2008年03月31日

白川夜船

 『 白川夜船 』

  江戸時代、裕福な 江戸の町衆 のあいだで旅行が流行り、なかでも 憧れの京都 から帰ってきた旅人の話は町中の話題となりました。

  ある日、お調子者が人から聞いた京都の話を、さも自分が行ってきたかのように得意げに話していると 「 白川はどうだった? 」 と問われ、「 夜船で寝て白川を下ったのでわからない 」 と答えて笑い者になりました。

  白川 とは祇園を流れる清らかな小川であり、とても船で下るような川ではありません。 それ以来、知ったかぶりの事『 白川夜船 』 ( しらかわよふね ) というようになりました。  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)TrackBack(0)言葉コラム

2008年03月30日

嵐電で散策へ

今日はあいにくの雨でしたが、なんのその! 季節の花を愛でるためにお出掛けです ( 笑 )。
四条大宮に集合し、嵐電で移動です。 今年は源氏物語千年紀ということで、嵐電の車両の中には、源氏物語が描かれた車両もあります ( 笑 )。


帷子ノ辻で乗り換えて、北野白梅町へ。 途中、桜並木のトンネルとなる、鳴滝-宇多野間を通過しました。 満開まではあと少し。 4月3日からは、夜になるとライトアップされます。


さて、やってきたのは西大路一条にある地蔵院。 北野大茶の湯の際に太閤秀吉から賜わった 「 五色八重散り椿 」 が境内にあり、「 椿寺 」 として知られています。


こちらが伝説の五色八重散り椿 ( 二代目 ) です。


薄桃色や白に咲き分ける五色の八重椿で、花ごと落ちず、花びらが一枚づつ散る珍しい椿です。




お昼は 「 お好み焼き ジャンボ 」 に行きました。 数年ぶりです ( 笑 )。 それにしても、ボリュームがいつもながら満点です! 最高に美味しかった~ ( 笑 )。


この後は 広隆寺-嵯峨野・野宮神社-天龍寺 と散策し、咲き始めた桜も愛でてきました。
来週末はいよいよ桜が満開になると思います。 さあ、どこへ出掛けましょうかねー!  

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2008年03月30日

天下三不如意

 『 天下三不如意 』

  今はいつも穏やかな流れをみせる 鴨川 も、昔はしばしば洪水を起こして人びとを悩ます暴れ川でした。

  平安時代、絶大な権力を誇った 白河上皇 でさえ、『 天下三不如意 』 ( てんかさんふにょい : 思いのままにならない三つの事柄 / 鴨川の流れ比叡の山法師サイコロの目 ) のひとつに鴨川の流れを数えるほどでした。

  しばしば起こる洪水で最も恐れられたのは 疫病の蔓延 であり、夏の 祇園祭 は、この 疫病を鎮める ために町衆達が 御霊会 として始めた祭りでもあります。  

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2008年03月30日

東京の桜 / 上野公園

昨日、帰りの新幹線の出発まで1時間くらい時間があったため、打ち合わせをした出版社の方の案内で、東京 No.1 人気の桜スポット 「 上野恩賜公園 」 へ行ってきました。


なんせ、すごい人出でした! 桜の時期は毎年、約170万人が訪れるということで、京都市民より多い人が上野恩賜公園の桜を見に来るということです。


花見の宴があちこちで行われ、とても楽しそうでした (笑 )。


これは彰義隊墓所です。 幕末から明治へと時代が移り変わる慶応4 ( 1868 ) 年5月15日、戊辰戦争の戦いのひとつが上野で繰り広げられ、彰義隊など旧幕府軍と、薩摩・長州藩を中心とする新政府軍が激突しました。 この上野戦争で敗戦した彰義隊は解散となりました。


