2011年02月28日

福井藩邸跡

 『 福井藩邸跡 』

  堀川通二条下ル東側一帯には、江戸後期に 福井藩藩邸 が建てられていました。

  藩邸 とは各藩が 京都に設けた出先機関連絡事務所 ) で、居留守役 が藩邸に詰めて様々な事務連絡に務めていました。

  幕末福井藩主松平春嶽 ( まつだいらしゅんがく ) は、幕府政治の改革公武合体運動 を強く推し進めた人物として知られ、坂本龍馬 も京都の福井藩邸を訪ねて藩主・松平春嶽や藩士らと面談しています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年02月27日

京都御苑の梅苑

虎屋菓寮でひと休憩した後、家に帰る前に京都御苑の梅苑に
立ち寄ってみました。 ここ数日、春のような陽気が続きましたので、
どれくらいの開花状況かな、と思って立ち寄ってみました。

そうですね、全体的には3~5部程度でしょうか、まだまだこれから
見頃がやってくる!という感じです。



白梅


紅梅


3~5部咲きとはいえ、梅苑に入ると辺りから梅の香りが漂ってきて、
春の訪れを感じますね。
  

Posted by 若村 亮  at 23:45Comments(0)らくたび日記

2011年02月27日

虎屋菓寮でちょっと休憩。。

京料理・萬重でたっぷり料理をいただいてから、わずか
1時間とちょっと。 しかし、散策後はやはり甘い物!と
いうことで、虎屋菓寮・京都一条店へ行ってきました。



季節の和菓子とお抹茶をいただきました。

この和菓子は “ 紅梅と白梅をあしらって橋渡し ” というテーマの
和菓子だそうで、いやー、羊羹の美味しさをあらためて味わった
一品でした♪



こちらは私がいただいたわけではありませんが ( 笑 )、春らしい
和のあんみつなので、思わず写真を撮ってみました~。





やはり甘い物は別腹でした ( 笑 )

虎屋菓寮・京都一条店 : 公式HPは こちら
  

Posted by 若村 亮  at 23:35Comments(0)和菓子

2011年02月27日

京料理 萬重 ( まんしげ )

今日も昼間は春を想わすような陽気になり、そんな散策日和に
≪ 京都隠れた社寺と季節の味めぐり ≫ 講座で西陣界隈へと
行ってきました!

今日、お伺いした料亭は、西陣で愛され続けている老舗の料亭
京料理・萬重 ( まんしげ ) です~。



さっそくお料理をご紹介~♪

八寸




こちらは・・・ え~っと、大徳寺麩とウドと土佐酢のジュレです!

大徳寺麩の独特の触感と、酸味のあるジュレがとっても美味しく、
さらに新鮮な野菜もシャキシャキで爽やかな一品でした。



お造り


かにしんじょうのお吸い物


わっ、冬の味覚、かにをいただきます~。

そういえば、この冬、あまりかにを食べた記憶がない~ ( 笑 )
冬が終わる前にしっかり食べることができて、良かったぁ。



さぁ、いよいよ京料理・萬重の名物が登場です!



そっと器を開けてみると・・・



京料理・萬重の名物といえば、鯛のあらだきです!

もう、これ以上は食べるところがない!というくらい、きれいに
いただきました ( 笑 ) 鯛も本望かな、美味しかったです!



甘鯛の炊き合わせ


甘鯛の下から、次々とお料理が出てきて、いろいろな味わいを
楽しめた一品でしたね~。



季節の天ぷら


せいろ蒸し


もち米のしっとり感がとっても美味しかったです。



最後はデザート。 すでにかなりのボリュームをいただいて
いましたが、さすがデザートは別腹です ( 笑 )



内庭


いや~、大満足のお料理でした♪!

