2008年08月22日

新島旧邸

 『 新島旧邸 』

  寺町通丸太町を少し北へ歩くと、同志社の創立者・新島襄 ( にいじまじょう ) の旧宅が残されています。

  明治11 ( 1878 ) 年に竣工し、外観は コロニアルスタイル ( 17~19世紀、植民地時代のアメリカの建築様式 ) を基本としながらも、構造は 和風寄棟木造二階建て住宅 であり、内部には 畳敷箱階段 などの伝統的手法も用いられています。

  明治初期に作られた 国産の洋家具 が数多く見られるなど、当時の貴重な面影を残しています。

地図 : 新島旧邸  

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2008年07月29日

建春門

 『 建春門 』

  京都御所の築地に設けられた御門のうち、『 建春門 』 ( けんしゅんもん ) は 勅使 ( ちょくし : 天皇の意思を伝える使い ) の出入りに用いられていましたが、明治以降は 皇后皇太子 の出入りする門として用いられています。

  また、宜秋門 ( ぎしゅうもん ) は別名・公家門 とも呼ばれ、親王 ( しんのう : 天皇の兄弟や皇子など皇族の男子 ) や 公家 などが出入りする門として用いられました。

  その他、清所門 ( せいしょもん ) は別名・御台所御門 とも呼ばれ、御所の勝手口 といえる通用門として用いられました。

※写真は、京都御所の南西にある 「 宜秋門 」 です。  

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2008年07月28日

建礼門

 『 建礼門 』

  京都御所 を取り囲む高い築地 ( ついじ ) には、御所の正門にあたる 『 建礼門 』 ( けんれいもん ) が南側正面に位置し、その建礼門から時計回りに、宜秋門 ( ぎしゅうもん )、清所門 ( せいしょもん )、皇后門 ( こうごうもん )、朔平門 ( さくへいもん )、建春門 ( けんしゅんもん ) が構えられています。

  各門は通過する人物や用途によって使い分けられ、御所の正門にあたる 建礼門 は、天皇国賓 が来られた際など特別な行事の時のみ開かれます。  

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2008年06月18日

西園寺の梵鐘

 『 西園寺の梵鐘 』

  西園寺の現在の本堂は、江戸中期の天明の大火後に再建された建物で、堂内には 恵心僧都 ( えしんそうず : 平安中期の天台宗の僧 ) の作と伝えられる 本尊・阿弥陀如来像 ( 重要文化財 ) が祀られています。

  また、境内の 梵鐘 は、戦時中に不足した 鉄や銅の供出 により、銅精錬所で溶解される直前に終戦となって当寺に戻ってきたものと伝えられ、梵鐘の側面には 銅の組成を調べるために開けられた穴 が名残りとしてみられます。  

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2008年06月17日

西園寺

 『 西園寺 』

  『 西園寺 』 ( さいおんじ ) は、正しくは 山号・宝樹山 ( ほうじゅざん )、寺号・竹林院 ( ちくりんいん ) といい、浄土宗の寺院です。

  元仁元 ( 1224 ) 年、藤原公経 ( きんつね : 鎌倉前期の公卿 / 西園寺公経 ) が衣笠山の麓に壮麗な堂宇を建立して 「 西園寺 」 と称したのが始まりと伝えられています。

  その後、足利義満北山殿 ( 金閣寺 ) を創建した際、西園寺は室町に移り、さらに天正18 ( 1590 ) 年、現在地の鞍馬口寺町下ルに移転しました。

地図 : 西園寺


西園寺公経 【 さいおんじ きんつね 】
1171-1244年、鎌倉前期の公卿。 藤原氏。 承久の乱後、内大臣、太政大臣。 京都北山の別荘に西園寺を建立し、これが家名となる。 歌人としては新古今和歌集以下の勅撰集に114首入集。  

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2008年06月02日

阿弥陀寺

 『 阿弥陀寺 』

  天正10 ( 1582 ) 年 6月2日、織田信長 の宿所である 本能寺 を配下の武将・明智光秀 が取り囲んで謀反を起こし、燃える寺院の中で信長は自刃しました ( 本能寺の変 )。

  織田家ゆかりの僧・清玉 ( せいぎょく ) 上人 は本能寺での異変を察知して駆けつけましたが、すでに信長は亡くなっており、近習の武士に託された信長の遺骸を持ち帰ったと伝えられています。

