2007年09月12日

お釈迦になる

お釈迦になる 『 お釈迦になる 』

  作り損ねた不良品を捨てることを 「 おしゃかにする 」 といい、使い物にならなくなることを 「 おしゃかになる 」 といいます。

  この 「 おしゃか 」 とは 「 お釈迦 」 のことで、仏像彫刻にたずさわる職人 の間だけで通用した 隠語 ( いんご : 特定の職業 ・ 社会の者の間だけで通用する特殊な語 ) が語源である、といわれています。

  昔の仏像彫刻の職人たちが、阿弥陀如来像 を作るはずが、誤って 釈迦如来像 を作ってしまったときに 「 お釈迦になる 」 という言葉を用いていたというわけです。


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Posted by 若村 亮  at 12:00 │Comments(2)言葉コラム

この記事へのコメント
なぜ、作りそこねが、お釈迦になるのか、もう少し、掘り下げてみましょう。仏像鋳造(いもの)技術で、光背(放射光背)をもつ阿弥陀如来を鋳込んでいるとき、細くて何本もある光背の鋳型の部分に、湯(溶けた鉄)がうまく流れず、結果、光背部がうまく鋳込まれず、如来さん部分だけが出来上がってしまうことがあります。この如来さんを釈迦如来として仕上げてしまうことをお釈迦になると言ったのではないかと考えられます。
要するに、(鋳込み)技術が未熟で阿弥陀如来を作ることが出来なかったこと
(失敗すること)を、昔の人は、お釈迦になると言ったのでしょう。

いまでも、機械技術の世界ではよく使われ、お釈迦になったものの多くは、残念ながらスクラップになります。

こんな見方も参考にしてください。
Posted by takada at 2007年09月14日 00:20
takada さん、こんばんは。
社会人になってしばらくは技術系として機械設計で鋳物の設計をしたことがあり、鋳物の工場に行って職人さんと製品を開発したことがありました。 湯の流し込みも勉強しました。 いかにスクラップになる製品を少なくするか、設計段階で四苦八苦しました。 もちろん、いくつか製品を 「 お釈迦 」 にしました、懐かしい話しです(笑)。
コメントありがとうございました、ぜひ今後もいろいろとお教えください。 若村
Posted by 若村 at 2007年09月14日 00:35
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