2016年04月19日

観音開き

 『 観音開き 』

  仏像経典 を納める戸棚形の仏具を 厨子 ( ずし ) といい、その多くは漆や金箔などの美しい装飾が施されています。

  また、厨子の扉 は中央から左右両側に対称に開くように作られた 両開きの扉 が多く、仏像の観音様を納めた厨子の造りということから 『 観音開き 』 ( かんのんびらき ) と呼ばれています。

  寺院の仏像が 秘仏 とされている場合、特定の機会を除いては一般に公開していないため、厨子の扉が閉じられています。
  

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2016年04月18日

野々村仁清

 『 野々村仁清 』

  京都で産出する陶磁器の総称を 京焼 ( きょうやき ) といい、とくに江戸初期、『 野々村仁清 』 ( ののむらにんせい ) や 尾形乾山 ( おがたけんざん ) らによって大成された 色彩豊かな色絵陶器 が知られています。

  安土桃山時代、丹波国北桑田郡野々村 ( 現在の京都府美山町 ) で生まれた 清右衛門 は、のちに 仁和寺 の門前に 窯を開いた ことから、仁和寺「 仁 」清右衛門「 清 」「 仁清 」 の印銘を作品に使用し、卓説した色彩と意匠の才能を発揮して 色絵陶器 を完成させ、京焼の祖 とされています。
  

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2016年04月17日

御忌大会

 『 御忌大会 』

  知恩院で執り行われる法要の中でも特に重要な法要といえば、浄土宗祖の法然上人が亡くなった日を期して上人の遺徳を偲ぶ忌日法要 である 『 御忌大会 』 ( ぎょきだいえ ) です。

  御忌 ( ぎょき ) とは天皇や皇后など高貴な人の忌日法要 ( 命日に行う法要 ) を意味していましたが、大永4 ( 1524 ) 年に後柏原天皇より “ 知恩院にて法然上人の御忌を勤めよ ” という詔 ( みことのり : 天皇の言葉 ) があり、以後、法然上人の忌日法要を 「 御忌法要 」 として執り行ってきました。

『 御忌大会 』 ( ぎょきだいえ )  知恩院
   4月18日 ~ 25日
   宗祖法然上人の忌日に当たり、大鐘を鳴らして
   上人の徳を偲ぶ伝統の忌日法要
  

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2016年04月16日

吉野太夫

 『 吉野太夫 』

  江戸時代初め、京はもとより、遠く江戸にまで “ 京の島原に浮舟あり ” と知られた名妓がいました。 浮舟太夫 ( うきふねだゆう ) は絶世の美女というだけではなく、和歌や茶道、書道や生け花など、諸芸どれをとっても並ぶ者がない才気も持つ、まさに 当世一の名妓 でした。

  春、桜が咲き誇る島原で、浮舟はまだ見たことのない 吉野山の桜 を想い浮かべながら歌を詠みました。

   ここにさへ
     さぞな吉野は 花ざかり

  当世一の名妓に当世一の吉野桜、人はいつしか浮舟の名を 『 吉野太夫 』 と呼ぶようになりました。
  

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2016年04月15日

上品蓮台寺

 『 上品蓮台寺 』

  千本鞍馬口に位置する京都屈指の古刹 『 上品蓮台寺 』 ( じょうぼんれんだいじ : 真言宗智山派 ) は、今から約1400年前、聖徳太子母の菩提を弔う ために創建したと伝えられています。

  一時は 応仁の乱 で焼失して寺勢が衰えましたが、江戸時代には再興されて子院12ヵ寺をもつ大寺として繁栄し、その子院12ヵ寺より 「 十二坊 」 と呼ばれて町衆から厚い信仰を集めてきました ( 現在は子院3ヵ寺 )。

地図 : 上品蓮台寺
  

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2016年04月14日

仁和寺・御室桜

 『 仁和寺 ・ 御室桜 』

  仁和寺や
     足もとよりぞ
          花の雲

  遅咲きで知られる 『 仁和寺 』 ( にんなじ ) の 『 御室桜 』 ( おむろざくら ) は、京都の春の最後を飾る かのように、毎年 4月中旬から咲き始めます。

  御室桜の樹高は 2 ~ 3m 前後と低く、まるで足元から雲が湧き上がるように桜の花が咲きます。

  わたしゃお多福 御室の桜
     花 ( 鼻 ) は低とも 人が好く

  鼻は低いが人気者の “ お多福さん ” と同じように、花は低いが多くの人びとから愛される御室桜。 多くの花見客が仁和寺を訪ねる光景は、今も昔も変わらない春の風景です。
  

