2007年05月03日

斎王

 『 斎王 』

  伊勢神宮賀茂神社 の祭祀 ( さいし ) に奉仕した 未婚の内親王 ( ないしんのう : 天皇の姉妹や皇女など皇室の女性 ) を 『 斎王 』 ( さいおう : “ 斎 ” は “ 潔斎して神に仕える ” の意 ) といい、天皇の即位時に吉凶を占って定められ、その天皇一代の間、清らかな身で神社に奉仕していました。

  賀茂神社の斎王は、弘仁元 ( 810 ) 年、嵯峨天皇によって初めて定められ、鎌倉時代初めまで約400年続きました。

  昭和28年、斎王の古制を復活させ、斎王の代理 「 斎王代 」 ( さいおうだい ) として現在では 民間の未婚の女性 が選ばれて祭りを華やかに彩ります。

『 斎王代御禊神事 』 ( さいおうだいみそぎしんじ )
   5月4日  下鴨神社
   葵祭の斎王代が身を清める神事
   十二単を着た斎王代が川に手を浸して身を清めます  

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2007年05月02日

清めの神事

 『 清めの神事 』

  風薫る5月、新緑の美しい京都は 葵祭 ( あおいまつり ) の季節を迎えます。

  祭りの幕開けとなる 3日 流鏑馬神事 ( やぶさめしんじ ) は、疾走する馬上から射手が清め祓いの矢で的を射る神事であり、15日の大祭行列の平穏無事を祈願して行われます。

  4日 斎王代御禊神事、5日 競馬会神事歩射神事、12日 御蔭祭 と、大祭の清めの神事が続き、そして 15日、平安の王朝絵巻の如く華麗で優雅な行列 「 路頭の儀 」 が行なわれます。

  葵祭は、半月に渡って様々な神事が執り行われる壮大華麗な大祭です。

『 流鏑馬神事 』  下鴨神社
   5月3日 ( 木 )
『 斎王代御禊神事 』  下鴨神社
   5月4日 ( 金 )
『 競馬会神事 』  上賀茂神社
   5月5日 ( 土 )
『 歩射神事 』  下鴨神社
   5月5日 ( 土 )  

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2007年05月01日

競馬会足汰式

 『 競馬会足汰式 』

  上賀茂神社下鴨神社 を総称して 「 賀茂社 」 と称し、古代豪族の賀茂氏が祖神をまつる神社として創建されました。

  賀茂社の例祭である 「 賀茂祭 」 ( 通称、葵祭 ) は、6世紀中頃に 凶作を鎮めて五穀豊穣を祈る神事 としてが始まったと伝えられ、上賀茂神社では毎年5月1日 ( 今日 )、葵祭の神事のひとつ 『 競馬会足汰式 』 ( くらべうまえ あしそろえしき ) が執り行われています。

  5日の競馬会神事に先立ち、馬の年齢や遅速を実際に走らせて見極め、本番の競馬会神事で疾走する組合せを決定する儀式です。

『 競馬会足汰式 』  上賀茂神社
   5月1日 ( 火 ) 午後1時頃~
   烏帽子に浄衣の装束で騎乗して馬が試走します。  

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2007年04月14日

吉野太夫

 『 吉野太夫 』

  江戸時代初め、京はもとより、遠く江戸にまで “ 京の島原に浮舟あり ” と知られた名妓がいました。 浮舟太夫 ( うきふねだゆう ) は絶世の美女というだけではなく、和歌や茶道、書道や生け花など、諸芸どれをとっても並ぶ者がない才気も持つ、まさに 当世一の名妓 でした。

  春、桜が咲き誇る島原で、浮舟はまだ見たことのない 吉野山の桜 を想い浮かべながら歌を詠みました。

   ここにさへ
     さぞな吉野は 花ざかり

  当世一の名妓に当世一の吉野桜、人はいつしか浮舟の名を 『 吉野太夫 』 と呼ぶようになりました。

『 吉野太夫 追善花供養 』  常照寺
   4月15日 ( 日 )
   吉野太夫を偲ぶ追善の花供養
   光悦寺から島原太夫による太夫道中があり、
   また野点席では島原太夫のお点前もあります。  