ちょっと情報を。 五山の送り火の日に予約をすると、屋上から
五山の送り火を見ることができますので、ぜひ!という方は、
8月16日にご予約してみてくださいね。

京料理 萬重 : 公式HPは こちら
  

Posted by 若村 亮  at 23:28Comments(0)京料理

2011年02月27日

伏見城

 『 伏見城 』

  天正20 ( 1592 ) 年、豊臣秀吉 が自らの居城として 『 伏見城 』 を築城しましたが、慶長元 ( 1596 ) 年の 慶長伏見大地震 によって 倒壊 しました。

  翌年には再建されましたが、秀吉の死後は 徳川家康の預かり となり、関ヶ原の合戦に際して西軍の攻撃を受けて焼失しました。

  後に再建されて再び江戸幕府の支配下に置かれましたが、寛永2 ( 1625 ) 年には城としての重要性が薄れたことから 廃城 となり、建物は二条城や大徳寺などに移築されました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年02月26日

明王

 『 明王 』

  真言宗の本尊仏である 大日如来 ( だいにちにょらい ) は “ 宇宙そのもの ” であるとされ、密教の曼荼羅図 ( まんだらず ) には、大日如来を中心とする仏の世界が描かれています。

  優しい慈悲に満ちた仏様の中において、髪を逆立て、目を見開き、牙を剥き出した怒りの形相をした 『 明王 』 ( みょうおう ) は、人びとに強い印象を与えます。

  人間の内側にある弱い心や怠ける心に対し、明王は強い怒りでそれを断じ、人を正しい真理へと導きます。 明王の怒り とは、優しい慈悲に満ち溢れた怒り なのです。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)仏教コラム

2011年02月25日

四条通

 『 四条通 』

  東の端に 八坂神社、西の端に 松尾大社 が鎮座する 『 四条通 』 は、今も昔も賑わう京のメインストリートです。

  古くから四条室町は 「 鉾の辻 」 と呼ばれ、ここを中心に祗園祭の山鉾が並び、町衆の夏祭が行われてきました。

  その町衆の楽しみと言えば、四条河原で興行された芸能の数々。 なかでも 出雲阿国 が演じた 「 かぶき踊り 」 は町衆の間で大人気となって賑わい、芝居小屋が所狭しと建ち並びました。 現在は 南座 が京都唯一の歌舞伎劇場として残るのみとなりました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年02月24日

法性寺

 『 法性寺 』

  平安前期の第61代・朱雀天皇 の御世に摂政・関白と歴任した 藤原忠平 ( ふじわらのただひら ) は、延長3 ( 925 ) 年に 藤原氏の氏寺 として 『 法性寺 』 ( ほっしょうじ ) を建立し、藤原氏の隆盛とともに伽藍が整えられ、壮大な堂塔が並ぶ一大寺院となりました。

  しかし、鎌倉時代になって藤原氏の流れを汲む 九条道家 が、法性寺の境内に 東福寺 を創建したことから次第に法性寺は衰微し、現在は浄土宗の小さな寺院になっています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(2)歴史コラム

2011年02月23日

臥竜の老梅

 『 臥竜の老梅 』

  今から1100年前、醍醐天皇が母の菩提を弔うために建立した 勧修寺 ( かじゅうじ ) は、皇室や藤原氏の帰依を受け、代々法親王が住持してきた格式ある門跡寺院です。

  勧修寺には樹齢が300年を超える 梅の古木 があります。 300年前の初代の木の根から子と孫の木が生えた珍しい姿をしており、孫の木が今、つぼみをほころばしています ( 初代と二代目は枯れ木として根元に横たわる )。

  梅の古木が、まるで竜が絡み付いているようにも見えることから 『 臥竜の老梅 』 ( がりゅうのろうばい ) と呼ばれています。

※写真はイメージ
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)季節コラム

2011年02月22日

小町通

 『 小町通 』

  数々の伝説を秘めた一条戻橋から東へ歩くと、一条通から北へ延びる細い道があり、その交差点の北西角に 『 小町通 』 と書かれた小さな石碑が立っています。

  平安時代、小野小町 ( おののこまち ) の名声を妬む 大伴黒主 ( おおとものくろぬし ) は、前夜に小町邸で歌を盗み聞いて 万葉集草紙 ( そうし:綴じてある本 ) に書き加えて、翌日の歌合せで小町の歌が万葉集の 盗作 だと 批判 しましたが、小町が草紙を 井戸の水で洗う と、加筆された筆書きの文字が消えて 身の潔白が証明された という物語が伝えられています。

  石碑の辺りが謡曲 「 草紙洗小町 」 の舞台とされる小野邸の井戸があった場所とされ、細い道は 小町通 と呼ばれ、石碑の側面には 小野小町雙紙洗水遺跡 と刻まれています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年02月21日

