2015年09月30日

青不動

 『 青不動 』

  不動明王 は、五色 に配せられることがあり、日本三大不動高野山 ( 和歌山県 ) の 赤不動青蓮院 ( 京都府 ) の 青不動三井寺 ( 滋賀県 ) の 黄不動 と呼ばれ、また東京では 目黒不動目白不動 などが知られています。

  五色の中で青色は、方位に配せられれば中央に位置し、青不動 は五色の不動明王の中では 中心 に位置して 最上位 となり、「 不動明王中の不動明王 」とされています。
  

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2015年09月29日

五芒星

 『 五芒星 』

  陰陽五行説 ( いんようごぎょうせつ ) では、 という五つの元素が、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木にそれぞれ勝つとされ、その 相関関係を並列的に図案化する図形 として 『 五芒星 』 ( ごぼうせい ) が用いられてきました。

  平安時代の陰陽師 ・ 安倍晴明 は、陰陽五行説の象徴として五芒星の紋を用い、この紋が五角形の花を咲かせる 桔梗 と似ていることから 「 晴明桔梗紋 」 とも称され、現在でも晴明神社の神紋となっています。
  

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2015年09月28日

五輪塔

 『 五輪塔 』

  インドで発祥したと伝えられ、仏教とともに日本に伝来してきた 『 五輪塔 』 ( ごりんとう ) は、平安中期以降に 供養塔 として用いられるようになり、鎌倉以降は 墓塔 としても広く用いられてきました。

  五輪塔は 密教 で説かれる 五大 ( ごだい : 万物を生成する の五つの要素 ) を表す五つの形の石から形成された塔で、下から 四角形 ( 地 )・円形 ( 水 )・三角形 ( 火 )・半月形 ( 風 )・宝珠形 ( 空 ) の順に積み上げられています。
  

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2015年09月27日

中秋の名月

 『 中秋の名月 』

 名月や
   池をめぐりて
         夜もすがら

 名月の美しさに心を奪われてしまい、ただ月影の宿る池の周りをいつまでも歩き続けてしまった・・・


  江戸前期の俳人 ・ 松尾芭蕉 が、数名の門人と会して月見を行ったときに詠んだ俳句といわれています。

  平安の昔から人びとは夜空に浮かぶ月に心を奪われてきましたが、そのなかでも 旧暦8月15日 の夜空に輝く満月はとくに美しいとされ、古くから 中秋の名月 と称されてきました。

  今年の中秋の名月は本日 9月27日 です。
  

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2015年09月26日

忌明塔

 『 忌明塔 』

  北野天満宮の西側に位置する 東向観音寺 の境内には、高さが4メートルを越える 巨大な石塔 が立っています。

  この石塔は、明治時代の神仏分離令が発布されるまでは北野天満宮の境内に鎮座する 伴氏社 ( ともうじしゃ ) にあったもので、菅原道真の母の霊廟 と伝えられてきました。

  室町時代以降、父母の四十九日の忌明けに参拝する 『 忌明塔 』 ( いみあけとう ) として信仰され、知恩院革堂 ( 行願寺 ) の五輪塔とともに知られています。
  

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2015年09月25日

京都守護職

 『 京都守護職 』

  幕末に江戸幕府が設立した役職のひとつ 『 京都守護職 』 ( きょうとしゅごしょく ) は、文久2 ( 1862 ) 年、宮中の警備市中の治安維持 を目的に創設され、会津藩主・松平容保 ( かたもり ) がその任に就きました。

  現在の 京都府庁京都守護職上屋敷 が建てられていた場所にあたり、慶応3 ( 1867 ) 年 12月に京都守護職が廃止された後、その跡地に京都府庁が移転しました。

  京都府庁の正門脇に京都守護職屋敷跡を示す石碑が立っています。
  

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2015年09月24日

武市瑞山

 『 武市瑞山 』

  幕末、土佐藩 出身の 『 武市瑞山 』 ( たけちずいざん ) は 尊王 ( そんのう : 天皇に忠義を尽くすこと ) の思想を抱いて駆け巡り、ついには藩全体の方針を尊王へと転換しました。

  しかし、その後の政変で土佐藩の方針は再び転換し ( 公武合体 へ )、文久3 ( 1863 ) 年 9月、武市瑞山は捕らえられ、後に切腹となりました。

  現在、三条小橋近くの 武市瑞山寓居跡 には、彼の功績に比べて余りにも小さな石碑が静かに佇んでいます。
  

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2015年09月23日

秋分の日

 『 秋分の日 』

  『 春分・ 秋分の日 』 は、太陽がほぼ真東から昇ってほぼ真西に沈み、昼夜がほぼ同時間となります。

  浄土思想 では 西方 の遙か彼方に 極楽浄土 があると考えられ、太陽が真西に沈む日に極楽浄土に想いを馳せたのが 彼岸 の始まりとなりました。

  ちなみに春分・秋分の祝日は、前年 2月1日に 国立天文台 が発表する 「 暦要項 」 ( れきようこう ) に従い、閣議 で決定されて 官報 で告示される、天文学に基づいて決定する世界的にも珍しい祝日です。
  

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2015年09月22日

善峯寺

 『 善峯寺 』

  西山に位置する門跡寺院であることから 「 西山の宮 」 とも称された 『 善峯寺 』 ( よしみねでら ) は、平安中期の長元2 ( 1029 ) 年、源算上人 が西山に小堂を建て、自ら刻んだ 十一面千手観音像 を祀ったことに始まります。

  長元7 ( 1034 ) 年には 後一条天皇 から 「 良峯寺 」 の寺号を賜り、以来、歴代天皇からの崇敬も厚く、観音信仰の広まりとともに 西国三十三所観音霊場第20番札所 として多くの参拝者から崇敬を集めてきました。
  

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2015年09月21日

樂焼

 『 樂焼 』

  桃山時代、陶工長次郎 が創始した焼き物 『 樂焼 』 ( らくやき ) は、茶道の千家を中心として広く茶の湯に好まれました。

  その歴史は、長次郎が茶の湯を大成者した 千利休 にしたがい、利休好みの茶碗 を製陶したことに始まります。

  当時、利休の邸宅は 聚樂第 ( じゅらくだい ) の一角にあり、その茶室で初めて長次郎の茶碗が用いられ、のちに 豊臣秀吉 から聚樂第の 「 樂 」 の一文字を賜って 「 樂焼 」 と称されました。

  樂焼には利休が極めた侘びの精神が色濃く反映されています。
  

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2015年09月20日

くだらない

 『 くだらない 』

  「 上 」 ( かみ ) には “ 皇居のある所 ” という意味があり、そこから 「 上方 」 ( かみがた ) は、都の方面、つまり 京都 およびその付近 ( 大坂 ) をさします。

  江戸前期、江戸の町では品質の良い物資や品物はほとんど上方から運び込んだことから、品質の良いもの< 上方からの > ( くだ ) りもの 」 と呼び、それに対して江戸の町で作られた 粗悪なもの「 下 ( くだ ) らないもの 」 というようになったと伝えられています ( 諸説あり )。
  

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2015年09月19日

護持僧

 『 護持僧 』

  『 護持僧 』 ( ごじそう ) とは、天皇が日常生活の居所とした清凉殿 ( せいりょうでん ) の二間に侍して、天皇を護持する ために日夜、勤行する僧侶 のことを言います。

  護持僧の制度は桓武天皇の時にはじまり、東寺 ( 真言宗 ) ・ 延暦寺 ( 天台宗山門派 ) ・ 園城寺 ( 天台宗寺門派 : 通称 三井寺 ) の高僧に限って選ばれてきました。

  夜も一晩中、天皇のそばに侍して、万一の危急があった時に 加持祈祷 を執り行うため、「 夜居 ( よい ) の僧 」 とも呼ばれていました。
  

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2015年09月18日

芹沢暗殺

 『 芹沢暗殺 』

  文久3 ( 1863 ) 年 9月18日の深夜、新選組筆頭局長 ・ 芹沢鴨 ( せりざわかも ) は、屯所の八木邸で何者かに寝込みを襲撃されて亡くなりました。

  この芹沢暗殺には、土方歳三沖田総司 など、のちに新選組を率いる近藤派の数名によって実行されたともいわれ、現存する八木邸の柱には当時の激闘を物語る刀傷が深く刻み込まれています。

  一般的な 芹沢鴨の人物像豪傑で無法者 とされていますが、一説には 絵が上手くて子供達からは好かれていた ともいわれています。
  

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2015年09月17日

檜舞台を踏む

 『 檜舞台を踏む 』

  清水寺の舞台 ( ひのき ) の板間 です。

  観光客で賑わう清水寺の舞台は、本来の役目は御本尊の観音様に御利益をいただいたお礼に 舞楽などを奉納するための舞台 です。

  昔から清水寺は観音信仰の霊場であり、清水寺の観音様への奉納舞は、当代一流の演者 が選ばれていました。 演者にとって清水寺の舞台で踊ることは非常に誉れ高いことでした。

  人生のハレの舞台『 檜舞台を踏む 』 といいますが、この檜舞台とは 清水寺の檜の板間の舞台 が語源とされています。
  

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2015年09月16日

春夏冬□□五合

 『 春夏冬□□五合 』

  『 春夏冬□□五合 』 これは何と読むのでしょうか?

  「 春夏冬 」 は秋がないことから 「 あきない 」 と読み、「 □□ 」 は液体などを量る ( ます ) が二つで 「 ますます 」 と読み、最後の 「 五合 」 は一升 ( いっしょう : 「 升 」 は尺貫法の体積の単位 ) の半分であることから 「 はんじょう 」 と読みます。

  つまり、『 春夏冬□□五合 』「 商い ますます 繁盛 」 と読むわけです。

  「 商う 」 とは 「 秋なう 」 が語源といわれ、古くは秋の収穫のあとに取り引きが行われたことに由来します。
  

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2015年09月16日

9/22(火・祝) ≪ らくたび京町家 ≫ 今秋1日限りの特別公開

9/22 (火・祝) 10時~16時 ( 15時半 受付終了 )
≪ らくたび京町家 ≫ 今秋1日限りの特別公開



抹茶とお菓子をご用意して、皆さまのお越しをお待ちしています♪

■ 特別公開の詳細はこちらへ
http://essay.kyo2.jp/e473137.html
  

Posted by 若村 亮  at 00:23Comments(0)らくたび京町家

2015年09月15日

9/11(金) 新オープン ≪ ショコラ ベル アメール 京都別邸 ≫

三条通堺町東入ルチョコレート専門店オープン しました。
お世話になっている方からいただきました、ありがとうございます!



■ ショコラ ベル アメール 京都別邸
公式HP http://www.belamer-kyoto.jp/



手前に並ぶ カラフルチョコ は、京都を代表する酒蔵の 日本酒チョコ で、日本酒ジュレチョコ に囲まれて入っています。

奥に並ぶチョコは、日本全国から集めた お茶チョコレート を合わせたもので、素敵な 香り を楽しむことができます~♪





京都にも、チョコレート専門店が増えてきました ( 笑 )
  

Posted by 若村 亮  at 17:56Comments(0)甘味・スイーツ

2015年09月15日

閑臥庵

 『 閑臥庵 』

  烏丸通鞍馬口東入ルに建つ 『 閑臥庵 』 ( かんがあん ) は、江戸初期に 後水尾法皇王城鎮護 のために貴船から 鎮宅霊符神 ( ちんたくれいふしん : 陰陽道の最高神 とされ、北辰 【 北極星・北斗七星 】 をあらわす神 ) を遷して祀ったことに始まります。

  閑臥庵は 黄檗宗 ( おうばくしゅう : 曹洞宗・臨済宗と並ぶ日本三禅宗のひとつ ) の禅寺で、中国伝来の精進料理である 普茶料理 ( ふちゃりょうり ) をいただくことができます。
  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)京都コラム

2015年09月15日

≪ 三宅八幡宮 ≫

今日はカルチャー散策で、叡電 に乗って 洛北三宅八幡宮 へ。

■ 三宅八幡宮 公式HP
http://www.miyake-hachiman.com/


三宅八幡宮小野妹子八幡神 を祀ったことに始まる 古社 で、古来、“ 子供の疳の虫封じ ” のご利益で厚く信仰されてきました~♪



ちょうど、明日15日(火)例大祭 ということで、すでに境内には多くの 露店 が並び、境内には 神輿 もあり、本日の宵宮、そして明日の本祭へと祭りムードが盛り上がっていました!



さて、八幡神 といえば、神使「 鳩 」 とされ、三宅八幡宮の入り口にはカワイイ 「 狛鳩 」 の姿を見ることができます!

狛鳩


こちらは土製・素焼きに彩色をした お守り 「 神鳩 」

子供の無事の成長 を願って授与していただき、無事に成長した時に お礼 として お返し する 習わし です。

神鳩


絵馬も、 です ( 笑 )

絵馬


さて、この後は、秋晴れ岩倉界隈 をぶらりと散策しました ( 笑 )
  

Posted by 若村 亮  at 01:15Comments(2)らくたび日記

2015年09月15日

≪ 秋晴れの京都 ≫

先週は木曜日から東京講演が続き、ようやく、今日から 京都 です ( 笑 )

賀茂大橋から眺める三角州と糺の森 / 左:鴨川 右:高野川


最近、朝晩はヒンヤリと感じるほどに。
例年より ちょっと早い秋の訪れ を感じます。
  

Posted by 若村 亮  at 00:55Comments(0)らくたび日記

2015年09月14日

如水町

 『 黒田如水 』

  豊臣秀吉 が造営した荘厳華麗な城郭風の邸宅は 聚楽第 ( じゅらくだい ) と呼ばれ、その北東部に 秀吉の参謀 として活躍した 『 黒田如水 』 ( くろだじょすい ) の邸宅がありました。

  本名は 黒田孝高 ( よしたか ) といい、中国攻めに向う秀吉に従って参謀として 毛利攻め などで活躍し、後に秀吉が朝鮮に出兵した 文禄・慶長の役 にも参戦しています。

  現在、黒田如水邸跡 の石碑が建つ町は 如水町 と名付けられています。
  

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2015年09月13日

林下

 『 林下 』

  京都の禅寺には、室町幕府の庇護と統制下にあって 五山十刹 ( ござんじっさつ ) という寺格を定められた寺院一派と、それらとは一線を画した 在野の寺院 がありました。

  五山十刹に属した寺院を 禅林 ( ぜんりん ) または 叢林 ( そうりん ) と呼んだのに対して、在野の寺院を 禅林下 ・ 叢林下 という意味で 『 林下 』 ( りんか ) と呼びました。

  五山十刹が 権力志向 であったのに対し、大徳寺や妙心寺など林下の寺院は、修行を重んじる厳しい禅風 を受け継いできました。
  

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2015年09月12日

在原業平

 『 在原業平 』

  平安前期の歌人で、六歌仙・三十六歌仙に名を列する 『 在原業平 』 ( ありわらのなりひら ) は、醍醐天皇の命によって編纂された我が国最初の勅撰和歌集である 「 古今和歌集 」 ( こきんわかしゅう ) にも多くの秀歌が入集しています。

  古今和歌集仮名序 ( かなじょ : 古今和歌集のまえがきで、和歌の本質や成り立ちについて仮名で書かれたもの ) において、在原業平の情熱的な歌風は 「 心あまりて言葉たらず 」 と評されています。
  

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2015年09月11日

後白河天皇

 『 後白河天皇 』

  平安末期の 第77代 『 後白河天皇 』 ( ごしらかわてんのう ) は、大治2 ( 1127 ) 年 9月10日、第74代・鳥羽天皇の第4皇子として生まれました。

  天皇に即位する際、その 皇位継承 を巡って 崇徳上皇 ( 第75代天皇 ) と対立が深まり、貴族や武士を巻き込んだ内乱・保元の乱 が生じました。

  二条天皇に譲位した後は 上皇 となり、5代の天皇にわたって政治的に深く関与し、源平争乱の動乱期にあって 朝廷権威の存続 を巧みにはかりました。
  

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2015年09月10日

式年遷宮

 『 式年遷宮 』

  神様が祀られる社殿を常に清浄な空間に保つために、一定の期間をおいて新殿を造営し、旧殿から新殿へと神様を遷して祀る制度を 『 式年遷宮 』 ( しきねんせんぐう ) といいます。

  神域を清浄に保つ 目的以外にも、建物の耐用年数に関係して社殿を建て直す 建築技術の伝承 や、社殿内に納められる 御装束 ( おしょうぞく ) や 神宝 ( しんぽう ) などを新調することで 伝統工芸の技術伝承 などの意味があると考えられています。

  伊勢神宮 では 20年ごと式年遷宮の制度 が定められており、天武天皇13(685)年9月10日に制度化され、その5年後に第1回の式年遷宮が行われました。
  

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2015年09月09日

烏相撲

 『 烏相撲 』

  相撲 の歴史は古く、神々が腕を取って投げ合う相撲が神話として伝えられ、日本書紀には人が相撲で争う様子が記されています。

  相撲神事 としての性格が強く、祭りで 五穀豊穣豊漁 を相撲の勝ち負けで占ったり、平安時代の宮中では 相撲の節会 ( すまいのせちえ ) が行なわれていました。

  上賀茂神社『 烏相撲 』 ( 9月9日 : からすずもう ) は、烏が踊るように神職が横跳びをしたのち 「 カーカーカー 」 と烏鳴きをする珍しい神事が見られ、その後に子供による相撲が行われます。

『 烏相撲 』  上賀茂神社
   9月9日10時~ 重陽神事  11時~ 烏相撲
  

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2015年09月08日

重陽

 『 重陽 』

  古来より、奇数割れない数字 ( 二分割できない数字 ) として ≪ 陽数 ≫ ( ようすう ) とされ、偶数割れる数字 として ≪ 陰数 ≫ ( いんすう ) とされてきました。

  九月九日 は、一桁の陽数で最大の数字 「 九 」 が重なることから 『 重陽 』 ( ちょうよう ) と呼ばれ、五節句のひとつとされてきました。

  重陽の節句 は、菊の露 を飲んで 不老長寿 を得たという中国の故事にちなみ、菊を愛で、菊の歌を詠み、菊酒を飲む 菊の節句 とされてきました。
  

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2015年09月07日

東三条殿

 『 東三条殿 』

  押小路通釜座北西角に立つ石碑は 『 東三条殿 』 ( ひがしさんじょうどの ) の跡を示しています。

  東三条殿 とは 平安時代の邸宅 で、人臣初の太政大臣や摂政となった 藤原良房 ( よしふさ ) が建立し、以後は 摂関家 ( せっかんけ : 摂政や関白に任ぜられる家柄 ) によって受け継がれ、後の 藤原兼家 ( かねいえ ) は 東三条殿 とも称されました。

  天皇の仮御所にもなりましたが、仁安元 ( 1166 ) 年に火災で焼失し、再建されることなく、そのまま荒廃しました。
  

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2015年09月06日

≪ 重陽の節句 ≫ in らくたび京町家

9月9日重陽の節句 といい、菊花不老長寿 を願う節句です。

重陽の節句 / 菊酒


本日、らくたび京町家 では 重陽の節句 にまつわる行事を催して、菊花 を浮かべた 菊酒 をいただいて 不老長寿 を願いました ( 笑 )

本日の行事の模様は、後日、たっぷりとお届けします~!
  

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2015年09月06日

御金神社

 『 御金神社 』

  金山毘古神 ( かなやまびこのかみ ) は古くから 鉱山の神 として崇められ、その鉱物から作られる 金物鍛冶鋳物の神 として信仰されるようになり、さらには 包丁金具の神 ともされています。

  西洞院通御池上ルに鎮座する 『 御金神社 』 ( みかねじんじゃ ) は、金山毘古神 を祭神として祀り、刀剣や鏡など金属関係の神とされ、近年では 「 御金 」 に通じるとして 銀行・証券業界 などからも厚い信仰を集めています。
  

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