~2分咲きとなって
きました。







まだ満開には時間がかかりそうですが、来週の暖かさで一気に
咲き誇り、いよいよ4月上旬、京都はいたるところで桜が満開に
なるのかな、と思っています。



全体的には、例年より遅い桜の開花になりそうな感じですね。
  

Posted by 若村 亮  at 00:54Comments(0)らくたび日記

2011年03月26日

西行

 『 西行 』

  平安末期から鎌倉初期の歌僧として知られる 『 西行 』 ( さいぎょう ) は、もとは 北面の武士 ( 上皇や法皇などの院御所の北面に詰めて近侍した武者 ) で、23歳で出家をし、陸奥から四国・九州まで諸国を旅して歌をのこし、最期は桜が咲き誇る頃に河内国 ( 大阪 ) 南葛城の弘川寺にて没しました。

  願はくは
    花のしたにて 春死なむ
                 その如月の望月のころ  - 西行 -

  西行の歌は心中の思いを述べた 述懐歌 に優れると評され、新古今集では最高の94首が入集しています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)人物コラム

2011年03月25日

山部赤人

 『 山部赤人 』

  昔から歌人たちは桜の美しさや散るはかなさを歌に詠み、その想いを後世へと伝えてきました。

  奈良前期の官人・歌人であり、三十六歌仙のひとりにも数えられる 『 山部赤人 』 ( やまべのあかひと ) は、現存最古の歌集 「 万葉集 」 ( まんようしゅう ) に次のような歌が収められています。

  あしひきの 山桜花
    日並べて かく咲きたらば いと恋ひめやも

  意味 : 山に咲く桜の花が、いつまでもずっときれいに咲いていてくれるのなら、こんなに恋しく想ったりはしないでしょうに・・・
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)人物コラム

2011年03月24日

在原業平

 『 在原業平 』

  世の中に
   たえて桜のなかりせば
      春の心は のどけからまし

  ※この世の中にまったく桜というものが無かったならば、春を過ごす心は、どれだけのどかであっただろうか・・・

  平安時代の歌人 『 在原業平 』 ( ありわらのなりひら ) は、六歌仙・三十六歌仙のひとりにも選ばれています。 歌は 情熱的な歌風 で知られ、古今集仮名序では “ 心あまりて言葉たらず ” とも評されています。

  京都もここ最近の冷え込みで少し開花が遅れそうですが、まもなく桜の季節が到来します。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)季節コラム

2011年03月23日

寺社と社寺

 『 寺社と社寺 』

  「 寺社 」「 社寺 」 に違いはあるのでしょうか?

  古来より日本は 神道 でしたが、仏教伝来 以降は 神道と仏教の混沌 が進み、寺院に神様が祀られたり、仏教建築の要素を取り入れた楼門が神社に建てられるなど 神仏習合 ( しんぶつしゅうごう ) となりました。

  ところが明治時代になると、曖昧であった寺院と神社が分離される 神仏分離令 が出され、その時に寺院より神社が格上と定められたことから、「 寺社 」 という言葉も 「 社寺 」 へと転換させられた歴史があります。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年03月22日

上御霊神社

 『 上御霊神社 』

  『 上御霊神社 』 ( かみごりょうじんじゃ ) は、延暦13 ( 794 ) 年の平安京遷都に際し、桓武天皇 によって 王城鎮護の神社 として創建されました。

  創建当初は奈良時代から平安初期にかけて不運の死をとげた 早良親王 など 八柱の神霊 を祀り、のちに明治天皇の御願によって五柱が合せ祀られ、現在は十三柱の神霊を祀っています。

  平安時代より怨霊を鎮める 御霊信仰 の神社として厚く信仰され、怨霊をなだめ祀るための 御霊会 ( ごりょうえ ) が幾度も行われてきました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年03月21日

空海の入定

 『 空海 』

  約1200年前、唐 ( 中国 ) へ渡る 遣唐使船 にひとりの無名の学僧が乗り込みました。

  若き日、室戸 ( 高知県 ) の岩屋での修行中に日夜見た広大な から 『 空海 』 ( くうかい ) という名を持つ学僧は、密教の真髄を学ぶ ために唐の 青龍寺 ( せいりゅうじ : 密教の総本山 ) へ向かいました。

  青龍寺には中国全土から三千人を超える学僧が集まっていましたが、その中でも 圧倒的な才能 を見せた空海は、わずか2年で密教の全てを習得し、正統な密教の伝承者 として日本に帰国して 日本真言宗を開く とともに、東寺民衆の救済 に力を傾け、また高野山で多くの弟子を育てました。