  清玉上人が創建した 『 阿弥陀寺 』 には、今も 織田信長の墓 があり、ここで静かに眠っています。

地図 : 阿弥陀寺  

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2008年04月12日

御車返しの桜

 『 御車返しの桜 』

  京都御苑の中立売御門から御所へ進むと、左手に柵で囲われた桜の大樹があります。

  この桜の名前は 『 御車返しの桜 』 ( みくるまかえしのさくら ) といい、一重と八重の桜花が入り交じって咲く、世に名高い名桜です。

  江戸初期、この桜の前を御車で通り過ぎた 後水尾天皇 は、あまりの美しさに魅せられて、御車を返してもう一度その桜を愛でた と伝えられています。

  京都では幾つかの社寺でも、古都にふさわしい雅の名桜 「 御車返しの桜 」 を愛でることができます。  

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2008年03月23日

上御霊神社

 『 上御霊神社 』

  『 上御霊神社 』 ( かみごりょうじんじゃ ) は、延暦13 ( 794 ) 年の平安京遷都に際し、桓武天皇 によって 王城鎮護の神社 として創建されました。

  創建当初は奈良時代から平安初期にかけて不運の死をとげた 早良親王 など 八柱の神霊 を祀り、のちに明治天皇の御願によって五柱が合せ祀られ、現在は十三柱の神霊を祀っています。

  平安時代より怨霊を鎮める 御霊信仰 の神社として厚く信仰され、怨霊をなだめ祀るための 御霊会 ( ごりょうえ ) が幾度も行われてきました。

地図 : 上御霊神社  

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2008年03月16日

鷹司邸跡

 『 鷹司邸跡 』

  鎌倉時代以降、天皇を助けて政務をつかさどる摂政・関白の重職を任ぜられる、公家の 近衛家九条家二条家一条家鷹司家 の五家を 「 五摂家 」 ( ごせっけ ) といいます。

  『 鷹司家 』 ( たかつかさけ ) は、鎌倉中期に藤原北家嫡流の近衛家実の四男兼平を祖とする公家の名家です。

  戦国時代には鷹司忠冬を最後に一度断絶しましたが、江戸初期に二条信房が鷹司家を再興し、江戸後期から幕末にかけては鷹司家が関白を務めることが多く、名家として近代まで続きました。

地図 : 京都御苑内 鷹司邸跡  

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2008年03月04日

紫宸殿

 『 紫宸殿 』

  内裏 ( 御所 ) の正殿は 『 紫宸殿 』 ( ししんでん ) と呼ばれ、現・京都御所の紫宸殿は安政2 ( 1855 ) 年、古制にならって造営されました。

  紫宸殿の正面には 十八段の階段 があり、この階段から 天皇 は紫宸殿に 昇殿 したとされています。

  古くから中国の 陰陽思想 において、奇数「 陽数 」 ( 偶数 は 「 陰数 」 ) と考えられ、陽数の極みである 「 九 」 は最も好まれる幸運の数字とされてきました。

  つまり、紫宸殿の十八階段とは、陽数の極み 「 九 」 が重なる階段というわけです。  

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2008年02月06日

高御座

 『 高御座 』

  天皇の位につく即位式など、朝廷の儀式の際に紫宸殿の中央に設けられた天皇が着座する座を 『 高御座 』 ( たかみくら ) といいます。

  現在の高御座は大正天皇の即位の際に古式に則って作られたもので、黒塗りの壇上に八角形の屋根を据えて、帳 ( とばり : 垂れ下げて隔てとする布 ) をめぐらし、内部に椅子が据えられています。

  日本では古来より 高御座のあるところが天皇の在所 とされ、現在も京都御所の紫宸殿にあることから、京都御所正式な皇居 とする考えが存在しています。  

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2008年01月18日

仙洞御所

 『 仙洞御所 』

  京都御所の隣りに位置する 『 仙洞御所 』 ( せんとうごしょ ) は、江戸初期、江戸幕府によって 後水尾上皇 のために二条城の行幸御殿 ( みゆきごてん ) を移築して造営されました。

  その後に幾度も火災に遭い、建物は焼失したままで再建されていませんが、庭園は当時の姿をよく残しています。

  寛永13 ( 1636 ) 年に 小堀遠州 によって作庭され、のちの寛文4 ( 1664 ) 年に後水尾上皇によって修築されたとも伝えられ、四季折々の趣きを楽しめる名庭です。

地図 : 仙洞御所  

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2007年12月15日

室町幕府

 『 室町幕府 』

  源頼朝が鎌倉に開いた 鎌倉幕府 と、徳川家康が江戸に開いた 江戸幕府 は、どちらも幕府が開かれた 都市の名前 が幕府の名前となりました。

  室町幕府の名前の由来は、現在の京都御所の北西にあたる室町北小路に室町幕府3代将軍 足利義満「 花の御所 」 と呼ばれる広大な邸宅を造営し、その邸宅の正門が 室町通 に面していたことより、邸宅は 室町殿、幕府は 『 室町幕府 』 と呼ばれるようになりました。