上野公園には、西郷隆盛の銅像もありました。


不忍池 ( しのばずのいけ ) にも行ってみました。 池の岸辺には、桜の並木がずーっと続いていました。


さて、新幹線の出発まであまり時間はありませんでしたが、せっかくなので!ということで、上野駅前にある 1959年開業の元祖ファミレスとして知られる 「 聚楽台 」 へ連れていってもらいました。 なんと 4月下旬に取り壊しになるということです、残念。。
参考 : 聚楽台


“ おすすめメニュー ” と書いていたものを注文してみました。
その名も 「 西郷丼 」 ! シャレです ( 笑 )。
ご飯の上にのっているのは、さつまいもの天ぷら・さつま揚げ・黒豚の角煮など、西郷さん出身の薩摩名物ばかりでした ( 笑 )。


東京では満開の桜を堪能しました。 さあ、京都はこれからです!  

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2008年03月29日

木花之開耶姫

 『 木花之開耶姫 』

  日本の神話に登場する女神 “ コノハナサクヤビメ ” は、古事記では 木花之佐久夜毘売、日本書紀では 木花之開耶姫 と記され、単に “ サクヤビメ ” とも呼ばれています。

  皇室の祖神の 天照大神 ( あまてらすのおおみかみ ) の孫である 瓊瓊杵尊 ( ににぎのみこと ) の妻となり、後世になって 富士の神 として祀られるようになりました。

  サクヤビメ には、富士山頂から花の種をまいて花を咲かせた という伝説があり、一説には “ サクヤビメ ” から “ 桜 ” の言葉が生まれた、といわれています。  

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2008年03月28日

新宿の桜

新宿のど真ん中、満開の夜桜です!

いや~、春です ( 笑 )。

今日の源氏物語の講座、無事に終わりました。

明日も講座を行って、京都へ夜に戻ります!  

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2008年03月28日

東京の桜は満開!

まさに春爛漫、東京の桜は満開です!

薄手のコートを着てきましたが、暑いです ( 笑 )。

東京に来ても、史跡は要チェックです ( 笑 )。  

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2008年03月28日

高瀬川

 『 高瀬川 』

  京都の繁華街を静かに流れる 『 高瀬川 』 ( たかせがわ ) は、慶長年間 ( 1596~1615年 )、江戸時代初期の豪商 角倉了以 ( すみのくらりょうい ) が 材木物資 の輸送のために開削した 運河 であり、明治頃までは荷物を積んだ 高瀬舟 が往来して賑わいを見せていました。

  昔は舟で運ばれてきた材木を扱う 材木商 が高瀬川沿いに建ち並び、現在も 木屋町木屋町通 という名前にその名残りを感じることができます。

※投稿した写真は、昨年の写真です。  

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2008年03月27日

西行

 『 西行 』

  平安末期から鎌倉初期の歌僧として知られる 『 西行 』 ( さいぎょう ) は、もとは 北面の武士 ( 上皇や法皇などの院御所の北面に詰めて近侍した武者 ) で、23歳で出家をし、陸奥から四国・九州まで諸国を旅して歌をのこし、最期は桜が咲き誇る頃に河内国 ( 大阪 ) 南葛城の弘川寺にて没しました。

  願はくは
    花のしたにて 春死なむ
                 その如月の望月のころ  - 西行 -

  西行の歌は心中の思いを述べた 述懐歌 に優れると評され、新古今集では最高の94首が入集しています。  

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2008年03月26日

山部赤人

 『 山部赤人 』

  昔から歌人たちは桜の美しさや散るはかなさを歌に詠み、その想いを後世へと伝えてきました。

  奈良前期の官人・歌人であり、三十六歌仙のひとりにも数えられる 『 山部赤人 』 ( やまべのあかひと ) は、現存最古の歌集 「 万葉集 」 ( まんようしゅう ) に次のような歌が収められています。

