2007年06月12日

藤原姓

藤原姓 『 藤原姓 』

  大化元 ( 645 ) 年 6月12日 ( 今日 )、三韓 ( 新羅、百済、高句麗 ) から来日した使者を迎える儀式が執り行われていた宮中において、中大兄皇子 ( なかのおおえのおうじ : のちの天智天皇 ) と 中臣鎌足 ( なかとみのかまたり ) が 蘇我氏を討ち、そこから古代政治史上の一大改革である 「 大化の改新 」 が始まりました。

  この功績によって中臣鎌足は天智天皇より 『 藤原 』 の姓を賜り、以後、藤原氏は名門氏族として江戸末期までの長きにわたって 貴族社会の頂点に君臨 しました。


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Posted by 若村 亮  at 12:00 │Comments(2)歴史コラム

この記事へのコメント
いろいろな情報ありがとうございます。
私は、第4ブログ「知恵の都京都人の遺伝子」の関係で、平安京以前と以降の、京都の有力氏族の動きについて、調べています。
いろいろな説がありますが、天皇家は、継体天皇が越国の大王だったのは、明確に記録されており、最近、物部氏は吉備国。蘇我氏は出雲国と密接な関係だある説が出ており、菅原道真の先祖土師氏で大伴氏と関係が深く、奈良から京都に地盤を作った加茂氏は、出雲氏の京都の地盤の下鴨から追い出して下鴨神社を建てており、秦氏は太秦から嵯峨野・嵐山を地盤としていたわけで、中臣氏の藤原氏は、どういう流れであれほどの権力を握ったのか?
Posted by  小山晶之 at 2007年06月12日 13:27
小山晶之 様
こんばんは。 お返事が遅くなりました。
古代の歴史は謎に包まれた部分が多いだけに、人びとの興味を引きつけ、あれこれと想像や推測を呼びますね。 ぜひ、新たな説などがありましたら、お教えください。 若村
Posted by 若村 at 2007年06月13日 01:18
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