  現在の室町通は小さな通りですが、歴史に大きく名前を刻んでいます。  

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2007年11月01日

護王神社 亥子祭

 『 護王神社 亥子祭 』

  御所西に鎮座する 『 護王神社 』 ( ごおうじんじゃ ) は、神護寺境内に 和気清麻呂 ( わけのきよまろ : 平安初期の政治家、和気氏の祖 ) の霊社として創建されました。

  古くは 「 護法善神 」 と称され、明治になって 「 護王神社 」 と改称して現在地に移転しました。

  境内には 霊猪像 ( 狛いのしし ) が見られ、いのしし神社 とも呼ばれています。

  毎年11月1日に行われる 『 亥子祭 』 ( いのこまつり ) では、平安時代の宮中行事であった 亥子餅の儀式を再現した神事 が行われます。

『 亥子祭 』  護王神社
   11月1日 午後5時~  

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2007年10月09日

出町

 『 出町 』

  東海道 ・ 山陰道 ・ 西国街道 など、京都を起点 ・ 終点とする街道が古くから発達し、多くの人びとが往来しました。

  日本海側の若狭へ通じる 「 若狭街道 」 は、日本海の海の幸、とくに名産の ( さば ) を運んだ街道であり、昔から 「 鯖街道 ・ 魚街道 」 と通称されました。

  鯖街道の京への出入り口 は 「 大原口 」 ( おおはらぐち : 現在の寺町今出川 ・ 大原口町 ) といい、行商人などが出入りする町として栄えたことから、いつしか 「 出町 」 ( でまち ) と呼ばれるようになりました。  

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2007年09月29日

五芒星

 『 五芒星 』

  陰陽五行説 ( いんようごぎょうせつ ) では、 という五つの元素が、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木にそれぞれ勝つとされ、その 相関関係を並列的に図案化する図形 として 『 五芒星 』 ( ごぼうせい ) が用いられてきました。

  平安時代の陰陽師 ・ 安倍晴明 は、陰陽五行説の象徴として五芒星の紋を用い、この紋が五角形の花を咲かせる 桔梗 と似ていることから 「 晴明桔梗紋 」 とも称され、現在でも晴明神社の神紋となっています。

地図 : 晴明神社  

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2007年09月21日

 『 萩 』

  “ 草かんむりに秋 ” と書いて 『 萩 』 ( はぎ ) です。

  京都御所の東に鎮座する 梨木神社 ( なしのきじんじゃ ) は、参道や境内の約500株におよぶ萩が紅白の美しい花を咲かせることから 「 萩の宮 」 ( はぎのみや ) と称されています。

  毎年9月中旬には 「 萩まつり 」 が催され、訪れた人びとは短歌や俳句を書いた短冊を萩の枝に吊るし、狂言や舞踊 ・ 琴などが演じられる境内でゆったりとした秋の訪れを感じることができます。

『 萩まつり 』  梨木神社
  9月22日、23日、24日  

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2007年09月20日

祐井

 『 祐井 』

  明治天皇 は、第121代 孝明天皇 ( こうめいてんのう ) と、公家の娘 ・ 中山慶子 ( なかやまよしこ ) の間に生まれ、幼名を 「 祐宮 」 ( さちのみや ) と名付けられました。

  祐宮が生まれた翌年の京都は夏の日照りが厳しく、中山家では敷地内に井戸を掘ってみることになりました。 すると清らかな水が湧き出て人びとの渇きを潤し、これを聞いた孝明天皇は、井戸に祐宮の一字をとって 『 祐井 』 ( さちのい ) と命名しました。

  京都御所北側の中山邸跡には、現在も祐井が残っています。

地図 : 中山邸跡 祐井  

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2007年09月09日

樂焼

 『 樂焼 』

  桃山時代、陶工長次郎 が創始した焼き物 『 樂焼 』 ( らくやき ) は、茶道の千家を中心として広く茶の湯に好まれました。

  その歴史は、長次郎が茶の湯を大成者した 千利休 にしたがい、利休好みの茶碗 を製陶したことに始まります。

  当時、利休の邸宅は 聚樂第 ( じゅらくだい ) の一角にあり、その茶室で初めて長次郎の茶碗が用いられ、のちに 豊臣秀吉 から聚樂第の 「 樂 」 の一文字を賜って 「 樂焼 」 と称されました。