  日本史上最高の天才 といわれる 空海 は、承和2 ( 835 ) 年 3月21日 ( 今日 )、輝かしい足跡を残して 高野山入定 ( にゅうじょう : 死ではなく永遠の宗教的瞑想 ) しています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年03月20日

妙蓮寺椿

 『 妙蓮寺椿 』

  日蓮宗祖・日蓮上人の孫弟子にあたる 日像上人 が永仁2 ( 1294 ) 年に創建した 妙蓮寺 ( みょうれんじ ) には、茶花 として古くから愛用されてきた 『 妙蓮寺椿 』 があります。

  妙蓮寺の塔頭・玉龍院が育て伝えてきた名椿で、室町時代の連歌師・ 宗祇 は一枝を写生して < 余乃花はみな末寺なり妙蓮寺 > と歌に詠んで賞賛しています。

  五百年以上の歴史を受け継ぐ妙蓮寺椿は、現在二代目にあたり、花弁は4~5枚、紅のやや濃い大中輪を咲かせています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年03月19日

格子

 『 格子 』

  京町家の 『 格子 』 ( こうし ) は、細い角材を縦横に隙間を空けて組んだもので、外から中は見えにくく、中から外の様子はよく見えるという機能性があり、また内向的な京都人の気質をあらわしているともいわれています。

  格子は職業によっても違いがあり、糸屋織屋呉服屋 などの繊維業では、細い糸や色彩をしっかり見るために 格子の上を少し切って採光性を高めたり、重量物の米俵や酒樽を扱う 米屋酒屋 では、壊れないよう頑丈な 角格子 になっています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年03月18日

源融・河原院

 『 源融・河原院 』

  平安初期に朝廷に仕えた 『 源融 』 ( みなもとのとおる ) は、もとは 嵯峨天皇の皇子 として生まれ、のちに 「 源 」 の姓 を授けられて 臣籍降下 ( しんせきこうか : 皇族を離れて一般の臣民になること ) し、のちに 左大臣 となりました。

  現在の五条河原町付近に広大な邸宅・ 河原院 を営んだことから 「 河原左大臣 」 とも称されました。

  源融『 源氏物語 』 に登場する 光源氏のモデル ともいわれ、冷皇帝や朱雀院が訪れた光源氏の邸宅・ 六条院 のモデルも、源融の河原院 といわれています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年03月17日

殿司

 『 殿司 』

  東福寺涅槃図 を描いた室町初期の画僧・明兆 ( みんちょう ) は、墨の線描きと強い色彩を調和させた手法で多くの 頂相 ( ちんぞう : 高僧の肖像画 ) など描きました。

  明兆東福寺殿司 ( でんす ) となったために 兆殿司 ( ちょうでんす ) とも呼ばれています。

  『 殿司 』 ( でんす ) とは 禅寺 において、殿堂の掃除灯燭 ( とうしょく : ろうそく )、香華 ( こうげ : 仏前に供える香と花 )、供物 ( くもつ : 供え物 ) などを取り扱う 役僧 をいいます。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)言葉コラム

2011年03月16日

鷹司邸跡

 『 鷹司邸跡 』

  鎌倉時代以降、天皇を助けて政務をつかさどる摂政・関白の重職を任ぜられる、公家の 近衛家九条家二条家一条家鷹司家 の五家を 「 五摂家 」 ( ごせっけ ) といいます。

  『 鷹司家 』 ( たかつかさけ ) は、鎌倉中期に藤原北家嫡流の近衛家実の四男兼平を祖とする公家の名家です。

  戦国時代には鷹司忠冬を最後に一度断絶しましたが、江戸初期に二条信房が鷹司家を再興し、江戸後期から幕末にかけては鷹司家が関白を務めることが多く、名家として近代まで続きました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年03月15日

お松明式

 『 お松明式 』

  毎年3月15日、嵯峨野の 清凉寺 では釈迦の入滅 ( 死 ) を悲しみ遺徳を偲ぶ 「 涅槃会 」 が行われ、続いて夜になると 『 お松明式 』 が行なわれ、境内に立てられた3本の大松明に火が点けられて瞬く間に大きな炎が夜空を焦がします。

  この 「 お松明式 」 は、釈迦の荼毘 ( 火葬 ) を表すと言われ、また稲作が始まる前の行事のため、3本の大松明がそれぞれ早稲、中稲、晩稲を表わすとして、それぞれの燃え方で 稲作の出来を占う儀式 ともなりました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年03月14日