  あしひきの 山桜花
    日並べて かく咲きたらば いと恋ひめやも

  意味 : 山に咲く桜の花が、いつまでもずっときれいに咲いていてくれるのなら、こんなに恋しく想ったりはしないでしょうに・・・  

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2008年03月25日

在原業平

 『 在原業平 』

  世の中に
   たえて桜のなかりせば
      春の心は のどけからまし

  ※この世の中にまったく桜というものが無かったならば、春を過ごす心は、どれだけのどかであっただろうか・・・

  平安時代の歌人 『 在原業平 』 ( ありわらのなりひら ) は、六歌仙・三十六歌仙のひとりにも選ばれています。 歌は 情熱的な歌風 で知られ、古今集仮名序では “ 心あまりて言葉たらず ” とも評されています。

  京都も昨日、平年より1週間早く桜の開花宣言が出され、いよいよ 桜の季節が到来 しました!  

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2008年03月24日

源平争乱

 『 源平争乱 』

  一の谷・屋島の合戦と惨敗した平家一門は、ついに壇ノ浦まで無念の敗走となりました。

  そして文治元 ( 1185 ) 年 3月24日 ( 今日 )、源平最後の戦い 「 壇ノ浦の合戦 」 の火蓋が切られ、源氏の軍勢に追い詰められた平家一門は最期を覚悟して次々と海へ身を投げて沈んでいきました。

  平家の軍勢の中には、平清盛の娘・建礼門院徳子 が生んだ、わずか8歳の 安徳天皇 も同行していましたが、平家一門とともに壇ノ浦の海へと消えてしまいました。  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)TrackBack(0)歴史コラム

2008年03月23日

上御霊神社

 『 上御霊神社 』

  『 上御霊神社 』 ( かみごりょうじんじゃ ) は、延暦13 ( 794 ) 年の平安京遷都に際し、桓武天皇 によって 王城鎮護の神社 として創建されました。

  創建当初は奈良時代から平安初期にかけて不運の死をとげた 早良親王 など 八柱の神霊 を祀り、のちに明治天皇の御願によって五柱が合せ祀られ、現在は十三柱の神霊を祀っています。

  平安時代より怨霊を鎮める 御霊信仰 の神社として厚く信仰され、怨霊をなだめ祀るための 御霊会 ( ごりょうえ ) が幾度も行われてきました。

地図 : 上御霊神社  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)TrackBack(0)御所・糺ノ森

2008年03月22日

ぼたもち

 『 ぼたもち 』

  彼岸 ( ひがん ) とは、春分と秋分を中日とした前後3日を合わせた7日間のことで、平安初期より彼岸には仏事が行われるようになり、現在でも墓参りなどが行われています。

  彼岸の供え物としては 「 ぼたもち 」「 おはぎ 」 が知られていますが、これは同じ食べ物 ( 正確には小豆の調理法が異なる場合もある ) です。

  牡丹 ( ぼたん ) の花が咲く春の彼岸の供物を 「 牡丹餅 ( ぼたもち ) といい、 ( はぎ ) が咲く秋の彼岸の供物を 「 お萩 ( おはぎ ) と呼ぶようになりました。  

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2008年03月21日

レストラン菊水

南座の向かい側にある、レストラン菊水にきました。

もちろん、注文はケーキセット!

チーズケーキの上には金箔があります ( 笑 )。

これで疲れを癒やしてオフィスへ向かいます ( 笑 )。

参考 : レストラン菊水  

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2008年03月21日

青空と鴨川

坂本龍馬遭難之地の石碑を撮影し、今日の撮影はすべて終了しました。

あー、御所周辺から木屋町と歩き回って、とっても疲れました。

さあ、疲れたら甘いもの!ですね ( 笑 )。  

Posted by 若村 亮  at 14:48Comments(17)TrackBack(0)携帯から京都

2008年03月21日

近衛邸跡の糸桜

今日は朝のラジオ出演が終わると、すぐに幕末の史跡・石碑の撮影に向かいました。

朝から歩き回ってます ( 笑 )。

京都御苑の北側にある近衛邸跡には早咲きの糸桜がたくさん植えられていますが、つぼみがかなり膨らんでいます!