  樂焼には利休が極めた侘びの精神が色濃く反映されています。

地図 : 樂家  

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2007年07月27日

御手洗祭

 『 御手洗祭 』

  平安時代の貴族は季節の変わり目に清らかな水に手足を浸し、過去の罪や穢れ ( けがれ ) を祓う 「 禊祓い 」 ( みぞぎはらい ) をおこなっていました。

  下鴨神社『 御手洗祭 』 ( みたらしまつり : 27~30日 ) は、この平安貴族の習わしに由来する伝統行事で、多くの老若男女が 御手洗池 に足を浸し、無病息災 を祈願します。

  御手洗池の池底から湧き水とともに水面にあがる白い水泡を模した和菓子こそ、御手洗池を発祥とする 御手洗団子 ( みたらしだんご ) です。

『 御手洗祭 』  下鴨神社
   7月27日 ( 金 ) ~ 30日 ( 月 )
   献灯料 200円  

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2007年07月19日

蛤御門

 『 蛤御門 』

  京都御苑の外郭門のひとつ 『 蛤御門 』 ( はまぐりごもん ) は、元治元 ( 1864 ) 年 7月19日 ( 今日 ) に勃発した 蛤御門の変 の激戦地でもありました。

  幕末、京都から追放された長州藩は、再び権力を挽回するため京都に兵を進めました。

  猛将の 来島又兵衛 ( きじままたべえ ) が率いる長州軍の一隊が蛤御門を突破しましたが、幕府軍の銃弾が来島又兵衛の胸を貫いて絶息 し、長州軍は退却 を余儀なくされました。

  蛤御門には往時の激戦を物語る銃弾の跡が現在も残されています。

地図 : 蛤御門  

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2007年06月25日

菅原院天満宮神社

 『 菅原院天満宮神社 』

  京都御苑の下立売御門の向かいに鎮座する 『 菅原院天満宮神社 』 ( すがわらいんてんまんぐうじんじゃ ) は、平安前期の政治家として活躍した 菅原道真誕生地 のひとつとされています ( 誕生地は菅大臣神社や吉祥院天満宮など諸説あり )。

  当地は 菅家邸宅跡 と伝えられ、神社の本殿には菅原道真の 是善 ( これよし )、祖父清公 ( きよきみ )、曽祖父古人 ( ふるひと ) の三代が祀られています。

  菅原道真は、承和12 ( 845 ) 年 6月25日 ( 今日 ) に誕生しました。

地図 : 菅原院天満宮神社  

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2007年05月15日

樂焼

 『 樂焼 』

  桃山時代、陶工の 長次郎 が創始した 『 樂焼 』 ( らくやき ) は、茶道の千家を中心として広く茶の湯に好まれてきました。

  その歴史は、長次郎が茶の湯を大成者した千利休にしたがい、利休好みの茶碗 を製陶したことに始まります。

  当時、千利休の邸宅は豊臣秀吉が造営した荘厳華麗な 聚樂第 ( じゅらくだい ) の一角にあり、その茶室で初めて長次郎の茶碗が用いられ、のちに豊臣秀吉から聚樂第の 「 樂 」 の一文字を賜って 「 樂焼 」 と称されました。

  樂焼には、千利休が極めた侘びの精神 が色濃く反映されています。  

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2007年05月10日

御蔭祭

 『 御蔭祭 』

  毎年5月12日に 下鴨神社 で執り行われる 『 御蔭祭 』 ( みかげまつり ) は、我が国最古の神幸祭 ( しんこうさい : 神様を遷す祭り ) であり、古代の祭祀の様子を現代に継承する貴重な神事です。

  高野川上流の御蔭山にある 御蔭神社荒御霊 ( あらみたま : 新しい神霊 ) を得る神事を執り行い、祭祀にたずさわる神官の行列に守られながら下鴨神社まで荒御霊が届けられます。

  水を司る賀茂の神の力 は、毎年、荒御霊を得ることで保たれるとされ、今年も新たな神霊を迎える季節となりました。

『 御蔭祭 』  御蔭神社 / 下鴨神社
   5月12日
   御蔭神社から下鴨神社へ神霊を迎える神事  

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2007年04月16日

御車返しの桜

 『 御車返しの桜 』

  京都御苑の中立売御門 ( なかだちうりごもん ) から御所へ進むと、左手に柵で囲われた桜の大樹があります。

  この桜の名前は 『 御車返しの桜 』 ( みくるまかえしのさくら ) といい、一重と八重の桜花が入り交じって咲く、世に名高い名桜です。

  江戸時代初め、この桜の前を御車で通り過ぎた 後水尾天皇 は、あまりの美しさに魅せられて、御車を返してもう一度その桜を愛でた、と伝えられています。

  京都では幾つかの社寺でも、古都にふさわしい雅の名桜 「 御車返しの桜 」 を愛でることができます。

地図 : 京都御苑 御車返しの桜  

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2007年04月05日

京都御所

 『 京都御所 』

  現在の 京都御所 は、元弘元 ( 1331 ) 年、南北朝時代の光厳天皇 ( こうごんてんのう ) が 仮御所 として使っていた 東洞院土御門邸 ( ひがしのとういんつちみかどてい ) を 正式な御所 と定めたことに始まり、のちに幾度も火災と再建を繰り返し、安政2 ( 1855 ) 年、古制に基いて再建されて現在に至っています。