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2016年04月13日

常照皇寺

 『 常照皇寺 』

  南朝と北朝に天皇家が二分して争った南北朝時代、北朝の初代天皇として権力闘争の渦中にあった 光厳天皇 ( こうごんてんのう ) は、晩年は激動の都を逃れて山深い里に移り、『 常照皇寺 』 ( じょうしょうこうじ ) を建立してひたすら禅の道を極めました。

  常照皇寺は市街地から北へ車で約1時間半ほどの京都市右京区 ( 旧京北町 ) にあり、現在も境内には光厳天皇お手植えとされる樹齢600年余の 九重桜 ( ここのえざくら : 国の天然記念物 ) が見事な花を咲かせます。

  権力闘争に明け暮れ、およそ宮中の優雅な暮らしと縁のなかった光厳天皇にとって、山深い常照皇寺は心休まる悟りの世界だったのかもしれません。
  

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2016年04月12日

普賢象桜

 『 普賢象桜 』

  釈迦如来脇侍 ( きょうじ : 本尊の両脇に侍して教化を助ける存在 ) として 智慧文殊菩薩 ( もんじゅぼさつ ) と一対をなす 普賢菩薩 ( ふげんぼさつ ) は、仏の真理修行の徳 を司 ( つかさど ) り、白象に乗った姿 として刻まれている仏像が一般的です。

  また、室町時代から知られる里桜の一種 『 普賢象 』 ( ふげんぞう ) は、花の中心から二本の緑色の葉のようになった雌しべが突き出て先端がそり返り、その姿が 普賢菩薩 の乗った 象の鼻 に似ていることから 普賢象 と名付けられました。

※普賢象桜が咲く主な京都の社寺史跡
 千本ゑんま堂・下御霊神社・仁和寺・地主神社 など
  

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2016年04月11日

御衣黄桜

 『 御衣黄桜 』

  寝覚 ( ねざめ ) 桜、胡蝶 ( こちょう ) 桜、平野妹背 ( ひらのいもせ ) 桜、手弱女 ( たおやめ ) 桜など、雅な名桜が咲き誇る京都では、晩春に咲く 『 御衣黄桜 』 ( ぎょいこうさくら ) がまもなく花を咲かせようとしています。

  御衣黄桜は 黄緑色の花 を咲かせる珍しい桜で、よく見ると緑色、黄色、ピンクと花びらの色がわずかながら変化していきます。

  御衣黄桜という名は、昔の貴人が好んで着た黄緑色の気品ある衣の色に桜花の色が似ていることから命名され、仁和寺で栽培されたのが始まりと伝えられています。
  

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2016年04月10日

車返しの桜

 『 車返しの桜 』

  京都御苑の中立売御門から御所へ進むと、左手に柵で囲われた桜の大樹があります。 この桜の名前は 『 車返しの桜 』 ( くるまかえしのさくら ) といい、一重と八重の桜花が入り交じって咲く、世に名高い名桜です。

  江戸初期、この桜の前を御車で通り過ぎた 後水尾天皇 は、あまりの美しさに魅せられて、御車を返してもう一度その桜を愛でた と伝えられています。

  京都では幾つかの社寺でも、古都にふさわしい雅の名桜 「 車返しの桜 」 を愛でることができます。
  

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2016年04月09日

平野神社

 『 平野神社の桜 』

  京都の桜の名所の中でも、円山公園平野神社夜桜の名所 として知られています。

  平野神社は、延暦13 ( 794 ) 年の平安京遷都にともない、桓武天皇 が奈良から平野の地に神様を遷して創建したことに始まります。 以来、歴代天皇からの崇敬も厚く、平安中期には 花山天皇 によって数千本の桜が植えられ、一躍、桜の名所となりました。

  現在、境内の桜は 約50種 400本 を数え、寝覚桜・胡蝶桜・御衣黄桜・手弱女桜・平野妹背桜など、平安王朝の雅を感じさせる名桜 が咲き誇ります。
  

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2016年04月08日

釈迦の誕生

 『 釈迦の誕生 』

  仏教を開いた 釈迦 ( しゃか ) は、中部ネパールの 釈迦族 として生まれ、父・浄飯王 ( じょうぼんのう : 釈迦族の国王 ) と母・摩耶夫人 ( まやぶにん ) の間に生まれました。