あと数日で開花しますね、ワクワクします ( 笑 )。  

Posted by 若村 亮  at 14:36Comments(0)TrackBack(0)携帯から京都

2008年03月21日

寺社と社寺

 『 寺社と社寺 』

  「 寺社 」「 社寺 」 に違いはあるのでしょうか?

  古来より日本は 神道 でしたが、仏教伝来 以降は 神道と仏教の混沌 が進み、寺院に神様が祀られたり、仏教建築の要素を取り入れた楼門が神社に建てられるなど 神仏習合 ( しんぶつしゅうごう ) となりました。

  ところが明治時代になると、曖昧であった寺院と神社が分離される 神仏分離令 が出され、その時に寺院より神社が格上と定められたことから、「 寺社 」 という言葉も 「 社寺 」 へと転換させられた歴史があります。  

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2008年03月20日

源平咲き

18日(火)-19日(水)と、ツアー講師で市内をあちこち歩いてきました。 北野天満宮に行った際、一の鳥居を入った右側に、紅梅と白梅が1本の梅の木から咲く珍しい 「 源平咲き 」 の梅を見つけました!
参考 : 源平咲き


さらによーく見てみると、1つの花で紅と白が混じっているのを発見しました! これは珍しいですね~( 笑 )。
  

Posted by 若村 亮  at 19:23Comments(6)TrackBack(0)らくたび日記

2008年03月20日

妙蓮寺椿

 『 妙蓮寺椿 』

  日蓮宗祖・日蓮上人の孫弟子にあたる 日像上人 が永仁2 ( 1294 ) 年に創建した 妙蓮寺 ( みょうれんじ ) には、茶花 として古くから愛用されてきた 『 妙蓮寺椿 』 があります。

  妙蓮寺の塔頭・玉龍院が育て伝えてきた名椿で、室町時代の連歌師・ 宗祇 は一枝を写生して < 余乃花はみな末寺なり妙蓮寺 > と歌に詠んで賞賛しています。

  五百年以上の歴史を受け継ぐ妙蓮寺椿は、現在二代目にあたり、花弁は4~5枚、紅のやや濃い大中輪を咲かせています。

地図 : 妙蓮寺  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)TrackBack(0)西陣・北野

2008年03月19日

御陵

 『 御陵 』

  京都市街から東山を越えると 山科 ( やましな ) です。

  天智天皇近江京 ( 現在の滋賀県大津市 ) へ遷都すると、山科は奈良と近江を結ぶ 奈良街道 が通り、藤原鎌足 ( 中臣鎌足 ) が 山階寺 ( やましなでら ) を建立して大いに栄えました。

  一説に天智天皇は山科へ遠出したまま帰らぬ人となり、後日見つかった ( くつ ) の落ちていた場所を陵墓にしたと伝えられています。 現在も天智天皇は 『 御陵 』 ( みささぎ : 地名 ) の陵墓で静かに眠っています。  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(2)TrackBack(0)山科・醍醐

2008年03月18日

格子

 『 格子 』

  京町家の顔である 『 格子 』 ( こうし ) は、細い角材を縦横に隙間を空けて組んだもので、外から中は見えにくく、中から外の様子はよく見えるという機能性があり、また内向的な京都人の気質をあらわしているともいわれています。

  格子は職業によっても違いがあり、糸屋織屋呉服屋 などの繊維業では、細い糸や色彩をしっかり見るために 格子の上を少し切って採光性を高めたり、重量物の米俵や酒樽を扱う 米屋酒屋 では、壊れないよう頑丈な 角格子 になっています。  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)TrackBack(0)京都コラム