  昔の人びとにとって 天皇御所 は決して別世界の遠い存在ではなく、むしろ祭りや年中行事の中でいつもその存在を身近に感じており、ゆえに お内裏様天子様 と親しみを込めて呼んでいました。

『 京都御所 春の一般公開 』  京都御所
   4日 ( 水 ) ~ 8日 ( 日 )
   午前9時 ( 開門 ) ~ 午後 3時 ( 閉門 )  

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2007年04月04日

和気清麻呂

 『 和気清麻呂 』

  和気清麻呂 ( わけのきよまろ ) は、奈良末期から平安初期にかけて朝廷に仕えた臣下で、和気氏の祖とされています。

  道鏡 ( どうきょう : 奈良時代の僧で、称徳天皇の寵愛を受けて皇位に就こうとした ) が 皇位の簒奪 ( さんだつ : 皇位を奪い取ること ) を企てると、神護景雲3 ( 769 ) 年、九州の 宇佐八幡宮 において “ 皇位は皇族が継ぐべき ” という 神託 ( 神のお告げ ) を得て帰京し、道鏡の企てを阻止しました。 延暦18 ( 799 ) 年 4月4日 ( 今日 )、死去。

『 護王大祭 』  護王神社
   4月4日 ( 水 )
   和気清麻呂を偲ぶ祭事  

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2007年04月03日

京都府庁旧本館

 『 京都府庁旧本館 』

  現役の官公庁舎 としては 日本最古 の建物となる 京都府庁旧本館 は、京都府技師の 松室重光 など日本人建築家によって設計され、明治37 ( 1904 ) 年に竣工しました。

  外観は ネオ・ルネサンス様式煉瓦造 で、ロの字型の建物には正庁や知事室 ・ 議場など大小55室が設けられ、平成16 ( 2004 ) 年に 国の重要文化財 に指定されました。

  建物に囲まれた中庭は 七代目 小川治兵衛 によって設計された庭園であり、春になると見事な枝垂れ桜が満開の花を咲かせます。

『 京都府庁旧本館 春の一般公開 ・ 観桜会 』  京都府庁
   4月4日 ( 水 ) ~ 8日 ( 日 ) 10時 ~ 17時
   旧知事室、正庁、旧貴賓応接室、などを公開
   中庭の見事な枝垂れ桜も一般公開
     ※ 4月2日現在、中庭の桜は満開との情報
   参考リンク : 京都府庁の広報ページ

※写真は 京都府庁HP より引用  

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2007年04月02日

近衛邸址

 『 近衛邸址 』

  京都御所の周囲に広がる 京都御苑 ( きょうとぎょえん ) は、市民の憩いの広場として親しまれています。

  ここは幕末まで200近い公家の邸宅が並んでいた場所で、明治になって天皇や公家が東京へ移った後に整備されて公園となりました。

  現在、御所の北側に残る 近衛池 は、五摂家 ( ごせっけ : 摂政や関白に任ぜられる、近衛家、九条家、鷹司家、一条家、二条家の五名家 ) のひとつ 『 近衛家 』 ( このえ ) の邸宅跡にあたり、池の周りに植えられている枝垂れ桜 約30本がまもなく満開を迎えようとしています。

地図 : 近衛邸址  

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2007年03月05日

相国寺

 『 相国寺 』

  京都御所の北側に位置する 『 相国寺 』 ( しょうこくじ ) は、永徳2 ( 1382 ) 年、室町幕府 第3代将軍 足利義満 ( あしかがよしみつ ) の発願によって創建され、約10年の歳月をかけて明徳3 ( 1392 ) 年に完成しました。

  また至徳3 ( 1386 ) 年、足利義満は京都にある臨済宗の大寺院に対して序列を制定し ( 京都五山の制 )、相国寺第二位 としました。

  広大な相国寺の境内には 高さ109m を誇る 七重塔 が建立され、その比類無き大塔は、まさしく 義満の天下を世に知らしめる大塔 でもありました。 ※参考 : 東寺の五重塔は高さ57m

地図 : 相国寺  

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