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2007年04月12日

上品蓮台寺

 『 上品蓮台寺 』

  千本鞍馬口に位置する京都屈指の古刹 『 上品蓮台寺 』 ( じょうぼんれんだいじ : 真言宗智山派 ) は、今から約1400年前、聖徳太子母の菩提を弔う ために創建したと伝えられています。

  一時は 応仁の乱 で焼失して寺勢が衰えましたが、江戸時代には再興されて子院12ヵ寺をもつ大寺として繁栄し、その子院12ヵ寺より 「 十二坊 」 と呼ばれて町衆から厚い信仰を集めてきました ( 現在は子院3ヵ寺 )。

  現在、境内にはソメイヨシノ、枝垂れ桜、紅枝垂れ桜が同時に咲き誇り、見事な春の競演を見せてくれています。

地図 : 上品蓮台寺  

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2007年04月11日

半木の道

 『 半木の道 』

  北大路大橋から北山大橋にかけての賀茂川東岸の散策道は 『 半木の道 』 ( なからぎのみち ) と呼ばれ、紅枝垂れ桜 が 約 800mに渡って咲き誇る、絶景の散策道として市民に親しまれています。 市内のソメイヨシノが満開を迎えてから約1週間後に見頃ろを迎えます。

  半木 ( なからぎ ) という名前は、府立植物園内にある 半木神社 ( なからぎじんじゃ ) に由来しています。

  昔、賀茂川の上流にあった神社が洪水で流され、流れ着いた 流れ木 ( ながれぎ ) で再び神社を創建したことから、“ なからぎ ” と呼ばれるようになったようです。

地図 : 半木の道半木神社  

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2007年04月07日

やすらい祭

 『 やすらい祭 』

  昔、桜の花が風で舞い散る様子が、疫病が飛散して流行する様子と似ていることから、“ 桜の花が散る頃に疫病が流行る ” と信じられてきました。

  この疫病を鎮めるために奈良時代より 鎮花祭 ( はなしずめのまつり ) が行なわれるようになり、現在では 『 やすらい祭 』 ( 8日 : 今宮神社 ) にその名残を見ることができます。

  古風な装束の氏子衆が “ やすらい花やー、ヨーホイ ” と歌い踊りながら街を練り歩き、花傘 の下に入ると 厄払い になる ことから、老若男女が皆、花傘の下に入って行列をともにします。

『 やすらい祭 』  今宮神社
   4月8日 ( 日 )  

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2007年03月16日

大徳寺大仙院

 『 大徳寺大仙院 』

  侘び茶を大成した 千利休 が禅の師と仰いだ禅僧 「 古渓宗陳 」 ( こけいそうちん )。

  大仙院 ( だいせんいん ) の住職であった古渓和尚は、大徳寺の百十一世住職となって戦国の乱世で 厳粛な禅風 を貫き、豊臣秀吉 の意向を受けて 織田信長豊臣秀長 ( 秀吉の弟 ) の葬儀を大徳寺で執り行って以来、多くの戦国大名から厚い信頼を得ました。

  のちに千利休が秀吉の怒りに触れて切腹を命じられて一条戻橋で利休の首が晒された時、闇夜に紛れて密かに首を持ち帰って手厚く供養した のが古渓和尚だった、と伝えれています。

『 古渓忌 』 ( こけいき )  大徳寺大仙院
   3月17日
   拝観料400円、薄茶1000円
   古渓和尚の威徳を偲ぶとともに
   茶席が設けられます。  

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2007年02月28日

茶筅の音

 『 茶筅の音 』

  千利休大徳寺 を学び、茶の湯禅の精神性 を取り入れて 「 侘び茶 」 ( わびちゃ ) を大成しました。

  すべての飾りやおごりを捨て、ひっそりとした枯淡な味わいの中でおこなう茶の湯が侘び茶であり、それは本来の形 “ 自然 ” そのものなのです。 「 茶 」 という漢字は、“ 草と木の間に人 ” と書き、つまり人は自然の中で生き、ありのまま自然を受け入れて行う茶の湯が 「 茶道 」 なのです。