2008年03月17日

源融と河原院

 『 源融と河原院 』

  平安初期に朝廷に仕えた 『 源融 』 ( みなもとのとおる ) は、もとは 嵯峨天皇の皇子 として生まれ、のちに 「 源 」 の姓 を授けられて 臣籍降下 ( しんせきこうか : 皇族を離れて一般の臣民になること ) し、のちに 左大臣 となりました。

  現在の五条河原町付近に広大な邸宅・ 河原院 を営んだことから 「 河原左大臣 」 とも称されました。

  源融『 源氏物語 』 に登場する 光源氏のモデル ともいわれ、冷皇帝や朱雀院が訪れた光源氏の邸宅・ 六条院 のモデルも、源融の河原院 といわれています。

地図 : 源融・河原院跡 石碑  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)TrackBack(0)京都駅周辺

2008年03月17日

京都さんぽ 『 涅槃会 』

今日は 「 京都さんぽ 」 ( 現地散策講座の愛称です ) ということで、40名を越える受講者が集まり、午後1時に京阪・東福寺駅をスタートしました。

まずは 瀧尾神社 へ。


瀧尾神社の創建や由緒ははっきりしないということですが、豊臣秀吉の方広寺大仏殿建立に伴って当地に移したと伝えられています。 とにかく、社殿に施された彫刻装飾は市内でも有数として知られています。


とくに拝殿の天井には龍の見頃な彫刻があり、圧巻の存在感です! 龍の絵が天井に描かれることはありますが、彫刻装飾はとても珍しいものです。


そして社殿の横にいくと珍しい神社が鎮座しています。 こちらの 三嶋神社 は安産・夫婦和合・子授けの守護神として信仰が厚く、なんと! ( うなぎ ) を描いた絵馬を奉納するとご利益があると伝えられています。


こちらが珍しい鰻の絵馬です ( 笑 )。 なかなかオシャレです。




続いては 寶樹寺 ( ほうじゅじ ) です。 こちらは平安末期に常盤御前が今若・乙若・牛若の三兄弟の成長を祈願して訪れたと伝えられ、願を掛けた薬師如来像は以来 「 子育て常盤薬師 」 と呼ばれるようになりました。


その後、泉涌寺へ向って歩き、即成院・戒光寺・今熊野観音寺・来迎院と順に拝観していきました。 かなり盛りだくさんでした ( 笑 )。

今熊野観音寺


来迎院


さあ、そしてメインの涅槃会が行われている 泉涌寺東福寺 へ。 堂内は撮影を控えましたので、泉涌寺の外観写真となりますが、内部には日本最大の涅槃図 ( 縦16m × 横8m ) が掲げられていました。


そして、堂内で授与していただいたのが 「 花御供 」 ( はなくそ : 400円 ) と呼ばれるあられです。 発音だけ聞くとビックリしますが、これは厄除けのあられですよ ( 笑 )。


さて、今回も多くの皆様にご参加いただき、無事に終了しました。 ありがとうございました。 来月はいよいよ桜満開の京都を歩く 「 京都さんぽ 」 です。 ぜひまたご参加くださいね。  

Posted by 若村 亮  at 00:40Comments(6)TrackBack(0)らくたび日記

2008年03月16日

鷹司邸跡

 『 鷹司邸跡 』

  鎌倉時代以降、天皇を助けて政務をつかさどる摂政・関白の重職を任ぜられる、公家の 近衛家九条家二条家一条家鷹司家 の五家を 「 五摂家 」 ( ごせっけ ) といいます。

  『 鷹司家 』 ( たかつかさけ ) は、鎌倉中期に藤原北家嫡流の近衛家実の四男兼平を祖とする公家の名家です。

  戦国時代には鷹司忠冬を最後に一度断絶しましたが、江戸初期に二条信房が鷹司家を再興し、江戸後期から幕末にかけては鷹司家が関白を務めることが多く、名家として近代まで続きました。

地図 : 京都御苑内 鷹司邸跡  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)TrackBack(0)御所・糺ノ森

2008年03月15日

桜餅

今日の講座は 「 京を彩る桜・桜・桜 」 ということで、桜の名所から穴場まで、たーっぷりと3時間、講義をしてきました ( 笑 ) 。

休憩時間の和菓子は、もちろん 「 桜餅 」 でした。

今日は笹屋伊織さんの桜餅で、あっさりした餡と桜の風味がとっても最高でした!  

