法然上人
『 法然上人 』
美作国 ( みまさか : 岡山県 ) で生まれた幼名
勢至丸 ( せいしまる ) は、15歳で比叡山に出家して名を
法然坊源空 ( 浄土宗祖
法然上人 ) と改め、黒谷で厳しい修行に励みました。
“ 庶民の為に何ができるのか ” と法然は常に自問自答を繰り返し、ついに
“ ひたすらに念仏を唱えれば阿弥陀様に救われる ” とする
専修念仏 ( せんじゅねんぶつ ) に達しました。
この教えは庶民の間で急速に広まり、それ故に比叡山などの旧仏教界からの弾圧も厳しく、承元元 ( 1207 ) 年 2月18日 ( 今日 )、讃岐へ流罪となりました。
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