猫入り涅槃図

 『 猫入り涅槃図 』

  涅槃図 には 釈迦 の涅槃 ( 死 ) を嘆き悲しむ大勢の弟子とともに、象や虎や孔雀など様々な 鳥獣 が描かれています。

  ところが昔から涅槃図に が描かれることはなく、“ 釈迦の使いである鼠を猫が食べたから ”“ 猫は鼠にだまされて釈迦の涅槃 ( 死 ) に間に合わなかった ” など諸説が伝えられています ( ゆえに猫は干支にもいない ) 。

  ところが 東福寺 の涅槃図は 『 猫入り涅槃図 』 ( 室町時代 ) と呼ばれ、作者の 明兆 が描いている時に絵の具 ( 染料 ) を裏山 ( 現、絵具谷 ) から持ってきた猫を描いた、といわれています。

『 東福寺涅槃会 』  東福寺
   3月14日~16日
   縦15m×横8mの涅槃図
   室町時代の画家明兆作 「 猫入り涅槃図 」
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年03月13日

涅槃

 『 涅槃 』

  『 涅槃 』 ( ねはん ) とは、あらゆる煩悩 ( ぼんのう ) が消え去り、苦しみを離れた安らぎの理想の境地である 悟りの世界 を意味し、それゆえに 「 死 」 そのものを 「 涅槃 」 ともいい、また一般的には仏教を開いた 釈迦の死「 涅槃 」 といいます。

  釈迦の涅槃は 陰暦 2月15日 ( 現在の新暦は3月15日 ) とされ、釈迦の遺徳をたたえる 『 涅槃会 』 ( ねはんえ ) が各地の寺院で行われ、堂内には釈迦が死を迎える光景を描いた 涅槃図 ( ねはんず ) が掲げられます。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)仏教コラム

2011年03月12日

御璽と国璽

 『 御璽と国璽 』

  法律や条約の公文書や内閣総理大臣の任命辞令書などに押す 天皇の公印『 御璽 』 ( ぎょじ ) といい、国書・親書や勲記 ( 勲章の証書 ) に押す 国家の公印『 国璽 』 ( こくじ ) といいます。

  現在の御璽と国璽は、明治7 ( 1874 ) 年に京印章の名匠・安部井櫟堂 ( あべいれきどう ) が1年がかりで製作したもので、どちらも大きさ約 9cm 四方の角印で、純金製で重量 4.5kg の印章です。

  御璽 には 「 天皇御璽 」 の4文字が、国璽 には 「 大日本國璽 」 の5文字が刻まれています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)言葉コラム

2011年03月12日

大地震

昨日の東北地方太平洋沖の大地震で首都圏の交通機関もストップし、歩いて新宿のホテルまでなんとか戻り、今日を迎えました。

今日の講座はふたつとも延期となりましたので、午後の新幹線で京都へ戻ろうと思います。

ホテルは余震の影響で今も時折、ゆらゆらと揺れています。。

まだ現地では多くの不明者がおられるようです、一刻も早い救援・救出の手が届くことを願っています。
  

Posted by 若村 亮  at 10:41Comments(0)らくたび日記

2011年03月11日

綜芸種智院

 『 綜芸種智院 』

  かつて 国家の官僚育成機関 として主に 貴族 を受け入れた教育機関 「 大学寮 」 ( だいがくりょう ) や、地方の役人育成機関 として主に 地方官の子弟 を受け入れた教育機関 「 国学 」 ( こくがく ) が設けられていました。

  しかし、庶民が大学寮や国学で学ぶことはかなり狭き門であり、それを憂いた 空海庶民の教育機関 として平安京の左京九条二坊に 『 綜芸種智院 』 ( しゅげいしゅちいん ) を設立し、儒教・仏教・道教などを総合的に学ぶことのできる教育施設にしたと伝えられています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年03月10日

浴室

 『 浴室 』

  風呂とは元来 「 蒸し風呂 」 を指す言葉とされ、現在のような浴槽に湯を入れて浸かる風呂は 湯屋 ( ゆや ) や 湯殿 ( ゆどの ) と呼ばれて区別されていました。

  寺院に建つ風呂は 『 浴室 』 ( よくしつ ) と呼ばれ、“ 入浴は七病を除き、七福を得る ” という教えから僧侶が功徳を積み、また身を清めるために入浴を行いました。

  8世紀後半には、寺院の浴室が庶民に開放され、身を清める 「 施浴 」 ( せよく : 布教の目的もある ) が始まったという記録が残されています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)文化コラム