Posted by 若村 亮  at 22:08Comments(12)TrackBack(0)携帯から京都

2008年03月15日

涅槃図

 『 涅槃図 』

  涅槃図 には釈迦の死を嘆き悲しむ大勢の弟子とともに、象や虎や孔雀など様々な鳥獣が描かれています。

  ところが昔から涅槃図に が描かれることはなく、“ 釈迦の使いである鼠を猫が食べたから ”“ 猫は鼠にだまされて釈迦の死に間に合わなかった ” など諸説が伝えられています。

  ところが 東福寺 の涅槃図は 『 猫入り涅槃図 』 ( 室町時代 ) と呼ばれ、作者の 明兆 が描いている時に絵の具 ( 染料 ) を裏山 ( 現、絵具谷 ) から持ってきた猫を描いた、といわれています。

『 東福寺涅槃会 』  東福寺
   3月14日~16日
   縦15m×横8mの涅槃図
   室町時代の画家明兆作 「 猫入り涅槃図 」
   涅槃図のある本堂は無料、その他、特別拝観あり  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(2)TrackBack(0)仏教コラム

2008年03月14日

涅槃

 『 涅槃 』

  『 涅槃 』 ( ねはん ) とは、あらゆる煩悩 ( ぼんのう ) が消え去り、苦しみを離れた安らぎの理想の境地である 悟りの世界 を意味し、それゆえに 「 死 」 そのものを 「 涅槃 」 ともいい、また一般的には仏教を開いた 釈迦の死「 涅槃 」 といいます。

  釈迦の涅槃 ( 死 ) は 陰暦 2月15日 ( 現在の新暦は3月15日 ) とされ、釈迦の遺徳をたたえる 『 涅槃会 』 ( ねはんえ ) が各地の寺院で行われ、堂内には釈迦が死を迎える光景を描いた 涅槃図 ( ねはんず ) が掲げられます。  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(6)TrackBack(0)言葉コラム

2008年03月13日

陶磁器

 『 陶磁器 』

  粘土 に鉱物の石英や長石などの粉末を混ぜて練り固めて、成形乾燥焼成 した製品の総称を 『 陶磁器 』 ( とうじき ) といいます。

  素地 ( きじ ) の状態や焼成温度などによって 土器陶器磁器 などに分類され、後者ほど焼成温度が高くなります。

  焼成温度の低い素焼きの 「 土器 」、素地に吸水性があり光沢のある釉 ( うわぐすり ) を施した 「 陶器 」、ガラス化した硬い素地は ( 半 ) 透明で白く、軽く打つと澄んだ音がする 「 磁器 」 などがあります。  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(0)TrackBack(0)文化コラム

2008年03月12日

御璽と国璽

 『 御璽と国璽 』

  法律や条約の公文書や内閣総理大臣の任命辞令書などに押す 天皇の公印『 御璽 』 ( ぎょじ ) といい、国書・親書や勲記 ( 勲章の証書 ) に押す 国家の公印『 国璽 』 ( こくじ ) といいます。

  現在の御璽と国璽は、明治7 ( 1874 ) 年に京印章の名匠・安部井櫟堂 ( あべいれきどう ) が1年がかりで製作したもので、どちらも大きさ約 9cm 四方の角印で、純金製で重量 4.5kg の印章です。

  御璽 には 「 天皇御璽 」 の4文字が、国璽 には 「 大日本國璽 」 の5文字が刻まれています。  

Posted by 若村 亮  at 12:00Comments(2)TrackBack(0)言葉コラム