  紀元前463年 ( 諸説あり ) の 4月8日生まれ と伝えられ、美しい花園を散歩中に摩耶夫人が樹木の枝を手折ろうとした時に母の右脇腹より生まれ、すぐに七歩あるいて右手は天を、左手は地を指差して “ 天上天下唯我独尊 ” ( 天上天下において私が最も優れている ) と話した、と伝えられています。
  

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2016年04月07日

平安神宮・神苑



 『 平安神宮 神苑 』

  平安神宮 の社殿を取り囲むように広がる 『 神苑 』 ( しんえん ) は、明治時代に作庭された代表的な日本庭園として広く親しまれ、入り口から順に 南神苑西神苑中神苑東神苑 と続いています。

  南神苑 になると ≪ 紅枝垂れ桜 ≫ が一面咲き誇り、西神苑初夏≪ 睡蓮 ( スイレン ) ≪ 河骨 ( コウホネ ) が彩りを添え、中神苑≪ 杜若 ( カキツバタ ) が群生します。

  そして 東神苑栖鳳池 を中心として 尚美館泰平閣 などの建物が建ち、雄大な眺めを楽しむことができます。
  

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2016年04月06日

佛光寺

 『 佛光寺 』

  四条通の繁華街から少し南へ歩くと、真宗佛光寺派の本山 『 佛光寺 』 ( ぶっこうじ ) の大伽藍が見えてきます。

  建暦2 ( 1212 ) 年、越後に流罪となっていた 親鸞聖人 が一時京都へ戻ってきた際、高弟の源海上人が山科に創建した寺院を起源としています。

  のちに本尊・ 阿弥陀如来像 が盗難に遭いましたが、後醍醐天皇 の夢の中に如来の光が射し、その光をたどって無事に本尊を取り戻すことができたことから、天皇より 「 阿弥陀佛光寺 」 の寺号を賜わったと伝えられています。

  佛光寺の境内には、美しい紅枝垂れ桜が咲き誇ります。
  

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2016年04月05日

妙顕寺

 『 妙顕寺 』

  日蓮宗大本山 のひとつ 『 妙顕寺 』 ( みょうけんじ ) は、日蓮宗を開いた 日蓮上人孫弟子 にあたる 日像 ( にちぞう ) 上人 により、元享元 ( 1321 ) 年、日蓮上人の遺命を受けて京都における 日蓮宗最初の道場 として創建されました。

  長い歴史の中で幾度も火災や法難に遭って寺地を転々とし、豊臣秀吉 によって五条大宮の旧地から西陣の現在地へと移転しました。

  江戸初期の芸術家・尾形光琳 の 菩提寺 でもあり、春になると境内一円が見事な桜に包まれます。
  

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2016年04月04日

白川夜船

 『 白川夜船 』

  江戸時代、裕福な 江戸の町衆 のあいだで旅行が流行り、なかでも 憧れの京都 から帰ってきた旅人の話は町中の話題となりました。

  ある日、お調子者が人から聞いた京都の話を、さも自分が行ってきたかのように得意げに話していると 「 白川はどうだった? 」 と問われ、「 夜船で寝て白川を下ったのでわからない 」 と答えて笑い者になりました。

  白川 とは祇園を流れる清らかな小川であり、とても船で下るような川ではありません。 それ以来、知ったかぶりの事『 白川夜船 』 ( しらかわよふね ) というようになりました。
  

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2016年04月03日

京都府庁 旧本館

 『 京都府庁 旧本館 』

  明治37 ( 1904 ) 年に竣工した 京都府庁舎 ( 現在の 旧本館 ) は、現役の官公庁舎としては日本最古の建物となります。

  京都府技師の松室重光など日本人建築家によって設計され、外観は ネオ・ルネサンス様式の煉瓦造 で、ロの字型の建物には正庁や知事室・議場など大小55室が設けられています。

  建物に囲まれた中庭は、7代目・小川治兵衛 によって設計された庭園であり、春になると見事な枝垂れ桜が満開の花を咲かせます。
  

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2016年04月02日

平安神宮

 『 平安神宮の桜 』

  平安神宮 は、明治28年に平安京遷都1100年を記念して創建され、平安京へ遷都した京都最初の天皇にあたる第50代・桓武天皇 と、京都最後の天皇となった第121代・孝明天皇 を祭神としています。

