2008年01月25日

菅原道真

 『 菅原道真 』

  平安時代、菅原道真 ( すがわらのみちざね ) は天皇の厚い信頼により 右大臣 として活躍しましたが、左大臣 藤原時平の謀略 により、延喜元 ( 901 ) 年 1月25日 ( 今日 )、九州の 大宰府 へと 左遷 ( させん : 低い官職にうつすこと ) されてしまいました。

  東風 ( こち ) 吹かば
   匂いおこせよ 梅の花
     あるじなしとて 春を忘るな

  梅をこよなく愛した道真は邸宅にある梅との別れを惜み、“ 東から春風が吹く頃に梅の香りを九州まで送りなさい、私がいないからと言って春を忘れるなよ ” と歌を詠み、遠い九州へと京都を旅立ちました。

『 初天神 』  北野天満宮
   1月25日
   今年最初の天神さん縁日
  

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2007年12月25日

天満

 『 天満 』

  菅原道真 は左遷によって京都を追われ、ついに京都に戻ることなく、延喜3 ( 903 ) 年、九州の大宰府において 非業の死 を迎えました。

  以来、京都では豪雨や落雷や地震などの 天災 が続き、“ これは菅原道真の怨念に違いない ” と恐れられ、その怒りを鎮めるために 北野天満宮 が建立されて祭神として祀られました。

  『 天満 』 の名は、道真の死後に送られた神号 「 天満 ( そらみつ ) 大自在天神 」 ( 意味 : 道真の怨霊が雷神となって天に満ちた ) が由来といわれています。  

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2007年12月18日

わら天神

 『 わら天神 』

  敷地神社 ( しきちじんじゃ ) の祭神 「 木花開耶姫命 」 ( このはなさくやひめのみこと ) は、古くから北山の神として祀られ、安産祈願の神 として信仰を集めてきました。

  応永4 ( 1397 ) 年に 足利義満金閣寺 を造営した際、その 鎮守社 として現在地に遷座しました。

  安産祈願で授与される 「 わら 」 の護符 は、その 「 わら 」 に節 ( ふし ) があれば男の子、節がなければ女の子が生まれるとされていることから、敷地神社は通称 『 わら天神 』 と呼ばれています。

地図 : わら天神  

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2007年11月26日

御茶壺奉献祭

 『 御茶壺奉献祭 』

  北野天満宮 において毎年12月1日に催される 「 献茶祭 」 は、豊臣秀吉 が天正15 ( 1587 ) 年に北野天満宮で催した 北野大茶会 にちなむ行事です。

  その献茶祭で用いられる 碾茶 ( てんちゃ : 抹茶の原料 ) は、毎年11月26日 ( 今日 ) に催される 『 御茶壺奉献祭 』 によって神前に奉納されています。

  京都の各茶師が新茶の茶壺を奉献する神事で、各地域の茶壺が七つの唐櫃に納められ、一の鳥居から本殿まで行列を行い、御茶壺奉献の報告祭が行われた後、口切式神事が行われます。

『 御茶壺奉献祭 』  北野天満宮
   午前11時~ 御茶壷行列、奉献祭、口切式  

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2007年10月03日

瑞饋祭

 『 瑞饋祭 』

  京都の秋祭りの先陣を切る、北野天満宮『 瑞饋祭 』 ( ずいきまつり : 10月1日 ~ 5日 ) は、五穀豊穣に感謝する秋の大祭 です。

  神輿の屋根を 瑞饋 ( ずいき : 芋の茎 ) で葺き、からし芋 ・ 米 ・ 麦 ・ 豆 ・ 野菜などで飾り、その神輿を氏子達が担いで町を練り歩きます。

  氏子の町を練り歩いた神輿は 「 還幸祭 」 ( かんこうさい : 10月4日 ) で再び北野天満宮へ戻りますが、祭神の 菅原道真 をはじめて北野の地へお迎えした様子を想い起こさせ、別名 「 おいでまつり 」 と呼ばれています。

地図 : 北野天満宮  

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2007年09月04日

釘抜地蔵

 『 釘抜地蔵 』

  昔、両手のキリキリとした痛みに苦しんでいた商家の旦那が、出入りの商人から “ 千本通の苦抜地蔵は霊験あらたか ” との噂を聞き、さっそく出向いて病が治るよう祈願しました。

  すると、夢の中に 地蔵菩薩 が現れて 「 前世で人を怨んだ罪によって、汝は今、苦しみを受けている 」 と言い、その怨みの釘を抜いてくれた・・・と。

  以来、石像寺の 「 苦抜 ( くぬき ) 菩薩 」「 釘抜 ( くぎぬき ) 地蔵 」 と呼ばれ、苦しみを抜く地蔵さん として今も厚い信仰を集めています。

地図 : 釘抜地蔵  

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2007年09月03日

首途八幡宮

 『 首途八幡宮 』

  平安末期、平家隆盛の時代にあって、源氏は京都を追われ、牛若丸 ( 源義経 ) も奥州藤原氏の庇護を受けるために奥州平泉へ下りました。

  その時、商いで奥州藤原氏と縁のあった 金売吉次 ( かねうりきちじ ) が手助けし、牛若丸は京都を発つにあたり、吉次の屋敷の神社で 旅の安全を祈願 したと伝えられています。

