らくたび 若村亮 の 「 京都の旅コラム 」
毎日ほんの一瞬でも、京都の旅コラムを通じて、 京都の心 = 日本人の心 をお伝えできれば幸いです。
2008年08月11日
鳥辺野
『 鳥辺野 』
平安時代、
死者を葬る葬送地
として、
鳥辺野
・
蓮台野
・
化野
がありました。
清水寺の麓あたりが
『 鳥辺野 』
( とりべの ) と呼ばれ、西大谷の周辺には現在でも墓所が広がっています。 古くは南の阿弥陀ヶ峰一帯までの広い地域を鳥辺野と呼び、火葬による煙りが絶えなかったと伝えられています。
その他、船岡山の西側一帯が
蓮台野
( れんだいの ) と呼ばれ、嵯峨野の奥に
化野
( あだしの ) が広がっていました。
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(2011-08-14 12:00)
Posted by 若村 亮 at 12:00 │
Comments(8)
│
清水寺付近
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この記事へのコメント
はじめまして。
あだしのって「化野」と表記するのが一般的ではないのでしょうか??
Posted by 一般 at 2008年08月11日 19:12
こんばんは。
ご指摘、ありがとうございました。
すっかり見逃していました、変換間違いです。
ありがとうございました。 たった今、修正をしました。
今後ともコラムをご愛読ください。 ありがとうございました。 若村
Posted by 若村 亮 at 2008年08月11日 20:58
こんばんは。
今日のコラムを読んで、子供の頃、今は亡き祖父から聞いた話を思い出しました。
九州に住んでいた頃の祖父の若き頃の話ですが、当時は今のような火葬場が無く、町内の人が亡くなると、当番制で周ってきた火葬係りが火葬していたそうです。
でもやはり気持ち悪いらしく、当番の人達は大量の酒を飲んでから点火していたそうです。
祖父は、火葬し終わるまで、火の中でどんな事が起きているか詳しく話してくれましたが、話で聞くだけでもとっても怖かったので、ここではその話は伏せておきます。
その祖父も今年2度目のお盆を迎えます。お墓参りに行かなくては。。。
Posted by ポコ at 2008年08月11日 22:13
ポコ さん、こんばんは。
でも昔は、常に身近に 「 死 」 というものがあって、死を考えたとき 「 命 」 の大切さをもっと感じていたんでしょうね。 現代社会では、まず 「 死 」 に触れる機会が少なく、そのために 「 命 」 についての感覚も薄くなっているのかもしれません。 昨今の凶悪事件などを聞くと、そう思うときがあります。
地獄絵図なども、あれを見て現世での行いを振り返るわけで、やはり、そういう教育も大切なのかもしれませんね。 若村
Posted by 若村 亮 at 2008年08月11日 23:21
こんばんは。
平安時代に火葬されたのは、身分のかなり高い人です。
山に葬られるのは、一般でも上のほうの人。下層の人は
川原に打ち捨てられていたそうです。
身寄りのない生き倒れは、道の邪魔にならないよう、適当に
捨てられたとか。犬や鳥が処分してくれたそうです。
地獄絵図も、普段のことをデフォルメして書いたもののような
気もします。
源氏物語で夕霧が葬られる前に安置されてたのは、六道
珍皇寺近辺ということになっています。二条院に帰る時に
光源氏は気を失って馬から落ちた、と書いてあります。
Posted by 元京都市民 at 2008年08月12日 01:14
元京都市民さん、こんばんは。
昨日、源氏物語ゆかりの地をめぐる現地散策講座で、六道珍皇寺や鳥辺野をご案内してきました。 かなり暑く、受講生の方もそれこそ地獄だったと思います ( 笑 )
それにしても、今ではあまり考えられませんが、死骸が転がっている風景はまさに地獄絵図に近い状態だったでしょうね。 若村
Posted by 若村 亮 at 2008年08月12日 01:35
元京都市民さん こんんちは
「源氏物語で夕霧が云々」とありますが夕顔ではないですか?