  今日は千利休の命日です。 大徳寺の塔頭 聚光院 ( じゅこういん ) には、千利休を祖とする茶の湯の家元代々のお墓があり、その 利休の墓 に耳を当てると、茶を点てる茶筅 ( ちゃせん ) の音 がかすかに聞こえてきます。

地図 : 大徳寺聚光院  

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2007年02月23日

幸在祭

 『 幸在祭 』

  上賀茂神社 を地元の神とする 賀茂の里 ( 神社周辺の町 ) では、全国的にも珍しい 男子の元服 ( げんぷく : 男子が成人に達したことを示す儀式 ) を祝う伝統行事 『 幸在祭 』 ( さんやれまつり ) が、毎年 2月24日 ( 明日 ) しめやかに行なわれます。

  “ あがり ” と呼ばれる数え年で15歳を迎えた男子は、大人の服 羽織着物 に袖を通して儀式に臨み、鐘や太鼓を打ち鳴らしながら町内を練り歩いた後、上賀茂神社の氏神様へ元服を報告して晴れて大人の仲間入りをします。

  おんめでとう~ご~ざ~る♪
    ※ 幸在祭の囃子言葉で “ おめでとう ” の意味。

  幸在祭は字の如く 「 幸在る人生 」 を願う伝統行事です。

地図 : 上賀茂神社  

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2007年02月21日

牛若丸誕生地

 『 牛若丸誕生地 』

  平治元 ( 1159 ) 年、源氏の棟梁 ( とうりょう : 一族を率いる者 ) の 源義朝 ( みなもとのよしとも ) と 常盤御前 ( ときわごぜん ) の間に生また男の子は 『 牛若丸 』 ( うしわかまる : のちの源義経 ) と名付けられました。

  現在の 紫竹牛若町 辺りが 牛若丸誕生の地 と伝えられ、今も産湯の水を汲んだと伝えられている井戸が残っています。

  畑の中に 「 牛若丸誕生井 」 と書かれた石碑があり、石碑の後ろには現在も井戸がそのまま残っています。 井戸の水は一度も枯れたことがないと伝えられ、今も水を湛えています。

地図 : 牛若丸誕生地  

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2007年02月13日

利休の木像

 『 金毛閣 』

  大徳寺の山門『 金毛閣 』 ( きんもうかく ) と呼ばれ、天正17 ( 1589 ) 年、千利休の寄進 によって現在のような二層の山門となりました。

  千利休は金毛閣の楼上に 自らの木像 ( 雪駄を履いた雪見の像 ) を安置していましたが、これが門の下を通った 天下人 豊臣秀吉 の怒りに触れ、天正19 ( 1591 ) 年 2月13日 ( 今日 )、秀吉は利休を京都から堺へ追放しました。

  その後、秀吉は利休に切腹を命じ、聚楽屋敷内で切腹した利休の首は一条戻橋でさらし首となり、さらに金毛閣の利休の木像も磔 ( はりつけ ) となりました。

地図 : 大徳寺 金毛閣  

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2007年01月15日

武射神事

 『 武射神事 』

  1月16日 ( 明日 )、上賀茂神社 にて 『 武射神事 』 ( むしゃしんじ ) が行われます。

  境内参道横の御幣殿前の芝生に長さ40m余りの射場が設けられ、狩衣、烏帽子姿の神職が裏に “ 鬼 ” と書かれた大的を 矢で射る ことで、悪鬼邪気 を射ち祓って 一年の息災を祈願する神事 です。

  武射歩射 ( ぶしゃ ) が転じた言葉で、徒歩で矢を射ることをいいます。 それに対して 流鏑馬 ( やぶさめ ) は騎乗して矢を射ることをいいます。

  威風堂々とした構えから放たれる矢が見事に的を射抜くと、射場には歓声が沸きあがります。

『 武射神事 』  上賀茂神社
   1月16日(火)

  

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