  本殿を取り囲む広大な神苑には、約150本の八重紅枝垂れ桜をはじめ、染井吉野や彼岸桜など約20種300本の桜が咲き誇ります。

  この一瞬の喜びこそ、
   去年の春が暮れて以来1年にわたって
    待ち続けていたものなのである
         - 谷崎潤一郎 『 細雪 』 より -
  

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2016年04月01日

都をどり

 『 都をどり 』

枝垂れ桜が京の春を彩り始め、いよいよ京の花街 ・ 祇園の歌舞練場では “ ヨーイヤサァー ” の掛声とともに 『 都をどり 』 が華やかに催されます。

春の到来を告げる 都をどり は、明治5 ( 1872 ) 年、京都博覧会で芸舞妓さんが舞や歌を披露したのが始まりで、今年で144回目を迎えます。

 叱られて
  悲しきときは 円山に

    泣きにゆくなり をさな舞姫
     - 吉井勇 「 祇園歌集 」 より-

芸舞妓さんの優美な舞い姿は、底冷えの寒い冬も欠かさず続けてきた厳しいお稽古の賜物なのです。 今年も一層、京の春を華やかに彩ります。

『 都をどり 』  祇園甲部歌舞練場
   4月1日~30日
  

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2016年03月31日

花山天皇

 『 花山天皇 』

  平安中期の 第65代 『 花山天皇 』 ( かざんてんのう ) は、在位中に 荘園 ( しょうえん : 貴族や社寺が諸国に私的に領有した土地 ) の増大を抑制するなど積極的な政治を行ったが、強大な権力を持つ 藤原兼家 ( かねいえ ) が自らの孫にあたる皇太子を天皇として即位させるために陰謀をめぐらせて、花山天皇はわずか2年足らずで 退位 させられました。

  退位した 花山上皇熊野詣西国三十三ケ所観音霊場 を巡礼したといい、現在は 紙屋川上陵 ( 北区衣笠 ) の陵墓で眠っています。
  

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2016年03月30日

地蔵院・五色八重散椿

 『 地蔵院・五色八重散椿 』
  神亀3( 726 )年、東大寺の建立に尽力した奈良時代の僧・行基 ( ぎょうき ) が創建した古刹 『 地蔵院 』 ( じぞういん ) には、戦国時代に 加藤清正豊臣秀吉 に献上したと伝わる 伝説の名椿 『 五色八重散椿 』 が咲くことで知られ ( 現在は樹齢約100年の二世 : 市指定天然記念物 )、通称 「 椿寺 」 と称されています。

  白・紅・黄・桃・紅絞りなど五色の花が混じり咲き、また 俳人・正岡子規< 椿寺の椿の花は散りてこそ > と詠んだように、ひとひらごと散る名椿として愛され続けています。

地図 : 地蔵院 ( 椿寺 )
  

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2016年03月29日

近衛邸址

 『 近衛邸址 』

  京都御所の周囲に広がる 京都御苑 ( きょうとぎょえん ) は、市民の憩いの広場として親しまれています。

  ここは幕末まで200近い公家の邸宅が並んでいた場所で、明治になって天皇や公家が東京へ移った後に整備されて公園となりました。

  現在、御所の北側に残る 近衛池 は、五摂家 ( ごせっけ : 摂政や関白に任ぜられる、近衛家、九条家、鷹司家、一条家、二条家の五名家 ) のひとつ 『 近衛家 』 ( このえ ) の邸宅跡にあたり、池の周りに植えられている早咲きの枝垂れ桜が満開を迎えています。
  

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2016年03月28日

高瀬川

 『 高瀬川 』

  京都の繁華街を静かに流れる 『 高瀬川 』 ( たかせがわ ) は、慶長年間 ( 1596~1615年 )、江戸時代初期の豪商 角倉了以 ( すみのくらりょうい ) が 材木物資 の輸送のために開削した 運河 であり、明治頃までは荷物を積んだ 高瀬舟 が往来して賑わいを見せていました。

  昔は舟で運ばれてきた材木を扱う 材木商 が高瀬川沿いに建ち並び、現在も 木屋町木屋町通 という名前にその名残りを感じることができます。
  

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2016年03月27日

木花之開耶姫

 『 木花之開耶姫 』

  日本の神話に登場する女神 “ コノハナサクヤビメ ” は、古事記では 木花之佐久夜毘売、日本書紀では 木花之開耶姫 と記され、単に “ サクヤビメ ” とも呼ばれています。

  皇室の祖神の 天照大神 ( あまてらすのおおみかみ ) の孫である 瓊瓊杵尊 ( ににぎのみこと ) の妻となり、後世になって 富士の神 として祀られるようになりました。