  以来、その社は 「 首途 」 ( かどで : 出発 ) を祝う 『 首途八幡宮 』 と呼ばれ、現在も旅行安全の守護神として厚く信仰されています。

地図 : 首途八幡宮  

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2007年05月31日

妙蓮寺

 『 妙蓮寺 』

  『 妙蓮寺 』 ( みょうれんじ ) は、永仁2 ( 1294 ) 年、日像 ( にちぞう ) 上人が 「 妙法蓮華寺 」 として五条西洞院に創建し、幾度か移転を繰り返し、天正15 ( 1587 ) 年に豊臣秀吉の聚楽第造営に際して現在の西陣へ移転しました。

  妙蓮寺の僧 ・ 玉淵坊 ( ぎょくえんぼう ) 作の庭園は 「 十六羅漢の石庭 」 と呼ばれ、白砂の中に十六羅漢をあらわす石が配されており、中央奥の大石は 臥牛石 ( がぎゅうせき ) と呼ばれ、秀吉から賜って伏見城から移した名石です。

地図 : 妙蓮寺  

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2007年04月15日

上七軒

 『 上七軒 』

  京都には五つの花街があり、祇園甲部祇園東宮川町先斗町 と、そして北野天満宮の東側に最も古い花街 『 上七軒 』 ( かみしちけん ) があります。

  上七軒は室町時代、北野天満宮修復の際に残った木材で七軒の茶店が建てられ、参詣する人が休息に立ち寄る “ 七軒茶屋 ” として始まりました。

  豊臣秀吉北野大茶会 を催した時、七軒茶屋御手洗団子 ( みたらしだんご ) を大いに褒め、日本で最初の公許茶屋 として認められました。

  現在の 上七軒の紋章 は、名物の御手洗団子を模した “ 五つ団子 ” ( 二本の五つ団子が円形に ) となっています。

『 第55回 北野をどり 』  上七軒歌舞練場
   4月15日 ( 日 ) ~ 25日 ( 水 )
   上七軒の芸舞妓さんによる伝統行事  

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2007年04月10日

平野神社

 『 平野神社 』

  京都に数ある桜の名所の中でも、円山公園平野神社夜桜の名所 として知られています。

  平野神社 の歴史は古く、延暦13 ( 794 ) 年の平安京遷都にともない、桓武天皇 が奈良から平野の地に神様を遷して平野神社を創建したことに始まります。

  以来、歴代天皇からの崇敬も厚く、平安時代中頃には 花山天皇 によって数千本の桜が境内に植えられ、一躍、桜の名所 となりました。

  現在、境内の桜は約 50種 400本! 寝覚桜胡蝶桜御衣黄桜手弱女桜平野妹背桜 など、平安王朝の雅を感じさせる名桜が天を覆い尽くします。

『 平野神社 桜花祭 』  平野神社
   4月10日 ( 火 )
   艶やかな織姫や騎馬の神幸列が繰り出されます  

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2007年02月24日

天神さん

 『 天神さん 』

  菅原道真左遷 によって京都を追われ、ついに京都に戻ることなく、延喜3 ( 903 ) 年 2月25日 ( 明日 )、九州の 大宰府 において 非業の死 を迎えました。

  以来、京都では 豪雨落雷地震 などの天災が続き、“ これは菅原道真の怨念に違いない ” と恐れられ、その怒りを鎮めるために 『 北野天満宮 』 が建立されて祭神として祀られました。

  古くから北野の地には農耕の神 「 火雷天神 」 が祀られており、天から怒りの雷を落とした菅原道真が火雷天神と同一視されて、以来 “ 天神さん ” といえば 菅原道真 となりました。

『 梅花祭 』  北野天満宮
   2月25日  

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2007年02月16日

白峯神宮

 『 白峯神宮 』

  蹴鞠 ( けまり ) は中国から伝来し、平安時代になると宮中や貴族によって盛んに蹴鞠遊びが行なわれ、平安末期には 飛鳥井家 ( あすかいけ ) と 難波家 ( なんばけ : 室町~江戸時代に衰退 ) の二家が 蹴鞠の宗家 として技の指導や伝承を行なってきました。

  西陣に鎮座する 『 白峯神宮 』 ( しらみねじんぐう ) は、明治時代に飛鳥井家の邸宅があった場所に創建された神社であり、邸宅内にあった 蹴鞠の神様 「 精大明神 」 が現在も祀られており、サッカーなどの球技をはじめとする スポーツの神様 として厚く信仰されています。

地図 : 白峯神宮  

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2007年01月23日

浮気封じの白砂

 『 浮気封じの白砂 』

  平安時代、宇多天皇 に入内 ( じゅだい : 天皇の皇后として宮中に入ること ) した 皇后 は、次第に 天皇の心が自分から離れている ことに気付き、天皇の心を取り戻そうとしました。