多宝塔

 『 多宝塔 』

  法華経 ( 見宝塔品 ) にみられる 「 釈迦が法華経を説法していると多宝塔があらわれ、多宝如来が釈迦に半座を開けて座を譲った 」 という故事に由来し、寺院に建つ 『 多宝塔 』 ( たほうとう ) には 釈迦如来多宝如来 の二仏が祀られています。

  多宝塔は、一重 ( 一階 ) が方形、二重 ( 二階 ) の軸部が円筒形、屋根は方形という二重構造ですが、じつは下層の屋根 は 裳階 ( もこし ) という飾りの屋根であり、正しい表記は 「 裳階付き単層塔 」 になります。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年02月20日

杉玉

 『 杉玉 』

  日本酒の造り酒屋の軒先に吊るされる 『 杉玉 』 ( すぎたま ) は、スギの葉 ( 穂先 ) を集めてボール状にした物で、酒林 ( さかばやし ) とも呼ばれています。

  青々とした杉玉が吊るされると 新酒 が出来たという目印となり、時間とともに色褪 ( あ ) せて茶色になり、酒の 熟成度 を人びとに知らせてくれます。

  杉を飾って酒の神の御加護を願う風習に由来し、また造り酒屋では杉の新芽 ( 防腐作用の成分を含有 ) を集めて、酒が腐りかけると杉の新芽を酒に浸けていました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年02月19日

四親王家

 『 四親王家 』

  江戸時代、皇室において 親王 ( しんのう : 皇族男子の身位のひとつ ) の位を代々保持し続けた 四つの宮家『 四親王家 』 ( ししんのうけ ) といい、伏見宮 ( ふしみのみや )・ 桂宮 ( かつらのみや )・ 有栖川宮 ( ありすがわのみや )・ 閑院宮 ( かんいんのみや ) という四つの宮家になります。

  元は 皇位継承資格者確保 するという目的から 世襲制 で親王家を継承していましたが、明治維新後に世襲親王家の制度は廃止されました。

※現在の桂宮家と旧桂宮家は無関係
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年02月19日

春を想わす暖かさ

暖かな陽射しと青空です!

今日は午後に大阪で講座があり、これから移動して頑張ってきます〜。

それにしても、きれいな青空と雲ですね(笑)

  

Posted by 若村 亮  at 11:08Comments(0)携帯から京都

2011年02月18日

裳階

 『 裳階 』

  妙心寺の法堂など、外観 を一見すると屋根の枚数から 二重 ( 二階建て ) に見える建物があります。

  しかし、下層の屋根『 裳階 』 ( もこし ) という 飾りの屋根 で、建物としては 一重 ( 一階建て ) となり、正しくは 「 一重裳階付き 」 という表記になります。

  ( も ) は古代に女性が腰から下にまとった衣服を意味することから、飾りの階 ( 屋根 ) を 「 裳階 」 と呼ぶようになり、当初は建物の保護を目的として設けられ、次第に建物の装飾・意匠を目的とするようになりました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年02月18日

高所作業車

今朝はラジオ出演の後、京都御苑をぶらりと散策してみました。

すると、御所の樹木を剪定している作業車を見つけて、よ~く
見てみると、おっ! タダノの高所作業車でした ( 笑 )



タダノは、らくたびを創業する前に働いていた会社で、設計3部で
高所作業車の開発設計を担当していた時に、この作業車の設計
を担当していたんです ( 笑 )



以前に設計した機械をこうして御所で見ることができるのも、
なんだかいいですね~ ( 笑 )

株式会社タダノ : 公式HPは こちら
  

Posted by 若村 亮  at 11:48Comments(0)らくたび日記

2011年02月17日

紅白の巨大なお餅

午前中、講演のために醍醐へ行ってきましたが、地下鉄・醍醐駅すぐの商業施設に、来週 23日(水)に醍醐寺で執り行われる ≪ 五大力尊仁王会 / 餅上げ力奉納 ≫ で使用される紅白の巨大なお餅が展示されていました ( 笑 )

