2011年02月08日

高御座

 『 高御座 』

  天皇の位につく即位式など、朝廷の儀式の際に紫宸殿の中央に設けられた天皇が着座する座を 『 高御座 』 ( たかみくら ) といいます。

  現在の高御座は大正天皇の即位の際に古式に則って作られたもので、黒塗りの壇上に八角形の屋根を据えて、帳 ( とばり : 垂れ下げて隔てとする布 ) をめぐらし、内部に椅子が据えられています。

  日本では古来より 高御座のあるところが天皇の在所 とされ、現在も京都御所の紫宸殿にあることから、京都御所正式な皇居 とする考えが存在しています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年02月07日

宇治上神社

 『 宇治上神社 』

  『 宇治上神社 』 ( うじかみじんじゃ ) の 本殿 は、覆屋 ( おおいや ) と呼ばれる建物の内部に、内殿 ( ないでん ) と呼ばれる小さな社殿が三社並んで建てられています。

  内殿三社は向って左から右殿・中殿・左殿と呼ばれ、それぞれ祭神として中殿に 応神天皇、右殿に 仁徳天皇、左殿に 菟道稚郎子 ( うじのわきいらつこ ) が祀られています。

  木材の年輪から建立年代を測定すると 1060年頃 に建てられたことが判明し、これは平安時代の神社建築の遺構としては唯一となります。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年02月06日

毘沙門天

 『 毘沙門天 』

  『 毘沙門天 』 ( びしゃもんてん ) は、夜叉 ( やしゃ : 鬼神 ) を率いて須弥山 ( しゅみせん : 仏教の宇宙観において世界の中央にそびえるという山 ) の 北方を守護する神 とされ、四天王の一尊 として 「 多聞天 」 ( たもんてん ) とも呼ばれています。

  毘沙門天は鎧甲冑を身にまとい、武器を携えることから古来より 武神 としても崇められ、戦国武将・上杉謙信 は自らを 毘沙門天の転生 であると信じていたとされ、旗印にも 「 毘 」 の文字を用いていました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)仏教コラム

2011年02月05日

仮名

 『 仮名 』

  中国伝来の 漢字「 真名 」 ( まな ) と呼ぶのに対し、日本で生まれた音節文字 ( 一字が一音節を表す文字 ) を 『 仮名 』 ( かな ) といいます。

  古くは漢字の音や訓によって 「 波流 ( 春 ) 」 や 「 八間跡 ( やまと ) 」 のように、漢字本来の意味とは異なる日本語の音を表記した 「 万葉仮名 」 ( まんようがな ) が用いられ、それが次第に簡略化されて 「 伊 → イ / 宇 → ウ 」 のような漢字の画の一部分より作られた 「 片仮名 」 ( かたかな ) が生まれました。

  また、漢字の筆画をくずした草書体から草仮名をへて 「 平仮名 」 ( ひらがな ) も生まれました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム

2011年02月04日

立春

 『 立春 』

  現在、世界の共通暦である グレゴリオ暦 とは、太陽の動きによって季節が変化する周期 ( 一太陽年 ) をもとに作られた 太陽暦 ( たいようれき ) の一種です。

  明治6 ( 1873 ) 年、明治政府によって日本国も太陽暦へと移行しましたが、それまでは月の動きを基準とする 太陰暦 ( たいいんれき ) に季節の変化など 太陽暦 の要素を加えて作られた 太陰太陽暦 ( たいいんたいようれき ) が用いられていました。

  今日は暦の上では、春の始まりとされる 『 立春 』 ( りっしゅん ) です。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)祭事コラム

2011年02月04日

春霞み?の富士山(笑)

白く霞みが掛かる富士山です。

先日、甲府へ講演に行った際、学校の先生との話しの中で「裏から見る富士山も素敵ですね」と言ってしまいましたが、これはちょっと失礼なことでした(汗笑)

いつも静岡県側から富士山を見ているので、ついつい山梨県側を裏側と言ってしまいましたが、じつは富士山へ登る登山者は山梨県側から向かう人の方が多いそうで、富士山には表も裏もないんです!

とにかく、何度見ても、どこから見ても、素敵な山「富士山」です♪  

Posted by 若村 亮  at 11:15Comments(2)携帯から京都

2011年02月04日

輝く雪景色

米原から関ヶ原にかけて、一面の雪景色です。

今日は全国的に3月並みの暖かさになるようで、まさに今日が立春という暦の通り、春を想わせる陽気になりそうです。

さぁ、今日と明日は東京での講演、頑張ってきます!


  

Posted by 若村 亮  at 09:57Comments(0)携帯から京都

2011年02月03日

須賀神社・懸想文売り

 『 須賀神社・懸想文売り 』

  『 須賀神社 』 ( すがじんじゃ ) の 節分祭 には、梅の枝に文を結んで境内を売り歩く 『 懸想文売り 』 ( けそうぶみうり ) が登場します。

  昔、貧乏なお公家さんが素性を隠すために覆面をして街へ出歩き、文字の書けなかった庶民のためにラブレター ( 懸想文 ) の 代筆 をしたと伝えられています。

  神社で授与される懸想文は “ 人知れず鏡台や箪笥の引出しに入れておくと顔・かたちが美しくなり着物が増え、良縁が有る ” ということで、古くより京の街の女性に買い求められてきました。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2011年02月03日

小学生以来の給食!

今日は日帰りで千葉の中学校へ講演に行ってきました。

ちょうどお昼どきということで、学校の給食をいただきました!
給食を食べたのはいつ以来だろう、たしか中学生の時は弁当だったような記憶があるので、だぶん小学生の頃以来に ( 笑 )
牛乳が懐かしい感じでした。

さて、講演後は東京の出版社へ立ち寄って、あれこれと打ち合わせをして、最終の新幹線で京都へ帰ってきました~。

明日は京都ですが、明後日から再び東京へ。 学習院・生涯学習センターとNHK文化センター東京本校で京都学講座を受講いただいている皆さん、今月は第2金曜日が祝日のため、明後日の第1金曜日に講座日程が変更になっています、お忘れなきよう、東京でお会いできることを楽しみにしています♪  

Posted by 若村 亮  at 00:38Comments(0)らくたび日記

2011年02月02日

節分の習わし

 『 節分の習わし 』

  節分には “ 柊 ” ( ひいらぎ ) の小枝に “ 鰯 ” ( いわし ) の頭を刺して門戸に飾る習わしがあります。

  目に刺さる柊の葉を嫌い、また 鰯の頭が放つ悪臭も嫌う ことから、悪鬼があられる節分には柊の小枝に鰯の頭を刺して門戸に飾って 悪鬼除け としてきました。

  また、“ 豆 ”“ 魔目 ” ( 鬼の目 ) に通じるとも考えられ、豆を火で炒って食べる、つまり 鬼を退治して春 ( 福を意味する ) を迎える という願いが込められています。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(2)歴史コラム

2011年02月01日

節分

 『 節分 』

  『 節分 』 とは “ 季節を分ける ”、つまり季節の変わり目となる立春・立夏・立秋・立冬の前日をいいます。

  しかし、古くから 立春 を新しい一年の始まりとし、次第に節分といえば 春の節分 を指すようになりました。

  平安時代、節分は 悪鬼が現れやすい 頃と考えられ、宮中では豆を撒いて悪鬼を追い払う 追儺 ( ついな ) という行事が行なわれていました。 宮中行事の追儺がのちに民間に伝わり、現在のような節分行事として行なわれるようになりました。

  節分とは、ほのかに移りゆく季節を感じる伝統行事です。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)歴史コラム