  ある夜、“ 櫟谷七野神社 ( いちいだにななのじんじゃ ) の社前に白砂を積み上げて願うと天皇の心を取り戻せる ” という夢のお告げがあり、皇后がさっそくお告げ通りに社前に白砂を積み上げると見事に願いが叶ったと伝えられています。

  以来、櫟谷七野神社 の社前に白砂を積むと 『 浮気封じ、復縁、愛の復活 』 の願いが叶うと伝えられています。

地図 : 櫟谷七野神社  

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2006年12月25日

西陣織

 『 西陣織 』

  応仁元 ( 1467 ) 年、将軍後継問題に端を発し、有力守護大名の 細川勝元山名宗全 が対立して 「 応仁の乱 」 が勃発しました。 この内乱は 11年間にもおよび、京の街は焼け野原となってしまいました。

  現在の相国寺に細川勝元が陣を構え、それに対して 山名宗全西に陣を構えた ことから周辺は 「 西陣 」 と呼ばれるようになりました。

  京の伝統工芸 『 西陣織 』 は、さまざまな色の糸を織り込むことで紋様を織り出す高級絹織物です。 平安時代に朝廷の織り手によって始められ、今日まで高い技術と伝統が受け継がれています。
  

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2006年12月24日

終い天神

 『 終い天神 』

  菅原道真 を祀る 北野天満宮 では、毎月25日に 「 天神さん 」 という縁日が催されており、特に今年最後となる明日の縁日は 『 終い天神 』 と呼ばれて多くの人びとが参拝に訪れます。

  神社の境内には千店以上の露店が所狭しとならび、しめ飾り鏡餅 などの正月用品を買い求める人びとで賑わいをみせます。 まだ薄暗い早朝から商いを始める露店もあり、骨董好きの人の中には懐中電灯を片手に熱心に見て歩く人もいます。

  明日の北野天満宮は、終い天神の熱気に早朝から深夜まで包まれます。

『 終い天神 』  北野天満宮
   12月25日
  

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2006年12月06日

大根焚き

 『 大根焚き 』

  京都の師走の風物詩のひとつ 『 大根焚き 』 ( 京都では 「 だいこだき 」 と言う ) の季節が到来しました。

  西陣の 千本釈迦堂 では、釈迦が悟りを開いたの日 ( 12 / 8 ) を祝う成道会法要が行われ、境内では焚いた大根が参詣者にふるまわれます。

  鳴滝の 了徳寺 の大根焚きは、親鸞聖人が鳴滝を訪ねた時に里人が塩味の大根を焚いて聖人に捧げたことから始まると伝えられています。

  京都では 大根焚きの大根を食べる 「 中風の厄除け 」 【 ちゅうぶ : 風 ( かぜ ) に中 ( あた ) るの意から風邪を引くこと 】 になるといわれています。

『 成道会法要と大根焚き 』  千本釈迦堂 ( 大報恩寺 )
   12月7-8日 料金 1000円

『 鳴滝の大根焚き 』  了徳寺
   12月9-10日  料金 800円  

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2006年12月01日

北野大茶湯

 『 北野大茶湯 』

  学問の神様として知られる 北野天満宮 において、天正15 ( 1587 ) 年、天下人の 豊臣秀吉 が野外の大茶会 『 北野大茶湯 』 ( きたのおおちゃのゆ ) を盛大に催しました。

  いかにも 秀吉好みの盛大な茶会 であり、大坂や堺まで広く茶会の開催を知らせ、また身分に関係なく心得のある者を招いたため、千利休 などの茶匠から一般の商人までが大勢集まり、境内は人であふれ返りました。

  この北野大茶湯にちなみ、毎年12月1日 ( 今日 )、北野天満宮にて 『 献茶祭 』 が催され、神前にて 茶匠家元による献茶式 が行なわれています。

『 献茶祭 』  北野天満宮
   12月1日
   拝服茶券 5000円
  

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2006年11月26日

御茶壺奉献祭

 『 御茶壺奉献祭 』

  北野天満宮において毎年12月1日に催される 「 献茶祭 」 は、豊臣秀吉 が天正15 ( 1587 ) 年に 北野天満宮 で催した 北野大茶会 にちなむ行事です。

  その献茶祭で用いられる 碾茶 ( てんちゃ : 抹茶の原料 ) は、毎年11月26日 ( 今日 ) に催される 『 御茶壺奉献祭 』 によって神前に奉納されています。

  御茶壺奉献祭京都の各茶師 が北野天満宮に 新茶の茶壺を奉献する神事 で、各地域の茶壺は七つの唐櫃 ( からびつ : かぶせ蓋のついた箱 ) に納められ、一の鳥居から本殿まで 御茶壷行列 を行い、本殿にて御茶壺奉献の 報告祭 が行われた後、口切式神事 が行われます。

『 御茶壺奉献祭 』  北野天満宮
   午前11時~ 御茶壷行列、奉献祭、口切式
  

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