男性 150kg女性 90kg の巨大な餅を持ち上げ、五大力さんに力を奉納して無病息災のご利益をいただく年中行事です。

来週、らくたび京都さんぽ でも上記の行事に行きますので、ぜひご参加ください ( 詳細は こちら )  

Posted by 若村 亮  at 17:12Comments(0)らくたび日記

2011年02月17日

二十四孝

 『 二十四孝 』

  儒教の教え を重んじた中国の歴代王朝では、治世の上で “ 親孝行 ” が特に重要と位置づけ、古く親孝行であった人物を二十四人取り上げた物を 『 二十四孝 』 ( にじゅうしこう ) として、後世の模範として長く語り継いできました。

  御香宮神社表門 は、元和8 ( 1622 ) 年、徳川頼房の寄進によって建立された 旧伏見城大手門 とされ、豪華な彫刻の装飾の中に 「 二十四孝 」 を題材とする見事な透かし彫りが設けられています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年02月16日

歌の中山

 『 歌の中山 』

  清水寺 から 清閑寺 へと山麓に続く杉並木の山路は、その山路からの美しい景色を多くの歌人が眺めて歌に詠んだことから 『 歌の中山 』 ( うたのなかやま ) と呼ばれるようになりました。

  昔、清閑寺の僧・真燕 ( しんえん ) が山門に佇んでいた時に 美しい女 へ 「 清水への道は何れでしょうか? 」 と問いかけたところ、< 見るにだに 迷う心のはかなくて 誠の道を いかで知るべき > と戒めの歌を返されたと伝えられています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年02月15日

建仁寺

 『 建仁寺 』

  建仁2 ( 1202 ) 年、日本臨済宗の開祖である 栄西禅師 が京都で初となる禅寺を創建し、時の元号から 『 建仁寺 』 ( けんにんじ ) と名付けられました。

  建仁寺の方丈は、慶長4 ( 1599 ) 年に安芸 ( 現在の広島県 ) の安国寺から移建したもので、その前庭には白砂の中に苔と石を配した 大雄苑 ( だいおうえん ) と称される禅庭が広がっています。

  また、本坊裏の 潮音庭 ( ちょうおんてい ) は中央に三尊石を組み、その東に座禅石を配した四方正面の禅庭です。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(2)京都コラム

2011年02月14日

バレンタイン・和菓子♪

今日はバレンタインデーです!

さすが京都に関わるスタッフです、バレンタイン・チョコではなく、
バレンタイン・和菓子をいただきました~ ( 笑 )



長久堂 【 よろしく 】


駿河屋 【 想い 】


本家玉壽軒 【 キューピット 】


二條若狭屋 【 まごころ 】


一番最初にご紹介しました、長久堂 【 よろしく 】 を選んで
いただきましたが、ハート型の白い箱の中にもぎっしりと餡が
詰まっていて、甘く美味しい和菓子でした~!

ありがとうございました。
  

Posted by 若村 亮  at 17:40Comments(0)らくたび日記

2011年02月14日

本格的な雪へ

午後2時くらいから、雨まじりの雪は、本格的な雪に変わり、今はしんしんと降り続いています。

予報では四国や九州でもまとまった積雪になるといい、京都もこのまま雪が降ると、明日は一面の銀世界になっていそうですね。

あまりの寒さに、今日の散策講座は、最後の1時間はカフェでお茶をして終わってしまいました ( 笑 )  

Posted by 若村 亮  at 17:13Comments(0)らくたび日記

2011年02月14日

観音寺

 『 観音寺 』

  南山城の 『 観音寺 』 は、今から約1300年前、義淵 ( ぎえん ) 僧正が天武天皇の願いを受けて創建し、のち 良弁 ( ろうべん ) 僧正が堂塔を整備して 普賢寺 とし、壮大な伽藍を持つ大寺院となりました。

  大御堂に祀られている 本尊十一面観音菩薩像 は、天平16 ( 744 ) 年に普賢寺の本尊として祀られ、天下泰平と国民豊楽の願いが込められていると伝えられています。

  天平時代に作られた貴重な仏像であり、全国で七体しかない 国宝 指定の十一面観音菩薩像のひとつです。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年02月13日