鴨川を見るときに、この川に打ち捨てられた下層の人々のことを思い浮かべます。 川原に山積みにされた人々が大雨に流されるという話をよく聞きますが信じられないです。
Posted by 元京都の通学生 at 2008年08月12日 13:00
元京都の通学生さん こんばんは
「夕顔」と書くところを「夕霧」と書いてしまいました。
息子をおぼろ屋に連れていくことはないですからね。
平安時代の鴨川の河原は広く、現在の河原町通りの付近まで
河原だったみたいです。秀吉もお土居、角倉了以の高瀬川開削
で現在の川幅に近くなったみたいです。
また、河原は刑場でもあり、秀次一家の首がさらされたのも三条
河原でした。
Posted by 元京都市民 at 2008年08月12日 22:57
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プロフィール
若村 亮
「 らくたび 」 とは 「 洛を旅する 」
京都の旅 らくたび
若村 亮 ( わかむら りょう )
昭和48(1973)年、愛媛県生まれ。
立命館大学理工学部機械工学科を卒業し、一時、大手建設機械メーカーに就職して技術開発の設計にたずさわるが、現在は京都において 株式会社 らくたび を創立し、京都に特化した事業経営を行う。
現在は、らくたび文庫シリーズなど京都本の企画・執筆・編集・出版や、大手旅行会社向けの旅行企画プロデュース、京都伝統工芸大学校や各種文化講座の京都学講師、ラジオやテレビ番組のレギュラー出演など、多彩な京都の魅力を全国に発信している。
■ 主な著書・執筆 ■
らくたび文庫シリーズ
京の庭NAVI 枯山水庭園編
京の庭NAVI 池泉庭園編
京の仏像NAVI
京の歴史NAVI 幕末編
京の建築NAVI
京の神さま仏さま
京暦365日 その他 多数
( 以上、コトコト )
旅の雑学ノート・京都
( ダイヤモンド社 )
京都半日とっておきの散歩道
京都12カ月 年中行事を楽しむ
おとなの京都ドリル
京都で過ごす1週間
京都の練習帖
( 以上、地球の歩き方 )
■ 主な講師・講演 ■
京都美術工芸大学 講師
京都伝統工芸大学校 講師
学習院・生涯学習センター 講師
NHK文化センター青山 講師
三越カルチャーサロン 講師
クラブツーリズム 講師
中日文化センター 講師
神戸新聞文化センター 講師
朝日カルチャーサロン 講師
京都リビング講座 講師 など
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【京つうからのお知らせ】
あだしのって「化野」と表記するのが一般的ではないのでしょうか??
ご指摘、ありがとうございました。
すっかり見逃していました、変換間違いです。
ありがとうございました。 たった今、修正をしました。
今後ともコラムをご愛読ください。 ありがとうございました。 若村
今日のコラムを読んで、子供の頃、今は亡き祖父から聞いた話を思い出しました。
九州に住んでいた頃の祖父の若き頃の話ですが、当時は今のような火葬場が無く、町内の人が亡くなると、当番制で周ってきた火葬係りが火葬していたそうです。
でもやはり気持ち悪いらしく、当番の人達は大量の酒を飲んでから点火していたそうです。
祖父は、火葬し終わるまで、火の中でどんな事が起きているか詳しく話してくれましたが、話で聞くだけでもとっても怖かったので、ここではその話は伏せておきます。
その祖父も今年2度目のお盆を迎えます。お墓参りに行かなくては。。。
でも昔は、常に身近に 「 死 」 というものがあって、死を考えたとき 「 命 」 の大切さをもっと感じていたんでしょうね。 現代社会では、まず 「 死 」 に触れる機会が少なく、そのために 「 命 」 についての感覚も薄くなっているのかもしれません。 昨今の凶悪事件などを聞くと、そう思うときがあります。
地獄絵図なども、あれを見て現世での行いを振り返るわけで、やはり、そういう教育も大切なのかもしれませんね。 若村
平安時代に火葬されたのは、身分のかなり高い人です。
山に葬られるのは、一般でも上のほうの人。下層の人は
川原に打ち捨てられていたそうです。
身寄りのない生き倒れは、道の邪魔にならないよう、適当に
捨てられたとか。犬や鳥が処分してくれたそうです。
地獄絵図も、普段のことをデフォルメして書いたもののような
気もします。
源氏物語で夕霧が葬られる前に安置されてたのは、六道
珍皇寺近辺ということになっています。二条院に帰る時に
光源氏は気を失って馬から落ちた、と書いてあります。
昨日、源氏物語ゆかりの地をめぐる現地散策講座で、六道珍皇寺や鳥辺野をご案内してきました。 かなり暑く、受講生の方もそれこそ地獄だったと思います ( 笑 )
それにしても、今ではあまり考えられませんが、死骸が転がっている風景はまさに地獄絵図に近い状態だったでしょうね。 若村
「源氏物語で夕霧が云々」とありますが夕顔ではないですか?
鴨川を見るときに、この川に打ち捨てられた下層の人々のことを思い浮かべます。 川原に山積みにされた人々が大雨に流されるという話をよく聞きますが信じられないです。
「夕顔」と書くところを「夕霧」と書いてしまいました。
息子をおぼろ屋に連れていくことはないですからね。
平安時代の鴨川の河原は広く、現在の河原町通りの付近まで
河原だったみたいです。秀吉もお土居、角倉了以の高瀬川開削
で現在の川幅に近くなったみたいです。
また、河原は刑場でもあり、秀次一家の首がさらされたのも三条
河原でした。