  サクヤビメ には、富士山頂から花の種をまいて花を咲かせた という伝説があり、一説には “ サクヤビメ ” から “ 桜 ” の言葉が生まれた、といわれています。
  

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2016年03月26日

西行

 『 西行 』

  平安末期から鎌倉初期の歌僧として知られる 『 西行 』 ( さいぎょう ) は、もとは 北面の武士 ( 上皇や法皇などの院御所の北面に詰めて近侍した武者 ) で、23歳で出家をし、陸奥から四国・九州まで諸国を旅して歌をのこし、最期は桜が咲き誇る頃に河内国 ( 大阪 ) 南葛城の弘川寺にて没しました。

  願はくは
    花のしたにて 春死なむ
                 その如月の望月のころ  - 西行 -

  西行の歌は心中の思いを述べた 述懐歌 に優れると評され、新古今集では最高の94首が入集しています。
  

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2016年03月25日

山部赤人

 『 山部赤人 』

  昔から歌人たちは桜の美しさや散るはかなさを歌に詠み、その想いを後世へと伝えてきました。

  奈良前期の官人・歌人であり、三十六歌仙のひとりにも数えられる 『 山部赤人 』 ( やまべのあかひと ) は、現存最古の歌集 「 万葉集 」 ( まんようしゅう ) に次のような歌が収められています。

  あしひきの 山桜花
    日並べて かく咲きたらば いと恋ひめやも

  意味 : 山に咲く桜の花が、いつまでもずっときれいに咲いていてくれるのなら、こんなに恋しく想ったりはしないでしょうに・・・
  

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2016年03月24日

在原業平

 『 在原業平 』

  世の中に
   たえて桜のなかりせば
      春の心は のどけからまし

  ※この世の中にまったく桜というものが無かったならば、春を過ごす心は、どれだけのどかであっただろうか・・・

  平安時代の歌人 『 在原業平 』 ( ありわらのなりひら ) は、六歌仙・三十六歌仙のひとりにも選ばれています。 歌は 情熱的な歌風 で知られ、古今集仮名序では “ 心あまりて言葉たらず ” とも評されています。
  

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2016年03月23日

寺社と社寺

 『 寺社と社寺 』

  「 寺社 」「 社寺 」 に違いはあるのでしょうか?

  古来より日本は 神道 でしたが、仏教伝来 以降は 神道と仏教の混沌 が進み、寺院に神様が祀られたり、仏教建築の要素を取り入れた楼門が神社に建てられるなど 神仏習合 ( しんぶつしゅうごう ) となりました。

  ところが明治時代になると、曖昧であった寺院と神社が分離される 神仏分離令 が出され、その時に寺院より神社が格上と定められたことから、「 寺社 」 という言葉も 「 社寺 」 へと転換させられた歴史があります。
  

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2016年03月22日

上御霊神社

 『 上御霊神社 』

  『 上御霊神社 』 ( かみごりょうじんじゃ ) は、延暦13 ( 794 ) 年の平安京遷都に際し、桓武天皇 によって 王城鎮護の神社 として創建されました。

  創建当初は奈良時代から平安初期にかけて不運の死をとげた 早良親王 など 八柱の神霊 を祀り、のちに明治天皇の御願によって五柱が合せ祀られ、現在は十三柱の神霊を祀っています。

  平安時代より怨霊を鎮める 御霊信仰 の神社として厚く信仰され、怨霊をなだめ祀るための 御霊会 ( ごりょうえ ) が幾度も行われてきました。
  

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2016年03月21日

空海

 『 空海 』

  約1200年前、唐 ( 中国 ) へ渡る 遣唐使船 にひとりの無名の学僧が乗り込みました。

  若き日、室戸 ( 高知県 ) の岩屋での修行中に日夜見た広大な から 『 空海 』 ( くうかい ) という名を持つ学僧は、密教の真髄を学ぶ ために唐の 青龍寺 ( せいりゅうじ : 密教の総本山 ) へ向かいました。

  青龍寺には中国全土から三千人を超える学僧が集まっていましたが、その中でも 圧倒的な才能 を見せた空海は、わずか2年で密教の全てを習得し、正統な密教の伝承者 として日本に帰国して 日本真言宗を開く とともに、東寺民衆の救済 に力を傾け、また高野山で多くの弟子を育てました。

  日本史上最高の天才 といわれる 空海 は、承和2 ( 835 ) 年 3月21日、輝かしい足跡を残して 高野山入定 ( にゅうじょう : 死ではなく永遠の宗教的瞑想 ) しています。
  

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