台密と東密

 『 台密と東密 』

  比叡山の天台宗総本山 延暦寺 ( えんりゃくじ ) は、延暦7 ( 788 ) 年、僧・最澄 ( さいちょう ) が薬師堂 ( 現在の根本中堂の場所に建立 ) を建立したことに始まり、のちに天台法華をはじめ、密教、禅、念仏など様々な教えを伝える 総合仏教寺院 として多くの僧が厳しい修行に励みました。

  また 密教 において、『 東密 』 ( とうみつ : 真言宗の密教 / 東寺密教の略 ) に対して 『 台密 』 ( たいみつ : 天台宗の密教の略 ) と呼ばれ、平安貴族から絶大な支持を得て重んじられました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)仏教コラム

2011年02月12日

渉成園・雪の灯籠

 『 渉成園・雪の灯籠 』

  慶長7 ( 1602 ) 年、徳川家康 から土地が寄進されて 東本願寺 が成立し、寛永18 ( 1641 ) 年、江戸幕府3代将軍・徳川家光 から東本願寺の東側の土地がさらに寄進され、東本願寺の 別邸 として 『 渉成園 』 ( しょうせいえん ) が造営されました。

  印月池を中心とした広大な園内には灯籠がいくつも据えられ、その中には あたかも雪が灯籠の笠に降り積もった ように刻まれた 石灯籠 なども見られ、渉成園の雅な庭園に趣きを添えています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年02月11日

伏見酒

 『 伏見酒 』

  伏見 ( ふしみ ) という地名は “ 伏水 ” ( ふせみず : 地を伏せて流れる水、つまり地下水のこと ) に由来しているともいわれ、御香宮神社 ( ごこうのみやじんじゃ ) の境内に涌く 「 御香水 」 ( ごこうすい ) をはじめ、多くの名水が涌く土地として古くから知られています。

  また、伏見は豊富で良質な涌き水を使った 酒造り が盛んなところとしても知られ、神戸の ( なだ ) で造られる辛口の酒を 男酒 ( おとこざけ ) と呼ぶのに対し、ほんのり 甘口の伏見酒女酒 ( おんなざけ ) と呼ばれて愛されています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年02月10日

城南宮

 『 城南宮 』

  東寺から南へ、鴨川を越えた辺りを 鳥羽 ( とば ) といいます。

  幕末に 鳥羽伏見の戦い が勃発した場所として歴史に名を刻みますが、平安時代には鴨川の清流と東山の連山を望む景勝地として 白河上皇鳥羽離宮 が造営され、華やかな宮廷文化が営まれました。

  白河上皇はしばしば 熊野詣 を行い、京から旅立つ前に、離宮に七日程籠って身を清め、旅の安全を祈願してから熊野へと旅立ちました。

  その後、鳥羽離宮の神社は 『 城南宮 』 ( じょうなんぐう ) となり、現在も 旅行交通安全の神様 として厚く信仰されています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年02月09日

弧を描く虹

関ヶ原あたりで、地上近くで弧を描く虹を発見しました!

ちょっと珍しい虹ですね(笑)


  

Posted by 若村 亮  at 12:56Comments(0)携帯から京都

2011年02月09日

東寺の不二桜

今日は群馬県高崎市へ向かいます。

京都駅の新幹線ホームには、美しい東寺の不二桜が「そうだ京都、いこう」の春のポスターとして掲示されていました。

弘法大師の不二の教えに由来して名付けられた桜ということですが、さぁ、今年の京都の桜はどんな不二の美しさを見せてくれるでしょうかぁ〜。

では、行ってきます!

  

Posted by 若村 亮  at 12:53Comments(0)携帯から京都

2011年02月09日

首途八幡宮

 『 首途八幡宮 』

  “ 自分の家を出発して旅に向かうこと ”“ 新しい生活に向けて出発すること ”「 門出 」 ( かどで ) といい、古くは 「 首途 」 ( かどで ) とも表記しました。

  西陣の 『 首途八幡宮 』 ( かどではちまんぐう ) は、平安末期、京都を追われた 牛若丸源義経 ) が奥州平泉へ下る際、旅の安全を祈願した神社と伝えられ、以来 首途 ( かどで : 出発 ) を願う 首途八幡宮 と呼ばれるようになりました。

  現在も 旅行安全の守護神 として厚く信仰されています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム