太閤の石仏

若村 亮

2008年04月29日 12:00

 『 太閤の石仏 』

  北白川は近江へ通じる 志賀越 ( しがご ) え道 の京の入り口にあたり、行き交う旅人の安全を見守った石仏が道沿いに点在するなど、昔の街道の賑わいを今に伝えています。

  そのひとつ 「 子安観音 」 は別名 『 太閤の石仏 』 とも呼ばれ、この石仏を気に入った 豊臣秀吉 が聚楽第へと運びましたが、夜になると 「 いのう、いのう 」 ( 帰りたい、帰りたい ) と泣く声が聞こえるため、秀吉も仏の力には勝てず、白川村へ戻したという伝説が残っています。

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